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分かれと共になぞるは、始まりだけ

 日常の中に留まる事を願い、人の中に隠れる事を選んだ天九。だが、その場所自体が既に非日常の場所だった。無理矢理、巻き込まれては感情が抑圧されていく。何をすればいいのか分からないままだが、ラオグラフィアに導かれるように歩き出した。

第三話 別れと共になぞるは、始まりだけ


 黒い林。

 それが僕たちの迷っている場所だ。いかせん、いつまでここでお世話になるのか分からない。名称が無いと、困るというモノだ。ラオグラフィアにも真美にも、やっぱり僕にも『森』というほどには見えなかった。逆にそんな名称を付けてしまったら、僕たちは首を傾げざるを得ない。

 こっちの地球に来てから、軽く5・6時間は経っているにも拘らず、空に変化が見受けられない。ここまで変わらなければ、光が生存することが許されないように見える。

 黒い木。その黒い木から発生する猛毒の樹液。猛毒から溢れる毒の霧が辺りを覆う。まるでそれは生きているかのように、範囲を広げる。その場で生きている者の生命を奪うために。だが、真美は耐性があるため効かず、ラオグラフィアに至っては無効化までになっている。そして先程、耐性を得た天九。彼らにとって、毒霧はもはや通常の霧と大差がないのである。

 そしてラオグラフィアが見つけた、特異的な存在である『毛』と『葉』。これらも毒が効かないが、僕たちの方法とは一線を画す。

 『毛』は毒を吸収しているかのようで、すればするほど輝くが、ある一定以上は輝かない。それがどんな効果なのか分からない僕らは、ラオグラフィアに引っ張ってもらった。だけども、それは千切れる事が無かった。ラオグラフィアの力が弱いのではなく――むしろ、この中では一番強い――この毛が硬くなっている事が分かった。のだが、どうやら病原体には弱いらしい。ラオグラフィアの鎌で斬ってみると、あっけない程に切れ、腐り果ててしまう。

 『葉』は紫色の粘液である毒を浄化して綺麗な水にするが、元の状態が状態な為、僕たちはそれを飲みたい気がしない。それも浄化したからと言って、綺麗に流れるのではなく、透き通る粘液だった。『葉』は触っただけでも分かったが、耐久性はそこまで無かった。


「さて、分かった事と問題点をまとめるか」

 ラオグラフィアは、みんなを見つめると開口一番にそれを言った。

 残念な事に、僕たちはこの場所から一歩も動けない状態だった。原因は他ならない天九である。リミッター解除の状態でサンスと戦い、最後に意識を取り戻してくれたが、反動が大き過ぎたせいで未だに動けない。

 なら、背負いながら歩けば? という天九の意見が出たが、限りなく危険な方法として却下された。真美は背負えないし、背負えば天九が恥ずかし過ぎる目に遭う。その事にラオグラフィアは激しく反対した。……何故か。

 逆にラオグラフィアなら背負っていけるが、この毛か葉を持っている怪物に遭遇したら、真美一人で戦わないといけないハメになる。その結果、真美の案で体力回復まで待つことになった。

「現時点では、2つだな」

 真美と天九は静かに見つめていた。それを確認し、言葉を紡いだ。

「食糧問題とこの世界だ」

 ラオグラフィアの言葉に天九はただ黙っているが、別の声が入って来た。

「それに、怪物の能力、ね」

 その声は真美だった。それに反応したのはラオグラフィア。

「うん? どういう事だ?」

「まず、それを説明する前にそっちの説明をした方が早いわ」

 珍しく冷静沈着な対応に、ラオグラフィアは戸惑いながらも話を進める。

「う、うむ……まずは、食糧問題だ。私はアンデットという種族のお陰で食事は要らないが、必要な時もあるな。天九と真美の腹の調子は?」

「……? あんまり、腹減っていない」

「ふっ、ふん! 私は(グゥ〜〜)っていないわ。って、今の音も(グゥ〜)……はぁ」

 特に気づいていないでは無く、本当に腹減っていない天九に、腹減っている事を隠す事に必死だったが、心折れたのか諦めた真美。

「でも、何で僕は腹減っていないの?」

 彼女がここまで腹減っているなら、自分も腹減っていてもおかしくない事に疑問を持ったのか、ラオグラフィアに問いかける。

「と、言われても……大方、種族が原因じゃないのか、な?」

 どんな種族なのか、確証が持てないラオグラフィアは自信なさそうに言う。

「あら? アンデットって人間や生きた肉を食わないといけないんじゃなかったの?」

「ん? ああ、中にはそうする者もいるな。有名なのはグールだな。だが、大半は生者の精神力か気を吸い取ればいい。だが、この中で取れるのは真美だけだな……」

「へぇ、そうな……は?」

 あまりにも予想外な言葉に、困惑が纏わりついて理解出来ない状況になってしまった。

「えっ? 何? レイスって女性じゃないといけないの?」

「とんでもない誤解されているな……仮にそうだとしたら、スコットランドの女性が大惨事になっている……って、ああ、そうか」

 何故かレイスは一人で納得していた。

「何がよ! この変態が!」

 真美は自分の身体を庇う様に抱きしめる様にすると、指先から蜘蛛の糸を垂れ流した。

「まぁ、待って。真美ちゃん。……んで、僕じゃダメなの?」

 このままでは先程とは違うが、二の舞になりかねないと天九は止める。

「お前らは、『宣名の儀式』を知らないのか?」

「「『宣名の儀式』?」」

 真美と天九の声が重なる。どうやら、真美も知らないらしい。

「そうだ。宣名の儀式。名を授かる事によってその者に対し,忠誠心を誓うのだ」

「え? そんなの、あるの?」

「ああ、そうだ。昔の私はただの幽霊だったが、天九からラオグラフィアという名をもらった時に儀式は誓約されたのだ。これにより、天九の盟友ラオグラフィアということだ。主に逆らえば何らかのデメリットはあるが、通常より意図疎通しやすくなり、心なしに能力も上がっているしな」

 ラオグラフィアそう言うと、自分の手を見つめた。過去の自分と比べているのだろうか。

「んじゃ、僕が許可を出せば吸い取れるの?」

 その言葉に勢いよく振り返ったのは、真美だった。それ程、嫌だったかもしれない。まぁ、誰だって嫌だろう。骨に吸い取られるのは……まるで、自分も骨になるのではと思いかねないだろう。

「……そうだな。特に逆らうことにはならないからな」

「じゃ、真美に手を出さない。吸いたければ僕から」

「別にいいが、そうなると天九の負担が大きくなってしまうけど?」

「うん。良いよ。どうせ、この先――ね」

 ラオグラフィアは天九の言いたい事が分かったのか、ゆっくりと重みがある頷きをした。視線を動かすと、俯きながらプルプルと震えていた真美が居た。ラオグラフィアは流石に心配なのか、声を掛けようとしたら――

「ありがとー! 天九!」

 いきなり大声を出してきた。その顔には笑顔がこびり付いていた喜びが我慢できなかったのか、倒れている天九に抱き着いてきた。

「ねぇ! ラオ、私も契約できるの?」

 今までに見た事が無い程、目の中からキラキラとしたものが出てきている。幻視かも知れないが、後ろにも星が輝いているように見える。見た事も無い輝きに後ずさりしたい思いが沸き上がる。

「で、出来ると思うが? ……両者の同意さえあれば」

「ラオ! あんたが天使に見えてきたわ! さっきまではごめんね! さぁ、天九! 私に名前を! さぁ! きて!」

 天使と言われてもラオグラフィアには嬉しくなかった。むしろ、頭を抱えていたい気持ちだった。骸骨で天使と言えば世界の終末に七日に七つのラッパを奏でる『トランぺッター』しかいない。

「……そういえば、ラオ?」

「……何だ?」

 天使と言われた事にショックが完全に抜けていないのか、ダウナーモードになっていた。

「真美という名前はどうなるの?」

「そこは分からない。何せお前らは珍しく人間から覚醒したのだからな……そうだな、上書きされるような物じゃないのか?」

 その言葉に思うところがあったかもしれないが多少考えた後、どうでもよくなったのかすぐさま天九の顔に近づいてきた。

「ねぇ! 宣名の儀式をしましょう!」

 その顔は少し前に動いただけで当たりそうなほどに近づいていた。

「……ラオグラフィア、真美を抑えて」

 天九もややダウナーモードになりつつ、ラオグラフィアに頼みごとをした。それを受けて、やる気無さそうに真美を天九から引き離すが、違和感があったのかラオグラフィアは真美を見つめた。

「ん? どうした、真美。簡単に外れ……うわぁ……」

 真美の顔を見た事に後悔するが、すでに事は遅かった。

 あまりの嬉しさからなのか、笑顔のまま気絶してしまっている。

「ねぇ……真美ちゃんに何があったの?」

「……空腹で気絶したと、我々は考えよう……」

「最近、彼女の性格が掴めないけど……」

 何も反論できないままラオグラフィアは、静かに説明の続きをした。

「で、では、次は世界の事だ」

 天九は少しだけ体が動かせるようになったのか、上半身を起こした。その行動に回復の確認が取れた事に、満足したようにラオグラフィア頷く。

「それで、前言ったことに何か追加があるの?」

「いや、おさらいと言うより、再確認に近い事だ……」

 普段と違う喋り方を感じた天九は、静かに問いかける。

「何の?」

「――危険度の」

 言われるまでも無いが、言われないと分からない事は必ず存在する。言わなくて分かった気になっていても、所詮それは頭の中での結果に過ぎない。もし、頭の中で完結し、それが現実通りになるなら、誰も苦労しないだろう。出来る奴なんてほんの一握りだけだ。

 僕たちの場所は地球であって地球では無い。帰りたいか? と問われても、何故か帰りたい意欲が小さい。きっと、帰りたいのではなく、帰れないのだろうと感じているかもしれない。天九を狙っている敵を全て倒したら、何もかも日常に戻れるなんて誰が言えるのだろうか? 終わったら天九は変わらずに居られるのか? 周囲の関係性は? こんな世界で絶対に、変わらない人間は何処にも居ない。生物も、更なる進化を求めている。

「…………」

「天九、大丈夫か? 辛くなったら教えてくれ。解放できる所なら解放するからな」

「……何で、ラオグラフィアは解放出来るの……?」

 右目の能力もそうだ。何故、ラオグラフィアは能力解放を行えたのか、正体も分からないのに。何故、ここまで助けてくれるのか、契約する前から助けてくれた。知識も豊富だ。それが分からない天九は、ラオグラフィアを見つめながら問いかけた。

「君の種族はレイスじゃないよね?」

「……」

 何も反応しない。特別な感情も見えない。ただ、静かに佇んでいる。もしかしたら、怒っているかもしれない。長い沈黙に耐え切れなかったのか、ラオグラフィアは自分の手を見つめる。

 これで、彼が自分の手を見るのは何度目だろうか。自分の手に向ける眼差しはとても辛そうな感じだった。

「なら、話そう。――何故、お前を放っておけないのか。私が何なのか……」

 骨には似合わないため息を吐く。それはまるで、重苦しい何かを取り出しているように見える。

「そうだ。私は……レイスでは無い。いつから、この身体なのかも分からない」

 よくよく思えば、ラオグラフィアが自分からレイスなんて言った事は一度も無かった。出身は言っても、それはレイスである保証なんて何処にも無い。サンスの言葉で勝手にレイスだと思い込んでいただけだ。

「――私は……」

 ――ガタッ!

 深いため息と共に現れた正体は、聞けることも無く、突然大きな音に遮られた。気を抜いていたのか、反応に遅れたラオグラフィアは遅れて鎌を構えた。

 だが、すぐさま脱力してしまう。何故なら、発生源は目を覚ました真美だったから。

「う、う〜ん」

 その事に天九は面倒なタイミングに起きてくれたものだと、毒づきたくなってしまう。

「……天九、お前、真美にきつくなっていないか?」

 確かに天九は真美に対して好感を持っていた。しかし、それは冷血な真美やはしゃぐ少女であり、決して自己主張が激しく、わがままで他者の考えに耳を中々傾けない少女では無いのだ。

「忌々しい女と重なってくる……」

 珍しく顔を歪めている。忌み嫌うという訳ではないが、嫌っているのは間違いなかった。

「出会ったの?」

「学校でな……ああ、忌々しく憎い女だ! 傲慢でお嬢様気取り。僕を常に手下か、道具しか見ない。逆らっても周りの奴らはみんな、彼女の味方になる! 金髪から逃げられないのがしんどい……」

 徐々に弱弱しくなっていく。

 ラオグラフィアは少しなりと驚いていた。もしかして、感情が戻りつつあるのか? と感じていた。先程の喧嘩を止めた時もそうだった。

「ん? だが、沢山人がいる時は金髪の女なんて見えなかったぞ?」

 天九は感心したというより、感嘆するような眼差しを向けた。

「へぇ、あの状況でよく周りを見ていられたな」

「いや、そこまで褒められる事では無いぞ。隠れている敵を探していたからな。で、休みだったのか?」

 照れ隠しでも無く、ただ単に戦士として当たり前のことだと、態度に表れていた。

「そうだよ。あの女は必ず、みんなが集まる事には参加しない。だから、居なかったんだよ」

 ラオグラフィアは首を傾けた。大方、目立ちたがり屋なのにそういうのに参加しない女がどんな人なのか、頭の中でせめあぐねているだろう。

「ふーむ、随分変わったお嬢様だな? 他に変わった所は無かったのか」

 どうやら、彼女がどんな人なのか気になっているらしい。

「そうだな……真美と大体同じ雰囲気があったな――って事は、あいつも怪物?」

「可能性はあるな。ふむ、会えたらどんな人なのか、是非とも話し合いたいな」

「……死んでも会いたくない」

 天九の顔が苦虫を何十匹も噛み潰したかのようになっている。あまりにも表情の変化が珍しかったのか、ラオグラフィアは笑い出した。

「笑うな」

「……ふっふっふふふ、ははは……」

 それはとても静かな笑い。悪意も無く生粋な笑いだった。天九がこの声を聴いたのはいつ以来だったのか、自ずとも笑みが零れる。

 恐らく今の世界で誰もが意識していては、決して笑えない声が響き渡る。

 声が鎮まる所で、意識が完全回復したのか真美は――

「いたわ! さぁ、今度こそ愛の契りを!」

 真天九を見つけると再び襲い掛かろうとジャンプし始めた。あと、何か凄い事が聞こえた。だが、彼女が天九に届くことが無かった。それどころか、地面で悶えていた。

「痛い! 痛い! 何、この痛み!?」

 どうやら、体のどこかが痛いのか、何度も回転をしている。

「ラオグラフィア、何かした?」

「いや、私は何も……」

 何も知らないようだ。天九は先程の会話を思い出すと、可能性が一つだけ思い当たった。

「もしかして、宣名の儀式が成立した?」

「……ああ、確かに『真美ちゃん』では無く『真美』と呼んでいたからな。あんなに興奮して近づかれた事が、反逆と見なされたのか?」

 天九は悩みの種が増えてしまったのか、視線をここでは無いどこかに向けていた。流石に、ラオグラフィアも堪えたのか、意識を変える為に真美に話しかけた。

「真美、お前が言っていた怪物の能力というのはどういう事だ?」

「うん? ああ、あれね」

 そう言うと、起き上がり服の汚れを落とすように、はたいた。

「それは、そのままの意味よ」

「……? ますます分からん」

 ラオグラフィアの返事に、気づいていないの? と問いかけるが、ラオグラフィアには思い当たる節が無いらしい。

「そう、ね。まず、違和感があったのは貴方よ。ラオ」

 指名で呼ばれても、ラオグラフィアは天九の顔を見つめ、違和感があるのかと問いかけてきた。だが、短い付き合いで違和感を覚えるなんて無理がある。

「ラオ。貴方は怪物召喚をしたわね。確か、ワイトとバンシーを……各二体だったかしら?」

 自分が気絶してしまったせいで確信が持てないのか、逆に質問してきた。その言葉にラオグラフィアは間違いないと首を縦に振る。天九はどっちがどっちなのか分からない為、黙っている事しか出来なかった。

「通常ならおかしいわ。同じ種族のワイトならまだしも、種族系統が違うバンシーを呼び出せるなんて。本来のレイスの力を超えている。それに、私もね」

 そこまでいると、流石にラオグラフィアは分かって来たのか理解の表情を浮かべ、次に恐怖を感じてきたような顔になった。だが、何を言いたいのか分からない天九は質問をする。

「つまり、何が起きている?」

「それは、私達の本来の能力を超えているの」

「そういう事か……確かに。だとしたら、怪物どもはどんな能力を持っているのか分からないという事になるのか」

 二人は、これから起こる事に警戒するが、天九は何一つ表情を変えなかった。確かに、戦う者からすれば、どんな能力を持っているか分からない敵ほど、恐ろしいものは無いだろう。だが、天九は元々神話に関する知識があまりないのだ。それで、恐ろしいと言われても首を傾げるのが精一杯である。


「真美、ラオグラフィア。話は分かったけど、僕たちいつまでもここに居るわけにいかないし、どうするの?」

 そうだ。色々話し、寄り道もあったがある程度分かった。だが、それだけだ。状況は何一つ変わっていない。ここに閉じ込めている者をどうにかしないといけない。それに――

「ああ、天九……近づいて……腕だけでも……うぅ」

 我々は納得したのだ。そして、忘れていた。彼女の種族は何なのか、を。彼女は腹減っており、蜘蛛の怪物であったことを。

「思ったよりもやばいな。仕方ない、私が背負うとしよう」

 私なら食われる心配が無いからな、と言いながら真美を背負った。真美は判断する気が無いのか、大人しくラオグラフィアの背中に乗った。

「すまないが、このまま敵の居るところに行くしかない」

「敵の居場所が分かるのか?」

 天九はてっきり居場所が分からないまま、迷っていると思っていた。

「毛と葉を持っていた時、微かに気配だけを感じただけだ。そこにいる保証はないが……」

 再び、のどに詰まりかけた言い方だ。もはや、慣れてきた。

「問題があるのだろ? 問題無ない事は一つも無いと考えるようになったから、次から一気に言ってくれ」

「すまない。気を遣わせたな。悪いが天九一人で相手をしてくれないか? 勿論、出来る範囲なら手伝おう」

 天九はそれを受ける事無く、辞退した。

「いや、手助けはしないでくれ。そのかわり、真美を守っていて」

 ラオグラフィアは頷いた。

 二人は林の中をどんどん歩き出す。真っ直ぐ歩いているかと思えば、いきなりUターンしたりする。それだけでも無く、何度もカーブを繰り返す。挙句の果てにさっきまで居た場所に戻ってくるが、ラオグラフィアは迷いなく進んでいく。

 そこで、何かを思い出したのか、

「もし、敵が多いならバンシーを手伝わせよう」

「ワイトは?」

「あれはダメだ。その場に居るだけで生者を恨み殺しにかかる。仮に攻撃しなくても、近くに居れば生命力を少しずつ奪われてしまう」

 よほど、ワイトという存在は曲者らしい。ラオグラフィアがアンデットだからこそ、近くで戦えたのだろう。

「なら、何でバンシーは狙われなかったのだ?」

「いや、正確には狙っていた。それを避けるために、バンシーは予めワイトの脳に攻撃し、自分達を認識できないようにしていたのだ。ワイトは物理系に強いのだが、いかせん精神攻撃に弱いからな」

 流石、バンシーと称えるべきなのか、仲間を仲間と認識しないワイトを恐れるべきなのか悩んでしまう。大方、どうでもいいだろうが。

 しかしながら、何回もグルグルされては着くのか怪しんでしまう。同じ場所を何度も歩いたようなか気がするし、そうでもない気もする。思っていたより右目にとって相性が悪い場所かも知れない。

 もしかしたら、本格的に迷っているのでは? と、ラオグラフィアを勘繰りたくなる。だけども、歩きに迷いが感じられない。むしろ、正解の道を知っているかのような歩き方だ。

 天九は信じて、ラオグラフィアが歩いた跡を踏むようについて行く。

 それから数分後、見た事も無い場所に辿り着いた。さっきまでの黒い林はどこに行ったのだろうかと聞きたくなってしまう。

 その場所も林であったが、綺麗な木で出来ていた。もしかしたら、下で拾った葉はこれかもしれないと思える。地面には美しい草原。遠くには小動物が何匹か見える。

「いたぞ。どうやら、一体だけだな」

 ラオグラフィアが見つめた先には、明らかな人工的な建物があった。まるでそれは偉い誰かの寝室にも見える。その中で佇むのは獅子ともいえる存在が眠っていた。その後ろには見上げても先が見えない程、大きな杉がある。

 あまりの事で天九は、キマイラに見えたのか構えた。しかし、よく見るとそれはキマイラでは無かった。

頭部はライオン、頭には野牛の角が突出している。足にはハゲタカの爪が生えており、尻尾の先が蛇になっている。古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する森の守護神。フンババである。

 それはキマイラに似ていたが、キマイラと違う威圧があった。

「……今なら先制で攻撃できるな」

 と、ラオグラフィアがチャンスを窺っていた。確かに、フンババは眠っている。戦の初心者にはスキだらけにしか見えない。だけども、天九はそれをしたくなかった。

「いや、敵は一人だけだ。ここは話して、出してもらおう」

「だが、真美も限界だ。これ以上の空腹は耐えられないはずだ」

「……それは……」

 真美に視線を送る。確かに限界なのか、顔半分の皮膚の色が変色している。まるでそれは何かを抑えているのか、彼女の息も荒い。

「悪いけど、我慢して。僕は彼と話して来る」

 天九はそう言うと、ラオグラフィアの止める言葉を無視し、歩き出す。

 フンババと出口(入口)の中間地点に到達すると、フンババは気づいたのか眠りから起きる。その目は侵入者を拒絶する目でも無く、無礼者に対する怒りでも無かった。平たく言えば、反応を待っている態度だ。

 その視線だけで動きが封じられた気持ちになる。天九はそれ以上歩かず、下手に出ない様に警戒しながら話す。

(思ったよりもでかい。キマイラよりも大きいのか?)

「お願いがあります」

 頭を下げながら言う事しか出来なかった。最初から頭を下げる行為は、自分を相手より弱い事を認めているかもしれない。だが、話が通じるならば話し合うべきだ。これで敵の反応により、僕たちの運命が決まる。

「……で? 何を求めにこの地に入った」

 声だけでもねじ伏せられてしまいそうだ。それ程、威圧があった。足の震えが止まらない。たった一言と、些細な眼差しだけで殺されてもおかしくないと感じるには十分だった。

「………………」

 恐ろしい事に天九は、最悪すら優しい悪手に手を出してしまった。何も答えないで沈黙で返すという事は、相手を怒らせてしまいかねない。しかしながら、当の天九はその考えが浮かばなかった。彼が努力しているのは、生命と理性の崩壊を繋ぎ止めている事に集中していた。

「……我が問いに、貴様は沈黙で返すのか?」

 やはりとも言えるのか、その声は怒りに染まっていた。天九は汗が止まらず、流れているのを感じた。心臓の音も聞こえる。姿勢は常に頭を下げっぱなしだ。その態度も、もはや意味を成さない。それどころか、逃げ道として使っているようにしか見えない。

 フンババの前足が目の前に降ろされる。そのまま、それは地面にゆっくり置く。

視界に足が見えた天九は、静かに顔を爪、甲、肘(膝)、肩へと視線を動かしながら上げる。最後はフンババの瞳へと映る。

「……で? 我に同じ問いかけをさせるのか?」

 その瞳の奥にあるのは、単純な威圧だけ。激しい怒りこそ見えないが、恐ろしい事であるのは何も変わらない。一分一秒すら長く感じてしまう。

「……あ、」

 ようやく、出せた声は自分でも聞こえているのか分からない。息が詰まる思いだ。与太を飛ばすなんて事、出来るわけない。してしまえばその瞬間、この世との別れ言葉になってしまう。

「あなたの……り、りようち、とは、し、知りません、でした! し、しかしながら! どうか仲間を助けたいので、少しの食料とこの場所から、出していただけませんか!」

 最初はうまく言えなかったが、肝心な所だけ言えた気がする。しかし、一つだけ悔んでも悔みきれない部分がある。それは長い沈黙だ。

「…………」

 フンババからの返事は無い。いや、返事はあった。

 沈黙だ。

 それが意味する事は分からないが、良い意味とは思えない。良くてあしらわれる。悪くて視界にも入れていないだろう。

 低い唸り声が大気を揺るがしていく。だが、そこに込められている感情に悪意は無かった。それどころか、上機嫌な何かを感じる。

「……ふ……ふ、ふっ、ふぁあっはっはっはははははははは!」

 大きな笑い声が響きに響き、轟く。

「…………?」

 大きな口を開けながら笑っているフンババを、黙って見つめる事しか出来なかった。よっぽどツボにはまっているのか、笑い声が消える気配が見えなかった。

「おい……何を言ったのだ?」

 後ろを振り返るとラオグラフィアが居た。どうやら、我慢できずに来てしまったみたいだ。いや、それ自体は問題じゃない。

「……さぁ?」

 未だに笑う巨大な怪物を、見るという行動しか出来なかった。


 ――数分後

 ようやく笑いが止まった怪物は人間の白老公の姿に成ると、僕たちを招いた。寝室の奥には杉しかないのでは? という疑問もくぐれば、直に払拭される。

 その場所は確かに杉の下だったが、かえってどこかの家の中より、こっち側にいる方が好きになるほどだった。正確には中と言える部屋は存在しない。それどころか、そのまま外に繋がっていた。そこは幻想な景色が映っていた。地面には絨毯など敷かれていない。草原だけが敷かれていた。しかしながら、一本一本が意志を持っているかのように美しさがそこにあった。逆に日本育ちの天九からすれば、絨毯を敷いてもらいたかった。踏んでしまうと罪悪感が湧きかねないほどに。中央にある豪華な正方形の机の上には厳格な食生活を好む王族のと、暴食を表す王族の料理が所狭しと置かれていた。

 腹があまり減っておらず、食欲も少ない天九ですらもよだれが出かけている。天九でこのザマなのだから、真美に至っては更に酷いだろう。なにせ、さっきまで骨である事を悔んでいたラオグラフィアが、『き、さまー! 私の思いある服をそれで汚すな! 女として恥ずかしくないのか! 最近、女性としての自覚を失っていないか!?』なんて騒いでいる。未だに女性に少なからず幻想を抱きたい僕としては、彼女を見る勇気が無かった。

「うむ。さっきの態度は許せ。我らが友よ」

 開口一番に白老公、もといフンババはそう言った。

 この老人は白い服装に髭、髪。あまつさえ、肌すらも白いのである。完全に白しか見えない。それほどお気に入りなのか、それともその姿にしかなれないのか。

 フンババは奥の席に座ると、お前たちも座ると良いと仕草で示した。フンババが居る場所から時計回りで真美、天九、ラオグラフィアの順で座っていた。フンババは天九を友の様に見つめ(初めて会ったラオグラフィアとほぼ同じ。いや、こっちの方がより親密度が高い)、天九は静かに見つめ返す。ラオグラフィアは僅かに警戒しながら睨み、真美はよだれを滝の如く流しながら食材を熟視していた。

「さぁ今宵は晴れも晴れなり。去れども、落ちるなら静かに落ちて参ろう」

 そう言うと、カップを手に取り一瞬で飲み干した。真美はそれを食べてもいい合図と見做したのか、一気に食い始めた。全くの警戒も無しに、だ。むしろ、よく我慢していた方を褒めたい。その態度には女性らしさの食事では無い。むしろ、バイキングや山賊がやりそうな食い方だ。

 要するに品が無い。

「どういう事だ? 種族も名も分からない格下の僕たちを入れた?」

 その態度は明らかに招かれた客とは言えない。だが――

「まぁ、そう警戒するな。久しぶりに友人に会えたのだ。昔の様に酒を酌み交わそう」

 気にした素振りは一切なく、朗らかに喜んでいた。

 しかし、友人とは誰の事を指しているのか、天九は左右に顔を向ける。二人とも身に覚えが無いのか、首を横に振った。それもそうだ。誰かが知っていたなら、進んで会話をしているはずだ。

「ふむ、その様子だと負けたか。して、記憶を失っているな。こりゃ転生も失敗か。となると、自己紹介も一からか」

 フンババは見つめながら、呟いていた。その視線の先は天九だった。

「え?(モキュ) 負け(モグモグ)た?(モキュモキュ)」

 真美が反応する。が、食いながらしゃべるのは行儀がよろしくない。だが、誰も言わない。それどころではないのだから。

「まぁいい。では、自己紹介も兼ねて会話をしよう」

 フンババは立ち上がり、注目を集めるかのように両手を広げた。集めると言っても三つの視線だけだ。

「我の種族は杉の守護神。神に作られたフンババである。名はそうの昔に忘れた。この地に古き友人であり、同胞を招き頂き、誠にありがたい。礼を申そう、アラクネにレイスから離れている魍魎よ」

 その言葉に真美は食いかけの肉をふきだし、ラオグラフィアは戦闘態勢に入る。

 それすらも分かっていたのか、フンババは静かに座り直した。

「……フンババは、僕の正体を知っているのか?」

「いいや、正確には知らんな。何せお前は言ってくれなかったからな」

 いつの間にか注がれたのか、既に飲み干したコップを再び飲み始めた。

「にしても、またこの世界にやってくるとは、よほど侮辱的な負けを味わったのか」

 真美とラオグラフィアは驚きと共に構えを下ろした。このフンババには敵意が感じない。そんな敵にずっと構えるのは難しいだろう。誰だって気を抜きたくなるのだから。

 それどころか、天九には何かが引っかかる。

「……僕は……何に、挑んで、負けたの?」

 フンババは朱に染まったワインを静かに見つめていた。その眼差しはワインでは無く、それに近い何かを見つめているようでもあった。

「……大方、神にだろうな」

 その言葉に含まれた意味は誰もが理解から遠かった。

「え? 天九は神に挑んで負けて……」

「再び、首を取る為に転生したのか?」

 誰もが言葉を失っていた。それ程、事の重大さは大きいのだ。神に一体で勝てる生物なんていないし、居てはいけないのだ。

 神――それは、怪物に関する知識があまりない天九でも知っている存在だ。この世の宗教には必ず一体以上は存在する。その声はあらゆる者を平伏させ、その力は防げる術無し。完全なる者に勝るもの居ない。人の味方であり、天災と化し人に天罰を下す者である。そんな神に渡り合えるのは神だけだ。

「……え? 僕は……神?」

 再び、いや、さっきよりも重い沈黙が降りてきた。真美は微かに恐れるように下がり、ラオグラフィアは手に握る力が強くなったように見える。一番理解出来ないのは、他ならない天九であった。

「いや、それは違う。むしろ、それだけは無い。言っただろう?」

 三人はフンババの顔を見つめた。誰一人とも分からずに見つめていた。本当に分からない事が分かったのか、フンババは多少となりショックを受けた態度を取った。

「私はお前を友と同胞とも呼んだぞ。そして、私は……『神に作られた』怪物だ」

 それぞれの顔に明るい色が入っていく。

「神が、作ったモノに友や同胞を認めてくれるわけないだろう?」

 怪物なら尚更。そう自傷じみに笑った。恐らく、己を作った神すらも好んでいないかもしれない。

「なら、貴方は天九と共に戦わなかったのですか?」

 真美は気になったのか聞いてきた。フンババは首を横に振る。

「残念ながら、神との盟約があるせいで、この杉を守らないといけなかったのでな」

 フンババは背中にある杉を指した。それは神々しく立派な杉だ。先が見えないのに光が舞い降りている。蝶の舞を思わせる。普通の感性を持っている人なら賛辞を贈るか、驚嘆に尽きるだろう。

だが、天九は違った。壊したい。壊したらどうなる? そんな気持ちしか湧かなかった。そんな感性の端っこに怒りと憎しみが微かに溢れていた。

「おっと、壊すなよ? いくらお前でも、今では我の方が圧倒なのだからな」

 笑いながら制止の声が掛かった。どうやら、気持ちもバレバレらしい。

「壊したらどうなるのだ? 解放されるのではないのか?」

 ラオグラフィアは元の席に戻りながら問いかけた。

「勿論、共に死ぬだけだ」

 あっさりと清々しい言葉で語られた。言葉にある重さを無視した言い方だ。そこまできっぱりしていると本当の事なのか疑問を感じてしまう。だけども、態度が言葉以上に物語っている。揺らがない風格だ。それだけで本物だと分かる。

 その気に負けたのか、それ以上追及することが出来なかった。

 フンババは暗い空気が嫌いなのか話を切り替えた。

「記憶を失っているなら、どうやってここまで来たのだ?」

 話しても大丈夫だろうと、ラオグラフィアは判断したのか天九に向かって頷いた。

 天九は今までの事を全て伝えた。話の途中フンババはしきりに頷いたり、笑い、疑問に感じた素振りを見せた。

「ここが地球の反対側の世界?」

 フンババは知っているのか、何度も頭を動かしている。

「これを言ったのは魍魎だな。にして、何故そう思ったのだ?」

「空気や肌の感覚で判断した」

 間違いはないと確固たる意志を持って対応していた。それにフンババは間違えてはいないが完全ではないと付け加えた。

「生憎だが、並行世界もとい、パラレルワールドを知っているか?」

 頷いたのは天九だけだった。他の二人は知らなかったのか、反応なしだった。天九は二人に説明した。

「並行世界、パラレルワールド。更なる別名は並行宇宙。観測者がいる世界から、過去のある時点で分岐して併存するとされる世界。勿論、一見すれば何の根拠もないが多世界解釈に従ってこのような考えが出てきた。多世界解釈を説明すると量子力学に基づいた世界観の一つとされている。元となったコペンハーゲン解釈の世界観を粒子の観測者にまで拡大し、観測とは無関係に、世界すべてがあらゆる状態の重ね合わせであるとする解釈だよ」

 二人は分からないのか首を傾けたままだ。真美に至っては首をぐるぐると回している。

「その言い方では分かりにくいだろう」

「そっか、コペンハーゲン解釈もしないといけないのか……」

「違う! 決してそこでは無い! 私が分からないのはそこでは無い!」

「い、いや、あの、ええと?」

 強く否定するラオグラフィアに、何を言えばいいのか分からずに困惑している真美。何を理解していないのか分かっていない天九に、呆れ言葉に伝う言葉なしのフンババ。

 状況は混迷化していないのに、カオスになりかけていた。

「もっと分かり易い言い方があるだろう?」

「ああ、コペンハーゲンというのはね……」

「だから違う! そんなのはどうでもいいのだ!」

「そ、そうよ! そうよ!」

 更に状況が深くなりかけた時、

「人間の行動で説明すればいいのだよ」

 その言葉で、天九はようやく何が分からなかったのかを理解した。

「ああ、それを言えばいいのか? 分かった。人の行動で世界は何度も分裂している」

「「は??」」

 声が重なった。本気で分からないとひねくれた顔になった。意外に面白い。しかしながら、ここで笑うのは失礼なので天九は話を進める。

「そう、何度も幾重にね。例えば、ラオグラフィアが僕を助けてくれたよね?」

 うん、と頷くラオグラフィア。

「でもね、この瞬間に世界は分岐したんだよ」

 真美は理解する気が失せてきたのか、口をあけっぱなしで見つめている。ラオグラフィアはまじめに考えているのか、質問してきた。

「それは何だ? 誰かがそうしているのか?」

 常に何かが居ると考えての発言だろう。彼らしいと言えば彼らしいだろう。

「違うよ。どんな怪物の手でもないよ。君のお陰で僕は助けてもらった道を歩いたけど、君の心変わりで助けなかった未来も生まれたんだよ。今、居る世界は僕が助かった世界。より根本的な話をすると、僕が生まれた世界と生まれなかった世界が存在する」

「?? そんな事で分かれるなら何度も世界は分岐しているぞ? だとしたら、どれ程世界は存在しているのだ?」

「そ。世界は何度も分岐し、無限に存在する。億や兆、京なんて小さい数字だよ」

 ようやく並行世界がどんな物か理解したのか何も言わずに考え始めた。真美は理解放棄したのかご飯を食い始めた。

「よし、理解できたはずだから、この世界の正体について教えよう」

 フンババは合いの手を作った。そこに視線を集中される。

「分かり易く言うと、地球は何重もの結界によって隔離されている。この世界は生命創造時代までに遡る」

 合いの手を広げると、その間には地球が浮いていた。その地球に何重のもシャボン玉が包んでいた。

「生命創造時代にあらゆる生物が生まれた。最初は微生物からだ。地球なら魚類が初めてだろう。そして大雨が止み、何千万年もの時が過ぎ、生物は陸に上がり両生類が生まれた。更には自然もな。勿論、地球の話をしたいわけじゃない。だが、地球も所詮、結界の中にある一つに過ぎない。……言いたい事が分かるかな?」

 理解した。その表情を浮かべたのは一人だけだった。

「……つまり、この世界は怪物を生み出すことを選んだのか?」

 その答えに満足したのか、フンババは大きく肯いた。

「そうだ。更に言うなら自然だけが繁殖した世界もあり、神々が栄えている世界もある。怪物を選んだ世界は結界が非常に弱い。他の世界にも行けるし、他の世界から来る事も可能だ」

 天九は、キマイラが入って来た時、雲の変異の理由が分かった。地球ではあの雲が入り口であったのだと。

「なら、帰る事も可能か?」

「残念だがそれは可能性が低い。世界軸がそもそも合っていないのだ。行けばより未来な科学時代だの、原始時代なんてあり得る」

「なら、キマイラが来れたのは?」

「大方、力に引っ張られたかもしれない。磁石がより強い電波の方に向けるのと同じだろう」

 言いたい事が終わったのか、お互いの手首を逆に捻ると地球とシャボン玉は消えた。

「さぁ、腹が膨れたならこの結界から出そう」

 フンババは元気そうに言い出した。

 その声に二人は喜びで顔をゆがめた。ラオグラフィアは骨であるが雰囲気で分かる。

「ああ、出そう。なんなら、食糧も出してやる。古き友人に会えたお礼だ」

 太っ腹も良い所だ。それ程、上機嫌なのかフンババの顔は大いなる慈愛に溢れていた。

 天九は少量の保存食を、真美は生ものを大量に、ラオグラフィアは料理に使えそうな香辛料、調味料や器具を各自の袋に入れた。フンババはそれでは持つのが大変だろうと、小型の袋を差し出してきた。腰に掛けても邪魔にならない大きさだ。その中に手を入れると何処までも入っていった。フンババ曰く、何でも入りどれ程入れても大丈夫らしい。中に何がどこにあるのか分からないと、言うとイメージすると探しやすいと教えてくれた。

 何度も触って興奮したのか真美は、何度も入れては出し、入れては出しを繰り替えてしていた。

 帰り道も教えてくれながら歩くと、何かを思い出したのかフンババは、失念していたと言わんばかりの態度で話しかけてきた。

「ああ、言い忘れるところだった」

「うん? 何をだ?」

 天九が振り返ると、そこには警戒を込めるような視線があった。

「……人間には近づくな」

 そこには何かを体験したのか、冗談も気軽さも一欠けらも見えなかった。

「え、どうして?」

 真美が問いかけてきた。

「昔の時代ならまだしも、今の時代は一種の暗黒時代だ。あらゆる怪物が人間の奴隷になっている。力無き者は死に、死を恐れるが、こんな時は死にもすがりたい者なんて数多く存在する。怪物を殺す事は無いが奴隷にされてしまう。奴らは奴隷扱いが特化している。一対一で戦えば必ず捕まるぞ」

 本気で心配しているのか声をかけてくれた。それが分かると、急激に冷たい風が外からやって来たようにも感じる。きっと錯覚だろうが、何故か錯覚だと断定できない自分が居た。

 フンババはそれ以上歩く気がしないのか、その場所から黙って見ていた。みんなが外に出るまで黙っていた。

 黒い林の隙間から零れる光の量が増えていく。まるで初めて光を味わったかのように感じる。そして、黒い林から出ることが出来た。その先に遭った風景は絶句を通り越していた。丘が、緩やかな斜面が沢山あった。フンババの部屋とは違う綺麗な草原に覆われていた。風に靡かれ、日の光を反射するそれは『美』を感じるのに十分な輝きが生きていた。世界の平和を圧縮したような、そんな気分になる。

 天九の視界が広がっていく。後ろも横も上も、その先も見えてきた。先程とは別の意味での解放感を味わう。

 草原の中から小さく可愛い子動物がじゃれあっていた。それは一見するとリスみたいであったが、額から真紅の反射が煌めいている。

「きゃーー! 可愛い! 触りたいわぁ」

「ほう? カーバンクルか、珍しい。良かったな、天九。カーバンクルを見つけた者は幸せを授かるとも言われているぞ」

「へぇ、そうなんだ。うん、確かに可愛いね」

「でしょでしょ? 一匹位、連れて行ってもいいよね?」

「やめておけ。彼らは愛玩動物では無いのだ。下手な扱いをすると災いがその身に降りかかるぞ」

「……はぁーい。分かりました。(ブツブツ)」

 特に目的の無い僕たちはゆっくり歩き始めた。フンババに言われた事を警戒しているが、ここまで見晴らしのいいところでは何処にも隠れようが無かった。

 最も近くにあった小高い丘に辿り着くと、周りを見晴らした。

 そして――カーバンクルは一斉に姿を消した。生物の本能が告げたのか、危機に敏感なのか、一瞬で茂みの中に隠れた。あまりの事でラオグラフィアと真美は驚き、周りを警戒した。だが、天九はそうできなかった。それ上の事が起きていた。

「う……そ? 黒い、林が?」

 天九は何度も見つめる。だが、黒い林は何処にも見えなかった。さっきまであったはずなのに、黒い林は何かに潰される様に消えてしまった。

「フンババ!!」

 声を荒げながら走るが、二人に止められる。

「動くな! 周りに居る何かの気配を感じるぞ!」

「何が起きたの? ねぇ――」

 次の真美の言葉で、天九の力が抜けた。

「フンババって何? 何処で知り合ったの?」

 それは冗談で言ってもいい言葉じゃない。特に恩人に対して。彼女の顔を右目で見るが、冗談の欠片も無かった。それどころか、意味分からず叫んだ僕に対して、多少となり怯えているようにも見える。ラオグラフィアも見てみるが、周りの敵に対して警戒しているのか聞いていなかったようだ。

 時間も立たないうちに周りから、暑苦しそうだが、神聖なローブを纏った者が7人もその場に居なかったはずなのに、いきなり現れてきた。みんな自分の身丈と同じくらいの杖を持っていた。誰も顔が見えない。精々、違う点を挙げるなら身長の差ぐらいだ。一番低い者は一五〇センチぐらいで、高い者は一九〇センチくらいあるかもしれない。

 そして、さっきまで黒い林だった場所から、一人の女性が現れた。

 腰まで届きそうな黄金に煌めく長髪。美しい耳飾り。蜘蛛の巣みたいな形をしているが、銀色の反射がより神秘的に見せた。体全体は白銀を中心に輝き、所々に金色が混ざっていた。空気抵抗を考えたのだろう、鎧は滑らかな美しさがあった。彼女からみた左手には巨大な盾があった。おおよそ女性が軽々と持てる大きさでは無かった。鍛えに鍛えぬいた男性がやっとの思いで、持てるか持てないかの重さに見える。右手にはどんな怪物や人間でも一撃で葬られそうな槍を構えていた。どう考えても体の細い女性が装備できる鎧や武器には見えなかった。顔は隠す気が無いのか、綺麗な肌が露わになっていた。

 だけども僕は彼女を賛辞することが出来なかった。知らない人であれば見惚れていただろう。傲慢かつ気高い女。他者を虫かそれ以下にしか見ない者。何度も僕を手下に入れようと近づいてくる。

 容姿端麗。しかしながら、傍若無人。

 さっきからその顔を見つめる程、胸糞が悪くなる。ああ、知っている。

「……貴様がやったのか? アスシェラ?」

 アスシェラと呼ばれた騎士女は、軽蔑したような眼差しで反応することなく鼻を鳴らしただけだ。


◇ ◇ ◇


「へぇ? あたしに向かってその言葉?」

 口を開けば図々しく厚かましい態度で対応し始めた。その意図は明らかに己が上であり、軽々と話しても良いものでは無いという事だ。

「俺は、どっちでもいいな。選べ。ここで死ぬか、離れて去るか」

 言葉の中には怒りが詰まっていた。理解性が無い。頑固者と言われればそこまでだろう。だが、誰かが彼女の味方をしても、天九は死んでもアスシェラの味方になりたくはない。

「あたしは構いませんよ。別に貴方を捕まえろなんて言われていませんからね。目的が終われば去りますから」

「じゃあ、やらずに消えろ。愚者の末裔が」

 その言葉は許されなかったのか、武器の先を天九に向けた。

「口を慎め。貴様のような下賤な者に付き合うほど我々は暇ではないのだ」

 ただし、武器を向けたのはアスシェラでは無く、七人の術者だった。声から考えると女性らしい。微かに女性特有の膨らみがあった。

 その声でラオグラフィアと真美は各々の獲物を構えて警戒するが、ある一言に止められた。他ならないアスシェラの声に――

「そこまでです。あなた達が黙りなさい」

 どうやら攻撃命令が出るのかと思っていたのか、杖の揺れが動揺であるかのように揺れていた。あまりにも驚きが隠せない術者達は一斉にアスシェラを見つめた。

「あたしは彼と話しているのです。いつ、話してもいいと誰が許可を出しましたか?」

 視線だけで射殺しそうなほどの威圧を放していた。それは己の部下に向けるものとは思えない。それでも、誰も反論することなく、我先と身を引いていった。

「さて、話が逸れましたね。天九」

 殺意ある空気が薄らいだが、表情に変化が無かった。真美も彼女の事を知っているが、あまりの事で喋るタイミングを掴みかねているようだ。願わくはこのまま黙ってもらいたい。

「そうか? ずれた様には見えないが?」

「ご冗談を。これをずれと呼ばないなら、なんと申せばいいのでしょうか」

「はっ。知らないな。言葉の逃亡か?」

「やはり、面白いお方だ。そこら辺の従うだけの無能とは違う」

 会話の中では笑っているが、顔は未だに無表情だ。アスシェラは槍を地面に差し込むと、空いた手を差し伸ばしてきた。槍が刺さった場所から小さな地響きが聞こえてくる。崩れたのか槍は豪快な音と共に倒れる。

 ただ刺しただけで地響きが起こる結果に、二人は息を呑むことに禁じえなかった。

「願いは変わらないさ。あたしの願いを叶える為に来てくれないか?」

「返事は永遠に不変だ。死んでも断る」

「ふっ、だろうな。だが、この世界で生きているとつくづく実感するだろう。少なくともお前も真実の欠片を知ったのだからな」

「何故、これが真実の欠片と言える? 人間が決めた事が確実だと、誰が自信を持って言える? そうやって、未来で良し悪しと変えられる。定まった真実など、人である限り辿り着かない」

「やはり欲しい。話だけでも何て楽しいだろう? うん。あたしは何度も勧誘しよう。……全ては世界の為にな。お前もいつかは賛同してくれると願っている。――神を」

 気分は高揚しているのか、声のテンションが上がっていくのが分かる。目は徐々に見開かれ、口の先が上がっていく。そこにある顔は容姿端麗とは言えなかった。鬼哭啾啾も良く思える。

「ああ、こっちも話し、世界を知ったお陰で――」

 天九は逆に侮蔑した眼差しを向けた。周りの術者達の気配に怒りを感じる。杖を己の前に掲げる構えを取った。何も知らない者からすれば滑稽に映るだろう。だが、肌が教えてくれる。ただ事ではないと。それに対しアスシェラは、何が楽しいのか狂気の笑みを隠すことなく見つめている。

「やっぱり、お前――ずれているわ」

 天九の顔は知らずに、いつの間にか狂気の笑みを描いていた。天九が足を踏み出した瞬間、罵声が、光が飛んできた。

「それ以上、近づけさせん!」

 術者の叫び声が聞こえる。各々の杖を前に差し出すのと同時に、黄金に光り輝く巨大な鎖が出てきた。それの先にはフックが付いていた。通常、フックは引っ掛ける為に使われるが、ここまで大きいと捕まえるより潰す意思が強く感じる。

 それは天九に向かって5本、ラオグラフィアに2本投じられる。

 明らかな怒りと差別を感じる。

 すぐさま反応したラオグラフィアは、己を狙っている者にマントの下に隠していたのかシックルを心臓に目掛けて投石する。

 鎌には二種類存在する。一つは普段から装備している大型、もしくは両手用のサイスである。そして、先ほど投げた片手用のシックルである。農業でよく目にするのはシックルの方だろう。

 だが、術者は防いだ様子はないのにもかかわらず、シックルは甲高い音を立てながら弾かれる。その効果に驚きながらも、考えられる可能性を呟く。

「疫病に対する加護か……?」

 ラオグラフィアが投げたシックルは、ただのシックルではない。見た目と違い、殺生能力はなく、魔法で作られた病を寄附させる能力がある。

 などと考えていると、後ろから迫ってくる黄金の鎖をサイスで弾くが、避けきれずに受けてしまう。続けて前面にあった鎖も。それらは、組み合わさると、ラオグラフィアの体を拘束する。黄金は光を放しているのか、拘束だけでは収まらず、闇を払い金色が蝕んでいく。

「がぁああぁあああっああぁぁぁぁ!!!」

 悲痛な叫び声が響く。

 だが、天九は助けに行くことができなかった。それほど、状況に余裕がなかった。ラオグラフィアを拘束した術者の二人は離れることもせず、何やら呟き始める。それは経の詠唱を沸騰させる。気のせいか黄金の鎖が更に輝き出す。

「ラオ! させない!」

 真美は己の体に触れると、姿が変わっていく。といっても、そこまで変わる様子ではなかった。変わったのは顔だけだった。紅蓮なるひじき型の目が6個に増えていた。それぞれの目は中央から外に向かうような配置になっている。

 手から細長い蜘蛛の糸を編み出し、それを術者に振るった。残念なことに、術者と真美の距離は遠かった。だが、真美からすればそれ自体ありがい事なのだ。何故なら彼女の武器はムチである。先端さえ当たれば真価を発揮するのだからだ。距離に問題があるように思われるが、このムチは彼女自身の糸で編み出されている。リーチを決めるなど動作もない。遠ければ遠い程、力が必要だが、耐久性に伸縮性で最強を誇る蜘蛛の糸には、力はさほど要らない。必要とすれば、遠心力である。

「はあぁ!」

 術者は唱えることに夢中なのかその場所から動く気配がなかった。その為、防ぐことが出来ずまともに食らう。シックルは無効化できたにもかかわらず、ムチは防げずに胴体から上が吹き飛ばされる。

「何だと! ええい、穢れし怪物が調子に乗るな!」

 対相していた術者は彼女を睨む。どうやら敵は、彼女だけ弱いと思い込んでいたらしい。

 ……道理で、鎖があまり来ないわけだ。

 だが、それも束の間。三人に狙われては、蜘蛛の目を持っても回避できるのに限界がある。上、横、斜めから襲ってくる。小さな隕石に狙われている気分だ。食らったら後がないのは火を見るよりも明らかだ。下からはないものの、大きい物には避けるだけでも体力の消費も激しい。

 真美は避けながらも、ムチを振るチャンスを窺っていた。だが、敵もそれを恐れているのか、さっきよりも小さいが量も増やしてきた。

 ドンッ ドドンッ ドンッ ガンッ バンッ

 大地を抉る音、鎖同士の共振、叩きつける音。どれを聞いても生きる心地がしない。

「おいっ! 十連鎖だ!」

「オウッ!」「……(コクッ)」

 三人は一斉に鎖を引っ込めた。しかし、真美には安堵する時間からすれば短すぎる。すぐさま三人の足元に見た事も無い模様が出てきた。それは決して止まる事無く、回転している。すると、それぞれの円陣から線が伸びると、仲間の円陣に向かって走り出す。

「させないっ!」

 何が起こるか分からない真美は危機本能に従い、蜘蛛の巣を三人に向けて放す。あの線は繋がってはいけない。そう感じたのだ。

 リーダーらしき人と身長が低い者はすぐに避けた。だが――

「ん? お、おい! なんだ、これ!」

 体格が勇ましい女性は気づいていないのか、まともにくらった。女性という言葉にいさかさ疑問を感じるが、お陰で一人だけでも動きを阻害できた。


「成程、アラクネという種族ですか。それも完全に覚醒しては、いませんね。都合がいいわ。魍魎にアラクネで、あなたは?」

 先ほどから鎖に狙われている天九にアスシェラは話しかける。

 天九はさほど苦労することなく全てを避けている。なんてことない。敵が怒ってくれているから、かえって攻撃が単調すぎる。その上全てが見えているからだ。

「はっ、野郎の思考では流石に分からないか?」

 アスシェラは動じない。だが、笑みはより深くなり、周りの攻撃も過激になって来た。いくら単調とはいえ、かすったら一巻の終わりだ。

 回避するたびに、アスシェラを見る程、声が響く。


――を許すな。理解するな。殺せ。そして、知らしめろ。


 未だに分からない声だ。だが、誰の声なのか分かった。どうやら、あれもアスシェラの次に嫌いな奴らしい。大方、誰なのか分かる。

 だが、僕とお前は違う。

 天九は、身近にいる術者に目掛けて襲う。サンスと戦った時ほどの素早さは出ないが、術者の不覚を取るには十分だった。

 バキィッ!

 甲高い音が鳴り響く。肋骨か骨が折れた音だろうか。

 だが、襲われた女性の体に傷一つも無い。あるとすれば倒れた時についた土の汚れだろう。その隣には修復不可能な杖があった。

「別に、今は理解する気も無いけど、殺すほどまではいかないだろう? お前に共感するが、それはやり過ぎじゃない? 意外と面白い者に遭えるかもしれないしさ」

 天九はこの場に居る誰にも話し掛ける事もなく喋り出した。すぐさま残り2つの鎖が襲ってくるが、やはり驚きに値しない。言い方は悪いが、振り回すだけなのだ。この調子で残り2人の杖を粉砕するのに時間は掛からなかった。

「で? 昔と変わらず、上から見ているだけか?」

「ええ。面白いので。正直、戦いたのですが、不覚を取りたくないので」

「傲慢の結晶が何をほざく。不変を求めれば、不変から遠さがっていくとはよく言うよな?」

「うん? 攻略本があったら読んで、捕まえてみたいですね。あたしはこれで帰りますが、真美によろしくと伝えておいてください」

 そう言うと、その場所から姿を消した。比喩でも揶揄でも無く、一瞬で居なくなったのだ。周りを見ると他の術者も居なくなっていた。死体を除いて。

「真美。ラオグラフィアの様子は?」

「ダメだわ。目を覚まさない。きっと光のダメージが大きすぎたのね」

 微かに痙攣が出てきた。今度は左目だ。

「……よりよって、このタイミングで疼きだしたか」

 舌打ちをしたい気持ちを堪え、周りを見つめる。そこには綺麗な草原だった場所が無残な大地に変わっていた。だが、それでも美しさは損なわれていないように見える。僕の感性が狂っているのか、本来の自然の強さなのか分からなかった。黒い林さえ、一欠けらも残っていない。

 かつて黒い林があった場所には、荒廃した町がある。真美に聞いても、ここは最初から荒廃した町だと言う。きっと、誰もフンババと黒い林、サンスの事も覚えていないだろう。それが悲しいと思うのは僕だけだろうか? 

(どうして覚えていないの?……どうして、覚えているの?)

 町の中に入っても誰も居ない。生きている気配が一つも無い。死んだ林の上には死んだ町しか入っていない。むしろ、この形が正しいように思える。生き生きしていたら、きっと僕の何かが耐えられなかったかもしれない。

「天九。早く、屋根がある場所に行きましょ」

「……ああ、そうだな。このまま前に行けばある……よ」

 なんでだろう? 力がまた入らない。脱力感でも無い。胸の何かが無くなった気分だ。触ってみても、失った様子は無い。動いても異常を感じない。なのに、細胞が死んでいるみたいだ。痛みを感じるのに、どこも痛くない。

(なのに……なのに、何でこんなに胸が痛いのだ……)

「天九! あったよ……って! ど、どうしたの!?」

「……な、にが?」

「あんた、泣いているじゃない! 何、アスシェラが何か言ったの!?」

 天九は頬に指を置いてみる。冷たく、なのに熱い水があった。

 これは、何だろう? 僕は何を知っていた? 黒い林の前は……何をしていたのだろう?

「……ああ、アスシェラからの伝言だ。……よろしくって」

「今はそれどころじゃないでしょ! 早く行こうよ!」

 真美に手を引っ張られながらも、天九は歩き出す。生きた屍を連想するなら、正に今がそれだと思う。

 唯一、屋根がある場所に辿り着くと、簡易ベッドの上でラオグラフィアが横たわっていた。マントさえなければ、死体そのものだ。骨に触れてみても、体温は何も感じない。冷酷なまでに冷たい。いや、骨に体温を求めるのは間違いだろう。

「じゃあ、見ていてよね。私は何か探して来るから」

 すると、真美が探しに出かけた。外の明かりはオレンジ色だ。そろそろ、日が沈む時期だ。早くても三十分は掛からないと思える。

 天九は静かに目を閉じる。風景が見える範囲が伸びたように感じる。中心地が十字架を象り、北には大きな大樹がある。僕たちの居場所は南側だ。東には家があまりない。大方、農地かもしれない。西側も同じようだ。真美はどうやら、東方面に居る。二人も。

「……何それ? 誰?」

 生きている住民? フンババ? 敵? 殺す? 殺そうか? うん、殺すべきだね。

 左目の痙攣が激しくなる。

 ビキッ――ビキキッ――バキッ――ビリッ――

 痛みが激しい。だが、何故か全く別人の痛みにしか思えない。心の何処かで感じている。この痛みは僕のじゃないと。

――行け! 助けに行け!

 声が聞こえる。とても真剣な声だ。どうやら、行かないといけないらしい。

「……面倒だね。でも、喧嘩はもっと面倒だ」

 天九は歩き出す。真美が居る場所に辿り着くのに時間は掛からなかった。そこで見たのはおかしな風景だった。

 アスシェラと真美が居た。だが、おかしいのはアスシェラが横たわっており、真美が無傷で立っている。

――どういう事だ?

「ふふっ、約束通りよろしくさせてもらうよ」

 何故か真美から、アスシェラの声が聞こえる。

――お前は誰だ! 真美から離れろ!

 うるさい声だ。天九はそう感じた。

「……で、君は誰なの?」

「? いかせん調子がありませんね。もっとハキハキと喋ってくれませんか?」

「………………」

「……貴方が誰ですか?」

 流石に雰囲気が変わり過ぎに、不信感を募らせている真美を乗っ取っている者。

「答えないのですか。なら……」

 一歩、足を踏み出す。

「――貴方に興味はありません!」

 真美は先程、見た事がある白銀の鎧を一瞬で纏うと、巨大な槍を振るう。それは人間が起こせる素早さを遥かに上回っている。明らかに真美が編み出せる動きではなかった。だが、天九はそれを回避する。豪風も、瞬旋も、まるでそこに存在しないような振る舞いだ。

「はっ! いつまでそんな態度で居られるのか、見物ですね!」

 槍とは思えない動きだ。遠ければ突き刺し、近ければ振り回す。子供の振り回しに見えるが、それら一本一本の攻撃は確かな技で磨かれている。足さばきが凄まじい。どんな動きにも対応できる、開きだ。

 ついに、一本。天九の脇腹に当たりそうになった。だが――

「……もういいや。やっぱりウザイ。殺そうか」

 剛腕で振るわれた槍は、一本の腕に止められた。あまりの予想できない事実に真美は硬直してしまう。

何が起こった?

 意識が戻っても、今度は認めたくないと振るう。他ならない自己防衛の為に。だが、何度振っても全て片手で防がれるか、回避されるだけだ。真美はガードが困難な渾身の突きを放す。

「……これで、倒れろ……!」

 再び、信じられない物を見る。天九は平然と腹で受け止めていた。

「……ば、バカな」

「……じゃあな」

 天九は軽く足を蹴り上げた。あり得ない衝撃で真美の手は耐え切れず、思わず離してしまう。だが、離して正解だった。あのまま無理やり持とうとすれば、己の腕も一緒に空を舞うのだから。無防備になった真美の腹に、天九は蹴る。蹴る、そんな単純な攻撃だ。何のネタも仕掛けも無い、至ってシンプルな攻撃だ。

 そんな攻撃に真美はいとも容易く吹き飛ばされた。ギリギリでガードできたみたいだが、骨が折れることは覚悟しないといけないほどだ。

「……さて、殺すか」

――やめろ!

 うるさい声が聞こえてきた。流石に天九もそこまで馬鹿じゃない。この声の主が誰なのか分かる。

「……何? 天九」

――殺すな! 彼女は僕の大切な人だ!

「……だから?」

――僕に肉体を返してくれ! 何が目的だ!

 天九の声が何度も響く。

 何が、目的? そんなものとっくに決まっている。

 感情が希薄でもこればかりの感情は強く現れる。口が裂けんばかりに笑う。

「――神の死。つまり、世界の崩壊だ」

――そんな事はさせない! 僕の肉体から離れろ!

「ああ、安心しろ。もう肉体は返す。この種族でも神々を全て殺せなかったからな」

 そんな言葉を残すと、意志が消えていくのが分かる。空いた空間の中に天九の意志が入っていく。完全に身体の意志が戻ると、もはや彼の意志は無かった。本気でこの身体を捨てたのだろう。まるで部屋の中にある空気を丸ごと換気した感覚だ。

 真美は意識を戻したのか、状況を確認することなく、すぐに姿を消した。

「――あ」

 止められなかった。真美がどこかに消えていった。また、胸が痛くなってくる。涙がこぼれていく。だが、泣く時間が無いのは天九でも分かる。気を失っているアスシェラを背負いながら、天九はラオグラフィアの元に戻ろうと歩く。気を失った人間の身体は重たいが、天九の身体能力は人間の範疇に収まらない。怪物と同列かそれ以上である。

 ラオグラフィアの場所に辿り着くと、人影が二人いた。だけども、天九は驚く事無くアスシェラを寝かせた。この二人は一回だけども見た事がある。

 美の終着点に辿り着いたかのような女性。金髪の長髪は清らかな川を連想する。水色のワンピース。紅蓮の瞳。唯一違ったのは、幾重も流したと思える涙の後は真っ赤に染まっていた。彼女達はバンシーだった。

「どうか、主に声をおかけください」

「長き命の道を描かれました」

 初めてバンシーの声が聞こえた。とても落ち着いており、聞いている自分も落ち着かれていく気分だ。だが、その中身は知りたくもない通達だった。

 天九は震えながらも、ラオグラフィアに近づいていく。天九が近くにいる事が分かったのか、頭蓋骨の黒き瞳孔に赤い光が宿った。

「……ああ、よく戻ってきてくれた」

 その声は今までのラオグラフィアとは思えないほどに弱々しかった。

「……済まない。私の命は長くないだろう。……魂が離れて行くのが、分かる。真美は何処に居るだろうか……」

 口が開き、再び閉じてしまう。天九は言えなかった。先程の出来事も何も。

「……い、今は、離れているんだ。戻る前にさ、元気になってよ。ね、ねぇ」

「……ああ、そうか、残念だなぁ。……でも、良かったわ。感情が戻って……きて」

「なぁ!! 頼むよ! ドレインとかでさ! 回復してよ!」

 必死に戻ってもらいたくない思いと、これ以上失いたくない願いが、声の震えを止める事が出来なかった。

「……あぁ、天九よ。私はお前を助けたかった」

 天九は涙が溢れるのを止められなかった。不意に肩に何かを感じた。その先には、とても悲しく辛い顔をしたバンシーが居た。

「……私は、正確な怪物じゃない……生きた怨霊の集いだ……」

 話しを聞かないといけない。そう教えられている気分だ。今は泣くことが大切じゃない。聞くことが大切なのだと感じる。

「……苦しみ、苦しんで、何度も、貴族を恨んださ……他愛もない、そこら辺の幽霊だ」


 助けを求める声に導かれたのは、他ならない私自身だった。私は必要とされたかった。一度だけでも助けて、感謝の言葉が欲しかった。

 あの時、天九は私の姿を見えていなかった。それはそうだ。なにせ、私でもまだ体を持っていなかった頃なのだから。彼と話した時、体が構成されていく感覚があった。正直、私は喜びに満ち溢れた。情けない事だが、子どもの様にはしゃいでしまった程にな。

 ある時は平民で、農民でもあった。更には奴隷でもあり、商売仲間に騙され、殺されてしまった。誰にも必要とされなかった。その事実が私に重く感じた。天九の顔を、助けを見るまでは。

 彼は助けを求めていた。周りの者には馬鹿にされ、疎遠され、誰もが手を差し伸ばす事はしない。その姿はかつての私を思い出すには、十分すぎた。

――ああ、これ以上、不幸な者は出したくない。私が助けても、彼は喜ばないだろう。

 無理だ、と思っていたのに、私は知らず知らずのうちに手を差し伸べていた。最初は『会いたくない』なんて言われた、それでも、引く事は無かった。予想外な事に私は人生最大の喜びに満ちたのだ。私に名前を付けてくれたのだ。更に笑顔も見せてくれた。これほど、嬉しい事はあったのだろうか?

 声が聞こえてくる。私は振り返らずにいられなかった。後ろを見ると、そこには沢山の子どもが呼んでいた。

――おとうさん。父さん。パパ〜。ママ〜。お母さん。母さん。

――サリー、綾、ソリア、ショヘイ、トーヤ、ガルミナ、マキヤ。皆が居る。

 ああ、子どもが呼んでくる。それも、みんな笑顔だ。私は嬉しい。嬉しいぞ。そうだ。笑う。それだけの事が、とても喜ばしい事になる!

 さぁ天九よ。笑ってくれ。私はお前の笑顔がまた見たい。生きてきた証を。喜びに満ち溢れた笑顔を見せてくれ。苦しむ顔なんて似合わないぞ。悲しい顔は辛いだけだ。だから、元気に、力強く、生き生きと――笑ってくれ。


 涙が止まらない。何度も嗚咽してしまう。もっと、生きてもらいたい。そう願う。願う事しか出来ない。自分の非力さを前に、無力が嫌になる。サンスも、フンババも、真美も、ラオグラフィアにも! 何にも! 何もかも! 恩返しが出来ていない!!

「……バンシー。天九を、たの……ん……」

 声が聞こえなくなると、全てを吐き出したい気持ちになる。叫び声をどれくらい叫んだのかも分からない。

 天九は部屋から出ていった。出ていくことしかできなかった。これ以上、自分自身の弱さに耐えきれなかったのか、情けない姿を見せたくなかったのか。どんな気持ちで飛び出したのかも分からない。すぐさま、大地を揺るがす振動に、震え声の怒声が響く。バンシーはそれが一枚壁の向こうで何が起きているのかを理解する。

 泣き叫び、叫喚、雄叫び、鳴き声、呻吟。

 その声はすべて荒げている。落ち着いた声なんて、一寸の欠片も見受けられない。まるで己の声を、喉を嗄らすかのように。それはどこにも行くことなく、静かに木霊する事しか許されなかった。


 それは長く続かなかった。体力が持たなかったわけでは無い。暴れれば暴れる程、虚しさが身体を覆い、気力がなくなっていくからだ。天九は横になる事しか出来なかった。

 空を見上げれば、銀色の煌めきなんて見えなかった。全て雲に覆われていた。時間帯も零時に指しかかる頃だろう。嫌でもあの日を思い出す。恐怖におびえていた自分。今では恐怖という感情が薄れてきている。 あの日が随分と昔のように感じる。

 正直、雲を見つめるだけでキマイラやどんな怪物でもやって来いと思ってしまう。

「やけくそにならないでください。主様が悲しみます」

「我が身を如何なる業火で焼こうとも、貴方だけでも」

 声がしたかと思うと、視界に二人のバンシーが入って来た。

 どうやら、終わるのを待っていたらしい。普通に考えると、彼女たちの方がラオグラフィアとの関係が長いはず。だが、それでも感情に揺らぎが見えなかった。

「どうか、私たちに名を与えください。主様ほどではありませんが、必ずや力となります」

「運命は流れるだけ。去れども選ぶ権利は幾瀬なる者にある」

 ここまで言われて、下がるとかえって恥をかくだけだろう。理解した天九は立ち上がる。

「……分かった。真美を助けるのを手伝ってくれ」

 それを言うと、二人は恭しく頭を下げた。

「主様の願いを完遂させる為に。全ては意のままに」

「愚者の末裔。生けるも死せるも、全ては大いなる思いのままに」

 後者の女性は何を言いたいのか分からないが、天九は意を決意する。

 真美を助けるのと、神殺しを止める為に。

 その時、天九は何かを思いついたのか、二人にある頼みごとをした。




 ペンネームがありきたり過ぎで、つまんないと思った方。どうぞ、どうぞ手を挙げてください。

 はい、みなさん。初めまして。甲斐という人です。正直、後書きは何を書けばいいのか分かりません。ので、自己紹介と近状報告を行ってみたいです。興味ない人は、飛ばしても構いません。読んでくれた事だけでも、非常にありがたく心が躍る思いです。

 一応若い(?)世代に入っているのですが、機械の扱いが下手くそです。見つめていると勝手にパニックになっては、機械もパニックになるなんてしばしばあります。

 わたくしは新米の中でも新米です。趣味で書いていても、恥ずかしくてごく一部の人にしか見せないか、誰にも見せていません。しかし、それでは自己中心の作品だけが出来上がってしまいます。小説家を目指す者がこれではダメだと、思いっきり自信があるものを載せました!

 あまりの恥ずかしさで悶え死にそうです。

 ああ、言い忘れていました。わたくしは天性の聴覚障碍者でございます。聞き間違いが多いせいで、文章で正しい言葉を使えているのか不安です。中には明らかな意思を持って変えていますが、全てであるなんて言いきれません。

 情けに花を……などと申し上げませんが、どうか間違いがあったなら、疑問を感じたなら指摘していただけませんか?

 初心者も初心者。大学生でもありながら箱入りの大学生です。

 文章のテンポが速いのか、ストーリーの展開が早すぎて追いつかないところもあるかもしれません。もしあったなら、この場を借りてお詫び申し上げます。

 ヴァリアントは『勇敢』でルーツは『この先』という意味であると、信じてこのタイトルにしました。

 勇敢な先は、良しな事か悪い事なのか誰にもわかりません。ですが、勇敢は一歩間違えれば『無謀』と同意義です。

 この先、色々不安ですが、よろしくお願いします。この愚者の末裔に、あなた方の大いなる許しを。

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