―171― 師匠の魔力を返せ
リューネが高速でエルシーの背後を取り、蹴りを叩き込んでいた。エルシーの体が家の壁に叩きつけられると、壁は脆くも崩れ落ち、二人の姿は外へと消えていった。轟音と共に土埃が舞い上がる。
「リューネ! 待て、行くな!」
俺は慌てて穴の開いた壁から外を覗き見る。月明かりの下、エルシーとリューネの姿がよく見えた。リューネの周りには禍々しい黒い霧が渦巻いている。その瞳は赤く輝き、角からは漆黒の魔力が立ち昇っていた。
「師匠の魔力で、なにをするつもりだ! 絶対に、許さない!」
リューネの叫び声が夜空に響く。彼女の周りには禍々しい魔力が渦を巻いていた。怒りによって、魔力が体内から溢れ出ているようだ。
「あら? まだ戦えるほど魔力が残っていたんですね」
エルシーは明らかに驚いた様子で後ずさる。彼女の余裕そうな表情が一瞬崩れた気がした。
「ここはもう夢の中じゃないんでしょ。だったら、さっきと違いお前を殺せるんだよね」
「ああもう、めんどうですね……。私は早く殿下のところに向かいたいというのに」
エルシーは苛立ちを顕にしながら懐に手を入れ、なにか取り出しては空へ放り投げた。するとシュウウッと光沢のある宝石のようなものが複数飛び出し、リューネへ光の砲撃を開始する。
「まさか、あれらも迷宮遺物か!?」
俺は下から見上げながら奥歯を噛みしめる。あんなふうに、強力な効果を発揮するアイテムなんて迷宮遺物ぐらいしか心当たりがない。迷宮遺物はそう簡単に手に入らないが、エルシーは第二王子の使用人なので、王家の財力を借りて集めたのかもしれない。
「第四位階、影槍!!」
一方のリューネも問答無用とばかりに無数の漆黒の槍を放つ。途端、エルシーはペンダントのようななにかを突き出して、攻撃を弾いた。明らか普通のペンダントではなさそうだ。
「第五位階、闇炎!」
今度は黒い炎がエルシーを追い詰めていく。炎は彼女を捕食する獣のように蠢き、触れた建物を瞬時に灰に変えていく。
「うっ!」
思わず俺はそう口にしてしまう。
エルシーが放ったペンダントの光が、リューネの魔術と衝突。衝撃波で吹き飛ばされそうになり、咄嗟に近くの柱に掴まる。魔力の波動が、まるで嵐のように村を揺らしていた。
あまりにも激しい戦いに俺が割って入る余裕なんてなさそうだ。
「いったいどこからそんな魔力が湧いて出てくるんですか。あなた相手に無駄な体力を消費したくないんですけど」
エルシーは煩わしいとばかりにそう呟いている。一刻も早くこの戦いを終わらせたいといった様子だ。
「だったら、早く師匠の魔力を置いていけよ!」
途端、リューネの体が急激に変貌していく。漆黒の角は禍々しく伸び、肌は黒く染まり、爪は鋭く尖っていく。その姿は、もはや人としての輪郭すら失いつつあった。
「リューネ……やめるんです……!」
ニャウの声が聞こえた。振り返ると、彼女は壁に手をついて、よろよろと外に出てこようとしていた。
だが、リューネの耳にはもう届いていないようだ。彼女は完全に戦いに没頭していた。
「第九位階! 影翼!」
黒い翼を展開したリューネが、今度は空に浮上しかから急降下。その軌道に沿って大地が裂け、瓦礫が宙を舞う。エルシーのほうも完全に余裕の表情は消え失せ、全力で迎撃に専念していた。
二人の魔術がぶつかるたび、夜空が歪む。まるで、この世界そのものが軋むような音が響き渡る。戦いは激しさを増すばかりで、もう誰にも止められそうになかった。
「おとなしく師匠の魔力を返せ――ッ!」
リューネの叫びと共に、漆黒の爪が空を引き裂く。もうすでに人のそれとは思えない、棘のように伸びた爪がエルシーの前をかすめ、地面に衝撃波を走らせた。ドン、と爆音が響き、小石や瓦礫が宙を舞う。先ほどまで普通の村だった場所が、一瞬にして廃墟のような惨状へと変わっていく。
「ニャウ大丈夫か!?」
俺はニャウの腕を支えながら、吹き飛ばされそうになる体を必死に踏みとどまらせていた。ニャウは微かな呼吸を繰り返しながら、リューネのほうを見つめている。頬は赤く上気しているというよりも、苦痛に耐えているように見えた。
「リュ、リューネ……やめるんです……! あなたがこれ以上……無理に魔力を消費したら、あなたの体が……」
ニャウの訴えは、叫び声すら出せないほど弱々しかった。
魔力を失ったニャウは俺がこうして支えていなければ、その場に倒れ込んでしまうぐらい弱々しかった。
しかし、当のリューネはニャウの声に反応する気配など微塵もなかった。真っ赤に燃える瞳は完全に敵を捉えた獣のもの。長く伸びた角は、再び異形の輝きを増している。
「第八位階──〈黒杭陣〉!!」
リューネが空高く跳躍し、漆黒の魔術陣がいくつも宙に刻まれる。そこから無数の影の杭が突き出し、雨のようにエルシーを覆う。
「くっ、本当にやっかいですね!!」
その攻撃を前に、エルシーは苦虫を噛み潰したように口をゆがめると、なにかを振りかざした。それは秘宝のような宝珠。そこから放たれた七色の光がリューネの槍と激突し、爆風が村の夜空を豪快に舞い散らせる。
「ぐっ!?」
爆風に煽られたリューネが一瞬バランスを崩したが、続けざまに羽のような闇の翼を広げて体勢を立て直す。
下で見ている俺とニャウも、衝撃波に吹き飛ばされそうになり、俺はニャウをかばうように抱きしめながら地面にしがみついた。
「リューネ……! ニャウはもういいんです。だから、もう……っ!」
ニャウが弱々しく、でも震える声でそんなことを言うものだから、俺は胸が締めつけられる。間近で見るニャウの涙ぐんだ瞳は、痛々しいほど不安と焦燥に濁っていた。
「くそっ、俺には何もできないのか……!」
苛立ちを覚えつつ、ニャウを守るために体を張る。だが俺の情けない嘆きなど露知らず、夜空が二人の魔力によって翻弄される。リューネの黒い魔力は、見ているだけでも背筋に冷たいものが走るほど禍々しい。人間離れしたその姿は、誰もが気圧されるに違いない。
「いい加減にしてくださいっ……!」
エルシーが金色のタリスマンらしきものを掲げる。あふれ出す白銀の輝きは、リューネの闇の魔力と相反するようにぶつかり合い、空で激しく衝突する。その衝撃波に街灯が砕かれ、瓦礫が飛び、ニャウが苦しげにうめいた。
「闇の魔術──第十位階〈奈落穿〉!」
リューネの声はもはや完全に低く、獣の咆哮にも似た響きを帯びていた。地面が真っ黒に変色し、呑み込まれそうな淵がエルシーの足元へ広がっていく。ぎゅおおおお、と嫌な音が鳴り、宙に逃れようとしたエルシーの足元を触手のような闇が絡めとった。
「……まずい、まずいっ! ここで殺されるわけにはいかないんですよっ!」
エルシーが再びなにかを取り出したと思った瞬間、今度は妙な白い粉が舞った。それがリューネの黒い触手や魔力と反応し、まるで爆弾が弾けたように閃光が広がる。と同時に、凄まじい衝撃波が三百六十度全方向へ発散し、俺とニャウまで吹き飛びそうになる。
「っ……うっ!」
そう呻きそうになるぐらい砂埃が舞い上がり、視界が白んで何もわからない。なんとかニャウを抱え込んで体勢を維持しようとするが、地面が大きくひしゃげ、俺たちも宙に放り出されそうになる。
「闇の魔術、第十三位階——虚無律!」
その瞬間、空気が重く歪んだ。暗闇そのものが実体化したかのような紫の魔力が、リューネの周りに渦を巻く。
「リューネ、やめるんです! その魔術だけは——!」
ニャウの必死の叫び声が響いたときには、もう遅すぎた。
「これは……! 流石にまずいですね!」
エルシーの表情が一変する。彼女は一瞬、躊躇するような素振りを見せたが、すぐさま決意に満ちた眼差しになった。
次の瞬間、彼女の姿が消える。そして——。
ザクッ。
鈍い音が響いた。エルシーの手から伸びた光の刃が、リューネの胸を貫いていた。
「がぁ……あ……」
力を失ったリューネの体が、スローモーションのように地面へと崩れ落ちる。その拍子に、さらさらと黒い霧が風に混じって散っていく。魔力を失ったリューネは弱々しく手を伸ばしたが、何にも届かないまま倒れ込んだ。
「リューネえええっ……!!」
俺はすぐにニャウを抱えながら、リューネのもとへ駆け寄った。
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