奇怪①
神を信じるか、否か。
大抵の奴は信じている。口では「信じてねーし」とのたまう奴らも、結局はどこかで運頼みをしているのだから本質では信じているのだ。
俺は、信じない。
物事を理解させるための言葉でしかない。そこらの子供には「神様が言っている」とでも信じるであろう便利な単語。人間の妄執を具現化させる存在。
運命なんて後付けの事実だし、人の前世が見えるとか言う奴なんて憎らしい。世の中には分かりもしない前世のせいで、カーストの最下層にいる人々だっているというのに。それを『視える』などと言う奴らも、それを鵜呑みにするお気楽な現代人も、皆嫌いだ。
神を信じないという人々は「神様がいれば不幸な人なんて生まれない」と語るが、神がいるとすれば敢えてそういう人を造っているのだろう。
最下層の人間を位置付けて、上位の人間に優越感を生ませるために。少数を犠牲に多数の心の平穏を保つために。それが今の社会だ。
何もそれが絶対悪いとは断言しきれない。だから現在があるわけで、先人達が築いてきた統治体制を全否定なんてできるわけがない。できる奴は歴史の価値も分からない馬鹿か、もしくは偉そうな批評家ぐらいである。
現代人に必要なことは否定することではなく妥協することだ。野心や反発心が過去の反乱を招いてきたのだから。俺も含めて、国家を変革しようという気概を持つ奴など、そうそういるものではないが。
あと十日ちょっとで期末テスト。そしたら夏休みはすぐそこで。
例年のように夏休みを迎えて、誰と遊ぶわけでもなくダラダラと過ごして、そして二学期に突入すると信じて疑わなかった。当然である。ニュータイプでもなければ察知などできるはずがないのだから。
『あり得ない』。これが今回の物語。
奇怪な青春を綴った、それだけのお話である。