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城壁と魔法

 灰色のバンは、さらに荒野を進んでいった。

この日の昼ごろ、岩だらけの地平線の先に、城壁が見えてきた。

「あの城壁の中がエクアール帝国よ。」

城壁はきっちりと高さが揃えられ、まったく同じ大きさの灰色の岩石が正確に並んでいた。国といっても規模はあまり広くなく、町一つといったところか。

車はゆっくりと速度を落とし、城壁の中の宮殿がうっすらと見えるほどの距離を取って停車した。

助手席にいたサティは無線機のマイクを手に取って、角のすり減ったダイアルを回した。

発信ボタンを押すと、雑音とともにプーッと発信音が何度か鳴った。

すると、ガサガサと耳障りな音の後に、落ち着いた男性の声が聞こえた。

「やあ、二人とも。目的地に着いたかな。」

「ええ。ついでに、異世界から来たっていう女の子も一緒よ。」

サティがマイクを持ったまま答える。

しばらくの沈黙ののち、溜息が聞こえた。

「...バーディー、どういうことかな。」

冷静を保ってはいるが、先ほどよりも声に鋭さがあった。

「俺もよく分かってはいないが、砂漠を走行中におかしなガキを轢いてな。状況から考えて、異世界から来たとしか考えられねえ。」

バーディーの口の悪さに、サティが肘で突いている。

無線の先の男性は、しばらく考え込んだ後、口を開いた。

「彼女の正体は一先ず置いても、処遇を決めなければならないね。」

「それなら、私たちの仕事を手伝ってもらったらいいわよ。」

サティが明快に言った。

サティはアンナを振り返って、目くばせをする。

「え?あ、はい。」

困惑したアンナは適当な返事をした。

「手伝うって、お前。こいつに何ができるっていうんだよ。」

バーディーは呆れている。

「人手は多い方がいいじゃない。逆にバドはどうしたらいいっていうのよ。」

「拘束して車に放置だな。」

「そんな!ひどいわ!」

「こいつが裏切らない保障なんか何にもないだろ。」

「裏切るだなんて、そんなことないわよね。」

サティはアンナに同意を求めるように、視線を送った。

「そ、それは...」

アンナが言い終わる前に、バーディーは再びサティに食ってかかる。

「だいたい、お前は人を信用しすぎなんだよ。」

「あなたみたいに偏屈じゃないからね!」

「何だと...」

バーディーが続きを言いかけた時、無線の相手は車内の空気を切り裂くように声を発した。

「とにかく!我々の計画を一部でも知ってしまった以上、野放しにするわけにはいかない。だが、拘束するのは抵抗されたときの最終手段だ。」

芯の通った男性の声に車内はしんと静まり返った。

一呼吸おいて、男性は優しげな声色で話し始めた。

「アンナさん、と言ったね?」

「あ、はい。」

「君は、どうしたいかな?」

アンナは胸の奥が急激に凍えるように感じた。

どうしたい、なんて言われても、どうしていいか分からない。

だが、車に一人でおいて行かれたら、どうなってしまうのだろう。

最低限の水と食料はあるが、二人がいつ帰ってくるのかも分からない。

もしかしたら、敵につかまって帰ってこないかもしれない。

そうなれば、野垂れ死ぬことは明白だ。

そんな目にあうくらいなら、危険覚悟で二人に着いていった方がましだ。

でも、もっとひどい目に遭うかもしれない。

二人に失望されたり、見捨てられる可能性だってある。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

アンナはぐるぐると思考を巡らせながら、城壁の中をじっと見つめた。

あそこには何があるんだろう。

どうせひどい目に遭うなら、せめて少しでもこの世界を知りたい。

「...行きます。二人と、一緒に。」

アンナは震える声で言った。

「お前が着いて来たいなら、そうすればいい。」

案外、反対することもなく、バーディーはそっけなく答えた。

「決まりね。」

サティは微笑んだ。

「そうか...では、まず国立図書館に向かってくれ。そこにいる自動人形の司書が詳しいことを知っているはずだ。」

無線の先の男性は淡々と話を進めた。

「自動人形の司書?何か関係あるの?」

サティが尋ねた。

「言語崩壊以前の文献には、人魚イリが自動人形を従者にしているという記述がある。図書館の司書の一人が、恐らくその自動人形だと考えられる。」

男性は話をつづけた。

「城壁内に入ったら、無線機での連絡は盗聴される。緊急の連絡は、サティの通信魔法で頼む。それから、くれぐれも怪しまれないよう安全第一で行動してくれ。万が一のことがあったら、すぐに身の安全を確保するようにしてくれ。特に、アンナさんはこの世界や帝国については詳しくないだろうから、二人が手助けをするように頼む。それから...」

「分かってるぜ、ボス。じゃあな。」

男性の話が長くなると見込んだバーディーは、そう言って無線機の通信を切った。

「本当にうちのボスは心配性なんだから。」

サティはそう言って腕を組んだ。

車は再び荒野を走り出し、城壁に囲まれた国へ近づいていった。

「ねえ、言語崩壊って何?」

アンナは尋ねた。

「三百年くらい前までは、神と人間は同じ言語を話していたのよ。古代語と呼ばれるものね。だけど、ドクター・トリウスっていう人が神と人間の間の理を変えてしまったの。それから、人間は地域ごとに異なる言語を話すようになって、古代語は話せなくなってしまったの。」

サティはするすると説明した。

「じゃあ、トリウスって人は悪い人だったんだね。」

アンナは何気なく言った。

「そうでもないのよ。その人のおかげで魔法が学問として確立したんだから!雷魔法を創り出したのもドクターだし。」

サティは興奮気味に話している。

「そもそも、魔法って何なの?」

アンナは魔法や神などをいまいち理解できなかった。

「魔法っていうのはね。うーん...簡単に言うと、古代語で神に呼びかけて力を借りるって感じかしら。ほら、私が使っていた呪文って何言ってるか分からなかったでしょ?あれは古代語で、『火の神よ、あなたの力をお借りしてこの神聖な書に炎を与えよ』みたいな感じの言葉なの。言語崩壊前は、神に仕える最高位の神官が偶然それっぽい言葉を言ったことで、奇跡が起きたと考えられてたのよ。特に雷の神っていうのは、魔法の原則を理解したドクターが、誰でも魔法を使えるようにするために人為的に作った神なのよ。そのせいで他の神々の怒りを買って、言語崩壊が起きちゃったわけなんだけど、そのおかげで誰でも魔法を使える機械ができたってわけね。自動車がいい例ね。自動車っていうのは...」

「もうその辺にしとけ、魔法オタク。アンナがすごい顔してるぞ。」

バーディーは呆然としているアンナに苦笑した。

「まあ簡単に言うと、たくさん勉強した人の中でもほんの一握りの人しか、純粋な魔法は使えないのよ。」

サティは自慢げに言った。

アンナは頭がこんがらがってきた。

世界のシステムについてはよく理解できなかったが、とにかく自分に魔法は使えなさそうだと、密かに落胆した。

「さっきのボスの話だと、その図書館にいる自動人形ってのは三百年くらい動いてることになるな。」

しばらくして、バーディーが突然呟いた。

バーディーは片手でハンドルを握り、空いた手は顎のあたりに添えて考えごとをしているようだ。

「そうね。そんなに精密な自動人形なんて、よっぽどの術師じゃない限り作れないわ。例えば...そう、ドクター、とかね。」

サティはにやりと赤い唇を上げた。

「...なんでうちのボスは、そんなこと知ってるんだろうな。」

バーディーの声は冷たかった。

「まあ、人に言えないことがあるのはお互い様よね。」

サティが鼻で笑った。

車内の空気が張りつめている。

アンナは既に先ほどの選択を後悔し始めていた。

こんなにも殺伐とした世界で生きていかなければいけないのか。

それなら、何も知らないままで良かった。

でも、ここまで来て逃げ出すわけにはいかない。

この世界を見てみたいと決めたのは、自分なのだから。

 城壁が近づいてきたとき、サティが突然アンナの方へ振り返った。

「その恰好じゃ目立つわよね。」

確かに、アンナの着ているセーラー服は、この世界には無いだろう。

「私の服を貸してあげるわ。」

そう言うと、サティは楽しそうに服がパンパンに詰められたトランクを開けた。

揺れる車内で、アンナは着せ替え人形のように服を着ては脱ぎ、着ては脱ぎ、とサティの命じるままに着替えていた。

城門が近づいてきた頃にバーディーがいい加減に服を決めろと言わなければ、門兵の前でも着替えさせられかねなかった。

サティが決めた服は、薄茶の生地に白い刺繍の入ったワンピースだった。

「この刺繍にはちょっとした仕掛けがあるのよ。」

とサティは自慢げに話していた。

日が沈みかけてきた頃、バンは城壁の門にたどり着いた。

ボスが根回しをしていたのか、輸送会社であると伝えて身分証を見せると、すんなりと入国することができた。

しかし、身分証どころか事前に申請していたと思われる書類にも記載のないアンナは、やはり怪しまれてしまった。

「おい、そこの女の身分証はどうした。」

門兵がアンナに声をかけた。

やばい。

アンナは必死に言い訳を考えるも、何一つ口に出すことができない。

「おい、お前!聞いてるのか!」

冷や汗が出てきた。

どうしよう。

その時、

「この子、うちのボスの娘で、こっそり潜り込んできちゃったのよね。」

とサティが助け舟を出した。

「はあ?」

門兵はさらに表情を歪めた。

「この子、私に懐いちゃってて。どうしても仕事に着いてきたかったみたいなの。だけど、ボスってすごく厳しい人で、この子の身分証を勝手に管理してるのよ。だから、この子は身分証を持ち歩けないのよね。ね?」

サティはすらすらと嘘を並べ立てて、こちらに目配せした。

「お前もなんか言えよ。サティの真似して上目づかいで媚びろ。」

バーディーがそっと耳打ちした。

余計なことを考えている暇はない。アンナは覚悟を決めた。

眉根をぎゅっと寄せて、門兵の男を困ったように見上げた。

男はぎょっとして、困惑した表情を浮かべている。

「あのぅ、帰ったらパパにたくさん叱られますー。だから、お姉ちゃんと一緒に行かせて?お行儀よくするから。お願いします!」

極めつけに思いっきり頭を下げると、門兵はおどおどし始めた。

「...仕方ないな。今回だけだよ。」

こうして、何とか入国審査を潜り抜けることができた。

アンナの心臓はばくばくと激しく鳴っていた。

元居た世界でも、こんなに悪いことをしたことがない。

だが、不思議と気分が高揚していた。

「あの兵士、チョロすぎじゃねえか。」

バーディーが鼻で笑った。

こうして、三人が乗ったバンは城壁を抜け、エクア―ル帝国内へと進んで行った。

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