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雪降る月夜にドブネズミ  作者: 鮫に恋した海の豚
最終章
27/39

リスはドブネズミより下品



 少女がボロ小屋を出て行ってから、一週間経ったか、それとも一ヶ月か。一日って事は無いだろうし、一年って事はあり得ない。俺の日を数える感覚は、今の所そんな感じだ。


 数ヶ月前の出来事を最近と話し始めたり、昨日と今日の食事が頭の中で入れ替わる。そんな老ネズミに、俺は成ったのかもしれない。


 少女が居なくなってからの生活はまるで、何も無い空間からパンでも生み出せそうな程、または野ウサギが俺の空腹を満たすためにその身を犠牲にしてくれそうな程、はたまた歩く道先々で萎れていた花々が咲き乱れそうな程、清廉なモノに違いない。


 咳払い一つしただけで瞬く間に陽は上り沈んで、いくら欠伸を繰り返しても夜は明けない。そんな矛盾を感じる日々なのだから、まるで何かを悟りそうだ。


 俺の朝はもちろん早い。少女と三年も暮らした習慣が、未だに残っているからだろう。目を覚ます度に胸は締め付けられるが、そんな寂しさは自ら犯した過ちが覆い尽くしてくれる。


 少女はこんなボロ小屋に居てはいけないし、こんな汚いドブネズミなんかと、一緒に居てはいけない。まるで真理だ。


 俺の一日はまず、少女の幸せを祈る事から始まる。生まれた頃から神に仕える真面目な修道女シスターや、去勢された家畜の様に、まさしく清純である。間違いは無い。


 それが終われば、何とか動けるぐらいには回復してくれた、熟したマンゴー程に柔らかくなってしまったアルマジロの背中の様に役立たずな左後ろ足を引きずって、森の入り口に向かう。奥までは入れない。回復したとは言っても、左後ろ足は未だに痛みを放ち続けるし、俺の老体はまるで、赤子の小指程に丸くなったハリモグラの背中の様に、本来の役目を放棄している。


 それでも役立たずの二つを引きずって、俺は森の入り口に向かう。そこに実る、今の所主食と言える野いちごを三粒程口にする。


 俺の一日の食事は、それで終わりだ。どこかしらの神が、その偉ぶった口振りで説く天啓にでも加えてくれそうな程、俺は質素で健気なドブネズミだろうさ。


 神懸かり的な食事を終えて、俺はすっかり廃れ込んだ元婆さんの部屋へ向かう。ボロ小屋は、俺を主だと認めたく無いようだ。少女が居なくなってから、まるでご陽気な連れ合いを亡くした口下手な爺さんの様に、向日葵を盗まれた陰気な美術家の様に、早々と朽ちていく。


 まぁ仕様が無い。俺だってハムスターやモモンガを仲間だなんて認めてはいないし、ウサギの名を付けられたやたらと人間に媚びを売るあいつは、憎たらしいほど嫌いな訳だから。


 俺はいつもの様に、森の入り口が見える窓際へ腰を落ち着けた。結局、ここの居心地が一番らしい。言い訳じゃ無いが、別に少女を待っている訳じゃない。まぁ、三年も続いた習慣ってのは、中々抜けるモノじゃ無いって事だ。


 おそらく俺に残された日々は、こうやって終わっていくんだろう。すでにドブネズミの平均寿命は、同情の欠片すら貰えずに下水を流れるまでの年数は、孤独に干からびていくまでの年数は、右も左も分からなくなり彷徨さまよっている内に猫に見つかってもてあそばれるまでの年数は、とっくに超えている。以て半年か、早くて二ヶ月か。


 なんせ奇跡に愛されていない俺が、ドブネズミ界最高齢と言われていたあの嫌われ者、まるで死に急ぐ雄蝉が四季を跨いで生き残った様に口うるさかった嫌われ者の婆ネズミみたいに、六年も生きれるとは思わない。


 それでも四年は生きた。大往生な訳で、その大半を少女と暮らせた日々は、何物にも、それこそ四十代中年男性の足の爪がまるで希望を彩る雨の様に降り注ぐよりも、代え難い日々だった。幸せだったと、思っている。


 出会いは、最低だったろう。まるで食料不足で親兄弟が死んでいく日々を過ごす少年が、その悪政を敷く王族の天真爛漫なお姫様と森で偶然出会った様なモノだ。


 仲間を大量に殺され、自身も殺されかけた俺は、人間というモノに底知れぬ恨みを抱いていた。少女にしても、汚水まみれのドブネズミが、罵詈雑言を口にするドブネズミが、急に目の前に現れた訳だ。


 それでも少女は、天真爛漫なお姫様は、ドブネズミの俺を、悪政を敷く王様の目を、つまり婆さんの目を盗んで、救ってくれた。名を授け、食を振る舞い、幸せを、教えてくれた。思い出すだけで、涙でも流せそうだ。そんな日々を授けてくれたお姫様に、俺は結局、全てを仇で返した。


 後悔は何度も重ねた。自身への恨みは途切れない。それでも俺はドブネズミだ。自ら死に向かう事など、どうやら本能と言うモノが、許してくれないらしい。それならばもう、俺に残されたのは、祈るだけだ。


 それにしても、老い先短いドブネズミの貧相な尻尾を引っ張るネズ生だった様に思う。なんせ人間と生活して、人間と話し、なんなら人間に立ち向かった訳だから。


 この奇跡の様な物語を、俺に家族でも居れば、お腹を壊した馬の糞(尾鰭おひれ)でも付けて言い伝えだろう。まぁ、信じないだろうが、リスはドブネズミより下品(事実は小説よりも奇なり)って事だ。


 心残りが一つあるとすれば、当たり前に、少女の事だ。俺は短すぎる穏やかな永遠の一日を、その事ばかりを考えて過ごしている。


 少女は今、何をしているのだろう。食事は取れているのか。体調はどうだろう。胸の大きな友人は、少女を笑顔にする役目を果たしているだろうか。あの清潔感の無い男は、少女に愛を与えているのか。尽きすぎないほど、心配は尽きない。


 足がもう少し良くなれば、宿場へ行ってみたい。俺が行けば、また失敗をするんじゃないか。信じられないほど、まるで血を吸わない雄の蚊のお腹程に、身がすくむ。もう俺の目に、少女を映す事すら、怖かった。


 当たり前に、少女に対する不安や後悔、心配は無尽蔵に増え続けているが、俺の心臓はもう暴れなかった。おそらく俺の役目は、少女を傷つけるという最悪な役目だった訳だが、その役目はもう終わったのだと、俺自身が感じてしまった所為だろう。俺はただ、少女の幸せを祈りながら干からびて死に絶える、そんな老ドブネズミだ。


 穏やかと言えば穏やかだ。俺はもう、少女も嫌いだった雷の音に驚かないし、二匹の野良猫がボロ小屋の外を歩き回っていても、感情は揺れなかった。


 もうそろそろ訪れる死が、猫と犬が仲良くしているという情報や、二日寝てないと言い張る自慢話程に無意味な事は、俺が一番知っている訳だから。いつやってこようが、受け入れるつもりだ。


 いつもの様に咳払いを一つすると、窓の向こうは暗闇が包み、ボロ小屋の中は真っ暗になっていた。さっきまで太陽は天辺に居た気がしたが、そんな事ぐらいじゃ、俺はもう驚かない。


 いつもの様に、俺が変幻自在な、まるで凄腕のマジシャン同士が行う隠れん坊の様な、高名な美術家同士が描き合う似顔絵の様な、そんな睡眠に興じようと目を閉じる直前、森の暗闇に、人影が現れた。


 俺の心臓は、もう暴れる事は無いと決意していた心臓は、一瞬無意味な死を受け入れる様に動きを止めて、口から飛び出してきた。俺はすぐさま流行りの遊戯道具を贈呈された腕白少年の様にはしゃぎ始めた心臓を定位置に戻して、森の入り口に目を凝らした。


 あぁ、そんな、馬鹿な。嘘だ。俺は眠っているんだ。これは、ただの悪夢だ。笑えない、辛すぎる悪夢だ。

 

 森の入り口に、足を引きずる少女が、姿を現した。あぁ、やっぱり、俺はこの小さな目にすら、少女を映しては、いけなかったんだ。俺の所為だ。全部。くそったれ。



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