村人たちの深大寺
『村人たちの深大寺』
それから、しばらくして私たちはお互いの家賃を足せば風呂付のアパートに引っ越せることに気がついた。
「あのメガネをど田舎村でしていたら、きっと壊れていると思われるよな」
ここでは、ツッキーの生まれた町は『ど田舎村』とする。そして、私が育ったところは『美しい村』と表現する。
「前に、あの不動産屋さんに行ったときと、メガネの色が違っていたよ。美しい村なら似合う緑だった」
引っ越しを決めた私たちは、意気揚々とダイソーで新しいコップやお皿を買い揃えた。
百円でも、ガラス食器はキラキラ光り、白いカップはツルツルとした触感で、私たちを喜ばせてくれる。
ツッキーは弾きもしないのに持ち歩いていたギターをハードオフで売って、プラダの財布をプレゼントしてくれた。
もちろん、中古でもプラダの財布はツッキーのギターより高い。
同郷の彼との暮らしは、とても気楽で、この前まで悩んでいたことをすっかり忘れてしまった。
大学には揃ってバスで通った。
「計算したら定期を買うより現金で払った方が得なんだよ。スイカならポイントも着くしさ」
彼は細かい計算をするのが好きだった。スーパーのチラシを見ながら電卓を叩いては、「これを、半年分買えば八百二十円得だな」などと私に自慢していたが、実際に半年分も歯磨粉を買うほど計画的な性格でもなく、ただ、計算するのが好きなようだ。
そんな彼の計算に基づいて、バイト代が入る前は早起きをして一時間ほど歩いて大学に向かった。
バス代と途中で飲む缶ジュース代を計算すると、それほど得ではないのだが、早起きする日はワクワクした。
テクテク歩く私たちの隣を、見慣れた顔の乗客がバスから私たちを見ているのが分かるときは、優越感すら感じた。
コンクリートの間から顔を出した雑草。バイト代が入ったら行こうと約束した焼き立てパンのサンマルク。
庭に咲いた花に見とれる私の手を引っ張る彼。
安い靴は痛かったけど、頬は緩んでいた気がする。
バイト先には外国の人も多く、ツッキーは彼らと妙に仲が良かった。中国語、韓国語、英語、いろんな言葉でツッキーは挨拶をした。
「俺、英語だけは得意なんだ」
元ロッカーがブロークンな英語で異邦人達に溶け込む姿を見ていると、自分たちがいる世界がジョージタウンという架空の街で、その街で私たちはゲームの登場人物になった気分になれた。
売れ残った食材をこっそり持ち帰るのを、店長は見逃してくれたが、異邦人達はそれを奪い合った。
「ツッキーはこの前も、手羽先持って帰ったよね」
オーダーを聞くのは苦手だが、文句は流暢に言える異邦人Aとツッキーは良く口喧嘩を楽しんでいた。
異邦人が日本語で文句を言い、ツッキーは英語で言い返す。私は、そんな二人を笑って見ながら、枝豆をこっそりタッパに詰めるのだ。
戦利品達を並べて飲むビールもどきに私たちは酔い、裸で朝まで過ごした。
学校でもバイト先でもいつも私たちは一緒だった。だから、ツッキー以外の三面が前と変わらず塞がれていることに気付かないまま、私たちは卒業が近づいた。
「卒業したら、バーテンダーを真剣に目指そうと思っているんだ」
吉祥寺を出ようというガストでの約束を、ツッキーは日高屋で覆した。
彼が居酒屋からクラブにバイト先を変えたのは、新しい店長が私たちの仲を良く思わず、ことごとくシフトを変えることに腹を立てた結果だった。
卒論が厳しくなった私は、短時間のコンビニバイトに変わることとなり、二人が一緒にいる時間は極端に短くなった。
彼と居ない校内は、三年前と変わらず居心地が悪く、いつのまにか講義のノートを借りる相手さえ見つからないほど、私は孤立していた。
当たり前のことだ。私はどの壁も乗り越えることも壊すこともせずに、ただ彼の方に逃げ込んでいた間に、壁は前より強固で高くそびえ建つに決まっている。
そのことも、うすうす分っていたが、それを壊して乗り越えた先に何があるわけでもないような気がして、放っておいたのが、今の私だ。
一人で校内を歩き掲示板の前に立つと、周りは就活も終わりスーツ姿の人も居なくなっていた。
きっと、田舎に戻って、それから適当にバイトか派遣の仕事を探すのだ。美しい村からでも通える小さな都会はある。
そう自分で決めていたから、真夏に紺のスーツを着ている同級生や、凍えそうに寒い冬に革靴を履いて就職課に入る顔見知りを見ても気にならない振りを決め込んだ。
そんな私を、彼女たちはどう思ったのだろう。
相変わらずシマムラで買ったスカートにユニクロのフリースを羽織る私を彼女たちは、どんな目で見ていたのだろう。
また、ムクムクと霞のような不安が私の体に纏わりつき始めた。
結局、その不安は卒業まで晴れることなく、彼はバーテンダーを続け、私は卒業間近に事務のアルバイトを見つけた。
卒業式の後は、二人で荷物を片付けて田舎に帰る。それが一年前の二人の計画。
「ダイソーの食器はどうする?」
彼は曇ってしまったガラスコップを眺めて、百円だからと捨ててしまうことを主張した。
ダイソーで買い揃えた食器。
ニトリから自転車で運んだカラーボックス。
リサイクルショップの前で喧嘩しながら買った古い扇風機。
どれもこれも、思い出はあるが捨ててしまってもいいと思っていた私は、彼の主張に素直に賛成した。
「これは、どこに捨てればいいんだろうな」
それは、フリーマッケトで買った背の高いルームスタンドだった。
真鍮の色が剥げたレトロなルームライトを欲しがったのは彼だった。日当たりの悪いワンルームは昼間でも電気をつけなければ本を読めない。
「これって電車で運べるの?」
代々木公園から、私よりも背の高いルームスタンドを総武線と京王線で運ぶのは無理だと主張した。
「大丈夫だよ、スキーの板と同じだろう」
言われてみれば納得したが、やはりスキーの板とは違い、デコボコしていて持ちづらい上に重い。
喧嘩しながら持ち帰ったルームスタンドが、一日で壊れた時は大笑いした。
「せっかく、深大寺まで連れてきてやったのに」
彼は自分の住んでいるところを、吉祥寺の近くという名称から深大寺に変更していた。
「深大寺の方がより東京っぽいじゃん」
確かに吉祥寺よりもマニアックな東京生活なニュアンスがあるが、地番は三鷹市であり、深大寺がある調布市ではない。
「たぶん、赤坂とか六本木、もしくは下北沢あたりに行きたかったんじゃない」
私の大学生活では無縁な場所だ。
そんな思い出深いルームスタンドを彼が捨てようと提案したとき、「ど田舎村につれてったらどうなるかね?」
と、疑問を呈してみた。
「そうだな、きっと変身すると思うぞ」
「何に変身するのさ」
「ハンガー掛けになるな」
「確かに生乾きの洗濯物を掛けるね」
「郷に入れば郷に従えだよ」
彼のその言葉に妙に納得して、コイツだけは持って帰ると決めた。
しかし、灯さないルームスタンドは、相変わらず深大寺の片隅で所在無げに突っ立っている。