第13章:愛のケーキ《断章2》
【村雲夏姫】
私が東京にいられるのは今日を合わせて数日だ。
「もうすぐ夏姫ちゃんもいなくなっちゃうのね。寂しい」
「小桃さんにはホントにお世話になりました」
このお店に通うのもまもなく終わる。
そう思うと寂しいけども、いつまでも学校に行かない生活もマズイ。
ていうか、家に帰ったら大学の推薦入試を中止するやらで大変だからなぁ。
自分の決めた道とはいえ、正直、帰りたくないのが本音なの。
「それで、自分の納得のいく答えは出たの?」
「はい。小桃さんのお店に来させてもらって、本当の意味で現場も分かりましたから。やっぱり、私はパティシエになりたいんです」
どうしても、譲れないもの。
私は夢がある、大切な夢を叶えたい。
この2週間で私はその想いを強くした。
どんなに親に反対されたって、私はパティシエになりたいの。
「そう。夏姫ちゃんの夢、叶えてね。何なら、専門学校通っている時にも、うちに来てくれてもいいし。夏姫ちゃんなら大歓迎よ」
「そう言ってもらえると嬉しいです。私、頑張ります」
「明日までに教えられる事があれば、教えてあげる。そろそろ焼き上がる頃かな」
小桃さんがオーブンで焼き上がったケーキを取りに行く。
私もついて行くと香ばしく焼けたスポンジケーキができていた。
「うん、良い仕上がり具合じゃない」
「いい匂い。基本ですけど、スポンジの作り方って大切ですよね」
後は冷ましてから、デコレーションをすれば完成だ。
明彦に美味しいケーキを作ってあげるんだ。
「明彦、喜んでくれるかな」
「あら?いつのまにか、お兄さんとは仲直り?」
「は、はいっ。それなりに」
小桃さんには内緒のままだったりする。
兄妹で恋人なのはまだ人に話せないんだもん。
「そっか、よかったじゃない。仲直りできて。夏姫ちゃんの恋はこれからね」
「えへへっ。そうですね。そちらも頑張ります」
スポンジケーキが冷えるまでの間、私はお掃除のお手伝い。
お世話になってる代わりに、店内カフェのエリアの掃除をするのも慣れた。
それは、後片付けが終わった頃のことだった。
「あれ?見なれない子がいるな」
お店に入って来たのはサングラスをかけた男の人。
優しそうな雰囲気の彼は私に尋ねてくる。
「店長の小桃さん、いる?」
「あ、はい。いますよ。小桃さん~っ」
私が彼女を呼びに行くと、彼も私の後をついてくる。
小桃さんはキッチンスペースで別のケーキを作っていた。
「はーい?私を呼んだ、夏姫ちゃん?」
「小桃さん。お客さんです。男の人が来てますよ」
「男の人?あっ、悠ちゃん!?」
私が彼を案内すると彼女は驚いた顔を見せた。
「久しぶりだな、小桃さん。元気にしてるか?」
「えぇ、してるけど。貴方が来るなんて珍しいわね」
「まぁ、たまには幼馴染のお姉さんの顔を見たくて来たんだ」
もしかして、この人……速水悠(はやみ ゆう)?
悠さんって言うのは小桃さんの幼馴染で、プロのサッカー選手らしい。
そして、小桃さんの初恋の人だって前に凛子さんが教えてくれた。
「新しい子を雇ったのか?前に店に来た時はこんな可愛い子、いなかったよね」
「相変わらず、可愛い子ばかり目が行くのね。彼女は夏姫ちゃん。私の弟子の子なの。夏姫ちゃん、彼は……」
「凛子さんから聞いてます。サッカー選手の速水悠さんですよね」
「うん。私の幼馴染なんだ。こんな場所で話もなんだから事務所の方に来て。夏姫ちゃんも一緒にお茶にしようっか」
彼を事務所の方へと連れて行く小桃さんはいつもと様子が違う。
どこか楽しそうというか、嬉しそう?
小桃さんが彼を好きだって言うのは本当なのかも。
私はお茶を用意しながら、悠さんにティーカップを差し出す。
「どうぞ。紅茶、熱いので気をつけてください」
「ありがとう。夏姫ちゃんだっけ。若いよね、中学生くらい?」
「……高校3年生です、一応」
「あっ、ご、ごめん」
見た目で勘違いされると傷付くわ。
そんなに年下に見えるのかな……警察に補導されるくらいだし(悲しい過去)。
私がムスッと拗ねると小桃さんが慰めてくれる。
「こらっ、失礼な事を言わない。大体、中学生をこんな所に置くわけないでしょ」
「それもそうか。いやぁ、可愛い子だから、それくらいかな、と。悪かったね。小桃さんの弟子って事は将来はパティシエに?」
「はい。小桃さんみたいなパティシエになりたいんです」
「へぇ、そうか。頑張って夢を目指せばきっとなれるよ」
サングラスを外した彼の顔はかなりカッコいい。
でも、恋人がいるから小桃さんは片思いなんだっけ?
「悠ちゃん、さっき作ったばかりのケーキよ。食べる?」
「おっ、もらうよ。小桃さんのケーキは俺も好きだからな」
「そうだ。夏姫ちゃん。悠ちゃんのお父さんも、有名なパティシエなのよ。パティスリー『HAYAMI』って聞いた事があるでしょう?」
かなり有名店の名前に私もびっくりする。
「え?そうなんですか?」
「うちの親父の話は勘弁してくれよ。あの人、俺は苦手なんだ」
「あの有名なパティシエさんがお父さんなんてすごいんですね」
小桃さんは彼のお父さんに影響を受けて、パティシエになりたいと思ったらしい。
テレビでも、時々みかける本当に有名な人だもん。
「悠ちゃん。たまにはお店にも顔を出してよ」
「俺も忙しいから。今日はオフで遊びに来たんだ」
ここ数年はふたりは全然、会っていなかったらしい。
ケーキを食べながら、会話は盛り上がる。
「そうだ。サッカーの方はどうなの?前に怪我をしたってきいたけど?」
「怪我は完治したよ。大したことじゃないから影響もほとんどなかった」
「それはよかったわ。日本代表になれるかどうかって話は?」
「あー、それはまだ頑張り中。代表監督が変わったから、俺にもチャンスがあるかもね。さすがに代表になるのは大変だ。でも、届かないほどじゃない。今はアピールして、選んでもらえれば世界を舞台に戦えるからなぁ」
日本代表だって、テレビでよくやってるやつだよね?
何気に悠さんはすごい選手なのかも。
「小桃さんもこの店、開いてから頑張ってるじゃん。この前、雑誌に載ったんだって?」
「雑誌程度なら、何回か。個人的なモノを含めてね」
「美人パティシエ、林原小桃ってかなり評判がいいんですよ。私も憧れてます」
「やだぁ、夏姫ちゃん。あんまり褒めないで。照れるから」
実際、小桃さんは若手のパティシエでは評判はかなりいい。
このスイーツ専門店が並ぶ東京のお店でも人気店だもん。
「パティシエとして頑張ってるんだな」
「まぁね。そう言えば、凛子ちゃんには会ってるの?」
「あぁ。時々、会うよ。小さい子を連れてさ。あの凛子が結婚なんて最初は驚いたけど、今となってはいいお母さんをしてるんじゃないか」
「留衣ちゃん、可愛いですよねぇ」
凛子さんも可愛いけど、娘の留衣ちゃんも可愛い。
「へぇ、凛子や留衣にも会った事があるんだ?」
「はい。昨日、偶然、ここに来たんです」
「凛子が?そうか。俺も昨日くれば、タイミング的にはよかったかな?」
「悠さんと凛子さんって仲が良いんですか?」
歳が同じだから悠さんと仲がよかったって、凛子さんは話していた。
「俺と凛子は兄妹みたいなものだからなぁ」
「本人に言わせれば、あんな変な兄はいらない、とかいいそうだけどね」
「小桃さん、それはリアルに凛子に言われそうでキツイっす」
楽しそうに笑いながら会話をするふたり。
何でも話し合える幼馴染っていいな。
私には気心しれた異性の相手は明彦くらいしかいない。
「そうだ。凛子ちゃんに恋人ができたのは、そもそも、悠ちゃんが彼女にバイトを紹介したからじゃない。その喫茶店で今の旦那と運命の出会いをしたって言ってたわ。そう考えたら、私の凛子ちゃんを奪った張本人は……」
「ま、待て!?今さら、俺を恨むのはなしでお願いします!?」
慌てふためく彼に思わず笑ってしまう。
これだけで立場関係がよく分かるから。
「運命の出会い、か」
彼はやがて真面目な顔をして本題に入った。
「あのさ、小桃さん。今日はちょっとした話があってここに来たんだ」
「なぁに、悠ちゃん?」
「……その、俺さ。もしかしたら、海外移籍するかもしれないんだ」
「ホントに?すごいじゃない」
彼の報告を素直に喜ぶ小桃さん。
だけど、報告はそれだけじゃなかったんだ。
「それで、その……俺、ようやく彼女と結婚するって決めたんだよ」
「……え?」
彼には付き合っている彼女さんがいる。
それは私も聞いてたけども。
「悠ちゃん、結婚するんだ?」
悠さんの言葉に小桃さんの顔色が曇る。
初恋の相手が結婚、それって……。




