第2章:兄と妹の関係《断章2》
【村雲明彦】
「東京って広いわね」
それが昼食を食べ終わり、街中を散策した夏姫の一言だった。
「……そりゃ、日本で一番人が集まる場所だからな」
「そんな当たり前のことを実際に目で見て実感してる」
「地元じゃ、街中でこれだけ人が集まる事なんてないからな」
信号待ちでも大勢の人々が足を止める。
夏姫は家出した時は余裕がなかったらしく、じっくりと周囲を眺めていた。
「人ごみが嫌いとか言うなよ?」
「別に嫌いってわけじゃない。ただ、うっとうしいだけ」
「それで他にどこに行きたいんだ?ファッション系か?」
夏姫は可愛い容姿をしているが、化粧や服にあまり興味がない。
流行のメイクやファッションに興味があるのは年頃の高校生なら当たり前だろう。
なのに、彼女は常に薄くしかメイクもしないし、服も気に入ったものを使い続ける。
それなりに恵まれた環境にいるくせに、無意味に散財しないのはいいことだけどな。
どこぞのお嬢さまのように金で何でも買うようなタイプではないのだ。
「……私は気に入ったブランドがあるから他は興味ない」
「あっ、そう。お前みたいな女子高生はメイクとかファッションとか好きそうだが」
「可愛く見せたい、というのは理解できるけど、私ってそんなにいじらなくても十分すぎるほどに可愛いから問題はなし」
「自信を持ってるんだな、悪いとは言わないが」
自意識過剰と言ってやりたいが、全然過剰じゃないので黙っておく。
自分で自分を可愛いと言うのは自信がある証拠だろう。
「お菓子……」
「ん?お菓子?」
「ケーキとかお菓子が売ってるお店がある場所を教えて。私にとってはそこが重要」
「だよな。分かってるって。そう言う店が集まるのは少し先の場所だ」
小さい頃からお菓子作りが大好きな妹だった。
きっかけは何かの料理番組だった気がする。
初めて作ったクッキーはすごくまずかったのを覚えている。
はっきり言って焼けてない、生に近い甘い小麦の塊。
初めてとはいえ、失敗した事に落ち込んでた夏姫はリベンジとばかりに努力と練習を続けて、数日後にはすっかりと美味しいクッキーを焼けるようになっていた。
あれがきっかけで彼女はお菓子作りに夢中になり、それは今でも続いている。
パティシエになりたいと言い出したのはいつ頃だったっけな。
少なくとも小学校の高学年の時には夢を現実にしたいと頑張っていた気がする。
ただ、家族の誰もがそれは“趣味”の範囲であり、本気でなりたいと受け止めていなかったのが今回の騒動で明らかとなったわけだが。
「この辺からケーキとかのお店が並んでいる。おっ、あのドーナツ屋、今日は並んでいる人が少ないな。夏姫、俺はあそこに並んできていいか?」
「どうぞ、ご自由に。私はその辺を見回りしてくる。買えたら連絡して」
「了解。ここのドーナツはうまいんだぞ。ついまとめ買いしてしまうんだ……って、もういないし。何だよ、夏姫め。人の話は最後まで聞け」
有名な海外ドーナツ店で毎度、多くの人が店に並んでいる。
今の時間は空いているらしく、さほど人がいないので俺は並んでみた。
味は最高なんだが、いつも並ぶ人が多くて諦めるんだよな。
「で、アイツはアイツで何だか楽しそうだ」
夏姫はいろいろなお店を眺めたり、実際に入ったりしている。
ケーキが評判だったり、焼き菓子が評判だったりとあちらこちらでいい匂いがする。
その顔は誰が見て分かる“笑顔”だったのだ。
「お菓子に関しては笑顔だな。ああいう笑顔を常にしてくれれば可愛い妹なんだが」
あいにくと、彼女の辞書には『愛想』と『可愛げ』と言う言葉が存在しない。
まったくどこで性格が歪んでしまったのやら。
「いつからだっけな。アイツが反抗的になったのは……」
昔は兄妹仲もよくて、他人から羨ましく思われたりする関係だった。
夏姫も素直だった頃があったのに。
「……夏姫が中学に入った頃くらいだったか。ちょうど反抗期って奴で可愛げがなくなったんだっけ。そういや、あの頃から夏姫は俺の事を兄って呼ばなくなったな」
誰にでもある思春期の変わり目。
“僕”と呼んでいたのに“俺”と言ってみたり。
“お兄ちゃん”と呼んでいたのに“兄貴”と言ってみたり。
“お母さん”と呼んでたのを“母”と言ってみたり。
人によって違うが、子供の心から大人に成長する境目がある。
些細なことのはずなのに、カッコ悪いとか、嫌な感じがするのだ。
「でも、夏姫の場合は思春期のそれとは少し違う気がする」
全く持って、突然の事だったのだ。
昨日まで可愛い笑顔で「お兄ちゃん♪」なんて呼んでいた可愛い妹が、冷たい視線で「アンタ」と呼び始めたのにはショックを受けたものだ。
ショックのあまり何日か寝込みそうになったのは遠い日の記憶である。
今ではすっかりと慣れて、可愛げのあった頃を思い出すのも大変だが。
「いつからあんな子になったんだろうね」
その変化のきっかけ、何かあったはずなのだが、それは分からない。
彼女に聞いても答える気はないようだし。
「……誰にでも変化はあって当然か」
それが夏姫の場合は極端なだけで、人間誰しも大なり小なり、子供から大人になる時には変化がある。
俺だって、色々と些細な変化をしてきたからな。
列に並び続けて十数分、無事にドーナツを買う事ができた。
通常の半分くらいの時間で、買えたのは実に運が良かった。
俺が並んでからまたいつものように長蛇の列ができ始めていたからだ。
「さて、妹を呼びだす事にしようか」
俺は携帯電話にかけてみるが、応答なし。
「まさか、もしかすると?」
俺は3度目の電話に出ない妹に危機感を抱きはじめる。
「迷子……?もしくは逃亡?」
やばい、どちらにしてもこの人通り、妹を探すのは困難だ。
「……とりあえず、逃亡と言う選択肢は消すか」
焦って変な事を考えないようにしよう。
アイツは逃げないと言った、その台詞は信じてもいいと思う。
今回の2週間の滞在は夏姫にとってもメリットがあるのだから。
「だからと言って、どこにいるかは知らないけどな」
俺は適当に店を探しまわることになった。
全く持って面倒なことをしてくれる。
考えられるのはひとつ、お菓子に夢中になって携帯電話に気づいていない。
「基本的に夏姫はお菓子LOVEな女の子だからな」
異性に興味を持って恋愛をするでもなく、ファッションに興味があるわけでもない。
唯一の趣味と興味、それがお菓子だった。
甘いもの好きで、実家でもよく母さんに注意されていたっけ。
それは十数軒目、捜索開始から15分が経過した頃。
俺はあるお店の中にいる夏姫を発見したのだが。
「だから、これは絶対にパクってるって言ってるの!」
「何だと!?言いがかりもいい加減にしてくれ」
店の店員と言い争う夏姫の姿に俺は激しく嘆きたくなりながら、ため息をついた。
一難去ったらまた一難、このお嬢ちゃんは少しばかり兄を気遣ってくれよ。