そこにあるもの、見えるもの、触れるもの
そうして私は、彼と別れた。
家の外から花火の音が聞こえてくる。
コンビニでも行こう。
ついでに花火が少しでも見れたら満足だ。
そう思って、財布だけ持って外に出た。
空を仰ぎながら歩いてみるけれど、住宅街から花火はなかなか見えない。
それでもコンビニに向かってゆっくり歩いていると、道沿いの公園に人の姿が見えた。
公園の入り口にある街灯と自販機の灯りに照らされ、そこにしゃがみ込んでいたのは同じクラスのナオキだった。
「… …ナオキ?」
違う人だったら申し訳ないし怖いし、でもあれは絶対ナオキだと確信しながら、小さめの声で尋ねた。
「ああ、ミズキか」
やっぱり。
伊達に毎日顔を合わせてるわけではない。
しかし、見慣れているこの姿でも、今の状況では不審者と疑うのも無理はないはずだ。
「何してんの?そんなところで、めちゃくちゃ怪しい」
「うるせえな、ジョギングの帰りでちょっと休憩してただけだ」
ナオキは薄手の白いTシャツ、下は黒のジャージを履いていた。
Tシャツは胸の部分が大きめに開いていて、そこから見える彼の肌は確かに汗ばんでいた。
そして、噛みつきたくなる鎖骨が覗いていた。
「あれ?ナオキって体育会系だっけ?」
「ちげーよ」
「じゃあなんでジョギングなんてしてんの?」
「文系だって走るだろ」
「なんか意外」
「何がだよ」
「いっつも教室で寝てるし、汗かくこととか嫌いそうなのに」
「まあ確かに嫌いだな」
そう言ってナオキは少し笑った。
「好きなことの為なら嫌いなことでも努力すんだよ」
「……そういうもんなの?」
「まあ、男は特にそうだろうな」
「そうなんだ」
男ってのは大変なもんらしい。
私なんて好きなことだけしていたい。
その為に努力が必要なら、努力しないでいい方法を考える為の努力をするのに。
「お前こそなにしてんだよ、浴衣だし。祭りまだやってんだろ?」
「先に帰ってきた」
「なんでだよ?」
「あいつがいたから」
ナオキは「ああ」と言って察してくれた。
「そんならしょうがねーな」
隣の席のナオキとはよく話す。
あいつのこともよく話していたので、別れた次の日に速攻で報告した。
「ビンタしてやった」と言ったら「よくやった」と褒めてくれた。
ナオキはそれ以上はなにも言わなかった。
「可哀想に」とか「またすぐ他の人が見つかる」なんて無責任なことも、何も言わなかった。
「ナオキってさー」
ナオキが自動販売機で買ったジュースに口を付ける。
飲み込むたびに喉が動くのが、汗ばんでるのもあってやけに色っぽい。
「なんだよ?」
「優しいよね」
「なんだよいきなり、そんなことねーよ」
「なんとなく」
ナオキは優しい。
思っていたことを口にしただけなのに、ナオキは信じてくれなかった。
「なんだそれ?そんなこと言ってもジュースはやらねーよ」
「あ、ばれた?」
「ほんとにこれ目当てだったかよ」
「うそうそ」
しかし実際、ナオキを見てると喉が渇いてきた。
夏の夜はどうしてこんな湿っぽいのだろうか。
べたべたして気持ち悪いし、喉の奥に何かが張り付いてるようだ。
「新しいの買ってやるよ」
「え?」
「失恋祝いだ」
「なにそれ」
「今思いついた」
確かにこの失恋はお祝いなのかもしれない。
私があいつの為に長い時間を消費しないですんだ、お祝いだ。
特別仲良くもない隣のクラスの新しい彼女には申し訳ないけれど、好みは人ぞれぞれだし。
仕方ないでしょう。
「確かにあんなやつだって気付けてよかったのかもしれない。お祝いだね」
「そうだな。飲みもん何がいい?」
「んーじゃあコーラ」
「お前ほんとにコーラしか飲まねえな」
「だって好きなんだもん」
「太るぞ」
「それはいや」
「じゃあダイエットコーラにするとか、運動するとかしろよ」
「いやだよ。カロリーゼロはおいしくないし、運動とか面倒くさいし」
「確実に太るな」
「今の提案は深刻な事態になったら考える」
「そーかよ」
私は好きなことだけしたいのだ。
太るなら太った後に考える。
その時にはコーラを嫌いになっているかもしれないし、好きなうちは制限したくない。
ナオキは自動販売機に小銭を入れて、希望通りコーラを買ってくれた。
お礼を言って缶を開け、冷たくて痛い液体を流し込んだ。
さっきのナオキの喉の動きが蘇り、自分はどう見えてるんだろうか、と少しだけ気になった。