No.2 始まりの日
No.2 始まりの日
「っは!!!!資料!!!」
勢いに任せて顔を上げる。ヤバい寝てた・・・?!何時間経ってる??!!今何時??
「あ・・・あれ・・・・・・・・・?」
仕上げなければならない資料を前に、寝入ってしまった愚かな私は、目の前に広がる光景に言葉を失った。
そこには、私が資料作りに何日も齧り付いていたパソコンも、暴飲したエナジードリンクの空き缶の溜まる乱雑なデスクも、深夜の静まり返った暗いオフィスも、全てが存在しなかった。
代わりにあるのは、突き抜ける様にどこまでも広がる空。
蒼と薄紫が混じり合った様な空に、転々と浮かぶ島。
私が座り込んでいる地には草原が茂り、まるで広大に敷かれた絨毯の様。
更にその草原を揺らし、ザァッ・・・と果てのなく続く景色を吹き抜ける風。
目覚めたつもりが、まだ私は夢の中の映像を見ているのか?とさえ思う。
見た事の無い美しい景色に、思わず肺いっぱいに空気を吸ってしまう。鼻腔をくすぐる自然の香りは、都会のオフィスでは嗅ぐことの無かった物だ。
「・・・あ、空気が美味しい・・・」
五感全てに訴えて来る景色は、到底夢の中とは思えない。リアルの景色だとゆっくりと理解した。
「・・・ここは夢では無い本物の景色・・・」
だとしたら、オフィスで寝てしまった私はあの後どうなったのだろう?
慌てて飛び起きて資料を作り、翌日のプレゼンを無事乗り越えて、それで?週末にリフレッシュにどこかの地方に旅行に来た?
そんな、ありきたりな考えをしてみるが、答えはNOだ。
なぜなら、私はあの日のスーツ姿のままでここに居るのだから。
楽観的な発想をかき消した直後、1つの仮説が頭に浮かぶ。
この仮説の方が"リフレッシュ旅行中の私"よりしっくり来るし、私の今までの行動や生活を鑑みるなら、むしろこれが正解な気がする。
「・・・もしかして・・・私、あのまま死んだ?」
ブラック労働からの過労死。
眠る前迄の自分を思い出す。
働いている時はこれが普通だと思って、毎日を全力疾走で走っていた。迫り来る仕事のエンドライン、同僚からのヘルプ、些細なミスからの修正・・・毎日迫り来る仕事を、こなしてこなしてこなして来た。
けれど、この状況に置かれて、初めて俯瞰して他人事の様に考えると、あの会社は完全にブラックだった。
いや、オフィスに残っていた他の人も終電までは居たから、ブラック寄りのグレーで、私がブラック労働をしていただけなのかもしれない。
体力も割とあった、多少の無理も効いた、若さと引き換えに自分を酷使した結果かがコレか・・・
「なら、ここはあの世って事?」
信心深くも無い私は、天国だとか地獄だとかは正直信じて無い。
けれど、あの現実には存在しない浮かぶ島だとか見た事の無い空の色は、あの世なのかもしれないと思えて来る。
「そう言えば、良くあるあの世のイメージの閻魔様にも神様にも会わなかったな・・・」
やはり、天国も地獄も人が作った空想の世界なのだ。いざ蓋を開けてみたら、その考えを肯定するかのように、広い草原に出迎えられた。
────そんなお出迎えを受けたにも関わらず、何を求められるでもなく・・・何も持たない無い私は、この世となったあの世で何をするべきなのだろう?
改めて目の前の景色に目を向ける。
思い出されるのは、都会の人混みや空を遠く感じるビル群。その中に小さく建つアパートのワンルーム6畳に住んでいた。それとは比べ物にならない程の景色だ。
死んだ後だ、当然仕事に追われる事も無い。
「時間にも縛られない、自由に、好きに生きる・・・なんて事も出来る・・・」
死んでから生きるとは矛盾の多いセリフだなと思いながら、一つ一つを口に出して飲み込んでいくと、今まで溜め込んでいた窮屈さが、押し留めていた心の蓋が弾け飛んだ。
「やったーーー!!!自由だ―――!!!」
15年以上前にテレビから聞こえていた、フレーズを全身全力で叫ぶ。
「何でも出来る!!まず何をしよう!?」
死後の世界とは言え、何でも一から出来る気がして、開放感から、辺りを駆け回りたくなる。
いや、いっそ全力で倒れる迄走り回っても良いかもしれない。
今、私を遮る障害物も重い足かせも何も無いのだから。
ミギュッ・・・
そう思って一歩踏み出した瞬間、何かを踏んだ様な音がした。
「ん・・・?」
柔らかく程よい弾力が足の裏を押し返して来る。そろーっと目線を落とすと、そこには丸い、水色の球体が居た。
「ひえっ??!」
慌てて足を退けると、その物体は踏まれて凹んだ体を戻すべくフルフルと震えてみせた。
「動いてる・・・?生き物なんだよね・・・?」
あの世の動物と解釈して良いのだろうか?
ツルツルプルンとしたソレは、こちらの問いに答える事もなく、先程よりも強く震えている。
「え、なんだろ・・・ブルブルしてる。あの世だからって、動物と会話が出来る訳では無いんだね・・・」
謎のプルプルを手なづけようと、野良猫にやるみたいに、チッチッチッ・・・と手を伸ばしてみた。
刹那。
ピュッ
ジュッ・・・
「っあ゛・・・?!!!つぅー!!!」
そのプルプルは、私に向かって何かを飛ばして来た。間一髪避けたつもりだったが、左手の甲に数滴当たったようだ。
「熱っ!何・・・天ぷら油が跳ねた感じ?!!」
ヒリヒリと痛む手を振って冷まそうとして居ると、そのプルプルは顔の高さまで飛び上がって来た。
あ、マズいかも・・・これ顔に食らったら失明どころじゃ済まない気がする。顔の前で震えるそれは、ゆっくりスローモーションに見えた。
避けなきゃと思うより、咄嗟に手が出た。
そう、例えるなら目の前に蚊が飛んで来た時のように、手ではらうように。
「やっ!!!!」
ビチャ!!!
手に叩いた感触。
また向かって来るかもと思い身構える。
「・・・・・・・・・あれ?」
身構えたポーズのまま来る筈だった衝撃は、待てども待てども、来ない。おそるおそる腕の隙間から辺りを確認する。
「いない・・・どこに行った・・・?」
キョロキョロと辺りを見渡してみるが、やはり青色の球体は見当たらない。叩かれて驚いて逃げたのだろうか?
「蚊より全然お利口だ・・・!」
────あの世で初めて出会った生き物は、突然襲って来るプルプルでした。
「はっ・・・!他にも居たら怖いよね・・・1匹居たら100匹居ると思え理論!早くここから離れよう・・・!」
生きていた頃に、アパートに黒いアイツが出た時に知った言葉だ。
そうして、あても目標も無い私の新生活が今始まった。
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