―166― 豹変
「ッ!」
咄嗟に〈猛火の剣〉で受け止めるも、その衝撃は尋常ではない。まるで巨大な岩に押しつぶされるような重圧。腕が悲鳴をあげ、膝が砕けそうになる。
「リューネ! 俺だ、キスカだ!」
必死に叫んでみても、目の前のリューネの瞳には微かな感情すら浮かばない。人ならざる存在と化した彼女は、ただひたすらに漆黒の刃を降り注ぐ。
「っく……!」
剣を振るう腕が震える。今までのリューネからは想像もつかないような怪力が、容赦なく襲いかかってくる。
だが、それ以上に心が震えていた。たった今まで、俺のために戦ってくれた優しいリューネが、こんなにも豹変してしまうなんて。
そのとき、不意に彼女の心の声が聞こえた。この部屋の効果は、まだ残っているのか。
(だめ……止まって……。キスカっちを傷つけたくない……!)
かすかな声。けれど、確かにリューネの声だった。彼女は自分と戦っているんだ。
「リューネ、がんばれ……っ!」
咄嗟に剣でリューネの攻撃を受け止めながら声をかける。
(だめ! キスカっち、逃げて! 私、止まらないの!)
リューネの心の声が響く。けれど、次の魔術の詠唱が始まっていた。
「第二位階、影爪」
黒い魔力の爪が俺の足を貫く。立っていられず、片膝をつく。どうする? このままだと、リューネの手によって殺されてしまう。
「第三位階、闇陣」
逃げ場もなく、魔力の波が体を打ち付ける。全身が軋むような痛みに、意識が遠のきそうになる。
だが、その中で俺はあることにふと気がついた。
リューネの動きが、確実に鈍くなっている。
吐く息は乱れ、額には汗が浮かび、膝まで小刻みに震えている。さっきまでエルシーと戦ったときには見せなかった疲労の色が、全身から滲み出ていた。
(もう、魔力が限界なのに……暴走を止められない……。このままじゃキスカっちを……)
心の声に混じった苦痛と疲れ。だが同時に、暴走に苦しむ声も。
「リューネ! 魔力を抑えようとするな!」
倒れかけながら叫ぶ。
「俺のことなんか気にせず、残りの力を全部出せ!」
(でも、このままじゃキスカっちが……!)
「早くしろ! それとも、中途半端な魔力で俺を痛めつけ続けるつもりか!」
リューネの動きが一瞬止まる。
「お前の全力なら、一撃で終わるだろ。だったら、俺を信じてさっさと出し切れ!」
まるで全速力で走り続けた後のように、リューネの体が大きく揺らぐ。それでも、最後の魔術の詠唱が始まる。
「闇の魔術、第十三位階――虚無律」
その瞬間、リューネの周囲の空間が歪み始めた。これまでの魔術とは比べものにならない程の漆黒の魔力が、渦を巻いて集まってくる。その禍々しい力に、部屋そのものが軋むような音を立てる。
だが、それも一瞬の出来事だった。
「う、あ……」
リューネの体から力が抜け、詠唱が途切れる。膝から崩れ落ちる彼女を、漆黒の魔力が霧のように消えていく。
角も爪も消えずに残ったままだが、横たわる彼女の瞳には、確かに意識が戻っていた。
「どうやら賭けに勝ったみたいだな……」
俺はフラフラになりながらそう呟く。
あまりの疲労に、俺もしばらくは動けそうにないな……。
◆
リューネが倒れてからしばらくした後だった。
「ごめんね……。ごめんね、キスカっち……」
ふと、涙がポロポロと零れ落ちる音が聞こえる。横たわった状態でリューネが泣いていた。
「なんで謝るんだよ」
「だって……リューネ、キスカっちをこんなに傷つけて……。それに、リューネのこんな姿、キスカっちも幻滅したでしょ」
「確かに、その姿は驚いたが、リューネが俺を守ろうとしてくれたことは確かに覚えてるぞ」
リューネの瞳が驚きに見開かれる。
「エルシーから俺を守るために、隠してた力を使って。その代償がこれだっただけだろ」
横を向けば、角の生えた姿で泣きじゃくるリューネが目に入る。リューネが力を開放しなければ、そもそもエルシーに俺たちは殺されていた。
「ありがと。キスカっちは優しんだね」
「優しいって、当たり前のことを口にしているだけなんだが」
そう言うと、リューネは安心したのか頬を緩ませるも、すぐさま深刻そうな表情に戻る。
(でも、キスカっちにこの姿は見られたくなかったな……。いくらキスカっちが優しくても、この姿は怖いよね)
リューネの心の声が漏れ聞こえてくる。相変わらず、この部屋の効果はまだ続いているようだ。
思わず、リューネの姿を改めて観察してしまう。
大きな二本の角に、長く伸びた爪。異様に鋭い歯。目も人間のそれとは大きく異なる。確かに、初めてみたらギョッとする姿かもしれないが、それは魔族に似た姿だからであって、彼女がリューネだとわかっている今、恐ろしいなんて微塵も思わない。
むしろ、今のリューネもかわいいと思うけどな。
元のリューネもかわいかったが、魔族の姿になったところでそのかわいいさは一切失われていない。それどころか角や爪が生えたことでチャームポイントが増えただけなような。
まぁ、だから、彼女には悲観しないでほしいわけだが……。
「き、キスカっち……流石に、それは恥ずかしいんだけど……」
そう言ったリューネは顔を真っ赤にさせて俯いていた。
あー、そうか。
俺の心の声もリューネに聞こえるんだった。そのことをすっかり忘れていた。
「えーと、まぁ、そういうことだから、あまり自分を卑下するなよ」
自分の失言を隠すかのように俺はそう告げた。リューネに悲観しないでほしいという気持ちは本心だし、それを意図しない形だったとはいえ伝わってよかったような……。
「う、うん……」
リューネは短く頷く。まだ照れくささが残っているようだ。
「体力が回復したなら、早く次に進むぞ。これ以上ニャウに心配かけるわけにいかないしな」
エルシーが口にしていた出口のほうを指しながら俺はそう言う。
これ以上、この『真実の間』にいれば、さらなる事故が起きそうなので早く抜け出したいというのもある。
「わ、わかった」
リューネも頷いてくれたことだし、俺達は早足で出口のほうへ向かう。視線の先には、明らか出口っぽい扉があり、それを抜けた先に宝箱とやらがあるはずだ。
(う~~~~~っ、どうしよう。あんなこと不意に言われたせいで、キスカっちのこと好きになっちゃったかも。さっきから恥ずかしすぎて、キスカっちの顔、まともに見ることができないんだけど)
「え……っ?」
思わず俺は後ろにいたリューネのほうを振り向いてしまった。
いや、だって、心の中とはいえあんなことを言われたら驚かないはずがなかった。
「~~~~~~~ッ」
リューネもすぐに察したようで、みるみるうちに涙目になっていた。
「キスカっちのバカ」
そして、彼女は小声でそう言葉を漏らすのだった。