陽だまり
死霊の丘と呼ばれるその場所は、元々自殺の名所として知られている場所だった。丘のてっぺんから南側は崖のような急斜面で、足を踏み外せば命はない。逆に北側はなだらかな坂になっており、子供達の遊び場としては最適な場所である。そして何よりも丘の上から見られる景色は壮観の一言であり、かつての住民も眺めを楽しむために訪れたに違いない。
四城陽人は当の昔に廃墟となった街並みを眺めながら、のんびりと日向ぼっこをしていた。複雑な立体構造をした高層ビル群や、背の低い住宅街。建物の屋上には一定の割合で垂直離着陸飛行機用のプラットフォームが設置され、ここからは見えないが地下には蜘蛛の巣のように綿密に張り巡らされた地下鉄の線路がある。交通網が発達した都市では車を使用することの方が稀で、ほとんどは『高速歩道』やバス、無償タクシーなどの交通手段でまかなうことができる。
むろんそれらは過去のシステムに過ぎず、現在この地域は電力供給が絶たれ機能を停止している。風雨にさらされた街並みは本来ならばメンテナンスロボットによって整備されていたはずだが、当の昔にエネルギー源が尽きた彼らはただのオブジェと化している。
なぜこの街が無人となってしまったのかは陽人にはわからないが、少なくともある一つの狂気による結果であることは間違いない。
「陽人、そんなところでなにしてるの?」
何を思うでもなく景色を眺めていた陽人に、後ろから声をかける人物がいた。振り替えると、陽人が背を預けていた木の影から一人の少女が興味深そうな笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。
長いまつげに縁取られた大きな瞳は、見ていると吸い込まれてしまいそうな気分なる。小さい頃は伸ばしていた髪は、今では動く時に邪魔だという理由でショートカットにしてしまっている。額には長さ数センチの傷跡。自然治癒では決して元に戻らないであろうその傷を、彼女は意図的に残している。金さえ積めば、そこらのヤブ医者でもたちどころに治してしまえるような傷だ。千切れた腕も時間をかければ生やせるような時代に、そのような選択をする人間は少ない。だからこそ彼女の思いの丈がうかがえるということでもあるが。
「別に、何もしてない」
「ふーん、じゃあ何もしてないことをしてるんだ」
「まあ……そうかも」
彼女――葉崎優香は、いつもわかるようなわからないような不思議なことを言う。しかし恐ろしいことに、優香のそんな言葉は様々な場面で役に立ったりする。小さい頃から一緒に暮らしてきた陽人でも、いまだに天然なのか計算なのかわからない。
「……それで、あの街の偵察は終わったのか?」
「あ、うん、終わったよ。あれだけ大きな街なら誰か住み着いてるはずだと思ってたけど、生き物は小動物くらいしかいなかったみたい」
「へえ、そりゃあ珍しい。いい場所を見つけたな」
「うん、あれならいい住み処になりそう」
二十五世紀を迎え、人類の生活様式は大きく変化していた。爆発的な人口の増加と技術革新を繰り返したことにより、発展途上国と呼ばれる国はほとんどなくなった。その代わりにかつての先進国は深刻な人口減少問題に苦しみ、徐々に各国のパワーバランスが崩れ大国が世界情勢を握るような状況は一変した。危機感を感じた元先進各国は、団結することによって支配力を保とうとした。
結果、国際連合を基準とした統一政府のような機関ができ、人類は史上初の『地球統一』を成し遂げつつあった。しかし、歴史を見ればわかる通り物事はそう都合よくいかないものだ。
綻びが生まれた原因は二つある。一つは多国籍企業の規模が、もはやそれ単体で国家を成し得るほどに巨大化したことだ。これにより、世界中で個人主義を求める声が増し、それぞれの国が国としての機能を失いつつあった。もはや虐げられた弱者達の希望は統一政府の完成のみに向けられていたが、ここで新たな風潮が生まれつつあった。
企業が『労働力』を買うという資本主義の考え方は、成熟した社会では不必要なのではないかというものだ。注目すべきは、この思想は共産主義や社会主義から生まれたものではないということだ。なぜなら人類の技術力はもはや、かつて強国が力を持っていた頃と比べて飛躍的に進歩を遂げ、冷戦時代の兵器が子供の玩具に思えてくるほどになっていた。戦闘用の微細機械一個師団でもあれば、当時のアメリカやソ連を始めとした強国すべてを一度に相手しても勝利できるだろう。
ようするに、人の手でできることなどすでに知れたものとなってしまっていたのだ。労働は対価を得るための飾りに過ぎず、慣習によって働いているといっても過言ではない状況だった。
無論、それらの状況は企業にとって好ましい状況ではない。いくら人件費の削減に繋がるとはいえ、「働かなくてもよくなる」ということは同時に「消費することそのものがなくなっていく」ということでもあるからだ。価値の基準を貨幣が占めていない限り、資本主義は役に立たない。
やがて世界は多国籍企業を中心とした個人主義的価値観を持ったグループと、科学者などの合理的価値観を持ったグループとに分かれ、完全に二分化した。
そして現在、世界中の陸地は個人主義的思想を持った『解放区』と、合理的な思想を持った『統制区』とに分かれている。解放区の住人は、ほぼすべての犯罪行為を許されている。極端な話をすると、人を殺しても罪に問われないということだ。ゆえに自分の身は自分で守るのが基本で、武器を携帯することは服を着るのと同じくらい日常的なこととなっている。陽人達が住んでいるのもその解放区で、彼もまた持ち主によって形を変える武器、微細刃物と何丁かの拳銃を持ち歩いている。
一方統制区では、すべての犯罪を機械警察が取り締まっている。肉体労働などはなく、住民の半数以上は科学者もしくは何らかの研究機関に勤めている。解放区にも似たような組織があるにはあるが、純粋に学問を追い求めるのと利益を得るためにやるのとではまるで違う結果となる。事実、統制区の科学技術は解放区の百年先を行っていると言われている。
「……ねえ、だからなに考えてるのー。来月の『デスゲーム』のこと?」
「いいや。お前のことを考えてた」
「え! な、なにそれ意味わかんない」
先程までどこか達観したような落ち着いた表情を見せていた優香は、そのたった一言で真っ赤になってうつむいてしまった。物事を深く考えすぎるのは、彼女の欠点でもある。
しかし、優香のことを考えていたというのは、間違いではない。幼くして家族を全員失った陽人は、知り合いのつてで葉崎家に引き取られ、以来優香は彼にとって本物の家族以上に大切な存在となった。それから程なくして優香の両親を失った時、絶望せずに武器を取って自立しようと決意したのは彼女がいたからだった。
優香には目標があった。いつか解放区から統制区へ移住し、幸せな家庭を築くこと。それは決して夢物語ではない。解放区の各地で定期的に開かれる『デスゲーム』に勝利すれば、統制区への移住権の証しである『チケット』を手に入れられる。いつの間にか増えていた仲間達全員を統制区へ導くには、最低でも数回の優勝が必要となる。しかし、陽人には不思議と焦りはなかった。どんなに時間がかかったとしても、必ず達成できるという確信があった。
ふと気がつくと、いつの間にか優香が隣に座って同じように景色を眺めていた。まだ微かに赤らんだ顔を廃墟となった街へ向け、熱心に観察している。いつか見ることとなる統制区の街並みでも想像しているのか、その表情は好奇心に満ちている。
「……ねえ、なんで殺すのかな」
何でもないような口調で呟かれた一言。視線は街並みに向けられていたが、心は二つに分かれていた。
「さあ……なんでだろうな。ただ一つ言えることは、みんな自分の思い通りに生きているということだ」
「思い通り……か。それっていいことなのかな」
「どうだろう。俺にはわからない」
優香が不安そうな表情でこちらを見る。普段はっきりとした答えばかり返すから、おかしく思ったのかもしれない。
「陽人でもわからないの……?」
「俺は何でも知ってるわけじゃないよ」
「でも、たくさん知ってるじゃん」
そう言って、優香は熱っぽいまっすぐな視線を向けてきた。陽人がたまらず目を背けると、首筋に向かって勢いよく抱きついてきた。大方予想していたので、陽人は何とか地面に倒れ込まずに済んだ。
「……おい、離れろ。変な気分になる」
「えー、別にいいよ。もう配偶者申請は済ませてあるしー」
「……はい? お、お前いつの間にそんなことを!」
「ふふ、だってほら、いつでも襲えるようにしとかないと、機械警察に捕まっちゃうでしょ」
「……余計なお世話だ」
心地よい肌の温もりを感じているうちに、陽人は陰鬱とした思考から解放された。空気は程よく乾燥し、少し強めの風が頬を撫でる。日は高く昇り、枝の隙間から二人の体を控え目に照らしていた。
おそらくこの瞬間だけを切り取るならば、自分達も幸せだと言えるのかもしれないと陽人は思った。血にまみれた日常に空いた、ほんのわずかな時間。彼が武器を取ったのは、まさにこの時のためだった。
今度はもう少し長く。ただそれだけのために彼は戦う。
人を幸せにするのはいつだって些細なことなのだと、この日陽人は確信した。