―174― 告白
村人たちは、俺とニャウがカタロフ村へ向かうと告げると、こぞって止めようとした。
それはそうか。
ニャウは怪我を負って、まともに戦える状態ではないのだから。
それでも、俺とニャウの揺るぎない意思を示すと、村人たちは観念したように一頭の馬を引き出してくれた。
その馬の背に乗りながら、カタロフ村へと通じる街道を疾駆していた。
ニャウは俺の背中に腕を回し、か細い呼吸を漏らしながらもしっかりと腰をホールドしている。無理な姿勢で傷口が痛むのだろう、時折彼女の小さな呻き声が風に混じって聞こえてくる。
この速さなら数時間もあれば、カタロフ村へとつくはず。
「ニャウ、大丈夫か? 振り落とされないように気をつけろよ」
そう声をかけると、後ろからこくりと頷く気配を感じた。実際、ゆっくり走ってやりたいが、今は一刻の猶予もない。
「大丈夫です。しっかり捕まっているので、いくらでもスピードを出しても問題ないです」
ニャウが掠れた声で呟いた。
吹きつける風と馬の蹄が地面を打つリズムが、やけに耳に残る。リューネも気がかりだが、悪魔ベールフェゴルがカタロフ村へ向かったとすれば、村にいる人たちも心配だ。
それにしても、ニャウと馬で移動しているこの状況、どうしてもあのときを思い出す。
百年前、絶望的状況の中それでも人々を救おうと、ニャウと二人で馬に乗って長い距離を走ったんだった。
あのときの時間軸は最終的に俺の死によりなかったことになってしまったが、俺の中では大切な思い出なのは間違いない。だから、どうしても頭にそのときの記憶がよぎってしまう。
「懐かしいです」
ふと、ニャウがそんな言葉を漏らした。
「えっ」
と、俺が口にすると、ニャウはしまったとばかりに息を飲む音が聞こえた。
どういうことだ?
俺にとって馬での移動が『懐かしい』と感じられるのは、間違いなくあの時間軸での出来事があったからだ。けれど、ニャウがそれを覚えているはずが――ない。
それでも、彼女の唇からはっきりと『懐かしい』の言葉がこぼれ落ちた。
前を見据えながらも、俺は動揺を隠せなかった。──ひょっとして、ニャウはあの記憶を、覚えているのか?
振り落とされないように手綱を握りしめつつ、ちらりと背後を振り返る。
すると、ニャウは微かに視線を落としたまま、苦しそうに肩で息をしていた。馬の揺れで体が痛むのか、時折短く呻く声が聞こえる。でも、それだけじゃない。彼女の瞳の奥に、何かを隠しているようにも見えた。
「……ニャウ。さっき言った『懐かしい』って、どういう意味なんだ?」
「いえ……少し、同じような状況を思い出しただけです。気にしないでくださいです」
か細い息遣いとともに、ニャウはそれだけを告げる。
けれど、その声音には誤魔化しが滲んでいた。根拠なんてない。ただ、そんな気がした。もしかしたら、俺の願望がそう思わせただけかもしれない。
思い返せば、エルシーは「ニャウ様はキスカさんのことが好きなのでは?」と指摘していた。未だにあの言葉を俺は信じていない。
だけど、もしニャウが覚えているというなら話は別だ。なぜなら、ニャウと俺はあのとき確実に――。
ニャウの腕が、俺の腰にぎゅっと力をこめた。その瞬間、どうしようもなく胸が熱くなる。
「……痛み、酷くないか?」
「いえ……大丈夫です。回復薬のおかげでだいぶ落ち着きましたので、平気です」
ニャウはそう言いながらも、声がどこか上ずっているように感じる。
頭の中で疑念がぐるぐると回る。言いたいことは山ほどあるのに、下手に突きつけて気まずくしたくない気持ちもある。
そもそも、今のニャウは身体も精神もギリギリの状態だ。あまり問い詰めるべきじゃないのかもしれない。それでも、どうしても聞きたい。
「……なあ、ニャウ」
口を開けば、喉の奥が張りつくように乾いていた。
「はい、なんですか」
ニャウの声が風音の中に溶ける。彼女はどこか怯えた様子で、俺の背中にさらにしがみつくように体重をかけてきた。
「まさか……お前、あのときの……いや、その、なんていうのかな……」
言いかけて、自分でも弱腰だとわかる。もっとはっきり聞けばいいのに、なんだか聞くのが怖いような気もする。
「え、えっと、その……『懐かしい』と言ったのは本当に大した意味はないですよ。ちょっと……似たような場面を思い出したといいますか、まあそんな感じです」
やっぱり俺の思い違いか……?
仮に彼女が覚えていたとして、そのことを頑なに誤魔化す理由が俺には思いつかない。いっそ、変なことを聞いて悪かったとでも言って、話を打ち切るべきか。
──でも、駄目だ。思い返してみれば、今回の件納得できないことばかりだ。それを知るためにも、ニャウ自身が何を抱えているのか確かめる必要がある……。
「なあ、ニャウ。そもそもだけど……今回の件、やっぱり変だよな。ニャウの魔力はどうして奪われたんだ? エルシーはニャウが動揺したからと言っていたが、俺は未だにニャウがなぜ動揺したのかわからない」
「そ、それは……ニャウが……油断しただけ、です」
「けど、油断しただけって……。エルシーも賢者ニャウを動揺させるのは難しいって最初からわかっていたみたいだったし。リューネのことだって……あんな姿になるなんて、お前は予想してたのか?」
口調がきつくなっているのが自分でもわかる。だけど、話してもらわないとわからない。原因がわからなければ、もし、同じ状況を繰り返すことになったときどうすればいいのかわからない。
だから、これは無理にでも聞かなければいけないことだ。
ニャウの腕から、ぎゅっと力が抜けるのを感じた。身体が小刻みに震えだし、何か言いかけるように唇を開いては閉じる。彼女の姿勢がさらに不安定になった気がして、俺は慌てて彼女の手を取り、馬の揺れから守ろうとする。
「悪い、きつい言い方だったかもな。けど、知りたい気持ちは本当なんだ。ニャウはどこまで知っていたんだ? リューネが悪魔ベールフェゴルになったのは、いったいどういう経緯なんだ……?」
「ご、ごめんなさいです……うまく、言葉にできなくて……」
苦しそうに言うニャウの声。そのことに罪悪感を覚えそうになる。
「……すまん、責めてるわけじゃない。けど、今はっきりしておきたいんだ。ニャウがどこまで知ってるのか教えてほしい。エルシーに魔力を奪われることだってなにかしら対策はできなかったのか?」
「う、うう……」
ニャウが弱々しい声を漏らす。その瞳に涙が浮かんでいるのがわかった。彼女は震える肩を必死に押さえながら、何度も浅い呼吸を繰り返す。
──やばい、言い過ぎたか。ここまで追い詰める必要はなかったよな。
「悪い! ニャウ、無理しないでいい。言いたくないというなら、言わなくたって……」
「う、うぅうううううう……っ」
ニャウが突如、胸を締め付けるように泣き声をあげた。
彼女は痛みに耐え切れず叫び出したかのように目を閉じて顔を俯かせる。思わず俺は馬の速度を緩めて、彼女を支える腕に力を込めた。
「ニャ、ニャウ……」
「ごめんなさい……ごめんなさいです……。そうです、ニャウが全部悪いんです。ニャウが最初から隠さずにしっかりしていれば、魔力を奪われることもリューネがあんなことになることもなかったんです……!」
涙声のニャウが、顔をあげる。その大きな瞳からは涙がぼろぼろと零れ落ちていた。頬は濡れ、肩は震えている。
「ニャウは『あの日』のことを知っているです。忘れるはずなんてないです……。だって、ニャウにとって、何よりも大切な記憶ですから……」
苦しげに震える声が、夜の冷たい風に溶けていく。俺は目を見開いたまま、何も言えなかった。彼女の言う『あの日』、……まさか、本当に記憶しているのか? あの時間軸のことを?
馬の蹄が地面を打つ音が、まるで鼓動を刻むように響いていた。
ニャウは声を詰まらせながらも、言葉を必死に紡ぎ出す。その様子に、俺はただ、彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られる。
「ニャウ……どういうことかちゃんと説明してくれないか?」
「ニャウは、混沌主義と接触したんです」
彼女の紡いだ言葉が衝撃的すぎて俺はなにも言葉を発することができなかった。