第8章:恋わずらい《断章2》
【村雲明彦】
朱里と別れた後、俺は少し気が重いままに帰宅する。
夏姫も不機嫌なまま店から去ったからな。
アレを思い出せば家に帰ったらどうなるかなんて、想像したくもない。
「あぁ、神様。助けてください」
まさに神頼み。
「下手なことにならないようにお願いします」
家に帰ってからの想像。
激怒する妹 → 妹パンチ → ダウンする俺。
待て、そもそも、何で俺は夏姫に怒られているんだ?
「別に兄に恋人がいてもおかしくないわけで」
まぁ、朱里とは付き合ってるわけじゃないんだけど。
よくよく考えたら、夏姫に怒られる理由ってのはないんだよ。
「……ははっ、俺ってば何をびびっていたんだ」
そうだ、大丈夫に違いない。
「なんて……気楽にいられないのが悲しい」
はい、現実逃避ですよねぇ。
分かってますよ、家に帰って夏姫パンチは確実だ。
『恋人いるなんて聞いてないしっ!』
とか、言われて何の意味か分からないけど怒られるんだろうな。
「家に入るのが怖い……」
何だろう、彼女に浮気がバレて怒られる彼氏みたいだ。
別にやましいことをしてるわけじゃないんだがな。
「はぁ、気が重いぜ」
俺は家のカギを開けて、部屋に入る。
「ただいま」
シーンと静まり返った室内。
「……静まりすぎだろ?」
あれですか、これが嵐の前の静けさって奴ですか?
俺は警戒しながら電気をつける。
「電気もつけずに何をしているんだ?」
玄関先に靴があったので、家の中にはいるらしい。
「……おい、夏姫?」
どうしたんだと思い、俺がリビングに入ると、そこにいたのは……。
「ひっく、ぅっ……ぁっ……」
泣き崩れる夏姫がいたんだ。
ソファーに座りながら、泣いている妹。
「な、夏姫?」
俺は正直、動揺していた。
あの気が強い妹がどうして泣いているのか?
考えても分からずに俺は尋ねてみることにした。
「どうした、夏姫?何があった?」
「ぅっ……ぁあっ……」
大粒の涙を瞳から零す。
頬を伝う涙の雫に俺はどうすればいいか分からない。
「あき、ひこ?」
「そうだ、俺だ。何があったのか言ってくれ」
「私、ひっく、わたしっ……」
「落ち着いて。ゆっくりとでいい」
肩を抱きしめてやると、そのまま彼女は俺の胸元に抱きついてきた。
「夏姫?」
「ごめん……なさい、ごめんっ……私は……」
「お前に謝られる理由なんてないだろ?」
「あるの。謝らなきゃ、いけない……だって…」
俺に抱きつく夏姫。
こんなにも小さな女の子だったんだ。
「私っ、ずっと、明彦のこと……」
「……俺の事を?」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」
ひたすら謝り続ける夏姫。
「夏姫……?」
「ぐすっ、うぅっ……ごめんなさぁっ……」
背中をポンッと撫でてやると、彼女の涙があふれて止まらない。
それから長い時間、夏姫は俺に抱きしめられながら泣き続けてた。
妹はやがて泣き疲れて眠ってしまった。
俺は部屋の布団に彼女を寝かせてやる。
「お前に……何があったんだよ」
眠ってしまっている夏姫の瞳はまだ涙のあとが残っていた。
そっと俺はそれをハンカチで拭う。
「……携帯電話か」
俺は彼女に何があったのかを知りたい。
悪いとは思ったが俺は勝手に履歴を見る。
「やっぱり、実家からの電話があったみたいだ」
母さんからの電話だろう。
でも、それと俺への涙の謝罪の繋がりが見えない。
「進路のことと、別の話なのか?」
俺は不思議に思いながらも、リビングに戻る。
「……何があったのか。俺は知りたい」
結局、夏姫は俺に謝るだけで何も答えてくれなかった。
悲痛なアイツの顔を思い出すだけで胸が痛む。
俺は実家に電話をかけてみることにした。
「あっ、母さん、俺だけど……?」
そして、俺は知ることになる。
夏姫が流した涙の理由を――。
俺のへの謝罪の意味も――。




