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―173― 悪魔ベールフェゴル

「悪魔ベールフェゴルだと?」


 俺は声を震わせながら剣の柄に手にかける。

 どういうことだ?

 リューネの正体が悪魔ベールフェゴルだったということか? てっきりエルシーが悪魔ベールフェゴルと関係していると思っていたが……。

 いや、混乱する思考を振りほどき、冷静になれ。深呼吸したかったが、酸素が足りないような息苦しさに襲われる。俺は何度か瞬きを繰り返して、目の前の現実を見据えた。

 こいつが強さが異次元なことは前の時間軸で知っている。

 その気になれば、俺たちは一瞬で殺される。


「リューネに体を返せです……! お前なんかに……勝手な――」


 ニャウが叫んだ瞬間、衝撃が起きた。

 気がつけば、ニャウの体が遥か彼方まで吹き飛んでいく。家屋の壁まで激しく叩きつけられ、大きく崩れる音が響いた。


「ニャウっ!?」


 俺は目を剥き、息が詰まる。まったく攻撃のモーションなど見えなかったのに、ニャウは一瞬で殴り飛ばされたのだ。体が震え、血の気が遠のくのを感じる。こんなもの、戦いにならない……。


「う、うぅ……」


 ニャウは一応意識を保っているようで、顔に真っ白な痛覚を浮かべつつもぞもぞと動こうとしていた。俺は駆け寄りたいのに、ベールフェゴルがそこに立ちはだかっているという恐怖に足を動かせない。


 くそ、俺はこいつをどうやって止めれば……!

 それでも、ニャウをこれ以上傷つけられたくない。剣をぎゅっと握り締め、全身から汗が吹き出る。腹の底から覚悟を奮い立たせるしかない。

 そう強く誓った矢先、ベールフェゴルは意外にも一歩退いた。その目が、どこか別のものを見据えるかのように鋭く細められる。


「……あぁ、どうやらあっちの方角にいるようだな」


 黒い霧がゆらりと渦巻き、悪魔ベールフェゴルの背中であの闇の翼が翼を広げる。そのまま、舞い上がるように跳躍した。


「え……?」


 呆然としているうちに、悪魔ベールフェゴルの影はぐんぐん小さくなっていく。

 あっちの方向にはカタロフ村があったはず。追いかけなくてはという思い、戦わなくて済んだというほっとした思いが交錯する。


「……ニャウ、しっかりしろ!」


 俺は慌ててニャウのもとに駆け寄る。彼女はひどく息が荒く、体を起こすのも難しそうだ。思い切り壁に叩きつけられたダメージで、肋骨がいくつか折れているかもしれない。苦しげな表情を浮かべ、汗が顔中に吹き出していた。


「リューネは……リューネはいったいどうなったんですか?」


「喋るな。今はケガをどうにかしないと」


「うう……でも、あの悪魔……リューネの体を……っ」


 ニャウの瞳から涙が落ちる。俺だって悔しい。リューネを救いたいって思っているのに、何ひとつできなかった。だけど、今、俺がすべきはニャウを一刻も早く手当してやることだ。


 徐々に空が白み始めていく。騒ぎが静まったことに気がついた村人たちが、ちらほらと外に姿を現し始める。まだ周囲には土煙が立ちこめ、そこかしこの家屋が崩れたままだ。遠巻きに様子を伺っていた村人が、困惑しきった顔でこちらへやってくるのがわかる。


「賢者ニャウ様、大丈夫ですか!?」


「す、すぐに手当てを! 奥から回復薬をもってこい……!!」


 村人たちの声が、ひどく上ずって聞こえる。誰もが賢者ニャウの安否を案じて取り乱していた。俺はニャウをそっと抱きかかえるようにして体勢を整える。少しでも痛みを和らげてやりたいのに、俺の腕の中でニャウが苦しげに小さく呻くのを聞くたび、胸が締めつけられる思いだ。


「大丈夫だ、ニャウ……今、村の人たちが手当てをしてくれる」


 俺はそう口にしながら、彼女を慎重に抱きかかえる。

 そして、村人に案内されるがままにベッドに彼女を寝かせた。

 それから彼女の唇に小瓶のフチを当てて液体状の回復薬を飲ませる。

 村人に言わせると、回復薬を飲ませてからしばらく安静にしていればそのうち回復するだろうとのこと。

 貴重な回復薬だろうに飲ませてくれるのは感謝でしかない。

 それから村人たちから簡単に事情を聞くことにした。

 エルシーによって、ニャウ、俺、リューネが夢の中へ飛ばされた際、傍から見ると跡形もなく姿を消したように映ったらしい。

 そこから護衛隊や村人たちで周辺を捜索するが一向に見つからない。

 途方に暮れている際、場を収めたのが第二王子ディルエッカだったようだ。第二王子によると、賢者ニャウの消失は専属使用人エルシーの策略のためなにも問題ないということ。

 それよりも明日の遠征のほうが大切なため、それに備えて休息するよう指示を出したとのことだった。そして、早朝、亡くなった村長の葬儀を執り行ってから第二王子が護衛隊を引き連れてカタロフ村に向かったとのことだった。

 公務を優先して俺たちを置いていくという判断をするのはわからなくもないが、しかし、あの頼りない第二王子が護衛隊を率いたことが想像つかない。実際のところはガレット隊長が提案して率いたのかもしれない。

 そして、護衛隊の人たちが出発してからしばらくして、俺たちが戻ってきて激しい戦闘が行われたみたいだった。

 激しい戦闘が行われたが、幸い巻き込まれた人はいなかったようだ。


「キスカさん……」


 か細い声に振り向くと、ベッドで横になっているニャウが俺を見つめていた。賢者なんて呼び名とは裏腹に、今の彼女はまるで壊れ物の人形のように儚げで、その頬には未だうっすら涙の痕が残っている。


「調子はどうだ?」


 彼女は微かに唇を震わせながら頷き、苦しげに吐息を漏らした。


「回復薬のおかげでだいぶ楽になったです」


「そうか。よかった」


 さっきまで真っ白に燃え尽きたような表情だったニャウが、微かな光を宿してこちらを見ている。


「……キスカさん、今すぐ行くです。カタロフ村に……」


 ニャウのその言葉に、思わず息が詰まる。弱々しい声には違いないが、その瞳には明確な意志がある。病に伏せっているどころではない、と言わんばかりだ。


「リューネはまだ生きているです。だって、ニャウは見たんです。目を覚ました瞬間、彼女の意識は一瞬だけリューネのままだったです。だから、悪魔ベールフェゴルの向かった先、カタロフ村に今すぐ行かなきゃいけないんです」


 内心、ニャウを悪魔ベールフェゴルのもとへ行かせたくないという思いが渦巻く。けれど、俺が反対したところで彼女は迷わず向かうはずだ。


「……わかった。なら、俺も行く。いや、むしろお前ひとりで行かせない。頼りないかもしれないが俺を頼ってくれ。だから、無理はしないでくれ」


「ありがとうです。キスカがついてきてくれるだけでニャウはとても心強いです」


 ニャウは目を伏せながらお礼を口にする。

 短い言葉の中には、感謝と懺悔が混じっていた。リューネを守れなかった負い目なのだろうか。それとも魔力を失ってしまった無力さか。どちらにせよ、今の彼女を一人にさせられない。


「礼はリューネと再会できてからにしてくれ」


「はい……」


 ニャウは赤くなった瞳で力強く頷いた。俺もその瞳をまっすぐに見つめ返した。

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