助けて悪役令嬢!~命を狙われそうなので、自力で解決します!~
髪を切られるヒロインについて考えることが多かったので、突発的に書きました。
地の文もっと考えればよかったですね。
編集も視野に入れつつ、投稿します。
ジャキン!
長く伸ばした髪を、突然ばっさりと切られた。
「――ん⁉」
おかしいと思った数は、もう忘れてしまった。
講義のノートが破られている。
制服の裾がいつの間にか切られている。
ある廊下を通りかかると上から必ず水が降ってくる。
他にもこまごましたものを含めるときりがない。
そう、明らかに私は嫌がらせを受けている。
「きゃああああああああああっ!」
足元に落ちた自分の髪にまだ呆然としていると、誰かの悲鳴が聞こえた。もしかして嫌がらせを受けているのは私だけではなくて、同じように髪を切られた人の悲鳴だろうかと声のした方へゆっくりと目を動かすと、どうやら悲鳴は私の惨状を見て上げたものらしかった。
「ノルマンド子爵令嬢様の髪が!」
「アレイヤ様、大丈夫ですか⁉」
誰か先生を、と周囲に要請する声と、遠巻きに心配してくれる令嬢たちは、みな同じ人物を支持している。
「……ゼリニカ、様」
目を見開いてショックを受けている金髪碧眼の美女。
ゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢。
この国の第一王子である、アルフォン・ル・リトアクーム殿下の婚約者。
**
私はアレイヤ・ノルマンド。
元は庶民の暮らしをしていたが、母がかつてノルマンド子爵に一夜を買われてできた子どもだ。子爵の子が亡くなったことをきっかけに、私だけが子爵家に移された。
子爵夫人は優しくいい人で、私を見る目はいつも申し訳なさでいっぱい。きっと母と離れ離れにさせたことを後悔しているのだろう。確かに離れ離れで暮らすことにはなったけれど、手紙のやりとりは定期的にしているし、私が預けられる代わりに母に不自由のない暮らしを保証すると約束してくれた。
だから、私がお礼を言うことはあっても、夫人から謝罪を受ける理由はない。
子爵が母の一夜を買ったのも、夫人と結婚する前だと言うし。
(婚約状態ではあったようだけれど、その罰はすでに受けているらしい)
庶民から子爵の名を授かり貴族入りを果たした私は、貴族たちの通う学園の生徒となった。
編入試験の際、まさかの出来事が起きた。
私がまさかの「光魔法」の使い手だということ。
そして、この世界を乙女ゲームとした前世の記憶が蘇ったこと。
さらには、その乙女ゲーム「光あれ! ポップアップキュート」のヒロインであること。
これからアルフォン王子を始めとする攻略対象たちから愛され、悪役令嬢ゼリニカと戦い、さらにはラスボスとも戦って勝利していかなければならないことも。
(や、やることが多い……!)
幸いなことに、私はこのゲームのヘビーユーザーである。
攻略だけなら任せてくださいってなものです。
様子がおかしいと感じ始めたのは、転入を果たして二か月を過ぎた頃。
ノートや返却されるプリント類がズタズタに裂かれた。
行く先々で変な虫に襲われたり、何もないところで転びやすくなった。
食べ物に虫が入っていた時はさすがに気分が悪くなったけれど、最初はただ「ああ、この世界にもイジメってあるんだなぁ」と思っただけ。トイレに連れ込まれたり執拗に罵倒を浴びせられることがなかったから気にしていなかったけれど、持ち物に悪戯されたとなると少し話は変わってくる。
何せ、子爵家の両親が頭を悩ませて買ってくれたものだから。
亡くなった子が男の子だったのもあるのだろうが、女の子の私にどう接していいのか分からない二人が必死に考えて買ってくれたものをめちゃくちゃにされるのは、さすがに我慢ならなかった。
しかし、憤慨したのは、私じゃなかった。
「ゼリニカ! また貴様か! 一体どういうつもりで彼女を陥れようとするのだ⁉」
颯爽と現れるのはゼリニカよりも濃い金髪の長身。
絶世の美男子との呼び声高いアルフォン・ル・リトアクーム第一王子は、あろうことか自身の婚約者を糾弾し始めた。
(いや、キレるのは私の役目……)
私の心の声は表に出ることなく、王子の怒声でなかったことにされてしまう。
転入してすぐに声をかけてくれたのは同じ教室の令嬢たちではなく、一つ学年が上のアルフォン王子だった。最初は誰もが「珍しい光魔法の適性を持つ元庶民に気を遣っているのだろう」と理解を示していたが、ある意味では王子と交流が始まってから周囲で異変が起きたと言える。
王子が元庶民にご執心だと思われたのなら、嫌がらせの類も分かろうものなのだが。
「アルフォン殿下。畏れながら、私がやったと仰っているのですか?」
誰よりも冷静なゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢は、努めて柔らかい口調で徹底している。彼女には公爵家としての矜持があると強く意識していた。
「貴様以外に誰がいるというのだ? ふん、大方この俺が他の女を気にかけているのが気にくわないといったところか。器の小さい奴だ」
「……殿下の妄想にお付き合いする暇は、ありませんが」
「妄想だと⁉」
小さく溜息を吐き出すゼリニカは、私と目が合うと苦笑した。
あなたも大変ね、と言われているとすぐに分かる。
そもそも公爵家の令嬢ならば、子爵家の新参貴族令嬢に陰湿な嫌がらせをする理由はない。まずは直接注意するのが当然だ。それがないということは、こそこそ隠れなければならない立場の人間ということになる。
例えばゼリニカの近くにいる友人令嬢とか。
ゼリニカの犯行だと思われてはいけないから、隠れる必要がなかった。そう考えれば嫌がらせをする理由にも納得がいく――わけがない。
それもやはり、まずは口頭での注意の後にすればいい。注意しても私の素行が変わらなければ嫌がらせに発展してもおかしくないし、そうなるのも時間の問題なのだろう。
だが、私は何もしていない。
女の子のお友達がほしいなぁと思っていた矢先、王子に見つかったのだ。
ちなみにゲームのスタートはもう少し後。光魔法を授業で使って小さな事故を起こすところが始まる。
言い換えれば、王子と会うのもそれ以降なのだ。
予定が狂っている理由はなんだ?
王子も転生者なのか?
私がゲーム開始前にしてはいけないことをしたからストーリーが変わったとか?
終わりの見えない可能性を吟味しても仕方ない。
始まってしまった王子と婚約者の諍いに巻き込まれたことが大きな問題だ。
私を中心に行われるいともえげつない嫌がらせの数々。
その度に追及される公爵令嬢と、詳細になってもいない証拠を並べる王子。
公爵令嬢に非がないことは明らかだが、周囲も巻き添えを食らいたくないのか、はたまた公爵令嬢がやっていないという根拠がないからか、遠巻きに見ているだけ。
どの世界でも関わりたくないのはみな同じらしい。
時は現在に戻り、髪を切られた直後の私は咄嗟に目の前のゼリニカに助けを求める視線を投げてしまった。
突然の出来事に驚いているのはゼリニカも同じなのに。
ゲームでは悪役令嬢となっているゼリニカに主人公の私が助けを求めるのもおかしな話ではあるが、今の時点で一番信用があるのがゼリニカ以外にいないのだから仕方ない。
はらりと落ち損ねた髪がまた落ちる。恐る恐る手を伸ばせば、指にまた髪が絡まり、そのまま頭から離れる。
私の髪は、産みの母親も育ての母親も好む淡いピンク色。父親譲りの滑らかな指通りが気持ちいいから、子女らしくあれと、伸ばしていた。
「ない……」
何度触れても肩口でざっくりと切られた髪は元に戻らない。
自分でも気に入っていた長い髪。
慣れない侍女の存在に、恭しく今朝も綺麗に梳いてもらった長い髪が――ない。
前世は髪を短くしていたから、懐かしさもある。けれど、それ以上に喪失感が大きかった。
「アレイヤ嬢!」
呆然と立ち尽くす私の後方から焦った声が近付いてくる。
「アレイヤ様!」
走って来ている男の声に我に返ったらしいゼリニカも慌てて私に駆け寄る。
先に私に触れたのは、後方から声を掛けた男の方だった。
「アレイヤ嬢、ご無事ですか⁉」
「アレイヤ様、近くの教室にまず入りましょう」
顔を覗き込む深緑の髪を持つ男の顔を見て、王子の取り巻きの一人であることを認識する。少し遅れて私の手を握ったゼリニカが周囲を確認している。
「ゼリニカ様、アレイヤ様から離れてくださいませんか!」
「あら、また私の仕業だと言い張るおつもり? けれど、まずはアレイヤ様をここから離れさせるのが最善ですわよ、キュリスさん」
王子だけでなく王子を取り巻く人たちとも軋轢があるゼリニカは、必死に私の頭部を庇ってくれている。誰の目にも触れさせないようにと。
すぐ近くの空き教室を見つけて連れて行こうとするゼリニカと、ロイド・キュリスが言い争いを始める。どちらが私に寄り添うか。二人の大きくなっていく声に私は段々と平静を取り戻し、周囲に人が集まってきている雑音も耳に入るほどには回復した。
すー、はー。
深呼吸をする私に二人の言い争う声も止む。
「ゼリニカ様……少しお時間、よろしいでしょうか?」
「あ、アレイヤ様……?」
「やはり、ゼリニカ様が一連の」
「ロイド様も、少々よろしいですか?」
うるさい。
みんなもう、うるさすぎる。
「なんの騒ぎだ?」
タイミング良く現れたのは私と同じ学年の第二王子のレオニール・ラ・リトアクーム殿下。
「ゼリニカ様、レオニール殿下にこれから話す内容の証人となっていただけるようにお願いしていただいても構いませんか?」
私は子爵。ロイドは侯爵。そしてゼリニカが公爵となれば、王族に声をかける権利があるのは一番爵位の高いゼリニカにある。また、ゼリニカは第一王子の婚約者でもあるので、同じ公爵の位を持つ人間がいたとしても、ゼリニカ以外にレオニールに話しかけられる人間はいない。
不穏な気配を察知したゼリニカは私をそっと離してレオニールに声をかけ、四人だけが揃う教室の中、私は息を吸い込んだ。
女の子の髪を切った代償は大きいぞ。
反撃するのは悪役令嬢役であるゼリニカではない。
この私だ。
「突然このような状況になり、私も大変混乱しております」
シャワーを浴びたらまだ出るだろうが、今は切られた髪から落ちる残骸はない。
短くなった髪を改めて見せると、ゼリニカは悲しみで目をうるませて俯き、レオニールは顔を背ける。ロイドはじっと目を離さない。
「他に怪我はありませんか、アレイヤ嬢? きっとすぐにアルフォン王子が犯人の証拠となるハサミを見つけて」
「でっち上げて、それをゼリニカ様の所持物であると仰る予定だということは想像に容易いですよ、ロイド様」
「…………は?」
いけしゃあしゃあとゼリニカの犯行だったと言いたいらしいアルフォン王子派のロイドは、私の淡々とした口調に一歩後ずさった。
私の態度に驚いたのはゼリニカとレオニールも同じだ。
普段から敵を作らないように、むしろ友達を作りたい一心で明るく振舞っていた私はここにはいない。
怒りを抑えつつも滲み出る感情は誤魔化せない。
「ゼリニカ様との婚約破棄の理由に、私を利用しないでください。私はただ、新しい世界に馴染むために、友人が欲しいだけなのです」
「だ、だからアルフォン王子がその友人に」
「分かりませんか? 普通、同性の友人から欲しいものでしょう? ロイド様はアルフォン王子が女性だったら、最初に側にいて友人としてお支えしようとなさいましたか? なさらないでしょう。同じ男性だから側にいやすい。そういうものでしょう? 私が欲しいのは、王族の異性の友人なんて下心を疑うような相手ではなく、例え王族でも同性の友人が欲しかったのです」
「あ、アレイヤ嬢……?」
「これまでの嫌がらせの数々、確かにアルフォン王子の婚約者であるゼリニカ様の犯行と思っても仕方ないものだったのでしょう」
「私は……!」
犯人ではないと口を挟むゼリニカを手で制して、分かっているという風に小さく頷く。
「ですが今回、私の髪が切られたことで、絶対にゼリニカ様は犯人ではないと確信しました」
ゼリニカを背にして庇うように前に立つ。
最初からゼリニカの犯行だなどと思ったことはなかった。
それ以上に怪しい人物がいたから。
「アレイヤ嬢、なぜ彼女の犯行ではないと?」
話の順序を読んだレオニールが先を促す。
「ゼリニカ様が、女性だからです」
犯行を否定する理由としては弱いが、ロイドは明らかに動揺していた。レオニールは段々と表情が明るくなっていき、結末を見届けるまでは絶対に動かなそうだ。
「わ、私が女だから犯人ではない……?」
これまで疑われ続けてきたからか、素直に信じてもらえることに懐疑的なゼリニカは私から離れようとする。そういった細かい気遣いが、ゼリニカが犯人ではない証拠となっていくのを分かっていない。
「さっき、私が切られた後の頭をお見せしました。すると、レオニール殿下とゼリニカ様は目を逸らされました。恐らくですが、殿下は怪我と同様の現状を直視してはならないと思ってくださったのですよね?」
「ああ。失礼かと思ってね」
「ご配慮痛み入ります、殿下。ゼリニカ様が目を逸らしたのも近い理由ですよね? 目の前で起きたものとは言え、直視はできない」
「……ええ、あなたの髪は、とても美しいから。魔法を使うと光の粒子がさらに輝かせていて、女生徒の間では人気なのです」
「それは初耳です。今度鏡の前で魔法を使ってみます」
「お止めなさい。光魔法のあなたが鏡で目をやられたらどうするのです?」
「ぐぬぬ」
反論できない正論に二の句が継げない。
思わず出てしまった声に庶民の空気感を消せていないと叱られるかと思いきや、ゼリニカは小さな子どもを見るような慈愛に満ちた目で笑った。
「……そういうところが、犯人ではないという証拠です。ゼリニカ様」
本当に私を貶めてアルフォン王子と離れさせたいのなら、ほんの少しの優しさも見せないはずだ。光魔法の余波が鏡に反射する可能性に思い至るのなら、嫌がらせの初期の段階にあってもおかしくはなかった。
「ありがとう。……けれど、では、一体誰があなたを? 引いては私を悪者にしようとしているのは?」
ここまで話せば察しも付く人間もいる。筆頭はレオニールだが、ゼリニカはまだはっきりと答えを導きだせていないのだろう。あるいは嫌疑が晴れたから脳の動きが鈍くなったか。
そうなると私にも迷いが出る。
ゼリニカの前で、レオニールの前で、はっきりと犯人の名を挙げてもいいものか。
正直、勢いだけで始めてしまったけれど、もしかすると良くなかったかもしれない。
元庶民のノミの心臓がいきなり早鐘状態になり、会話の証人として近くにいた王族を呼んでしまったことも不敬になるのではないかと焦りも生まれた。
「構わないよ、アレイヤ嬢。すべての謎を解き明かしてくれ。どのような結果でも、俺が責任を持つ。これでもこの国の第二王子だからね」
爽やかなウインク付きの了承をいただいたことで幾分か緊張がほぐれる。ゼリニカの様子も一応窺うが、レオニール同様公爵家の矜持を持って深く頷いた。
「ではまず、今しがた起こった私の斬髪事件について」
自分で口にしておきながら「斬髪事件」なる四字熟語にちょっとだけ笑いそうになる。
事実としてはそうなんだけど。
「私は廊下を歩いていました。光魔法の授業で移動教室だったので、一人で。急ぐような時間でもなかったのでゆっくり。丁度事件の起きる一瞬前。私の横を一人の女生徒が急ぎ足で通り過ぎていきます。私は足を止めてその方を目で追いかけました。そして直後、髪が切られました」
当時の状況再現。
急ぎ足の女生徒は目の前のゼリニカに用があったらしく、その場にはゼリニカがいた。一部始終を見ていたかといえばそうではなく、他の生徒たちの声で事態を把握した。
「だ、だとすれば、アレイヤ嬢の横を通った女生徒が髪を切った実行犯で、それを指示したのがゼリニカ様ということに」
「そうはならないのですよ、ロイド様」
性急なゼリニカ犯人説を唱えようとするロイドを黙らせ、ロイドと正面から目を合わせる。
「ロイド様。あなたはもう犯行を自供なさっていることに気付いてらっしゃいますよね?」
「な、何を馬鹿な」
「あなたはこう言いました。『きっとすぐにアルフォン王子が犯人の証拠となるハサミを見つけて』と。誰も犯行に使われた凶器がハサミだとは断言していないのに、なぜハサミが使われたとお分かりになったのです? 魔法を使った可能性だってあったのに。そして先ほど、あなただけは私の可哀そうな髪を目を離さずに見ていた。それはつまり、あなたにとって私の髪が――女子の髪がどうなろうと構わないと言っているのと同じです!」
私の指摘にロイドはハッとして顔色が悪くなる。
それから、と仕方なく続ける。
「私が歩いていた方向からして、ゼリニカ様のご友人の犯行では絶対にありえないのです。なぜなら――」
もう一度切られた頭髪を見せる。
「あっ……!」
ゼリニカは私の髪を見て声を上げた。
現場にいたゼリニカにはすぐに分かるが、レオニールだけは分からない。
ロイドも私の言わんとしていることに気付いたからか、黙ってしまった。
「そうです。私の髪は左から右へとハサミを入れられたことによって、右側が左側よりも短くなっているのです。こういう切り方にするには、私の左側下方向からハサミを入れるか、私より背の高い人物が右側上方向から切るしかないのです。そして、その時の私の左側には窓。その女生徒による犯行では決してない。さらに、犯行があった直後、私の目の前にはゼリニカ様がいる。後ろからは――ロイド様、あなたがやって来ました。あなたはどこからやって来て、それまで何をしていたのですか?」
「そ、それは、アルフォン王子と共に……」
ロイドの返答を遮ってゼリニカが追撃する。
「アルフォン王子なら先の時間、授業でご一緒いたしましたわ。当然、アレイヤ様のいらっしゃる場所より前方の教室で。私の方が先に教室を出ましたので、王子と一緒にいらっしゃったと仰るのなら、あなたは彼女の後方から現れるのは無理があるかと」
「杜撰としか言いようがないね。素直に犯行を認めたらどうだい? 兄上の友人と名乗るなら、それなりの行動をしてもらわないと王家の恥と笑われてしまう」
「れ、レオニール殿下! 違うのです! 私はやっておりません!」
「ロイド様、見苦しいですよ。きっとこの後、ゼリニカ様の机や鞄から犯行に使ったハサミが出たと言う王子の他の友人が現れるのでしょうけれど、そういった物的証拠よりもはるかに信憑性のある状況証拠がここにあるではありませんか」
そう言って私はロイドの腕を取る。
袖口から、私の長かった髪が細い束で顔を出した。
それらをするすると出していく。
「なぜ、私の髪があなたの袖口から出てくるのです?」
「そ、それは、アレイヤ嬢に駆け寄った際に」
「では、ゼリニカ様をごらんください。あなたとほぼ同じタイミングで私に近寄って、あろうことか周囲の視線から守るように抱えてくださったゼリニカ様にはそういったものは付いておりません。なぜなら、誰かが近付いてくるまでに私は何度も何度も確かめるために髪を手で梳いたからです。だから、すでに落ちたものが付着するような膝辺りではなく、胴体より上にあるわけがないんですよ」
返してもらいます、と大事に伸ばしていた今は無残な姿の淡いピンク色の髪。
返してもらったところで、元に戻ることはない。
「アレイヤ嬢、無事か! 遅くなってすまない。犯行に使われたと思しき証拠を探していたら遅くなってしまった! 安心しろ、犯人はもう特定している。ゼリニカ・フォールドリッジ! 今度という今度は許さないぞ!」
教室に大きな声をまき散らしながら現れたのは、私の推理から外れてアルフォン王子本人だった。
ロイドは膝から崩れ落ち、レオニールは目も当てられないと片手で目を塞いで天井を仰いだ。
「すまない、アレイヤ嬢。この不始末は私がどうにかしよう……」
「レオニール殿下の御心のままに」
王族に向けてする最上の礼は、貴族になって最初に教えられたもの。
これで私に向けられた嫌がらせは終わりを迎えるはずだ。このままエスカレートすれば命まで狙われるのではないかと不安になるところだった。
「……うん?」
解決したことで髪が切られたことも受け入れられるようになり、風通りがよくなった首をさする。触れた指先に違和感を覚えるのと同時に、アルフォン王子の後ろからさらに人がやって来た。
「アルフォン王子、一体どういうことですか⁉ アレイヤ嬢が襲われたって……」
どうやらアルフォンの後を追いかけて来ただけのその人は、見るからに思慮深く聡明な外見をしていた。
ノーマン・ドルトロッソ。現国王の宰相の三男である。
これまで私の命が危ぶまれる危険性がなかったのは、偏に彼の存在があったからだ。
彼は国王の宰相をしている父を尊敬しており、次期国王となるアルフォンに王族としての誇りを持つようにと日頃から口うるさく言っているのをよく見かける。仲良くなってあわよくば手を出そうとしている子爵令嬢相手に間違いがあってはならないようにと目を光らせてくれていることを知っていた。
「ノーマン、今しがた、アレイヤ嬢がこのゼリニカによって髪をバッサリとハサミで切られたところだ。ああ、レオニールもこの場にいるのだから状況は分かっているのだろう? お前からも説明してやってくれ」
「いい加減になさいませ、アルフォン王子! 私がこの状況を推測できていないとでもお思いですか⁉」
「……なんだと?」
ノーマンは足早に私の下に来るなり、悲しそうに目を細めながら無残な切り口の髪を見る。触れることをしないのは、私が異性だから。むやみに異性に触れないのが貴族社会の常識である。
「アレイヤ様、申し訳ございません。私が付いていながらこのような……。なんと嘆かわしい」
「い、いいいいいいい、いいえ! ノーマン様に謝罪していただくようなことでは! それに、レオニール殿下から確かなお言葉もいただいたところですので……」
自身も将来は王位に就くアルフォンの宰相となるべく日々意識して行動しているからこそ、堅く真面目という印象を受けるが、あながち間違いでもない性格に外見がリンクしている。
柔らかく少しだけ長い黒い髪と、知的な印象を与える眼鏡。食事には頓着がないのか不健康的な細い体。なのに背は高いのでふらりと突然倒れてしまうのではないかと心配になる。
端正な顔つきは黒髪と眼鏡によって清廉さを増し――端的に言えば、私の好みすぎる顔立ち。
つぶさに被害を確認しようとしているだけだと分かってはいても、吐息がかかりそうな距離にまで寄られると息を止めて緊張を悟られないようにしないととより緊張する。
「ノーマン様。とにかくアレイヤ様から少し離れてくださいませ。たった今、そこのロイド様から髪を切られる暴行があったと判明した直後なのです」
「ああ、これは失礼。配慮に欠けました」
遠回りにアルフォン王子派だから離れろ、という意味にもすぐ気が付き、素早く離れる。私もノーマンがアルフォン王子派だからというわけではないが、なんとなくゼリニカの近くに移動した。
「待て、ゼリニカ。なぜロイドの仕業だと? 俺はつい先ほど、教室の貴様の鞄の中からこのハサミを見つけたばかりだというのに!」
アルフォンの手には金色に輝く細身のハサミが握られている。まだ私の髪が付いたままだというのが生々しい。
「時を同じくしてかどうかは分かりかねますが、つい先ほど、アレイヤ様自らが私の容疑を晴らし、ロイド様の犯行であったと見破ったばかりです。決定的な証拠も発見されたばかりですわ。レオニール殿下が証人になってくださいます」
ゼリニカの言葉に合わせて、私は持っていた自分の髪を掲げる。ロイドは膝立ちから地面に顔を埋めた。
滑稽な舞台を、まだ続けるつもりなのだろうか。
「何をデタラメなことを! アレイヤ嬢。案ずるな。この場は俺が預かろう」
「……いいえ。解決したのは間違いありません。アルフォン殿下がここにおられることが、確固たる証拠となりましたので」
「君まで何を言い出すのだ? 心配しなくても、ゼリニカは直にこの学園から去ることになるだろう」
婚約を破棄し、巻き込んでしまった詫びに次なる婚約者に。場の空気が読めないどころか、とんでもないことまで口にするアルフォンに制止をかけたのは、当然ながら実弟のレオニール。
「兄上。アレイヤ嬢はすべてお見通しです。これ以上見苦しい真似はお控えください。王室の品位に関わります」
「なんだと⁉」
「ノーマン。悪いが兄上を城の自室まで連れて行ってはもらえまいか? 僕は父に一連の騒動をお伝えしなくてはならない。ゼリニカ嬢、アレイヤ嬢、共に来てもらえるか?」
「仰せの通りに、殿下」
ゼリニカの返答と礼に合わせて私とノーマンも頭を下げる。
アルフォンはまだ喚き散らしながらノーマンに連れられ教室を出ていく。
最後まで見苦しい人だった。
「光魔法で全部の記録を映像として残してみたのですが、必要でしょうか?」
「……君はなんというか、たくましい令嬢だね」
対して弟王子は最後まで冷静で、ずっと楽しそうだった。
***
レオニールの取次ぎによって、スムーズに国王陛下との謁見は叶った。
一国の長を前に重圧に耐えなければならないだけでなく、問われれば答えなければならない重圧とも戦っている。
「アレイヤ嬢、ゼリニカ嬢、我が愚息が申し訳ないことをした。アレイヤ嬢に至ってはどれほど謝っても足りぬことを……」
「とんでもないことでございます、陛下」
「あ、頭をお上げください、国王陛下! 終わったことなので、もう……」
慣れているのか落ち着いているゼリニカとは違い、私は頭の中が真っ白になる中、どうにか失礼な言葉遣いにならないように努める。
謝られれば謝られるほど、起きた現実の重みを実感して辛くなる。また伸ばせばいいなんて言うのは簡単だけれど、同じ長さに戻るまで何年かかるか分からない。
できるのは、綺麗さっぱり忘れて前を向いて一生懸命になることくらい。
ゲームスタート前からアクシデントが起きてしまっているので本編がどうなるのか先が読めないけれど、中心イベントである魔王討伐は避けられない。
サイドストーリー的な恋愛要素がおかしくなっただけだ。
スタート前にメインとなる攻略対象が退場してしまったけど、どうにかなるものだろうか。
「アレイヤ嬢の優しさに感謝する。……レオニールから聞いたが、アレイヤ嬢は類まれなる推理力を持っているようだな」
「素晴らしい論理と証拠の積み重ねでした。逃げようとしてもすでに逃げ道を塞いでいる手腕は、将来この国にも貢献していただけるかと」
「レオニールがそこまで言うのも珍しい」
止めてくれ、そんなに持ち上げないで、と心の中で強く叫んでも、声に出さなければ意味がない。声に出せるほどの強心臓を持っていないのが悲しい。
謁見の間に入って小一時間。
すでにアルフォンの処遇は決定された後だった。
王位継承権の剥奪。ゼリニカとの婚約解消。そして三か月の謹慎と私の半径五メートルに近付けないという処罰。
なんだかストーカーの被害に遭っていた気分にもなるけれど、遠くに追放されなかっただけ良かったのだろう。
「して、アレイヤ嬢。そなたの推理はまだ終わっていないと見受けるが、いかがかな?」
そろそろ解放されるかと思ったが、どうやらそうもいかないらしい。
「残っているのは大したことのない推理です。まずゼリニカ様に疑念を持った際に少しばかりスケジュールの確認をさせていただいただけで、推理とも言えません」
「スケジュールの確認? 私の?」
「失礼を承知の上で調べさせていただきました。
講義のノートが破られている件について。
制服の裾がいつの間にか切られている件について。
ある廊下を通りかかると上から必ず水が降ってくる件について。
これらすべての被害に遭った位置から犯人がいたであろう場所を突き止め、その時間その瞬間にいらっしゃったかどうかを調べました。確かにゼリニカ様は犯行時刻に犯行が行われたであろう場所にいらっしゃいました。ですが、ゼリニカ様と同時に他にもいた人物がいました。一度や二度ではなく、常に、と言ってもいいほど、その人は犯行が行われた場所にいました」
「それが」
レオニールが台詞を引き継ぐ。
「アルフォン兄上だったというわけですか」
「はい。ゼリニカ様へ罪を擦り付けるために自然とそうなったのかと」
「だからさっきも……」
私が髪をバッサリ切られた直前にも、アルフォンはゼリニカと同じ授業を受けていた。犯行に使ったハサミを見つけるために必要だったのだが、却ってその工作がゼリニカを無実へと導くことになるとは想像もしなかったはずだ。
「まったく……なぜそのようなことを、いや、アレイヤ嬢が光魔法の使い手だからだな。重ね重ね申し訳ない」
深く頭を下げる国王陛下にかけられる言葉なんて元庶民の子爵家令嬢の私にはなく、そのまま謁見の間を後にした。
レオニールはまだ国王とまだ話があるとのことで、ゼリニカと二人になる。
王位継承権第一位になる話でもするのだろう。
「大変な思いをさせてしまったのには、私にも非があるわね。私があの方の婚約者でなかったなら、きっと……」
いつから婚約していたのか分からないが、ゼリニカは婚約者として交流を深められなかったから起きた悲劇と後悔している。
だけど、それは違うと私は知っている。
ゲームの設定以前に、私はこの世界には珍しい光魔法の使い手で、世界に安寧をもたらすと言われている最強魔法が使えるかもしれない人間。
そんな人間がいて、しかも結婚可能な異性となれば狙われるのは想定の範囲内だ。
王位継承権を持つ王太子なら、なおさら欲しい人材だと考えるのも自然だろう。
ゼリニカが自分を責めるのは違う。
責められるべきは、私の方。
「ゼリニカ様、私は……」
「アレイヤ様、何も気にしないで。あなたが気に病む必要はありませんわ。お望みのご友人も、きっとすぐにできます」
未来の王妃になるはずだったのに、疑いをかけられて気分を害したはずなのに、ゼリニカは私に優しい言葉をかけてくれる。
この人が本当に悪役令嬢になる人なのか?
何かの間違いなのでは?
「ここだけの話、私はアルフォン様とあまり気が合わなかったようですの。あちらが私に好意を持っていなかったのと同じくして、私もあの方への愛情はまったくありませんでした。だから、別に気にしてなどいませんわ。公爵家としての務めを果たせなかったのは残念ですが、これで私の人生が終わったわけでもありませんものね」
落ち込む私に、大袈裟なほど明るい笑顔を見せて励ましてくれている。
毅然とした態度を崩さないのは、さすが公爵家令嬢。
「アレイヤ嬢!」
「あら、あなたの王子様がいらしたようよ?」
「王子様?」
上品に笑いながら去ろうとするゼリニカを追いかけようと足を動かすが、それよりも私を呼ぶ声を無視できない。
「アレイヤ嬢、まだいらっしゃいましたか」
「の、ノーマン様? 私に用でしょうか?」
「用、というか……せめてこちらで髪を整えさせていただければと思い、場を設けました。もし、希望の髪型があれば何なりと申し付けください。……伸ばすことは、できかねますが」
深く頭を下げるノーマンからは、アルフォンを止められなかった後悔の色が強い。
「ノーマン様が私を守ってくださっていたことは存じ上げています。ですので、ノーマン様が私に頭を下げるのは違うかと……」
「あら、いいじゃないですか。せっかく用意していただいたのですし、綺麗にしていただいては? 要望がなければこう言えばいいのです。「ノーマン様のお好みで」、と」
「へぁっ⁉ ぜ、ゼリニカ様、一体何を仰っているのですか⁉」
先に帰ろうとしていたはずのゼリニカがいつの間にか私の肩に手を置いて提案する。突拍子もない提案にノーマンはぽかんと口を開けている。
「少しくらい、いい思いをするべきですわよ、アレイヤ様」
では、後はよろしくですわ、と背中を押されてノーマン様に飛び込みそうになった。
咄嗟に支えてくれはしたが、触れた事実には変わりなく、体が熱くなる。
「えーと……アレイヤ様」
「は、はい」
「いかがいたしましょうか?」
ゆっくりと見上げれば、すぐ近くに好みの顔面。好みは顔面ではないことをいい加減に認めるべきか。
「の、ノーマン様のお好み……でお願いします?」
思ったより長くなりましたが、以上です。
ありがとうございました!
(11/30)
読んでいただいてありがとうございます。
自分で読み返していて許しがたいおかしな文章のかたまりを発見しましたので、本格的に書き直しの準備を始めています。
せっかくなので連載版としてアップしたいと思っています。
投稿が始まった際はぜひ、よろしくお願いします。
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12/25から連載版アップしています。
そちらもよろしくお願いいたします。