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五、 俺と学級委員長

 体を乗っ取られ、本意とは無関係にミコリンに襲いかかる俺を発見し、その企みを速やかに阻止するため、俺は俺と猫と藤宮寺(とうぐうじ)エミリが衝突した現場にかけ戻った。しかし、そこには俺の姿はなかった。


 なんてことだ、悪魔はすでに野に放たれてしまったのか。


 そうだ、教室に行ってみよう。その途中でケンに会えるかもしれない。そもそも、あの時帰宅しようとしていた足を止め、あれほど接触を避けていた藤宮寺エミリと最悪の形でエンカウントしてしまったのだって、ケンに会うために教室に寄ろうなどと考えたからだ。八つ当たりとでも何とでも言うが良い、こうなってしまった責任を取って、相談に乗ってもらうぞ。

 悲しいかな、このとき俺の頭には猫なんだからケンに会ったところで相談などできないという考えはつゆほども浮かんでこなかったのであった。


 渡り廊下の先にある階段を三階まで一気に駆け上がって行く。毎朝たりーたりーと文句を垂れながら上っていたのに、猫の体だと驚くほど楽に上れてしまった。息一つ乱れていない。

 階段を上り終えた俺は、一年D組の前の廊下にケンが友だちとダベっているのを見つけた。

 

 ケン!

「ニャア」

 

 やっぱりというかなんというか、喉から出てきたのは猫の声だった。本当にがっかりだ。だけどケンは俺に気がついてしゃがみこんだ。


「うへ、猫じゃん。しかもすげーブサイクでやんの。こいつ捕まえてワッキーに見せてやろ。あいつどうせ委員会で下手こいてまだ学校でいじけてるだろ。」


 何が「うへ」だ、ばか。お前のあんまりな友だち甲斐の無さにこっちが「うへ」と言いたい。俺と猫に対して、一度で二倍失礼なことを言ったケンの顔に、俺は怒りの猫パンチをくれてやった。爪がケンの肌をスッと滑り、奴の頬に小さな引っ搔き傷を作る。委員会で失態を犯したのは事実だが、俺の猫フェイスは薄汚れているだけでよく見れば美形なんだと言ってやれないのが残念だ。


 俺の居場所を知らない様子のケンを尻目に、教室へと向かう。後ろでは、「狂犬病になる!」と言ってケンがぎゃあぎゃあ騒いでいるが、病院に言ってぶっとい注射器でワクチンでも打ってもらうがいい。ついでにその軽々しい口を縫い付けてもらえば良いのに。


 教室を覗き込むと、他人の席に勝手に座って恋愛トークに花を咲かせている小島と藤田がいた。いつも藤宮寺の周囲で巻いた髪の毛をこねくり回している2人組だ。


「あっ、見てえ。猫がいるよ。にゃあ〜」


 でたよ、猫を見つけるとすぐ鳴き真似しちゃう女子高生。前までの俺ならそのいかにも女子らしいリアクションにときめいていたかも知れないが、自分が猫となった今では冷ややかな目を禁じ得ない。もっと腹から声を出せよ、やり直し。


「え〜、でもなんか、あんましカワイクなくない?」


 なんだと?と俺は目をひんむいて藤田を睨みつけた。そういう彼女はアイラインを失敗して隈取りのようになってしまっている。メイク初心者が陥りがちなおブスメイクだ。今度からこいつのことは藤田改めパン田と呼んでやる。


「小島さん、藤田さん、また残ってるの?暇なんだったら宿題でもやりなさいよ」

「あ〜、しみっちゃ〜ん。うちらべつにヒマじゃないですから〜。ねー見て先生、猫ちゃんいるよ」


 今度は担任の清水先生だ、ちわっす。俺はいつもの癖で少し頭を下げてしまう。先生の視線が俺の頭に下りてきて、止まった。


「猫……?」

 先生……?

 



「うおらあああー!!!待ーて待て待て待てーい!!!!」

 どうして、こうなったのだろう?俺は何もやましいことはしていないはずだ。外見が猫というだけで先生に追い回されるなんて、理不尽じゃないか。これは早速PTAに匿名でお葉書を送らなきゃならない。


 俺の思考も大概迷走を極めているが、仕方ないだろう。信頼を寄せている温厚な担任が、今や鬼の形相で網を振りかざして追って来るのだから。いつものどんくさそうなしみっちゃんはどこへやら。顔つきまで変わってしまっている。いつもの俺ならば、いつもの清水教諭を校内で振り切ることなど雑作もないが、どうもこのツルツル滑る廊下は猫足で走るのには向かない。ここで捕まったらどう料理されてしまうのか。猫鍋にでもされてしまうのだろうか?こわい。


 廊下の角まで来た俺はリノリウムの床に若干足を取られながらも柱の影に身を隠した。先生が気づかずに通り過ぎてくれますように、そう祈りながら息を殺す。だから先生の来るであろう方向に気を取られすぎて、後ろから近づく人物に気がつかなかった。


「あれ、君、こんなところで何しているの?耳のところひどく怪我しているね」

 

 俺は言葉通り飛び上がって、振り向いた。そこにいたのは我らが一年D組の学級委員長だ。名前は申し訳ないが失念してしまった。


 委員長は気が立っている俺の様子を観察したあと、慌ただしい足音を聞いてふむ、という顔をした。


「あっ!ねえ!今ここで猫を見なかったかい!?」

 息を荒げて委員長を問いただすのはもちろんしみっちゃんだ。ひえ〜こわい。あんたはジェイソンか。


「清水先生、そんなにお急ぎで、どうなさったんです。猫ならこの先の職員室の方に逃げていきましたけど」


「そうか、ありがとう。ほら、校内じゃ動物は禁止だからさ、捕まえて追い出さないとね」

 そう言うと、清水先生は取り乱した挙句に廊下を駆け回っているところを生徒に見られて決まり悪かったのか、ちょっと取り繕った感じで去っていった。

 先生の気配が無くなったことを察知すると、俺はもぞもぞと委員長の学ランから顔を出した。


「君はまず、その怪我を手当しなきゃね」


 にっこり笑う委員長と目が合う。先生に見つからなかったのは、彼が機転を利かして上着で包んでくれたお陰なのだ。こいつ、本当にいいやつだな。俺がそう思うと喉の奥からゴロゴロ…という音が出た。

 保健室は校舎の一階、北端にある。手当というからにはそこに向かうのだろう。しかし委員長は行く手にまた見知った人影を見つけたのか、足を止めた。


「あれ、君……」


 その人物は声をかけられて驚いたのか、勢いよく振り向いた。だけどその顔を見て心底驚いたのは俺の方だ。

 その顔は、俺がよく知っている顔だった。知っているどころか、俺が16年間毎朝鏡で見てきた顔だ。


「輪島君、体育祭の委員会もう終わったんだね。今帰り?」

「麻生……」


 おお、委員長は俺の名前知ってたんだ。俺はお前が麻生って名前なの知らなかった、ごめん。てゆうか俺の体を乗っ取ったこいつは猫のくせに麻生の名前を知っていたのか。

 それだけじゃない。こいつはどこか様子が変だ。本能の趣くままに変態行動に走ってないのは喜ばしいが、むしろ背筋はピンと伸びているし、邪魔だった前髪は爽やか風にかき上げているし、いつもゆるいハの字眉毛は心なしかキリッとしている。俺は何だか出来の悪いドッペルゲンガーを見ているような気分だ。


「麻生、その猫……」


 偽物の俺は感情の読めない表情で俺を見ている。咎められていると思ったのか、早口で麻生が弁解を始めた。


「あの、この子、耳を怪我してるんだ。どうして校舎に迷い込んだのか分からないけど、清水先生に追いかけられて怯えていて。だけど早く手当をしてあげないと、感染症になっちゃうかもしれないし。見逃してもらえないかな?……それとも先生に言う?」  


 麻生は長すぎる前髪の隙間から偽俺を見上げた。何だかいたずらを見つかった子どもみたいだ。俺も偽俺が何を言い出すのか、全身を耳にして身構えた。


「もちろん、言わないよ」


 その瞬間に偽俺が見せた表情の変化に、麻生と俺はあっけに取られた。偽俺の顔は、なぜか安心したように柔らかくほころんでいる。本当に、俺の見知らぬ他人みたいだ。俺の顔がそんな表情を作れるだなんて、俺自身が知らなかった。


「ごめん。急いでるから、もう行くね」


 俺ははっと我に返った。おい待て俺、どこに行くって言うんだ。本物の俺はここだぞ。


「そっか、こちらこそ引き止めちゃってごめん」


 この偽物の俺を追跡したいが、麻生の腕が結構しっかり俺を捉えているせいで抜け出せない。

 俺が目で追っている間にも偽俺は離れていく。その姿が廊下の曲がり角に消える少し手前で、偽俺は伏目がちに振り向いた。


「麻生、……ありがとう」



 その後麻生は念のためまた俺を上着で隠したが、保健室には誰もいなかった。手際よくガーゼやらピンセットやら消毒液やらを棚から取り出し、俺の手当を始めた。


「君、すごく大人しいね。野良猫だし、見知らぬ人間に傷触られたらもっと暴れると思ったんだけど」


 まあ俺は中身人間だし、実は委員長と初対面っていうわけでもないしな。


「藤宮寺さんじゃないから警戒されちゃうかと思ったけど、ちゃんと手当させてくれて、安心した。人間自体に慣れてるのかな」


 なんで藤宮寺?俺のクエスチョンマークに満ちた視線に気づいたのか、麻生はにっこり笑った。


「ああ、藤宮寺さんっていつもこの辺の猫を世話している女の子だよ。君もよく食べ物をもらったりしてるだろ?ほら、長くてふわふわした髪の。あの子、僕のクラスメートなんだ」


 俺は、あのつんと澄ました藤宮寺と猫の世話という意外な組み合わせに目をぱちくりさせた。でも、言われてみれば確かに、中庭にいた彼女は二回とも猫といっしょにいた。俺の仕草を相づちと受け取ったのか、麻生は続けた。


「彼女、クラスにいる時はちょっと冷たくて人を寄せ付けない感じなんだよ。君たちにとっては意外でしょ?猫好きだけど、人はあんまり好きじゃないのかな。僕も初めて話したのは彼女が猫といた時だったよ」


 麻生の話を、俺はもうほとんど聞いていなかった。耳を怪我した猫、その後を追っていたクラスメート、さっきの偽俺が見せた表情。そうしたものが俺の頭の中で結びつきつつあった。


「でね……、あっ」


 手当はほとんど終わった。麻生がガーゼで丁寧に傷口を覆ってくれたところで、俺は麻生の膝からひらりと下りる。そして呼び止める声を背中に聞きながら、保健室を去った。


 ごめんな、麻生。俺もう行かなきゃ。

 

 俺、人間に戻れたらお前と友達になるよ。 


 そのために、俺はあいつに会わなきゃならない。俺と同じで、この状況に一人途方に暮れているはずの、あいつに。


*お読み頂き、ありがとうございます。ご意見、ご感想、誤字脱字のご指摘などお待ちしております!

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