表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

1.出会いの町/黄昏スタートアップ

カギを持て トビラを開け

求めるものは いつも 己のココロ中にある



「……ぅえ?」


 何かを聞いた気がして、少年は電車の中で目を覚ました。

 時刻は夕刻。もうすぐ日が沈もうとしているところだった。自分が熟睡していたことに気づき、慌てて扉の上にあった、現在地の表示を見る。

 ――あと一駅。危なかった……。

 半日を使った長距離移動。それに実家を出る前に開かれた、送別会があったからだろうか。思った以上に疲れた自分に気づいて、少年は溜息を吐く。

 窓を流れていく街の景色は、少年の知るいつもの場所とは大きく違う。緑が減り、人の住む家屋が多くある。

 自然を感じない代わりに、人の気配が色濃く見える。

「ちょっと寂しいけど、楽しみでもある……かな」

 それは景色に対してか、望郷の仲間に対してか。

 どちらもだろうな、と少年は思って、そして立ち上がった。座ったままだと、また意識を手放しそうだったからだ。

 到着を告げるアナウンスが響く。網棚に上げた荷物を取ると、彼は……門谷鍵太(けんた)は一歩踏み出した。

 高校一年を始める街へ。誰も彼もを見知らぬ土地へ。


 ……カギを手にする、その場所へ。




黄昏ナイト

1:出会いの町/黄昏スタートアップ




「おはようございます、兄さん」

「おは……よう……」


 欠伸混じりに一階に下りた鍵太を出迎えたのは、朝食の臭いと一人の少女だった。

 黒を基調として、襟や袖に青のチェックが施されたブレザー。同じチェック柄のスカート。ゆるくウェーブのかかった黒髪は両端でくくられていて、髪は光が当たるとほのかに青く光っている。新入生が着ているとは思えない姿に、鍵太は彼女の着ている制服が、彼女のためにあつらえられた物のように見えた。

 同じブレザー(学年が違うのでこちらは色が赤だが)でも、自分の格好はなんだか田舎者が背伸びをしたように見える。そう愚痴った昨日の鍵太に、彼女は「そんなことないですよ」、と笑ってくれたが、どうにも素直に受け取れなかった。この娘の似合いっぷりに比べたら、月とスッポンでもまだ言葉が足りないだろう。


「おばさんはもう出ちゃったの?」

「はい。今日は朝から偉い方のところに行かないといけないそうで」

「大変だよね、キャリアウーマンって言うんだっけ……」

「生き甲斐だからいいんですよ。愚痴ったりもしますけど、働いてるときの母は活き活きしてますから」


 働くのが楽しいってのは凄いな、と鍵太は感心して、席に着く。いただきます、と手を合わせて、少し冷めてしまったトーストに手を伸ばした。


「今日は少し量を多めにしてみたんです。兄さんは男の人だから、よく食べるだろうなと思いましたので」


 そう言う彼女は、鍵太の一つ下の従姉妹。盾鳴雪花(たてなりせっか)という。

 鍵太は昨年まで別の土地で暮らしていたのだが、育ての親である祖父が倒れ、入院することとなった。鍵太は一人で暮らしても構わなかったのだが、それを不憫に思った雪花の母・鍵太の叔母である雪子が彼を引き取ることにしたのだ。

 年頃の女の子もいるしと鍵太は渋ったが、当の本人である雪花が快諾したためトントン拍子に話が進行。今年の春、居候としてこの盾鳴家へ上がり込む形になったのである。

 祖父は「これも修行だ」、と笑って鍵太を送り出した。何の修行だと思う。

 しかも叔母は多忙な人で、家にはほとんどいない。つまり鍵太は年に数度会うこの一つ下の従妹と、ほぼ二人暮らしの状態だ。


 ――けど、彼女は今まで一人だったって、事だよな。


 一人が寂しかったのかと、自分を頼りにしてくれる嬉しさ反面。従兄とはいえもう少し警戒心が必要なのではという心配反面なのが、鍵太の複雑な心境である。


「ん……おいしい」

「本当ですか? 頑張った甲斐がありました」


 大人しい口調ながら、年頃の女の子らしいすまし顔に、鍵太はまあいいかと――元々深く考えない性格なのだ――微笑んで、ジャムのかかったヨーグルトをかきこむ。自分と一緒にいて楽しそうにしてくれるなら、ここにいる意味は十分ある。

 ――それに、自分も助かっている。


「ありがとな、雪花」

「……何がですか?」

「俺、最初は遠慮して、一人で暮らすつもりだったからさ。でも、雪花が俺に来てくれって言ったのは、俺が一人だと寂しいと思ったからだろ?」


 そう言って笑う鍵太に対して、雪花は顔を赤らめる。


「い、いいんです。私だって、寂しかったから」

「うん。雪花があの時、俺を受け入れてくれたおかげで、俺たちどっちも寂しくなくて済んだ。だから、ありがとう」


 まっすぐに雪花を見て言う鍵太に、いよいよ雪花は言葉を無くして俯いてしまう。

 そんな雪花の姿に、鍵太は思わず吹き出してしまう。


「な、何ですかっ?」

「……いや。照れた顔も、可愛いかもって思っただけ」

「――知りません!」


◆ ◆ ◆


「――矢鳥火音(かのん)さん?」

「はい。私の一つ先輩で、中学時代お世話になった方です」


 ごねてしまった雪花をなだめて、二人で揃って家を出た道中、鍵太はその名前を聞いた。

 矢鳥火音は高等部二年生、つまり鍵太と同級生らしい。雪花は中学時代彼女と同じ部活に属していたため親交があり、


「家事や料理は、火音さんに教えてもらったんですよ」

「うちの従妹を家事万能にしてしまうとは……恐るべし矢鳥さん」

「あと簡単な剣術と護身術も」

「……うちの従妹をファイターにしてしまうとは……恐ろしい矢鳥さん……」


 格闘技を習っているとは親戚が集るとき聞いていたが、武器を使った戦い方まで教えるなんて。凄い人と驚くところなのだろうか。それとも、そういうことを教える部活って一体何なんだとつっこむところなのだろうか。


「兄さんでも、火音先輩と勝負したら、負けてしまうかもしれません。それぐらい凄い人です」

「――へえ。そこまで言われたら、一度試してみたいかも」


 鍵太が祖父に格闘技を教わっているのは、雪花も知っている。それでも自分より強いというなら興味があった。


「私もフォローしますけど新入生ですし、兄さんは転校生ですから。困ったら先輩を頼ってみてください」


 この人ですと、雪花は青色をした携帯を取り出し、鍵太に画面を見せる。

 写っているのは、楽しそうにピースサインをする雪花と、その隣で快活そうな笑顔をした黒髪の女性だ。

 誰かに撮ってもらったのか、全身が写ったその女性。目尻がつり上がった赤い瞳が特徴的で、腰まで届きそうな後ろ髪に対し、前髪は眉のあたりで切りそろえられている。

 すらりと伸びた手足は、テレビや雑誌で見るモデルのようだ。この人が自分より強いかもとは、見た目からは想像しがたい。


「了解。まあ、雪花がお世話になってたんならお礼もしたいし、一度探してみるよ」


 そう言って携帯を返していると、校門が近づいてきた。

 御門高校。ここが鍵太たちが通う新しい学舎だ。

 鍵太が前にいた場所とは大きく違い、重厚な門の先にある校舎は、朝日を弾くような白。高さもあり、外見から四階はあるのが分かる。


「うちの木造一階建てとは別物だな……」

「兄さん。私はこれから新入生の集合場所に行きますが、職員室まで一人でも大丈夫ですか? それともそこまで一緒に行きましょうか?」


 眉尻を下げ、雪花がそう言う。確かにここまで大きい学舎(というよりも建造物)に縁がなかった鍵太にとって、この御門学園は一種の迷宮だ。


「さ、流石にそれは大丈夫、だと……ごめん駄目だったら電話するよ」


 初めての校舎にこの広さ。残念ながら鍵太には、迷わない自分を想像できなかった。

 だが、ここで従妹に連れて行かれるのも気が引けて、鍵太は雪花の提案にそう返した。校舎内には地図もあるだろうし、何しろ今日は入学式だ。先導する教師を見つけたら、連れて行ってもらえるだろう。


「そう、ですか? では私は行きますので、何かあったらすぐに電話してくださいね」

「うん、ありがと雪花。また後で」


 まだ不安なのか、新入生の集まりに向かう途中も、雪花は鍵太を振り返って見る。それに対し鍵太は安心させるように笑顔で手を振ると、一人校舎に入った。

 今日は入学式だけだと雪花が言っていたのを思い出し、校舎に生徒の息遣いが感じられない違和感に納得。鍵太は来客用のスリッパを取り出した。

 電話で約束していた時間までは、まだ十分ある。歩いていればその内辿り着くだろうと気楽に考え、鍵太は毎日通うことになるであろう学舎に一歩踏み入れた。



 

「……迷った」


 鍵太は廊下で溜息をついた。

 いつか辿り着くと思って十分ほど歩いたが、目的地が見えてこない。左右を見るが、どちらも同じようなタイルの床と、白い壁と、扉が続くばかりだ。

 扉の上には教室の名前ばかり書いてあるから、ここが自分のゴールでないのは分かるのだが、問題の職員室は一向に姿を現さない。こちらに対して逃げ回っているのではないだろうかと錯覚さえしてしまう。


「なんて言ってる場合でもないか」


 校舎の外からは男女の和気藹々とした声が聞こえてくる。恐らく新入生たちだろう。新入生に聞けば、地図でも持っているかもしれないが、それに頼るのも何だか気が引ける。

 さてどうしたものかと鍵太が腕を組んで考えていると、目の前の曲がり角から女子生徒がやってきた。スカートの色は赤、つまり同級生だ。上級生は休みの筈だから、部活か何かだろう。

 長い黒髪に、切り揃えた前髪。真っ赤な瞳。どこかで見たことがある顔だ。

 ……いや、ついさっき画面越しに見た顔だ。


「あっ。矢鳥火音さん!」


 思い出して、思わず鍵太は声を出して彼女の名前を呼んでいた。雪花の先輩、矢鳥火音だ。瞳の色と制服の柄が同じで、雪花に負けず凄まじく似合っている。

 対して、いきなり見知らぬ誰かに名前を呼ばれたというのに、火音は動じることなく彼を見ていた。


「初対面の男子にいきなり呼び止められるとは、私の株もかなり上がったのかしら」

「いや、すいません。妹に聞いてたのでつい……」


 凛とした佇まいは、彼女の見た目から感じる年相応の幼さとちぐはぐに見える。まるで体を残して中身だけ大人になったようだ。

 だが、話し方は気さくで同年代の少女らしく、それが余計にアンバランスさを引き立てている。

 火音は鍵太の言った「妹」というキーワードから、話の出所を探っているのだろう。火音は口元に指を当てて、考える仕草を見せていた。


「ふむ。私の後輩に兄がいる生徒は何人かいたはずだけど……その身なり、来客用のスリッパ。盾鳴雪花の従兄君かな?」

「うわっ、ずばり言い当てた。凄いなー」

「彼女に一つ上の従兄がいることは聞いていたからね。今年編入していることも知っていたし」


 そりゃそうか、と鍵太は納得。雪花は困ったらこの人を頼れと自分に言ったのだ。彼女が自分を知らない状態で、そんな助言はしないだろう。


「――で、見たところ迷子のようだけど、職員室は反対の棟よ盾鳴兄」

「……どおりで歩けど見えてこないわけだ」


 火音の指さした方向は、鍵太の進行方向と真逆。雪花の兄として、彼女の尊敬する先輩にいきなり情けない姿を見せてしまった。

 この世は上手くいかないことの方が多いと、よく祖父が言っていた。正にその通りだ。


「ここの校舎は広いから仕方ないわよ盾鳴兄。新入生だって大抵道を間違えて、二年生になってやっと覚えるほどだからね。そこまで落ち込む必要はないわ」

「いえ、俺はいいんですけど。雪花が好きな先輩に、十六で迷子になる格好悪い兄がいるのを知られちゃって凹んだといいますか……」

「――君は妹思いだねー」


 火音は鍵太の言葉に一瞬驚いた顔をして、その後笑みを浮かべた。自分の恥より、自分のせいで妹に恥をかかせる。そう思ってこの男が浮かない表情をしているのなら。


 ――彼は、人を思う心が強いんだね。


「よしっ、これ以上恥をかかせないためにも、私が君を職員室まで連れて行ってあげよう」

「……でも、いいんですか? 学校に来てるって事は、何か用事があるんですよね?」

「大体終わっているから、大丈夫だよ盾鳴兄。それに私は、ここで君を一人にして、また路頭に迷われる方がよっぽど心配だからね」


 火音のカウンターに何も言えず、鍵太は撃沈。大人しく火音に連れられて職員室へ行くことになった。正直に言えば、ここで道順を教わっても迷える自信があっただけに、案内人の存在は鍵太にとって非常にありがたい話だった。

 火音の隣に並んで、鍵太は目的地に向け動き出す。


「それにしても、雪花から聞いて想像していた君とはずいぶん違うね。もっとがたいのいい、屈強な男子を想像していたんだけど」


 雪花の説明が気になる、と思いながら鍵太は自分を鑑みる。

 屈強とはほど遠い体つきだ。修行と称して祖父から色々習っていたから筋肉はついているが、それでもこの体は、火音の言った『屈強』という言葉とは無縁だろう。


「うち、みんなそうなんですよね。筋肉が付きにくいというか、体が大きくならないみたいで」


 だから、鍵太が教わった修行は、「いかに体格で勝る相手に勝つか」というものが多かった。身長

も決して小さいとは言わないが、隣に並ぶ火音と同じぐらいだ。

 せめて後五センチは伸びてもらいたい。同年代女子に追い抜かれそうな驚異を感じつつ、鍵太は頭に手を乗せる。


「あ、雪花に色々教えてもらったみたいで、ありがとうございました。昔と比べて活き活きしてきたのは、矢鳥さんのおかげですよね」

「活き活きしてるのが私の力かは知らないけど、可愛い女の子をいい女にしただけよ、私。盾鳴兄的には今の雪花はどう?」


 自信家だなあと感心していた鍵太に、今度は火音から質問が飛んでくる。

 今の雪花と聞かれても、暮らしだしたのは昨日のことだ。彼女がどこまでこの女史に鍛えられたのか分からないし、火音の自信から雪花の本領はこれから発揮されるのだろう。

 ――けど、


「魅力的だと思いますよ。夏になる頃には、すっごい格好いい彼氏とかが出来ててもおかしくないくらい」

「……ふうん。いい彼氏、ね」


 そう言って目を細め、火音は鍵太を頭から足下までじっと見つめる。そうして口元に手を当て頷くと、


「まあ、及第点かしらね」

「……あの、因みに何の点数でしょう……?」

「それは秘密よ盾鳴兄」


 なんじゃそりゃと頭を捻っていると、少し先を歩いていた火音が足を止めた。それに合わせて鍵太も立ち止まり上を見る、扉の先を示すプレートには、『職員室』と書かれていた。


「ここまでのようね」

「はい。ありがとうございました、矢鳥さん」


 そう言って差し出された鍵太の手を、赤音は微笑と共に取った。


「門谷鍵太です。いい女の従妹共々、今後ともよろしくってことで」

「改めて、矢鳥赤音よ。よろしくね、格好悪いお兄さん?」


 赤音の言葉に胸を押さえて倒れる健太。そのオーバーリアクションに微笑を苦笑に変えて、赤音は握った手で彼を立たせた。


「同じクラスになれば、色々教えてあげられるから。頑張って私と同じクラスになりなさい、鍵太。気合いよっ」

「気合いでクラス替え出来るのこの学校……」


 この人が言うと何とかなりそうで困る。そう思いつつ手を離して。鍵太は改めてお礼を言った。


「じゃあ私は残した仕事を終わらせてくるわ。また明日ね」

「うん。バイバイ矢鳥さん」

「……赤音でいいわ。明日からね」

 

◆ ◆ ◆


「じゃあ、先輩のおかげで助かりましたね。兄さん」


 その後職員室で簡単な手続きと書類をもらい、入学式が終わった雪花と鍵太は合流。あらましを従妹に伝えた。

 自身の恥を隠すのに、一瞬黙っていようかと思った鍵太。だが、見知らぬ誰かならいざ知らず、相手は顔見知りだ。ボロを出して恥ずかしい思いをするよりはマシだろう。

 だからといって、自分の格好の悪い話をいつまでも引き延ばしたくはない。鍵太は意識して話を別方向にシフトする。


「でも、赤音さんが生徒会の副会長だなんてね」


 だから今日、彼女はここにいたのだ。

 鍵太に会ったのは、体育館での入学式が終わった後。参加していた彼女が生徒会室へ戻る途中だったのだろう、というのは鍵太の担任になる教師の言葉だ。


「先輩は、中学時代も生徒会長でしたから。私が行っていた大和撫子の会も、生徒会活動の一つだったんですよ?」

「エリートだなあ。……でもその会名はちょっと微妙だと思う……」

「先輩、ネーミングセンスがちょっと残念な方ですから……」


 髪をかき上げ、自信満々に「大和撫子の会!」と宣言する赤音を想像して、二人は揃って吹き出した。失礼なのかもしれないが、大人のようなスマートな印象と正反対の振る舞いは、とても親しみが持てた。

 それが彼女の魅力で、だからこそ生徒会副会長という役職なのかもしれない。


「……でも、雪花はよかったの? 入学式の後なんだし、友達と遊びに行ってもよかったのに」

「今日は私の入学祝いと、兄さんの歓迎会が優先ですから。母さんも今日は早く帰ると言っていましたし」


 朝早く出たのも、早く帰るためなんです、と雪花。流石に娘の入学祝いには。キャリアウーマンの優先順位も変わってくるようだ。

 友達との付き合いを優先してもいいと思っていた鍵太だが、雪花の隠しきれない嬉しいという表情にそれ以上は何も言わないでおく。


「じゃあ今日は、俺も手伝う。昨日は全部雪花に任せっきりだったし」

「えっと……そうですね。お願いします」

「ありゃ、『兄さんはいいですから全部私に任せてちょうだい!』、とか言われるのかと思ってたのに」

「兄さんが言い出したら聞かないのは、知ってますから。後モノマネが似てなさ過ぎます0点です」


 手厳しい、と鍵太は苦笑。冗談でやったのだが、「そんな風に見えていたんですか」云々と怒り出してしまった雪花に慌てて、謝罪と共に駆け寄った。

 必死に弁解する鍵太に、笑いを我慢できなくなって笑う雪花。そこで自分が騙されたことに気づいた鍵太がホッとして、二人でまた笑うのだ。

 そして、二人は今日の準備に取りかかる。スーパーへ寄って材料を買い、お祝いのケーキを持って帰って、一足先に帰ってきていた母と一緒に夕食を作る。

 それが、きっと正しい今日だった。

 だけど、それは――


「――雪花伏せて!」

「ふぇっ――?」


 反応と対処は一瞬だった。

 視界の端から来た“何か”に対し、鍵太は雪花を抱きしめ後ろに跳ぶ。自分らがいた場所に、鉄の塊が降ってくる。

 アスファルトと金属の不協和音が鳴り響いた。

 突然の事態に目をしばたたかせている雪花を起こして、鍵太は落ちてきた何かを見た。

 鉄の塊は、物ではない。全身を覆っているのは、西洋の城に飾られているような、鎧。

 ――騎士甲冑だ。


――人だ!


 ただの鎧ではない。中に人がいるのを鍵太は確認した。

 痛みに耐えるように、騎士が身じろぎをしたからだ。


「兄さんっ」

「うんっ。大丈夫ですか!?」


 突然降ってきた非日常だが、アレが人で、怪我を負っているなら見過ごすわけにはいかない。

 雪花もそれに同意したのか頷いて、二人は恐る恐るだが落ちてきた騎士の傍に近寄ろうとした。

 だが、そこにすぐさま否定の声がきた。


「近寄るな! 早く逃げて今すぐに!」


 冑越しだからくぐもっているが、声は女性のものだった。よく見れば騎士は全体的に細身で、得物も扱えなさそうに見えた。

 騎士は手に持った細身の剣を杖にして、何とか立ち上がろうとしている。

 だが、あの体ではとてもじゃないが一人で立てない。鍵太は忠告を無視し、騎士に駆け寄った。


「っバカ……。いいからあの子も連れて早くここから……!」

「だったら君も一緒だ。こんなところに女の子を一人置いて、立ち去る事なんて――」


 出来ない。そう言おうとして、鍵太は言葉を失った。

 ――目の前から暴力がきたからだ!


「――ちぃ!」


 何も出来なかった鍵太がその瞬間見たのは、振るわれた怪腕と、鍵太をかばって吹き飛ばされる騎士の女性。

 騎士は塀まで殴り飛ばされ、衝突の衝撃で声にならない悲鳴を上げる。それを発生させたのは、鍵太の目の前にいる巨腕を持った……イノシシを思わせる冑を被った黒い騎士。


「……あーあ。見られちまった。じゃあ仕方ないよな?」


 誰に? ――自分たちに。

 何が仕方ない? ――自分たちがどうなろうと。


 ……どうする?


「雪花!」

「……ごめ、んなさい兄さん……。足が……」


 振り返る。一度起こした雪花は、目の前の光景に足を振るわせへたり込んでしまっていた。

 逃走は難しい。なら次にとる手段は、抵抗しかない。


「……へえ、やる気かよ。『門』も開いてねー下等な人間がさあ」


 傍にあった、先ほどまで白い騎士が持っていた剣を手に取り、鍵太は構える。

 倒せるとは思わない。今の攻撃の威力を見れば、相手がまともな存在でないのは理解できた。

 許容量を超えたありえない現実に対し、いやに冷静になっている自分に気づいて、鍵太は乾いた笑みを浮かべた。脳が現状を考えるよりも、目先の危機を突破することへ集中したのだろう。

 黄昏時の帰り道、妹といた日常が、いつの間にか絶体絶命のピンチにすり替わっている。

 剣の心得はある。倒せないなら凌げばいい。

 あの倒れた白い騎士が、せめて雪花を連れて逃げてくれるまで!


「え? 何? まじでこの俺とやるワケ?」

「――倒れてる女の子と可愛い妹を放って、逃げるわけにもいかないでしょ!」


 来た。黒い騎士は巨大な腕を振るって、鍵太に叩きつけてくる。

 それを最大級の緊張と集中で、回避した。

 刺突の様な体勢から相手の拳の利用する。拳の側面に当たった切っ先は相手の勢いによって軌道を曲げる。それに逆らわず、鍵太は力の流れに乗ったのだ。

 体は振るわれた右腕。つまり黒騎士の右側へ。更に回避に使われた力をそのままに、鍵太は相手に上から剣を叩きつけ、衝撃と後退の跳躍で距離を開けた。

 彼我の間合いは拳が届かないものへ変わり、鍵太は止めていた呼吸を再開させる。


「下等な人間のクセしやがって……!」


 鍵太が躱したことが気に入らないのか、黒い騎士はそう怒気を露わにする。

 しかし、鍵太はこんなことが何度も出来るとは思っていなかった。


――速すぎるし重すぎる!


 今の一瞬で、体中から汗が止まらなくなっている。受けた剣を持つ手が、衝撃でしびれている。

 相手も油断していただろうから、次はもっと速い拳がくる。そうなれば鍵太には躱す術も防ぐ術もない。

 いくら自分が、力の強い相手に対抗する術を学んでいても、これは余りに差がありすぎる。


 考える。自分と相手の差はなんだ。日常と非日常を分けているものは何だ。

 こちらにあって、あちらにないものは――


「「鎧だ!!」」


 声が、重なった。

 鍵太の回答と同時に、解答を意味する言葉が後ろから飛んできた。

 驚いて、鍵太は後ろ――白騎士が倒れている塀の側――を振り返る。そこにいたのは騎士ではなく、少女。


「――火音さん!?」


 騎士がいた場所に、校舎で別れた矢鳥火音の姿があった。

 騎士と彼女が入れ替わったのではない。彼女があの騎士だったのだ。それは分かる。

 だが、なぜ彼女があんな姿でこんな化け物と戦っている?

 雪花を見ると、彼女も火音が騎士だったことに驚いている。彼女もまた、火音がなぜこんなことをしているのか、分からないようだった。


「説明と謝罪と説教は後回しっ。今はこれを使いなさい!」


 そう言って投げられた物を、鍵太は掴んだ。

 横薙ぎに来る敵の腕をしゃがんで回避し、受け取った物を見る。

 手にしていたのは錠前だ。それも南京錠やシリンダー錠ではなく、門や倉を閉じておくために使われる古いタイプの。


「――カギを手にしろ、トビラを開け」


 声が、聞こえる。自分を求めてくれる声が。自分に力をくれる声が。

 相手の振り下ろしにしゃがんだ状態から前に跳躍して、一回転。立ち上がった鍵太が笑みを浮かべる。

 火音が使い方を教えてくれている。でも、鍵太にはその必要はなかった。

 ここに来るとき、もう聞いた。


「――求めるものはいつも、己のココロの中にある!」


 声と共に、錠前から赤い布が飛び出した。その光景に黒い騎士や雪花は勿論、貸し与えた火音も驚愕の表情に色を変える。

 その赤い布は鍵太の体を丸々包み……そして、解き放たれる。


「兄……さん……?」

「そんな……。甲冑の自在顕現を、素人がっ?」


 布から出てきたのは、白い騎士だった。

 だが、先ほどの火音よりも装甲はずっと薄い。胸や腹、腕や脚を守る部分はあるが、そのほかは動きやすさを重視したのか何も付けていない。

 真っ赤な衣装の上から白い鎧。そして錠前は首元の左に、巻かれたマフラーを止めるようにしてつながれている。


「てめえこのガキ……!」

「――うん。結構いい感じかもっ」


 相手の言葉を無視し、鍵太はその場で軽く跳躍。自分がどれだけ動けるのかを確かめる。

 そして改めて剣を取ると、剣の腹に手を添えるようにして構えを取った。

 相対するという、意味を込めて。


「それじゃあ行こうか。――勝負!」


 黄昏時の非日常が、今日から始まる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ