第3章:月夜のキス《断章3》
【村雲夏姫】
「……何でこんな風になったのかな」
自分で自分の気持ちがよく分からないことってたまにある。
どうして、自分がこんなに明彦を嫌がっているのか。
「自分の兄じゃない。でも、明彦はそれを知らない」
私だって分かっているの。
「明彦が悪いわけじゃない、これは私の気持ちの問題だ」
私はソファーで寝ている彼の寝顔を見つめる。
「毎日、ここじゃ疲れもとれないんじゃないの……?」
私が部屋を占拠しているせいで、明彦には負担をかけている。
家出をしてから、彼の家に世話になっている事には感謝していた。
「……お兄ちゃん、か」
今ではもう遠い昔の記憶。
今はどう考えても、兄だなんて呼べずにいる。
「何か変な感じ。今さらじゃん」
こんな風に明彦を意識するのは何年ぶりだろう。
実家にいた頃は本当に顔を合わせれば口喧嘩。
お互いに反抗期まっ盛りだった事もあり、喧嘩するのが当たり前だった気がする。
昔はどの兄妹よりも仲が良くて、私もブラコンだったって言うのにね。
「今は休戦?それとも大人になってるだけかな」
こうして世話になってる負い目もあるから大人しくしてるだけでもある。
でも、それ以上に昔ほどは彼をムカつくと思えない。
きっかけがそもそも、実兄じゃないっていう勝手な逆恨み系だ。
明彦自身、その事実を知ってるかどうかも分からない。
あの頃はただ、他人のくせに自分の兄のように振る舞う彼に困惑してた。
だけど、今は――。
「知らない間に顔つき変わったなぁ」
つい先日の夏休み中もほとんど顔を合わせる事がなかった。
こうして改めて顔を見ると、顔だけで言うなら悪くない。
男前だし、性格も何だかんだで面倒見がいい。
「……何でこんなことになってるのよ」
私は小さくため息をついてうなだれる。
何でこんなに、明彦の事で考えてしまうんだろう。
私は寝ている彼に言ってやった。
「明彦が本当の兄だったら、何も悩むこともなかったのにね」
そう、きっと私は今もブラコン気味の妹であり続けていたに違いない。
素直に甘えられる存在でいてくれたはずだ。
すべては彼が実兄じゃないと知ったせい。
「兄妹仲がおかしくなったのも、素直になれないのも……ん?」
そこまで考えると、私はある事に気づく。
「それってつまり、私は今も彼に甘えたり、仲良くしたいっていうことなの?」
自分自身に問いかけて、
「そ、そんなわけないじゃんっ!?」
自分で自分の心の言葉を否定する。
だが、声を荒げたこともあり、明彦が動く。
「ん……?」
やばい、起きちゃう!?
もぞもぞとソファーで身動きする彼。
起きるかもと、危機感を持ったが、どうやら目は覚まさなかった。
「ふぅ、危ない……」
こうして寝顔を見ているだけで、何もやましい事はしてないけども起きられると恥ずかしいので、彼には寝ていてもらおう。
私はゆっくりと音を立てないように椅子に座る。
「んー」
私は明彦を意識しすぎてるような気がするの。
いろいろと考えてみると、何で私って彼をこんなに苦手になったんだろ。
別に義兄だろうが、何だろうが、普段の関係には問題はなかったはずなのに。
「こいつの事が好きだったから、とか?」
自分で言って、ちょっとびっくり。
「違う!?」と言う言葉がすぐに出てこなかった。
……あ、あれ、何、どういうこと?
「ははっ、ありえないってば。私がこいつを好きだから兄じゃなくて拒否してるっての?どこの少女漫画の主人公よ。私はそんなツンデレもどきじゃないわ」
明彦が好きなんて、ことは、ない……ような……気も……。
「や、やめよう、深く考えたらダメな気がする」
私は慌てて、彼から視線をそらした。
「深く考えれば考えるほど、変になりそう」
もう一度、私は水をコップに入れて飲み干す。
さっさと寝てしまった方がいい。
ここにいちゃ危険だ、と私の中で何かが告げる。
窓から差し込む月明かりがそっと明彦の顔を照らす。
「うぅ……な、何なのよ、もうっ」
何だか変だ、本当に変になりそうで怖い。
私は私の中に湧きあがる気持ちに戸惑う。
彼とふたりで暮らし始めてから自分の中で何かがおかしい。
「……っ……」
私はふと昔を思い出してしまった。
月夜のキス。
私はよく眠る前に彼にキスをねだっていた。
頬や額にしてもらうのが嬉しくて。
安心してぐっすりとよく眠れるから、小さい頃はよくしてもらったっけ。
「や、やだぁ」
私は何だか恥ずかしさで顔を赤くする。
ここにいちゃ、自分がおかしくなっていく。
「寝てる……起きてない……よね?」
気づけば、私は彼に近づいていた。
「……んぅっ」
私は本当に軽く彼の頬に口づけていた。
気がつけばしていた自分の行動にびっくりする。
昔と同じように、こんな事をしてしまうなんて……。
「ね、寝よ……!?」
自分が今、何をしたのか、考えたくなくて逃げるように部屋と戻る。
そのまま布団の中に潜り込むと、私はそのまま寝ることにする。
「あぁ~っ、もうっ、ワケが分からないわ」
寝る、寝よう、そうしよう。
「そうすればすべて忘れられるに違いない」
何て言うか、意識したら負ける気がする。
自分のこれまでの彼への態度の理由とか、何でこんなにも彼が気になるのか、とか……。
「たまには……アイツにケーキでも作ってあげてもいいかも。うん、世話になってるし。それだけのことで他意はないけどね」
考えれば考えるほどに“答え”が出てしまう。
その答えが出てしまうと大きく“何か”が変わってしまう気がした。
私は眠りにつくまで頬にわずかに残っている余韻に照れくさくなった。
結局、私は素直になれないだけなのかもしれない。
兄かどうか分からない明彦に対しての、自分自身の気持ちに――。