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一、体育祭実行委員には福がある

 どうして学校のシステムというものは、生徒に対して自主性なんてものを要求するのだろう。現に今だって、そのくだらんポリシーのお陰で朝のホームルーム中の教室に見事な沈黙のとばりが下りている。


 生徒に親しみをこめて「しみっちゃん」と呼ばれている清水教諭は、沈黙に負けて一つため息をついた。

「本当に誰も体育祭実行委員やりたい人いないの?君たちはまだ入学したばかりだからイメージがつきにくいのかもしれないけど、高校の体育祭って結構すごいんだよ。学年ごとの出し物も迫力あるし、個々の競技だってレベルが高いし。そういうのを生徒だけの力で計画して指揮できる機会なんてなかなかないんだからさ。先生はやっぱりいやいやで決めるんじゃなくて立候補がいいと思うけどな。」

 しみっちゃんのお説教はなかなかどうして壮大だが、心を打たれた生徒はいないようだ。


 そりゃそうだろう。俺たちは花も恥じらうピカピカの高校一年生。大学推薦への内申点を気にして「積極的な行動力」を見せつけるのもいいけど、今はまだそんな時期じゃない。むしろ誰もがトップバッターも嫌で、かといってびりっケツも嫌。そんな風に尻込みしているのを知られるのもなんかダサい。こっそり心の中で周りをうかがっている繊細なジュブナイル。そんな俺たちが体育祭実行委員なんて燃えるような役職に奮って立候補しないのなんて当然だろう。


「はい、センセー」

俺の隣の奴がしまりのない声とともに手を挙げた。こいつは前原健一という男で、みんなにマエケンと呼ばれているお調子者だ。ちょっとおばかでやんちゃなニクい奴なので、みんなが様子見で黙っているその沈黙の中じっとしていられなかったのだろう。


「お。前原君いいねえ。体育祭実行委員やってみたくなった?」

しみっちゃんが嬉しそうな顔をするが、多分こいつそんなんじゃないぞ。


「いえ、そうじゃありません」

ほらな。


「隣の輪島君がなんかやりたそうな顔してたんで。輪島って背でかくて足が速そうだし、体育祭とか向いてそうだと思います。」

だらけた内面のにじみ出たような口調に、しみっちゃんが青筋を立てる。


 まあ、だけどケンの言う通り誰かの犠牲によってこの不毛な時間に終止符が打てるならそれもいいかも知れない。しかもそいつは背が高くて足が速そうなんだろ。じゃあきっと体育も好きだし、喜んで体育祭実行委員もやるだろ、多分。


そこで俺ははたと思い当たった。このクラス、俺以外に「輪島」なんて名前の奴いたっけ?


「うおおおい、ケン!!!!」

 思わず激しく突っ込みを入れながら起立してしまった。


 しみっちゃんが青筋を立てた顔をギコギコギコ……と音を立てながら俺の方へ向ける。ダークホースに落ちてしまったしみっちゃんのまっくろな笑顔にびびりな俺は凍り付いた。


「何、輪島君?実行委員やってくれるってこと?」


「……はい」

 俺は力なく答えて机に撃沈した。

 ケンの言った通り、俺の身長はまだ中学生が制服を着替えたばかりのようなこの教室のみんなに比べると頭一つとびだしている。背の順でならぶと当然一番後ろだ。


 だがこれだけは声を大にして言いたい。


 背の高いやつは運動神経がいいというのは何の根拠も無い通説に過ぎない。

 ステレオタイプというやつだ。


 足だって別に速いわけじゃない。むしろ背の低い奴の方がスポーツにおける瞬発力はあるんじゃなかろうか。俺みたいな背の高いやつは、バスケットボールならゴールポスト下、サッカーならゴールキーパー、要はゴール周辺と定位置が決まっているのだ。適材適所だ。自分で言ったことを撤回するようだが、背の高いやつが足が速くて体育が好きというのは大間違い、ああ大大大間違いだ。


 心の中で悶絶する俺をおいて、空虚な会議は続く。体育祭実行委員への生け贄の子羊は二人必要なのだ。


「ほらみんな。輪島君といっしょに実行委員やりたいっていう人、いない?」

 おいしみっちゃん、いや、清水先生。その言い方では俺のガラスの自尊心にひびが入りまくるので止めて下さい。


 そして再びの沈黙。繊細なジュブナイルの俺は非道な仕打ちに堪えかねて再び机に沈没した。


「ねえ前原君、君がやれば?輪島君の友達なんでしょ」

教育方針をかなぐり捨てたしみっちゃんがケンに矛先を向けた。


「いや。俺、体育は苦手なんで。高校じゃ図書委員やりたいと思ってたんで。体育祭実行委員とかはやりません。」

 ケンは強い意志を瞳に映してきっぱりと言った。いや、うちの学校に図書委員とか無いから。

 おのれ、ケンめ。今に見ていろよ……。


 先生と生徒たちの無言のにらみ合いは数十秒、いや数分続いたかもしれない。しかしふいに、静かで、可憐で、明るくて爽やかな声が沈黙を割った。


「はい、先生。あたし体育祭実行委員やってもいいです。」


 こっ……、この声は!!!


「本当?ありがとう、阿部さん!ほらみんな、阿部さんと輪島君に拍手」

 しみっちゃんに促されてみんながぱらぱらと拍手する。


 その真ん中で照れたように頭をかく仕草まで本当に可愛い。そのまま少年向け週刊誌の表紙に載せても遜色ないと思えるくらいに可愛いんだ!


 阿部水琴(あべみこと)さん!!!俺は、心の中で密かにミコリンと呼ばせて頂いています!!!


 そう、俺は実はこのミコリンに想いを寄せている。

 高校デビューの女子生徒たちとは一線を画す清純な黒髪は肩のところで切りそろえられ、くるくる変わる表情に合わせて鮮やかに揺れる。誰も足を踏み入れたことのない雪原のような白い頬は、彼女が笑うと華やかに一変する。真珠色の歯がキラリとのぞき、小さなえくぼが現れ、きゅーっと三日月の形に細まった瞳の下にぷっくりした涙袋が浮かぶ。彼女の最大の魅力は、そんな笑顔を誰にでも平等に見せてくれるところだ。

 そう、俺のような、のっぽだけが特長の、体育が得意でもなければ勉強が得意というわけでもない、女子との接点皆無の寂しい男子にもだ。


 人懐っこいミコリンは持ち前の人当たりの良さで、初対面の30人を集めたこの一年D組の中ですぐに一番の人気者になった。

 ちなみにこのクラスには、夜な夜なリアルが充実した人たちを集めて踊り狂うパーリーピーポーの中心であると陰で噂される学年一のレジェンド・オブ・美人、藤宮寺(とうぐうじ)エミリもいる。モデルのような長い手足で着こなせばありきたりなうちの制服も流行のファッションに見えるし、何より姿勢が良いので同年代の少女たちの中にいてもひと際目を引く。ぷっくりした唇、長いまつげ、白磁の肌をちょっとずつ際立たせるメイクもはまっており、極めつけにウェーブかかった長い髪は光に透けてハチミツ色に輝くので、眩しいようなオーラが彼女の周りには漂っている。

 藤宮寺エミリは入学して一月あまりでクラスどころか学園中で噂になったが、高嶺の花にふさわしく上から見下ろしたような威丈高な物言いをする節があるので心の機微に敏い一年D組の生徒たちはちょっと遠巻きに彼女を見る。一方で取り巻きのように彼女の周りで世話を焼きたがる女子たちもいるにはいるのだが。とにかくそんなわけでミコリンがクラス一の人気者に落ち着いているわけだ。


「じゃあ阿部さんと輪島君の二人は毎週水曜日の放課後、体育準備室で委員会の会議に参加してね。初回はえーと、今日だね」

 しみっちゃんのアナウンスも俺の耳を素通りする。あのミコリンと同じ委員会……。同じ、委員会。なんていい響きなんだ。


 俺が惚けている間にホームルームは閉会していた。ひっぱたきたくなるような平和な顔をしたケンが俺に向かってなんか言っている。


「おいワッキー、鼻の下伸びきってるけど、どうしたの?一限目体育だから早く移動して着替えようぜ。んでもって早く行ってバスケしよ」


 ケン、お前体育苦手とかいうのは大嘘だよな。しかも相変わらず俺の嫌いなそのあだ名使うよな。

 でも、いい。今日だけはお前を許せちゃう。たとえ、お前が大好きな体育の時間を確保するために友達を売ったんだとしても。しかも俺を売っておいて自分は面倒だからと同じ役職に就かなかったとしても。


 だってそのお陰で、俺は毎週ミコリンと同じ時間を共有できるんだから。


「愛してるぜ、ケン」


「え、なに?きも」


 覚悟しておけ、ケン。今日の体育は、みんなが仲良くバスケをする中俺だけはケンを標的にしたドッジボールをすることに決まった。


*感想、誤字脱字のご指摘など何でもお寄せ下さい。お待ちしております!

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