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雪降る月夜にドブネズミ  作者: 鮫に恋した海の豚
第4章
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初めて、言葉が通じ合った気がしたんだ



「あぁ、疲れたわ、ピーター」


 どうして、泣いてるんだ? 


「凄いのよ。ヤンデ通りはね、陽が上っても酒場が閉まらないの。今日は飲んだわ、ピーター。信じられないぐらい」


 何がいけなかったのか、教えてくれないか?


「元気が無いわね、ピーター。いつもみたいにチューチュー鳴かないの?」


 君が鳴いて欲しいなら、声が嗄れるまで、失われるまで、鳴いてみせるさ。


「でも今日はそれでいいわ。だって頭の中にね、お婆さんが居るみたいなの。機嫌の悪いお婆さん。バンバンバンバン物を投げつけられているみたい」


 それは最低な気分だろうな。じゃあ俺は、一鳴きすら控えるよ。


「ねぇピーター」


 あぁ、せめて話を聞くだけなら、君を傷つけずにいられるかもしれない。


「ピーターはずっとお家に居るのよね? 今日、私が働いている間に、誰がお家に来たの?」


 誰も来ちゃいないさ。馬鹿なドブネズミしか、居なかった。


「まぁ、良いわ。そうね、もうどうでも良いの」


 俺なんだ。君を傷つけたのは。


「私この家を出るわ、ピーター」


 本当に、すまなかった。


 少女は俺を食卓の上に残したまま、元婆さんの部屋へ向かった。タンスを漁る音が届く。無理矢理絞り出した様な笑い声が、微かに漏れていた。


「最悪なのよ、ピーター。お母さんはね、もう町に居なかったのっ」


 吐き叫ぶ様な声が、部屋に響く。笑い声は、かすれて揺れた。


「あの指輪はね、ピーター。もう酒場の人に上げちゃったんだけど、私あの指輪は、お母さんが置いていったんだと思ったの」


 時折詰まる笑い声が、その口調を乱していく。


「だから、お母さんに会いに行ったの。でもね、ピーター。お母さんは居なかったわ。探したけど、ドコにも居なかった」


 ゲラゲラと、少女は笑った。


「ヤンデ通りの人たちはね、皆言うの。あいつにはお金を貸しているって。娘なら、お前が返せって。私馬鹿みたいに謝ったわ。ごめんなさい、ごめんなさいって」


 タンスを漁る音が止んだ。笑い声は震え、すぐさま嗚咽に変わり、ただ深い悲しみだけを、取り残した。


「私わねっ、ピーター、あの指輪で、捨てられたのっ、お母さんに」


 嗚咽混じりの叫びが、泣き声に溶かされていく。


「私はただ、お母さんと一緒に、居たかっただけなのに。こんな指輪なんかいらないから、一緒に頑張ろうって、伝えたかっただけなのに。ふざけてるわっ。馬鹿にしてるっ。下らないっ。何がお前の母親になる気は無かったよ。じゃあ生まないでよ。私に頼らないでよっ。私が何をしたのっ。ふざけないでよっ」


 元婆さんの部屋から聞こえる叫び声は、体中を震わせる泣き声は、俺が抱いた希望の先に待っていた現実は、明確な、絶望だった。大男に踏みつぶされる直前が永遠と続き、猫に目玉をくり抜かれ、暖炉に投げ込まれる。それでも足りないほどの、絶望だ。命を賭しても守りたいと願った少女を、俺が傷つけたんだ。


 花に水をやれば枯れて、馬に翼を与えれば土に潜り、金持ちが落とした金を貧乏人が拾わずに、太陽が雨に濡れ、キノコがイノシシを捕食して、ドブネズミに宝石を贈られた少女は泣き叫ぶ。まるで矛盾が雪崩を起こした様に、奇跡の仮面を被った現実が、俺の全てを、奪い去った。


 なぜ奇跡は、俺に人間の言葉を与えた。なぜ人間の声を与えなかった。なぜ少女と出会わせた。なぜ少女を見守らせた。なぜ希望を教えた。なぜ俺は今、少女を傷つけている。なぁ、くそったれ、俺は何をすればいい。何をしなければいい。笑ってないで、答えろよっ。答えてくれ。俺は、どうすればいいんだ。


「また下らない事を思い出したわ。せっかく良い気分だったのに」


 少女はまた笑った。泣いている様にしか、聞こえなかった。それでも、健気に笑い声を上げた。タンスを漁る音が、再び届く。


「こんな所に居るからいけないのよ。そう思わない、ピーター」


 棚を閉めた音が鳴る。俺は食卓の上で、身動き一つ出来なかった。


 よしっ、と声が響き、婆さんの部屋から、少女は出てきた。布の解れまくった肩掛け鞄に、溢れるばかりの衣服を詰め込み、別の手提げ鞄も、膨らんでいる。真っ赤な瞳は疲れ切っていて、矛盾を生み出す小さな口元には、今にも崩れそうな笑みが浮かんでいた。


 少女は食卓に近づき、酒筒を手にとって、一気に口元へ流し込んだ。それを口元から離した後、俺と目を合わせてくれた。あぁ、そうか、もう、終わるのか。


「ねぇピーター、私はこの家を出るの」


 分かってるさ。俺もその方が良いと思うんだ。 


「それでね、ピーター」


 君はなんて、優しいんだ。


「ピーターは、どうする?」


 良いんだ、泣かないで。大丈夫だから。


 俺は少女と目を合わせたまま、人間を真似て、首を横に振った。

「チューチュー(いってらっしゃい。幸せを、願ってる)」


 少女は、こんな俺の為に、泣いてくれた。声を上げて、泣いてくれた。それだけで、十分だ。本当に、すまなかった。


「じゃあ、行ってきます。ありがとう、ごめんね、ピーター」


 初めて、言葉が通じ合った気がしたんだ。それが別れの言葉だとしても、俺には奇跡だと思える程に、嬉しかった。


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