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S君の思い出  作者: 若葉
5/5

その五(完)


結局S君がどこに行ってしまったのか。何を思い、何を決意して、何故誰にも告げずに、唐突に失踪してしまったのか。


本当のところは誰にも解らない。誰も知らない。


下手すれば当の本人にすら解らないのかも知れない。


それから一寸して、居酒屋のお爺さんが体調を崩して店はほぼ閉店に近い休業をしてしまった。

私は本格的に孤独になってしまった。



やがて季節は流れ、S君のお母さんからも、息子から連絡など無かったでしょうかと、時折電話がかかって来たが、私には何も新しい情報は無かった。



更に時は流れ、私は親には済まぬと思いながら居心地の悪くなってしまった大学を去り、住んでいたアパートも引き払い、もっと安い家賃のボロボロの狭い部屋へと引っ越した。

随分しばらく何もせずに横たわったり一人酒を飲んだりとフラフラと過ごしていた。

何も考えられず、ただ虚しかった。

それから小さな物流会社に肉体労働のアルバイトに行き、成り行きでそのまま就職した。


時折川沿いの土手へ行き、世代交代してしまった猫と一人で戯れ慰められていたが、いつしか護岸工事だのなんでので猫とも縁が切れてしまった。



遠い昔の様でもあり、ついこの間の出来事みたいな感覚もある。



半ば夢うつつであったのだろうか、ハッと我に返り気が付くと私は実家のソファーにもたれ掛かったままうとうとしていたらしい。テレビのニュース番組はとっくに終わり、賑やかなバラエティー番組が虚しい笑い声を響かせていた。


時計は一時近くを指している。


両親はもう寝たのだろう。リビングの眩しい蛍光灯は消えてオレンジ色の常夜灯が垂れ下がる紐をか細く照らしている。


暗い階段をそっと二階に上がり押入れから昔使っていた懐かしくもカビ臭い布団を取り出して、敷布団の上にシーツも敷かずに横たわった。


気だるい闇が私の意識をゆっくり侵食してきて、この部屋で寝る多分最後の夜はあっという間に過去になった。



両親と朝の挨拶を淡々と済ませてから、同じテーブルで昨日の豚汁の残りと熱い卵焼きで黙々と朝御飯を食べた。

帰り際、両親は玄関先まで出てきて曖昧ながらも多分微弱な笑顔で手を振ってくれた。私も大きく手を振って、作り物ではない笑顔でしばしの別れを告げた。



S君と私と茶虎の猫が写った色褪せつつある写真たった一枚を鞄に仕舞い、車を出した。



一期一会とかいうように、まるで大海を漕ぎ続ける孤独な旅人の偶然の邂逅ににた人生に於て、人と人の出会いと別れは全く一瞬の刹那の瞬間であり、儚いものである。

その一瞬を逃せば生死を問わずもう会えない事もままあるのだ。



しかし、一度巡りあった記憶はどんなにか細い炎になったとしても、消して消えはしない。


遠い薄れた記憶も必ず残っている。例え引き出しが壊れて上手く取り出せなくなっても、それは決して壊れることはない。

きっと奥底に生きている。


S君の失踪から二十年以上経った今、私は実家から一人暮らしのアパートへ向かう道を急に右へ曲がり、車でS君の家の近くまで来た。


ある訳の無いあの頃の空気がひどく懐かしく思われて、S君もS君のお母さんもなんならあのお爺さんとお婆さんの居酒屋も、なついていた猫も、何もかもがまだそこに今もいるような世迷い言にも似た甘い幻想が唐突に胸中に沸き起こり、私はその感傷のままに訳もわからず焦って車を走らせていた。



S君の家があった旧武家屋敷の並ぶ見晴らしの良い丘は、全て建て売りの味気無い分譲住宅やアパートやマンションになっていた。


誰もいない。いる訳もない。


ため息と共に、何故かこみ上げる切なさで胸が一杯になってしまって、私は逃げるように慌てて車を走らせた。



不意に、浜田省吾のメッセージらしき言葉が心に大きく浮かんだ。



孤独を受け入れろ。

受け入れろ寂しさを。

ただ光を求めて生きていく。

それしかないんだ。



車は日常へ向かって走り続ける。

梅雨の重たい空から霧のような微かな雨が降り注ぎフロントガラスをうっすらと滲ませつつあった。

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