第2章:兄と妹の関係《断章3》
【村雲明彦】
悪い意味で俺の期待と信頼を裏切り続ける妹、夏姫。
今度は都会のど真ん中の有名なパティスリーで騒動を起こしていた。
「おい、夏姫。お前、ここで何やってるんだよ」
「あっ、明彦。だって、ここのケーキが……」
「文句は良いから、頼むから俺を困らせないでくれ」
俺は人目が恥ずかしいのもあり、怒る妹を引きずってでも店の外に出ようとする。
「どうもご迷惑をおかけしました」
「私は迷惑なんてかけてないし。だってこの店のケーキ、味が同じなんだもん。絶対に斜め向かいのお店のケーキの真似をしたに違いない」
その言葉に店内がシーンと静まり返る。
「おいおい、妹よ……頼むから俺を辛い目に会わせるのだけはやめてくれ」
大人しくしてくれればそれでいいんだ。
「何が新発売よ。こんなのただの真似っこじゃん」
「うちの店のオリジナルです。どこの真似でもありません」
店員も店員で言い返すが夏姫はそれにも負けずに言う。
「そりゃ、同じケーキだもの。ショートケーキがどの店でも同じような物のようにケーキと言う類なら味は似てもおかしくない。でもね、このケーキは違うの。これは向こうのお店でかなりヒットした味だって聞いた。見た目と色を変えただけで、こっちのケーキが真似をした以外の何物でもない」
「あのなぁ、夏姫。そんなのはお前がどうこういうことじゃないだろ」
「明彦は黙っていて。ここまで堂々と人真似、いえ、レシピをパクってるのよ?」
「はい、ごめんなさい……って、俺が黙る意味はないだろうが」
俺は妹を強制的にお店から連れ出そうと頑張る。
こいつのお菓子に関する味覚がいいのは認める。
どうせ、向こうで食べたケーキと味が似ているだけでそう感じただけだ。
喧嘩を吹っ掛けるような真似をする必要はどこにもない。
だが、思わぬ援護射撃は店内から出始めたのだった。
「やっぱり?私もそう思う、どこかで食べたような味だとは思ってたのよね」
「新作って言うけど。そうよ、あのお店のケーキにすごく味が似てるわ」
「……確かに。見た目の色が違うから誤魔化されるけど、これは同じものじゃない?」
同じような意見が店の中から飛び出してくる。
他の客も夏姫と同じ事を思っているようだ。
これに焦り出したのは店員達の方だった。
「あ、味が似るのは仕方ない事ですよ。同じケーキなんですから」
「……美味しいのは美味しい。けれど、私は人真似でも、売れればいいからなんて考えは嫌い。この店のケーキは認めないから」
「何をバカな事を言うんです。そんなわけがないでしょう。これはこの店のオリジナルのケーキであり、他所のケーキの真似ではありません」
だが、一人の店員が思わぬ言葉を口にしたのだ。
「ちっ、たかが子供の味覚で何が分かるって言うんだよ」
「おい、お前。お客に対して何て口のきき方を……」
他の店員が止めるがその店員は悪態を夏姫についた。
「いい迷惑なんだよ。たかが素人の味覚で営業妨害する気か?ガキは黙っておけ」
今にも夏姫に掴みかかろうとする店員。
彼女もさすがにこの展開には驚いてる。
全く、後先考えずに行動するからこんな目に合う。
「やめろよ、お前みたいな男が妹に触れるな」
だが、俺は伸ばされた男の手を掴んで止めてやった。
「明彦……?」
「夏姫もだ。ったく、誰かれ構わず、言いたい放題言うんじゃない」
「だって、この店が悪いんじゃない」
夏姫のいい方も悪いが、こうやって手出しする店員は最低としか言いようがない。
「も、申し訳ありません。ほら、お前も謝りなさい」
他の店員がその男を引き離すと、夏姫はそいつに遠慮容赦なく言うんだ。
「そっか。これ、アンタの考えたケーキでしょ?自分の考えたケーキを否定されて悔しいの?それとも、味真似したって事が簡単にバレて逆ギレしてるの?」
「お前っ!?何だとっ!?」
「あぁ、もうっ。夏姫、そんな人を煽る事を言うな。いいからもう帰るぞ」
「ふんっ。人の真似をいくらしたって意味なんかないの。パティシエなら、自分の味で勝負しなさいよ。せっかくこの店にはアンタらが作ったケーキを求めに来ているお客さんがいるのに、つまらない事をしてどうするのよ」
俺は彼女にドーナツを持たせて身体を抱き上げるようにして店の外へと出る。
「ちょ、ちょっと、明彦!?」
「はい、終了。もういいから帰ろうぜ。お騒がせしました」
まったく、余計なことしかしないな。
この妹のせいですごく居づらいじゃないか。
お店から出て逃げるように去ろうとした時、ある女性の声が声をかけてくる。
「……キミ、あのケーキを何度食べて気づいたの?」
「どちらも初めて。ここに来たのも初めてだし。でも、食べれば分かるよ。どちらが真似をしたのかってのは。こっちの方がクオリティーが低い」
一目見て誰もが思う美人のお姉さん。
そのお姉さんはくすっと笑って言うんだ。
「キミは良い味覚を持ってるわね。キミは何も間違っていない。間違っているのは自分のプライドもなく、売れるケーキのためなら何でもしていいって勘違いしてるバカなパティシエの方よ。プロの自覚がないの」
彼女は軽く夏姫の肩を叩いて「自分の味覚に自信を持って」と言って中へと入っていく。
「パティシエの関係者だったのか?」
「分かんない。あー、ちょっと引っ張らないでよ」
どちらにしてもここには居づらいので妹を引きずりながら去るのだった。
家に戻ってからも夏姫は不満そうに「なぜ、止めたの?」とか「私は間違えていない」とか、俺に愚痴りまくる。
やれやれ、怒りが俺の方へと向いてしまったのは失敗だった。
こういう時はお菓子でも与えて黙らせるのがいい。
「ほら、買ってきたドーナツでも食べないか?」
「いらない。今はそういう気分じゃない」
「美味しいぞ?地元にあるドーナツ屋のドーナツとはちょいと違う。これを買い求めて何時間も長蛇の列が休日にはできたりするんだ」
ドーナツをちらつかせると彼女は視線で追う。
興味はあるが気分じゃないと言う事だろう。
「いらないのか?」
「何度も言わせないで」
妹はペットボトルの紅茶を飲みながら機嫌が悪い。
俺は仕方なくご機嫌取りをやめて、ひとりでドーナツを食べることにする。
口に広がる甘い味、俺はさほど甘いものが好きではないがこれは別だ。
「うん、美味しい」
ジーっと夏姫がこちらを見つめている。
「触感も柔らかいし、味も最高だな」
「美味しさを表現するのが下手ね」
「……独り言だからな。どこかの妹は興味ないんだろ」
俺がそう言ってやると彼女はムッとする。
だが、いい匂いにつれはじめる。
「ねぇ、それって本当に美味しいの?」
「美味しいぞ。もぐっ、飽きない味ってやつだな」
俺はそろそろかな、と彼女の前にひとつを皿にのせて差し出して見る。
下手に扱うと拗ねるだけなのだ。
「……そこまで言うなら、もらうわよ」
このドーナツがどんなものなのか、興味を持ったようだ。
あむっと小さな口でドーナツをかじる。
すると先ほどまで不機嫌だった態度が軟化する。
「あっ、美味しいっ!?」
「だろう?いつも食ってるやつとは違うんだよなぁ」
「へぇ、こんな味がするんだ……初めて食べる」
夏姫は普段、見せない笑みを浮かべていた。
美味しいお菓子を食べている時には彼女は笑顔をよく見せる。
むしろ、それ以外はクールな印象を抱く無愛想な女の子なのだが。
「もうひとつ、ちょうだい」
「いいよ。美味しいからって食べすぎるなよ?」
「分かってるわよ。それくらい」
彼女はご機嫌になりながら、もうひとつ食べ始める。
夏姫は本当に甘いものが好きなんだな。
「ここにいる事はあんまり気が乗らないけど、美味しいお菓子が食べられるお店が多いのは評価するわ。私の将来の夢にも参考になるもの」
「そりゃ、よかったな」
地元はさほど田舎ではないが、それでも美味しいお菓子の店が多いワケではない。
夏姫には興味があるお店が多くて楽しいんだろう。
「……そういや、今日は何軒の店を回ったんだ?」
「7、8軒くらいよ。どれも美味しかった。あの店だけは例外だったけども」
「問題はもう起こすなよ。お気に入りのお店は出来たか?」
「そうね。まだまだお店はたくさんあるから、何度か行ってみるつもり」
夏姫にとってはこれからも楽しい毎日が過ごせそうだ。
けれども、本人が一番自覚しているだろうが、これは遊びや観光ではない。
自分の未来を決めるための2週間。
本当に大変なのはこれだからだ。
「なぁ、夏姫。ひとつだけ俺と約束してくれ。2週間後、必ず答えを見つけるって」
「……私は私の夢を叶えるための努力をする。アンタの言葉じゃないけど、親を説得して足掻いてみるのもいいかもね」
少しだけ前進、今はそれでもいい。
夏姫にとって悔いのない2週間になる事を俺は祈るしかない。
そして、俺と夏姫のふたりだけの生活が本格的に始まろうとしていた――。