伝えること、伝わること-狼少年の恋模様-
伝えたいことがあった。
伝えなければならないことがあった。
それなのに、伝えられなかった。
もし。
私の考えがあっていれば。
彼を信じて。彼の言葉を信じて。
もう一度、伝えることができるかもしれない。
佐藤公子が小学4年生の時に、大神真一は転校してきた。
父親の転勤で越してきたという彼は、どこか冷めた顔をしていた。
転校初日だというのに、緊張したそぶりも見せず、淡々と自己紹介をし、指定された席に着く。
クラスメイト達は、そんな彼を休み時間に囲んで質問攻めにした。
公子の学校では、転校生が多くはなかったからだ。皆、珍しかったのだろう。
その輪に入らなかった公子にも、会話の内容が聞こえてきた。
「大神君、どこから来たの?」
「へー、東京?東京って、芸能人いっぱいいるって本当?」
「会ったことあるの!?すごいなー」
「転校、これが初めて?」
「すごい、もう10回以上もしてるんだ!」
「今までどんなところ行ったの?」
真一はあっという間に人気者になった。
しかしその後、あっという間に孤立した。
彼は、嘘つきだったのだ。
「おい大神、お前、この間言ってたこと、嘘だったんだな」
クラスの中で一番体が大きく力が強い男子が、真一をにらみながら言った。
「何のこと?」
「とぼけるなよ。昨日俺たちが話してた時に、お前が横から言ったことだよ」
「ああ、あれ?信じたの?」
馬鹿にしたような物言いにかっとなり、真一は胸ぐらをつかまれる。
「ふざけんなよお前」
「ふざけてないよ。楽しそうに話してたから、もっと盛り上がるように話してあげただけ」
その時、ちょうど担任が入ってきたため、それ以上大事にならずに済んだ。
しかしその後も、似たようなことが続いた。
真一はあちこちで、嘘をつき続けたのだ。
次第に、公子のクラスでは当たり前のように言われるようになった。
『大神真一は大嘘つきだ』と。
公子は夕方、児童館の図書室から帰る途中に、河原に座っている人影を見つけた。
真一だった。
公子はそれまで、一度も真一と話したことがない。
人と話すより、本を読むことが好きな公子は、教室にいてもいつも本を読んでいた。
本の世界は楽しい。
どうしてこんなに楽しい世界を描けるのかと不思議で仕方がない。
そして、公子は本に感じていることを、真一にもまた、感じていた。
「大神君」
気付いたら、公子は自分から後ろ姿に声をかけていた。
ゆっくりと振り向いた顔はやはり、大神真一のものだった。
「・・・誰?」
「同じクラスの、佐藤公子です」
「そう」
「大神君、何してたの?」
「宇宙人と交信」
「え、え、すごい!お話しできるの?それで、宇宙人は何て!?」
公子の返答が意外だったのか、真一は少し目を見開いたように、公子を見た。
「大神君?」
「あんた、知ってるだろ。オレが何て呼ばれてるか」
「知ってるよ。それで?」
「それでって・・・」
聞き返され、真一の方が口ごもってしまう。
「私にとっては関係ないよ。大神君が本当のことを話してるのか、想像したことを話してるのか」
その言葉の真意を探るように、真一は公子の目を見た。公子は、まっすぐに見つめ返しながら、続けた。
「本当のことだったら、いつか見てみたいなぁって思うし、想像したことだったら、そんなこと思いつくなんてすごいなぁって思うし。それだけのことだよ」
そう言った公子の顔から目を逸らし、真一は小声で言った。
「変な女」
「うん、よく言われる」
公子が笑いながら同意する。
「だから、大神君のお話、いっぱい聞いてみたいの。話して?」
こうして、2人はよく話すようになった。
「オオカミ君、今日もいい天気だね。今日の主役は誰かな?」
「ハム子か。そうだな、今日は『ツチノコ』だ」
公子は、真一を『オオカミ君』と呼ぶようになった。
ある日、『大神』が『オオカミ』に似ているねと公子が言った。真一は「狼少年って言いたいの?」と公子を責めるように言ってきたが、「狼少年って何?」と公子が問い返すと、「知らないならいい」と言われた。
その日から、『オオカミ君』と呼んでいる。
お返しなのか、真一は、公子を『ハム子』と呼ぶ。
『公』の字が『ハム』と読めるからだろう。ハムスターの名前にありそうだが、実際、公子は小柄だったから、ちょうどよかったのかもしれない。
2人は決まって、放課後、河原で話をした。
何故か2人とも、学校では話をしなかった。
特に決めていたわけではないが、暗黙のルールになっていたのだ。
その分、放課後は伸び伸びと、2人だけで日が暮れるまで話をするのだった。
「ツチノコって、あのいるかいないか分からないやつでしょ?ヘビが太ったみたいな」
「そう。でも、実はニュースになっていないだけで、目撃例は後を絶たないんだ。たくさん目撃されてるところの近くに引っ越したことがあってね。オレもツチノコを捕まえに行ったんだ。藪の中に入って、じっと待っていたら、目の前の草からがさがさって言う音がして、ツチノコが出てきた」
「どんなのだった?」
「思っていたよりは太かったかな。茶色っぽくて、トラみたいな濃い茶色の模様があった。頭は三角っぽくて、舌をチロチロ出してたよ。持ってきた虫取り網で捕まえようとしたら、ツチノコのやつ、体をくねらせてジャンプしたんだ。慌てて網を振り下ろしたら、しっぽだけ切れて、そのまま逃げた」
「トカゲみたいだね」
「そう。それでそのしっぽを持って帰って、『ツチノコのしっぽだよ』って父さんに見せたんだ。そしたら、『何言ってるんだ。汚いから捨てなさい』って、庭に投げちゃったんだ。一生懸命探したけど、もう見つからなかった。あーあ、あれがあれば、今頃は大金持ちになっていたのにな」
そう言いながらも、真一はそれほど残念そうではなかった。
公子はツチノコが跳ねるところを想像しようとしたが、どうやってそんなに跳ねるのかが分からなかった。
他にも、「紫タマネギは、玉ねぎとナスから生まれた子どもなんだ」とか、「ウサギは昔、耳を羽のように広げて空を飛ぶことができた」とか、「雲は基本ミルク味で、夕焼雲はミカン味だけど、黒い雲は苦くて食べられたものじゃない」とか。
公子は、話をする真一の目が好きだった。
話し方は淡々としているのに、目だけはどこかキラキラと輝いていた。
そして真一の目の中には、そのキラキラに囲まれて自分の姿も見ることができる。
まるで、真一が紡ぐ世界に、自分も入っていくような錯覚を覚えた。
真一がふと、話をやめた。
「どうしたの?」
「ハム子、楽しい?」
「うん。オオカミ君のお話聞くの、私好き」
そう言った公子から視線を外し、真一はつぶやく。
「オレも楽しい」
それを聞いて、公子はもっともっと話を聞きたいと思うのだった。
2人が話すようになって、2週間ほど経ったある日、公子は学校で噂を聞いた。
真一がまた、転校してしまうというのだ。
公子は驚き、慌てた。
毎日のように会っているのに、そんな話は聞いたことがなかったからだ。
廊下を歩く彼を見つけ、暗黙のルールを破って話しかけた。
「オオカミ君、引っ越すって本当?」
真一は一瞬、顔をゆがめた気がしたが、すぐに下を向いてしまったので、表情が読み取れなかった。
「・・・ああ」
「いつ?今度はどこに?会いに行ける距離かな?」
「あー!佐藤が嘘つきと話してるぞ!」
畳みかけるように聞いた公子の問いを、クラスの男子がかき消す。
「本当だ」
「嘘つきと話すと嘘つきがうつるぞ」
「あいつら、学校終わってから会ってるんだろ」
「え?そうなの?」
「見たやつがいるもん」
「へー。なあなあお前ら、付き合ってるの?」
「嘘つきカップル誕生!?」
次から次へと押し寄せる心無い言葉に、公子は耳をふさぎたくなった。
どん!
急に大きな音がして、そちらの方を見ると、真一が壁に拳をつけていた。どうやら殴ったらしい。
どんなに嘘つき呼ばわりされても、今まで一切反撃してこなかった真一の行為に、近くにいたクラスメイト達はしんと静まり返る。
その静けさを破ったのは、真一だった。
「佐藤さん」
「は、はい」
急に名字で呼ばれ、公子は授業中に先生に呼ばれた時のように緊張して返事をする。
「ずっと言えなかったんだけど」
真一は、まっすぐ公子を見て、言った。
「佐藤さんのこと、大嫌いだった。だから、二度とここには戻らない」
そのまま、彼は学校を去り、戻ってこなかった。
1週間後、担任が、真一が引っ越したことをクラスに伝えた。
真一が引っ越してから、公子は図書館で『狼少年』の本を借りて読んだ。
先に読んでいれば、真一を『オオカミ君』なんて呼ばなかったのに。
嘘をつきすぎたために、本当のことを言っても誰からも信じてもらえなくなった少年。
でも、違う。
真一は狼少年ではない。
だって、私は分かってる。
そう伝えたかったのに、彼はもう、公子の手の届かないところに行ってしまったのだ。
それから6年後。
公子は自宅近くの公立高校に通っていた。
相変わらず本が好きだが、本好きの友達と出会い、以前ほど1人でいることは少なくなった。
それでも、教室に着くと、本を広げて読み始めるのは公子の習慣だった。
「おはよう、公子。ねえ、知ってる?隣のクラスに、転校生が来るんだって」
「へえ。そうなの」
友人の仕入れてきた情報に、曖昧に相槌を打つ。
「なんかね、昔この辺に住んでた人らしいよ。短い期間だったけど」
「そう。詳しいね」
「さっき職員室で、先生と話してるの聞いちゃったんだー。えっとね、名前が・・・オオガミって言ったかな?」
その名前を聞いた時、公子の体を電流が通ったような感覚が走った。
きっとオオカミ君だ。オオカミ君なら・・・言わなくちゃ。今度こそ。
公子は決意を胸に、機会をうかがった。
放課後、校門の陰に立ち、彼が来るのを待った。
分かるだろうか。6年も経っているのに。
休み時間に、隣のクラスに行こうとしたが、移動教室やら何やらで叶わず。
そもそも転校初日に呼び出すなんて、目立ち過ぎてしまうのではないかと考え、結局待ち伏せすることにした。
これはこれでとても目立つのだが、幸い、多くの生徒が部活動をしている時間のため、この時間に帰る生徒は少ない。
公子が所属している文芸部は今日は休みだ。
校門を通る生徒の顔を、隠れながらうかがっていると、彼が来た。
面影がある。間違いない。間違えるなんて、しない。
オオカミ君だ。
「お、オオカミ君!」
初めて話しかけたときも、公子からだった。
6年前の記憶が、公子の中で鮮やかによみがえる。
あの時と同じように、彼はゆっくり振り返る。
「あの、私、佐藤公子です。覚えてますか・・・?」
緊張のあまり、語尾が震えた。
彼は、公子の顔を見て言った。
「あんた、誰?」
その言葉は、公子の中でじわじわと広がっていく。彼の目の中に映る、自分が見える。夢中で話を聞いた、あの時のように。
話は終わったとばかりに、彼はくるりと前を向き、歩き出した。
公子はその手を握った。そして、半分笑い、半分泣きながら言った。
「よかった!オオカミ君、覚えていてくれたんだ!」
「なっ!何すんだよ!あんた誰って言ってんだろ?」
彼は振り払おうとするが、公子も簡単に離しはしない。決めたのだ。伝えたいことを伝えきるまでは離さないと。
「やだな、分かってるくせに。ハム子だよ、オオカミ君。久しぶりだね」
にこにこと言う公子の顔を見て、ようやく彼が手を振り払うのをやめた。
それでも、公子の顔をじっと見ている。
公子も逸らさず見る。ここで逸らしてしまったら、もう二度と話せないような気がした。
どれくらいそうしていただろうか。
先に根負けしたのは、彼だった。
観念したように、ため息を1つつく。
「・・・なんで」
「本心じゃないと分かったか?」
言葉の続きを奪われ、真一は不本意そうに眉根を寄せる。
「オオカミ君、気付いてないでしょ。オオカミ君はね、本当じゃないことを話す時ほど、相手の目を見るんだよ」
公子の指摘を受けても、真一は無表情だ。
だが、公子には分かる。真一はかなり動揺している。
「オオカミ君のお話、好きだって言ったよね。お話してるオオカミ君は、もっと好き。だから、またいっぱい聞かせてね」
逃がさないとばかりに手をもう一度、両手でぎゅっと握り、力強く言った。
そんな公子の顔から視線を外し、ぽつりと言った言葉。
「・・・変な女」
「うん、よく言われる」
公子が笑う。いつかと同じように。
それを見て、真一も口元だけ笑った。
それは、出会ってから初めて見せる、嘘偽りのない笑顔だった。