第6章:誰を思うか《断章1》
【村雲夏姫】
私は朝から緊張をしていた。
今日のお昼過ぎ、私はパティシエの小桃さんの前でお菓子作りをする。
ケーキにしようか迷ったんだけど、ここは勝負に出てみた。
作るメニューはアップルパイ、私の得意なお菓子の一つ。
子供の頃はよく味見を明彦にしてもらったっけ。
美味しいと言ってもらえた事が嬉しかった。
そんな可愛げがまだ私にあった頃の思い出。
「今は昔と違って、もっとマシにできるけどね」
それでも、食べさせてあげる機会はない。
……たまには、アイツにも作ってあげようかな。
最近の私は微妙に明彦に対して距離が縮まりつつある気がする。
過去のわだかまりがこの件で少しずつ改善しているから。
私も少しは大人になったと言う事かな。
「待たせたわね、夏姫ちゃん」
「い、いえ、大丈夫です」
小桃さんのお店の厨房を借りて、私はお菓子作りをする。
本物のパティシエに通用するかどうか。
ものすごく緊張してしまう。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「は、はい」
私は彼女の前でアップルパイ作りを始めた。
今回は冷凍パイシートを使う。
リンゴとバター、砂糖を鍋にいれて煮込んでいく。
「さすがに手際はいいのね。慣れている感じがするわ」
小桃さんは特に口出しせずに見ているだけ。
それが逆に緊張してしまうんだけど、これも経験だ。
水分が少なくなってきたら、しばらく冷蔵庫で冷ます。
「よしっ、これであとは型にいれて……」
型にパイシートを敷いて、冷やしたリンゴを流し込む。
ここまではOK、あとはこれを焼けば完成だ。
「……パイシートを使ったらダメでしたか?」
「別にいいわよ?私が気になるのは味だもの。夏姫ちゃんはどういう味で私を楽しませてくれるのかなってね」
オーブンで焼き上がるのを待ちながら私は小桃さんに尋ねていた。
「小桃さんの得意なモノって何ですか?」
「私はケーキかな。特にモンブランとか、ショコラとかは作ってると楽しいじゃない」
ごめんなさい、私は少し作るのが面倒なので苦手です。
だって、ひと手間、ふた手間かかるんだもの。
「今、面倒だと思ったでしょ?」
「い、いえ、そんなことは……」
思いました。
「ふふっ。でも、面倒だから楽しんじゃない?そう私は思うけどね」
作りがいがあるってことなのかな。
「お店に出すレベルまで仕上げるのは面倒だけども。趣味として作るのなら好き。……そろそろ、焼き上がりね」
ドキドキする瞬間が迫る中で、私は出来あがりのアップルパイをオーブンから取り出す。
こんがりと焼けたアップルパイは失敗せずにできた。
「……小桃さん、どうぞ」
本職の人に自分の作ったものを食べてもらう。
今まで想像もしていなかった事が現実になる。
「いただくわ。あむっ……」
小桃さんはアップルパイを食べ始めてから無言になった。
思わぬ反応に美味しくなかったのかと不安になる。
「だ、ダメですか?」
「ダメじゃないんだけどね。うーん」
微妙そうな表情のまま、もう一口、食べて彼女は言うんだ。
「技術はいいのよ?センスもある。けれど、何かが足りないの」
「何かって何ですか?」
「一度、自分の物を食べてみれば分かるかもよ?」
彼女に促されて私は自分の作ったアップルパイを食べ始める。
甘すぎない味、リンゴの甘みがいい感じに残ってる。
パイの焼き加減も悪くない、自分としては中々の出来だ。
これでダメっていうのなら、何がダメなのか。
「悪くない、と自分では思います」
「うん。味自体が問題あるわけじゃないの。でも、ただ美味しい。それだけなのよね」
「……え?」
「美味しいわよ。夏姫ちゃんはきっとパティシエに向いている。だけど、技術じゃないの。問題なのはこれを作ろうとする気持ち」
「気持ち……?どういう意味ですか?」
私は質問すると、「分からないかなぁ?」と彼女は複雑な表情を浮かべる。
味がダメじゃないのなら、何がダメ?
「夏姫ちゃん、今までこれを誰かに食べさせたことがある?」
「一応。兄とか、母とか、家族には……」
「最近は作ってあげてないでしょ?」
「えぇ、まぁ……そうですけど。どうして、それを?」
最近は自分で作ったものは自分で食べている。
誰かのために作った記憶はここ数年、ほとんどない。
「それじゃ、宿題。明日、もう一度、同じアップルパイを作ってみて。何が足りないのか良く考えてね。うまくできたら、私が夏姫ちゃんにお菓子作りを教えてあげるわ」
「……分かりました」
「ふふっ。そう、例えばお兄さんに試食してもらうとかね?」
小桃さんは意味深に笑みを見せながらそう言った。
他人に食べてもらえば分かるものなのかも。
自分じゃ分からない事もあるだろうし。
家に帰ったら明彦に実験台になってもらおう。
これはチャンス、ここで小桃さんに認められたら自信にもなる。
「でも、何が足りてないんだろ?」
疑問を抱きながら私は再び、チャレンジすることにしたんだ。