―172― 復活
彼女の魔族のような角や爪は、すでに元の人間の姿に戻っていた。けれど、その顔はみるみる血の気を失って白くなっていく。
「う、うそですよね……リューネ……っ!」
ニャウが悲鳴に似た声を上げる。ニャウは両膝をついて、這うようにリューネへとにじり寄った。
「し、師匠……ごめん……ね……」
そのとき、リューネはか細い呼吸で「し……しょ……う」とかすれる声を出す。
「リューネ……ダメです……話さないで……」
「ごめんね……全部リューネのせいだよね……」
リューネの瞳から、涙の粒がこぼれ落ちる。そのまま目を閉じるかのように見えたが、最後にもう一度、うっすらと瞳を開いた。
「けど、ありがとう……キスカも……」
その言葉を残すと、彼女の意識はスッと途切れた。途端、リューネの体から力が抜け、俺の腕のなかでぐったりと項垂れた。
「リューネ! いやだ……いやだです、リューネ……! うっ、うあああああああぁ……!」
ニャウが崩れ落ちるように、リューネに取りすがり、声にならない悲鳴をあげる。俺はただ、どうすることもできず、リューネの亡骸を抱きしめるニャウの隣に膝をつくしかない。
最後の一撃――リューネは一瞬だけ俺たちのほうを見た気がした。まるで、わざわざ避けられるはずの刃を自ら受け入れられたように。
「ちくしょう……っ!」
歯を食いしばり、怒りと虚しさが込み上げる。
見上げた先には、エルシーの姿があるかと思ったが、どうやらもういないらしい。少し離れたところで彼女は真剣な眼差しでこっちを見つめていた。
俺と視線が合うと、彼女は後ろへ振り返る。そのまま、真っ暗な奥へと進んでいった。その方向には確か、カタロフ村があったはずだ。
「リューネ……リューネ……リューネ……っ」
息絶えた魔術師の少女は、二度と目を開くことはない。ニャウは必死に泣きじゃくり、声を枯らすほどに呼び続ける。
その姿が痛くて、苦しくて、胸が潰れそうになる。
ニャウの張り裂けるような嗚咽が、いつまでも響いていた。
◆
リューネの冷たくなった体を抱きしめたまま、俺は曇天の夜空を仰いだ。ぎらぎらと照らす月が、まるで嫌味なスポットライトのように激しい戦闘で廃墟化した村を映し出している。崩れた壁、粉々になった瓦礫、もはや原形を留めていない村長の家……。
「リューネ……」
声に出すたび、喉がひどく焼けつく。目を閉じれば、リューネの様々な表情が蘇っていく。
ふと、腕に伝わる彼女の温もりに僅かながら余韻を感じるけれど、それもすぐに消え去ってしまいそうだった。隣ではニャウが小さくすすり泣いている。俺の腕を掴む指先は震えながら、それでも必死にリューネを抱きしめようとするその姿は痛ましい。
「……うう……リューネ……かえしてくださいです……」
ニャウの嗚咽混じりの呻きが耳を刺す。賢者としての賢さ、誇り、すべてかなぐり捨てた彼女の姿が、俺の胸を締め付ける。涙でぐしゃぐしゃになったその顔は、ひとりの少女に戻っていた。
「ニャウ……」
そっと肩に手を置く。ニャウは俺の存在に気づいたように、一瞬視線を向けるが、リューネの体から離れようとはしなかった。
こうしているだけでは、リューネは帰ってこない。わかっている。それでもニャウは離れられない。その気持ちは痛いほどわかる。
俺もできることなら、このまま時が止まってほしいとさえ思う。だけど、そうやって立ち止まっている余裕なんて、今の俺にはないはずだ。
エルシーはやるべきことがあると言っていた。まだなにかを企んでいるはずだ。なんせ、肝心の悪魔ベールフェゴルとはまだ出会ってすらいない。
「ニャウ……」
俺は彼女の名を呼ぶ。ニャウは体を硬直させ、小さく肩を震わせたまま、ゆっくり顔を上げる。
その目には憔悴が色濃く滲んでいたが、それでも俺の言葉を聞こうとしてくれているように見えた。
「……なん……ですか……」
か細い声。今にも砕け散りそうな儚さ。でも、俺はここで言わなきゃならない。
「リュ、リューネは……」
言葉が喉に詰まり、先が続かなかった。やっぱり、これ以上目の前で泣き崩れるニャウに現実を突きつけるなんて、俺には到底できそうになかった。
このままここにいるわけにいかない。
けど、彼女になんて俺は言えばいいんだ……?
だけど、その時だった。
リューネの体が、かすかに動いた。
「……リューネ……?」
ニャウの目が大きく見開かれる。俺も思わず息を呑んだ。冷たくなっていたはずの体が、確かに動いたのだ。
「……嘘だろ……リューネ……生きてるのか?」
俺の問いかけに応えるように、リューネの唇がわずかに動いた。
「……し、師匠……キスカっち……」
かすれた声。それでも確かに、リューネの声だった。奇跡を目の当たりにしたかのように、俺たちは言葉を失った。
だが、その奇跡に希望を抱いたのも一瞬だった。
リューネの瞳が開かれた瞬間、そこにあったのは彼女のいつもの温かさではなかった。その目には、赤黒い光が宿り、まるで異質な何かが覗いているかのようだった。
「この感覚……久しいな」
低く、冷たい声。リューネの口から放たれたその言葉は、間違いなく彼女のものではなかった。
「……お前は誰だ?」
俺はすぐさま剣を構えた。リューネの体が、見る間に変貌していく。爪が鋭く伸び、背中には禍々しい影が漂う。
「俺は、悪魔ベールフェゴル。感謝するよ、この俺を復活させてくれるなんて」
嘲笑うようなその声が、夜の静寂を切り裂いた。俺は、信じられない光景にただ立ち尽くすしかない。