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雪降る月夜にドブネズミ  作者: 鮫に恋した海の豚
第4章
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蝶に擬態する蛾のようなモノ




 すでに雨は止んでいたが、町へ続く森の道はまるで、地べたを這いずるドブネズミをただ空を飛べるというだけで見下す蝙蝠こうもりの視線程に淀んでいて、ドブネズミをただの肉塊だと蔑むフクロウの眼差し程に冷たかった。それでも俺の三本足は、泥に汚れることこそがドブネズミの本望だと言わんばかりに、果敢な一歩一歩を踏みしめていく。何とも頼もしくやせ細った足なのだと、俺は誇りすら覚えた。


 いつも以上に時間を掛けて森を抜け、町の入り口で一先ず勇敢な三本足を労る。いつの間にか空は晴れ渡り、まるで生まれたてのドブネズミを歓迎するかのように、青々と輝いていた。これで虹でも架かってくれれば、空を見上げた少女がつかぬ間の笑みを浮かべてくれるかもしれない。


 三本足の泥を落とし終えて、再び気合いを入れ直す。俺と少女の物語は、ここから始まるんだ。まさしく、正真正銘のドブネズミと、不幸な少女の物語。今までの生活とはまるで違う。気取ったバカネズミは消え去った。臆病で無知で勘違いばかりのヤツだった。まったく、腹立たしい。その所為で少女を苦しめていた事さえ気づかずに、こんな簡単な解決方法でさえ、三年以上も思いつかなかった訳だから。


 あぁまったく、腹立たしい。しかし今更後悔しても意味はない。とりあえず、生まれたての赤ネズミはナメクジと遊ばせろ(善は急げ)だ。


 俺は十分な休息を取って、魔女通りから二軒跨いだ家屋の屋上へ、ゆっくりと駆け上った。間抜けな左後ろ足が大剣を振りかざす大男に大声を張り上げながら羽ペンで立ち向かう小男の様になって以来、久しぶりのコースだ。


 酒場の屋上へ移動して、眼下に広がる狭い広場を眺める。俺の目には一年以上前の景色が映し出された。今よりも背が低く、今以上に胸がツルペッタンコな少女が魔女通りから現れて、大手を振って歩いている。買い物や勉強会が好きだった少女は、町へ出かけるとき、いつも楽しそうだった。


 胸の奥が瞬く間に熱を帯び、一瞬にして冷え切った。今を嘆き昔を懐かしむなんて、昨日までのバカネズミが未だに貧相な尻尾を引っ張り続けている様だ。俺はそこから目を背けて、再び移動を始めた。


 酒場の屋上から雑貨屋の屋上へ移る。それだけで、小さな身体は笑ってしまうほどに悲鳴を上げた。当たり前に歳は取ったし、日頃の運動不足、何よりも三本足だ。昔ならモノの数秒で整えられた息が、今となっては何度呼吸を繰り返しても、育ちの悪いドブネズミの食い散らかし程に、収まりが付かない。自虐的な笑い声を上げるのでさえ一苦労だ。


 なんと無しに空を見上げると、少女の好きな虹が地上を眺めている。よろしく頼む、と俺は気取って、移動を再開させた。


 目的の場所、老夫婦が住んでいるはずの住宅は、雑貨屋の隣にある背の高い建物の四階だ。ここを選んだ事に深い理由はない。強いて述べるとすれば、俺があまり遠出が出来ない事と、年老いた人間ってのは、もし俺の様なドブネズミを家の中で見かけたとしても、まるで地上に住まう全ての生物は平等である、なんて偽善を口にする子供だましの様な眼差しを浮かべて、見逃してくれる可能性がある。当たり前に見つかるつもりはないが、羊肉を手に入れたのならばすぐに隠せ(備えあれば憂いなし)だ。


 俺は一年振りにそのベランダへ上がった。以前と変わらない景色に胸をなで下ろす。手入れの行き届いた植木鉢がいくつか、植物を実らせて置かれている。俺は以前と変わらずその陰に身を隠して、以前とは全く変わってしまった荒い呼吸を、ゆっくりと落ち着かせた。


 息を整えながら、周囲を確認する。室内へ繋がる窓が、僅かに開いている。一年前の記憶通りで、安堵の息を吐いた。そして窓の向こう側へ、視線を移す。


 歩幅の狭い婆さんが、何やら机の上に皿を運んでいる。呼吸の落ち着いてきた俺の鼻に、微かな料理の香りが届いた。少し早めの昼食でも用意してるのかもしれない。


 さてどうしようか、と考えた。時間はたっぷりとある。少女が家に帰るのは、真夜中すらも居眠りを始める時間だ。この住宅に住む老夫婦が眠りに付くまで待つことも出来る。だが頃合いを見計らい機を逃すのは、お腹を壊した馬に踏まれるドブネズミ(愚の骨頂)。それにこの僅かに開かれた窓が一日中このままだとも限らない。


 迷ってる暇は無いし、意味もない。万が一俺が捕まり羽虫の様に情の欠片も与えられず殺されたとしても、それはただ三本足のドブネズミがこの世から消えるだけ。俺の死など、ゴミ捨て場に転がる腐肉の香りを放つだけの木片や、蝶に擬態する蛾の様なモノだ。全く持ってなんの意味も無い。


 少女の世界は変わらずに続いていく。俺は出来ることをやるだけだ。少女の為に。もし俺がそこらへんのドブネズミと違う所があるとすれば、それだけな訳だから。


 自虐に自虐を重ねている俺を余所に、歩幅の狭い婆さんが再び机の上に皿を並べて、またしても部屋の奥へ姿を消した。俺は落ち着いた息をさらに潜めて、窓の隙間から室内へ侵入した。




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