第14章:優しい時間《断章2》
【村雲明彦】
食事を終えた俺達は帰り道、夜の住宅街を歩いていた。
秋の夜風を肌で感じながら隣を歩く夏姫に視線を向ける。
『初恋って難しいよね』
夏姫は俺にそう言った。
初恋の話。
それは別に夏姫の悩みではなかったらしい。
夏姫がお世話になっている小桃さんの悩みだそうだ。
初恋相手の結婚、それのウェディングケーキ作りを依頼された。
確かに普通の状況なら悩む問題ではあるだろう。
初恋が叶うなんてほとんどない。
「夏姫は何に悩んでいるんだ?俺達は初恋で結ばれたわけじゃん?」
恥ずかしながらもそう言ってみる。
俺達はまだ恋人ではないけども、想いは通じ合っている。
それを夏姫が悩む必要はない。
「違うの、私が悩んでいるのは……小桃さんの気持ちの事」
「同情しているのか?」
「微妙に違う。可哀想、だとは思うけど、同情とかじゃなくて……私って明彦と同じ気持ちになれたのって、すごく運が良かったんだなぁって」
彼女はこちらを見つめてくる。
その瞳から不安が感じ取れる。
「運?」
「そう。恋愛って運やタイミングの要素もあるじゃない。私が自分の気持ちに気づけたのも、この2週間を与えてくれたおかげ。それがなければ、明彦はきっと、朱里さんと恋人になっていたもん」
「だから、俺と朱里とは……けふん、けふんっ」
その辺の心配はしなくていいんですよ?
「朱里さんの告白が私よりも早かったら……そんな事を思うと、私もすごく辛くて」
「夏姫はもしも、のことで悩んでいるのか?」
「……変なのは分かっているよ。こんなの、意味なんてないことくらい。明彦が私を好きだって気持ちは分かってるもん。でもね、改めて考えて見たら……私は運が良かったんだなぁって思ったの」
初恋に限らず、恋愛が実るかどうかなんてのは確かに運もある。
そりゃ、大抵は人が好きになるには容姿だったり、性格だったり、相手の事を気に行ったりして進展していくものだ。
けれど、互いに同じ気持ちでも、すれ違い、恋人になれない人はいくらでもいる。
「別に俺達の関係を美化するわけじゃないけどさ。俺と夏姫ってかなりの偶然が重なって出会っているじゃないか。俺が両親の養子になって、夏姫が生まれて……すれ違いもあったけども、こうやって関係を作れている」
俺はそっと夏姫の手をとり、指先を絡めあう。
女の子の小さな指、彼女の体温がこちらに伝わってくる。
「運命ってあると思う?」
「そうなるべくして、なった。それを運命と呼ぶなら、俺と夏姫の関係は運命だよ」
「……運命的なものがなければ、私達は恋人になれなかった」
夏姫の不安はきっと、自分の恋愛ではない、他人の恋愛に触れて感じたものだ。
人間、どんなに理想的な恋をしても、うまくはいかない。
俺達の関係でさえ、将来の事は分からない。
だから、幸せだけじゃないと不安になる。
「夏姫は怖いんだ?」
「……うん。私の幸せがいつか、壊れる事もあるんじゃないかって」
「そんなことはないよ。夏姫」
俺達の幸せは崩れない。
だって、俺達の関係は始まってばかりだから。
「夏姫を不安になんてさせない。俺がさせない」
「あき、ひこ?」
俺は彼女を後ろからそっと抱きしめる。
「小桃さんの想いは可哀想だと思う。けれど、それは彼女の問題だろ。夏姫は俺が幸せにするから不安なんて感じなくていいんだ」
「明彦、すごく恥ずかしいよ」
顔を赤らめているのか、耳元が赤い。
「不安は消えた?」
「消えた。明彦の一言で、消えちゃった」
「胸の奥に不安を抱えてしまうと、それは簡単には消えない。だから、少しでも不安を感じたら俺に話して欲しい。いい?」
「うん……」
嬉しそうに笑う彼女。
「そうだよね。こんなことで不安になってたら、遠距離恋愛なんてできないもの。私、明彦を信じるよ。信じてる……ずっと、信じているから」
「その信頼に応えるよ」
夏姫の頬に唇を触れさせる。
この子を好きになった時、俺は両親の事を含めて覚悟を決めた。
好きな子を幸せにしたいと、幸せになりたいと思ったから付き合ったんだ。
「んっ。できれば、こっちに欲しいな」
彼女はねだるように唇をこちらに向ける。
「んぅっ……」
夏姫が可愛く俺にキスを受け入れる。
「キス、好き」
「俺も好きだよ。キスするときの夏姫の顔が可愛いからな」
「や、やだ、キスするときの顔を見ないで」
慌てて顔を覆おうとする彼女。
「それ、無理」
俺はそうさせずにもう一度キスをする。
「明彦のバカ……でも、好き」
人気の少ない夜道で、ちゅっと唇を重ね合わせる。
俺にとって夏姫は他の誰かじゃ代わりなんていない大切な存在。
恋心に気づいてから、夏姫は変わった。
けれど、俺も変わったと思う。
愛しいモノを愛しいと思う心。
その恋心は人を変えていくんだと思う。
「……私は幸せだよ」
そう呟いた彼女は、不安が消えて可愛い笑顔を浮かべていた。
やっぱり、夏姫は笑顔の方が可愛くてよく似合うよ――。




