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―175― それから懺悔

「キスカさんが暗殺者ノクとともに裏切ったとき、ニャウは転移魔法をつかって勇者エリギオンたちとカタロフダンジョンを脱出しました」


 馬の蹄音を響く中、ニャウはかすかな吐息とともに、静かに百年前の出来事を語り始めた。


「まず、致命傷を負った騎士カタリナをニャウは必死に魔術を使って治療したです。幸い彼女はなんとか一命をとりとめました」


 俺は馬を走らせながら、背後のニャウの言葉に耳を傾ける。闇夜の中、ニャウの小さな声だけがはっきりと俺の鼓膜を揺らした。

 そうか、カタリナは助かったんだな。


「そこから馬車で王都へ向かい、魔王討伐を陛下に報告し、それなりの恩賞をいただいたです。国中が魔王討伐を祝福して、王都はずいぶんと騒ぎに包まれたのを覚えているです。――けれど、ニャウは素直に喜べませんでした。どうしてもノクとキスカさんが裏切った理由がわからなくて……」


「……それで?」


「それから、一ヶ月ほどたった頃……突然、カタリナとゴルガノが消息を絶ったんです。エリギオン殿下や他の人たちに聞いても、彼らがどこへ行ったのか誰も知らなかったです。そのとき、ニャウの胸はざわついたです。ノクとキスカさんの裏切りの真相にも近づけないまま、彼らの行方までわからなくなっていくなんて……」


 ニャウはそこで言葉を切って、深いため息をついた。


「だから、ニャウも王都を離れることにしたんです。ここにいても何も手がかりが得られないって思って……。そして、意外にも、ノクがカタロフ村の近くであっさりと見つかりました。ノクはニャウに言ったんです。『エリギオンは本物の勇者ではない。自分は本物の勇者に従っただけだ』と。だけど、本物の勇者について尋ねても、ノク自身あまり詳しく知らないのか、ほとんど何も語ってくれませんでした。だからキスカさん、あなたを探せばもっと真実がわかるかもしれないって……。ところが、いくら探してもキスカさんは見つからなかった。それこそ世界中を回ったぐらいなのに、まったく消息が掴めなかったんです。そんな時です。──ニャウは戦士ゴルガノと騎士カタリナを見つけたんです。あの二人は自らを混沌主義だと名乗りました」


 まさか、ニャウが混沌主義を知っていたなんて、驚きを隠せない。


「……彼らは、ニャウにこう言いました。『この世界は歪んでいる。たとえば魔王は勇者に絶対に勝てない。それは理屈とかではなく、勇者が勝つように世界が仕組まれているから』って。まるで、世界そのものが勇者を中心に回っているような言い方でした」


 ニャウの声は、時折痛みに耐えるように震えながらも、一言一句を大事そうに紡いでいく。馬を軽く制御しながら、俺は後ろに寄り添うニャウに意識を集中した。

 彼女の怪我のことを考えると、もう少し速度を落としてやるべきかもしれないが、悪魔ベールフェゴルの脅威を考えるとそうものんびりもできない。せめて、馬の背でニャウが振り落とされないように気をつける。


「あいつは……あう、カタリナでも、ゴルガノでもない、別の誰かがいたんです。姿はよく見えなかったです。たしか少女のような甲高い声でした。その者はこう言いました。『君に別の因果を見せてあげるよ』と。これを見た者は、だいたい自分たちの味方になるとも言われたです。──次の瞬間、ニャウの頭には、知らない情報が一気に流れ込んできたんです」


 ニャウの喉がごくりと鳴るのがわかる。まるで、あの時の恐怖や衝撃が蘇ってきたかのようだ。


「なにを……見せられたんだ?」


 俺が問い返すと、ニャウは少し呼吸を整えてから、震える声で続ける。


「しばらく、多くのイメージが頭の中を支配して、体が動かなくなったです。そこには、見知らぬ世界……いえ、もしかすると見知らぬ時間と言ったほうが近いのかもです。ぐちゃぐちゃに絡み合った時間軸を、一気に浴びせられたような……。それが終わった後、その甲高い声の人物は言いました。『勇者は限りなく全能に近い存在。その気になれば、世界を自分の思い通りに作り変えることができる。君は見たはずだよ。勇者の都合で消えていった世界を』って」


 ――勇者が限りなく全能に近い存在?

 俺の知ってる勇者――あぁ、そうだった。なぜか俺は彼女のことをよく思い出せないんだった。

 けれど、勇者が全能な存在だという言葉に俺は納得ができない。

 俺は黙ってニャウの話を促した。彼女は苦い表情を浮かべながら、か細い声を続ける。


「その声は、さらにこうも言いました。『こんな存在、許してはいけない。だから、君も僕たち混沌主義の仲間になるべきだ』と。彼らはそのことを繰り返しニャウに伝えて、自分たちの正義を丁寧に説明してくれたです」


 俺は奥歯をかみしめる。

 一見、混沌主義の主張は正しいような気もする。だけど、俺自身は混沌主義に対して、説明できないほどの不快感を覚えてしまう。だから、ニャウには彼らに同調しないでほしい。

 そんなことを思いながら、俺はニャウの説明を黙って聞いていた。


「けど、彼らの説明なんてニャウにはどうでもよくて、だって、ニャウの頭を支配していたのは……キスカさんのことだったんです。混沌主義がなんだとか、世界が歪んでいるとか、ニャウにとっては正直言ってどうでもよくて……ただただ、あの時間軸で一緒に過ごしたあなたのことで頭がいっぱいになったんです」


「え……?」


 思わず問い返すと、ニャウはさらに強く俺の背中にしがみついた。ぐっと熱い感覚が伝わってくる。


「……こんなこと、突然言われたら気持ち悪いですよね……。でも、ニャウはあの時間軸を見せられたときの衝撃があまりにも大きくて、他のことなんてまったく考えられなかった。……キスカさんとニャウは……確かにその時間軸で一緒に戦って、い、一緒に……」


 そこまで言いかけて、ニャウは恥ずかしそうに言葉を切る。


「……ごめんなさいです、取り乱して……。とにかくニャウには、あの時間軸のことが大切過ぎて、混沌主義の話なんて頭に入ってきませんでした。彼らがどんなに『世界を正す』とか言っても、ニャウにはキスカさんと会いたいという気持ちが一番で……」


 ニャウは小さく息を吐くと、思い詰めたように言葉を続ける。


「だから、ニャウはその日から毎日のようにあなたを探しました。キスカさんはいったいどこにいるんだろうって。世界中を回って、冒険者ギルドや魔術学校のネットワークに片っ端から協力を仰いだんです。ときには非合法な存在にまで手を借りることだって……。なのに、痕跡すらまったく見つけられませんでした」


 そこでニャウは、悔しそうにうつむく。

 きっとそれは長い年月だったに違いない。俺には想像もできないほど、途方もない時間の中をさまよったのだろう。


「でも、諦め切れなくて……。だって、あの時間軸でのキスカさんとの……その……やり取りが、どうしても頭から離れなくて。もう一度キスカさんに会って、ちゃんとニャウの思いを伝えるんだって……。それでも時々『あれはひょっとしたら混沌主義が見せた幻想だったのかもしれない』って不安になったりして……」


 ニャウの声が震える。

 馬の蹄が地面を打つ音だけが耳に残る中、俺は何も言えずにいる。ニャウはずっと、俺を探し続けていたのか。俺という存在を、百年間も──。


「気がつけば、百年が経っていました。キスカさんのことを忘れた日は、一度もないのに……何の手がかりも見つからなくて、ほとんど諦めかけていました」


 その声には、やり場のない切なさがにじむ。

 たったひとつの真実を求めて、時間の果てにまで追いすがりながら何も掴めなかった絶望。そんな想いが行間から伝わってきて、俺の胸をぎゅっと締めつける。


「……でも、そんなときでした。突然、キスカさんが目の前に現れたんです。もう……動揺どころじゃありませんでした。まさか幻なんじゃないかって思ったぐらい。だけど、触れられて、声を聞いて、あなたが本当にここにいるってわかったとき……ニャウはどうしていいか全然わからなくなっちゃったんです」


 ニャウはそこで一度言葉を切る。俺の背中にそっと額を押しつけるようにして、肩を震わせた。

 そのあまりの愛おしさに、俺は胸が詰まる。彼女がどうしてあそこまで混乱していたのか、少しずつ理解できた気がした。


「ニャウ……」


 何とか声を搾り出そうにも、胸が詰まってうまく喋れない。

 ありがとう、と言うべきか、申し訳ない、と言うべきか。俺の頭も混乱していて、言葉が出てこない。

 けれど、ひとつだけ確かな思いがある。彼女を放ってはおけないし、絶対に傷つけたくない。それが、俺の正直な気持ちだった。


「キスカさん。ニャウはキスカさんのことを強く……想っています」


 ニャウの声が風に溶け、夜気にかすれる。その響きだけで、俺の心臓は跳ねるように鼓動してしまう。

 ニャウは目を伏せながら、また小さくため息をついた。


「こんなこと突然言われて、びっくりする気持ちはわかるです。だって、あの時間軸のことを知ってるのはニャウだけでキスカさんは何も覚えていないんですから。だから、ニャウはもとよりこんなことをキスカさんに伝えるつもりはなくて。ニャウはただキスカさんと再会さえできればよかったんです」


 あぁ、そうか。ニャウはあの時間軸のことを俺は覚えていないと勘違いしているのか。


「でも、まさかエルシーにそのことを見抜かれて、リューネがキスカさんに好意を寄せるよう誘導するなんて……。そのことを知ったとき、ニャウはどうすればいいのか、本当にわからなくなってしまって……」


 リューネへの嫉妬、それがニャウが動揺する原因だったということ。その動揺により、ニャウはエルシーに魔力を奪われてしまった。

 ニャウの落ち度だと責める気は起きない。誰だって、こんなことになるなんて予想すらできないだろう。


「だから、ニャウが全部悪いんです。ニャウがこんな想いを抱えているから、こんなことになってしまったんです。こんな想いは最初から幻想でただの勘違いなんです。キスカさんはニャウのことを軽蔑してください」


 この声色はまさに懺悔のようだった。

 俺はなんて返すべきだろう。

 俺は、あのニャウと共に過ごした時間軸のことを知っている。むしろ、俺はニャウのことを――。

 だけど、いまこの瞬間に彼女に「実は俺も覚えてるんだ」なんて打ち明けられるか? 

 リューネのことを考えると、タイミングがあまりにも悪い。

 だから俺は、心のうちで悶々としながらも口を結ぶ。

 ニャウのまっすぐな想いは、純粋に嬉しくてしかたない。でも、その感情を素直に返したところで、リューネの現状が覆るわけではないのだ。

 だから、今はただ黙るしかなかった。

https://discord.gg/DZk7Dmrp


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