第16章:互いの想い《断章2》
【村雲明彦】
「どうも、妹がお世話になりました」
店長である小桃さんに俺はお礼を言って挨拶をしていた。
本職のプロに、毎日のように夏姫は世話になっていたのだ。
「こちらこそ、彼女には感謝しているのよ」
俺が直接話すのは数度目だが、にっこりと微笑まれる。
「どういう意味でしょう?」
「夏姫ちゃんって純粋じゃない。夢を追い求めてる姿を見てると、昔の自分を思い出すのよ。パティシエになりたいって思っていた昔のことをね」
過去を思い返すように、小桃さんは天井を見上げる。
「私もね、彼女みたいに小さな頃からお菓子作りが趣味だったの。美味しいって食べてくれる妹や、幼馴染の男の子がいて、すごく幸せだったわ」
「人にお菓子を作ることのやりがいって奴ですか」
「この業界って、浮き沈みが激しいのよ。同じ味なら飽きがくる。常に新しい味を追求していかなくちゃいけない。どの業界でも同じでしょうけどね」
彼女はふっと穏やかな表情を浮かべながら、
「だからこそ、時々、振り返って立ち止まりたくなる時があるの。私はどうして、この仕事をしているのか。何をしたかったのか」
「パティシエとして成功しているのに?」
「ふふっ。私なんてまだまだ新人よ?ちょっとお店が当たっただけの新人さん。世間じゃ人気店なんて言われてるけど、ベテランのパティシエにはまだ遠く及ばず。上には上がいる。だからこそ、時々は原点に戻ることが大事なのよ」
自分がパティシエと言う夢を見ていた頃。
過去を振り返ることで、自分の気持ちを見つめ返す。
「……夏姫ちゃんを見てると、そんな昔を思い出せた気がする。あんな風に夢に憧れて、この業界に入った頃を思い出せる」
小桃さんは「嫌な現実を知らない頃って素敵よね」と苦笑い。
「夢が夢であるうちはいい。憧れっていうモチベーションのまま突き進めるから。でも、それが仕事として慣れてくると、夢ばかりを追い続けられない現実に気づく。それがプロとアマチュアの差かもしれないわ」
「モチベーション。好きな事を仕事にすれば楽と言うわけでもないですか」
「当然。新商品ひとつでも、原価やコスト、様々な事を考えて作らなきゃいけなくなる。時にはコストのために品質を落とす妥協も必要になってくるわ」
妥協と割り切ることがプロとしての必要な事だと彼女は言う。
「作りたいものを作れるだけ作るのは趣味の範疇。プロのパティシエならば、売れる商品を作り、お金を儲けなきゃお店も潰れちゃうからねぇ」
「小桃さんも苦労してるんですね」
「自分のお店を持つってそういう事でしょ」
夏姫もいずれはこういう現実と向き合わなきゃいけないんだな。
プロとしての覚悟。
好きな事を好きなようにできる時期は限られている。
小桃さんに俺はあることを尋ねてみる事にした。
「プロから見て、妹のパティシエとしての腕前はどうでしょう?向いていますか?」
「はっきり言えば、技術はまだまだ改善の余地があるわ。けれど、情熱もあるし、センスもあるから、本格的に鍛えればかなりいいパティシエに成長するわよ」
「……期待できるって事ですか」
いずれ、家に帰れば、両親を説得しなきゃいけなくなる。
俺からも援護できるようにプロの意見を聞いておきたかったのだ。
「修業時代って辛いものよ。どんな業界でもそう。新人時代が一番苦しくて辛くて、諦めちゃう子も多い。自分には向いてない、センスがないって」
「苦しくても、もがいても、前に進めた人間だけが成長できるんですね」
「えぇ。夏姫ちゃんはきっと、それに耐えられる。今以上に成長する事もできるわ」
「ずいぶんと妹を買ってくれてるようで。嬉しいですよ」
俺の言葉に彼女は「ああいう子が一番好きなのよ」と笑う。
「前向きで、夢に向かってキラキラしていて。でも、ちゃんと辛い現実もあるって分かってる。へこたれない、そういう心の強さも必要だから」
「心の強さですか」
「もしも、本格的にパティシエを目指すときは私も協力するつもりよ」
プロのパティシエからも認められたんだ。
夢をただ追いかけるのは誰でもできる。
壁や現実と向き合うことができて、初めて夢を叶える事ができるんだ。
あの子にとって今回の家出は決して無駄じゃなかった。
夢への扉は確実に開いたのだから。
「ふふっ。夏姫ちゃんにはこんなに心配してくれる、良いお兄さんがいるんだなぁ」
「……夏姫は我がままで、生意気な子ですけど、自分の夢を追いかけて欲しいんです」
「ああいう大切な時期に、応援してくれる人がいるといないじゃ大違い。幸せものね。これからも応援してあげて。傍に理解者がいるだけで、人は支えられるものよ。あの子はまだまだこれから成長する子なんだから」
応援してやりたい気持ちは最初から持っていた。
俺自身、大学選びの時に悩んだことだ。
過去の決断を悔いてはいないからこそ、アイツにも妥協や諦めはしてほしくないんだ。




