サティとバーディー
灰色のバンが荒野の中を走っていた。辺りは黄土色の岩山ばかりで、人も建物も見えない。車の往来によって土が固まってできた道の上に、砂埃をあげて進んでいく。度々、路面の凹凸に車が大きく揺れ、後方の荷物がカチャカチャと音を立てる。
運転席にはプリントが剥げかかった白いTシャツを着たサングラスの男が座っている。シートの脇に黒い革のジャケットがくしゃくしゃに丸めて放ってある。真っ黒な髪を後ろに撫でつけて、日に焼けた額をさらしている。顎と眉の上のほくろが少し骨の張った顔をさらに引き締めている。
一方、助手席には金髪の女が座っている。明るい茶の大きな目が一際目立ち、続いて目に留まるのが目の下の小さなほくろだ。白い肌、やや高い鼻、真っ赤な唇が彼女の魅力を増大させている。焦げ茶のタンクトップの上にクリーム色のシャツを羽織り、ダメージの入ったホットパンツを着ている様は街中の若い娘のようだ。
「バド、もう少し飛ばせないの。」
運転席の男、バーディーは、視線を変えずに応えた。
「俺じゃなくて、オンボロエンジンに言ってくれよ、サディ。」
ふん、と鼻を鳴らすと、サディはブーツを足元に放ったまま、裸足のかかとをサイドボードの上で組んだ。ふとももの上に雑誌を載せて、ペラペラとめくっている。
まだまだ人工物の見えない中、無線機が音割れの酷いきらきら星を鳴らした。サディが無線に手を伸ばす様子はない。
「おい、サディ。早く出ろ。」
砂山の凹凸にタイヤを取られないよう、ハンドルを握ったまま、バーディーがいらついたように言った。
はぁ、とため息をついて、サディは無線機を取った。
「ごきげんよう、ボス。ご用は何かしら。」
満面の笑みで、サディは応えた。
ザーザーと雑音が混じる中、低く落ち着いた男の声が聞こえた。
「やあ、サディ。今はどれくらい進んだかな。」
サディは真っ赤なネイルの指でカーナビの画面を操作した。拠点から現在地までの距離を表示するが、明らかにおかしなルートを回っている。
「ナビによると5032マイルですって。」
一呼吸置いて、無線の先からくつくつと笑い声が聞こえた。
「すまない。機材は近いうちに新調しようか。」
「車も新しくしてくれると、とっても嬉しいのだけど。」
サディの小言は、ボスの耳には届かなかったようだ。
「おおよそ200マイルってところだろう。」
バーディーは前を向いたまま、応えた。
「200マイルですって。」
サディが報告した。
「まずまずだな。何度も言うが、くれぐれも...」
「くれぐれも、怪しまれないように、でしょ。耳にタコができるほど聞きましたわ。」
ボスの注意に、サディが被せて言った。
「ヤツらは国家ぐるみの組織だ。警備も並大抵ではない。街に着いたら連絡してくれ。」
「イエッサー、ボス。必ず連絡するわ。」
それだけ言うと、サディは無線機を切った。
「ボス殿は大変慎重でいらっしゃるんだから。」
芝居がかった口ぶりで、サディはバーディーを見た。
バーディーは視線こそずらさないものの、鼻を鳴らしてから言った。
「違いない。」
太陽はジリジリと分け隔てなくあらゆるものに熱を降り注いでいる。砂つぶひとつひとつが焼かれ、空気は燃えているかのようにゆらゆらと揺れている。2人が乗った灰色のバンも例外ではなく、車内は窯のように熱気を増していった。
「あちいな。」
バーディーは左手をハンドルから離して、襟首をはたはたと揺する。額には幾つも汗が浮いている。
「そうねえ。」
一方のサディは、涼しい顔で雑誌をめくっている。
バーディーは額を袖で拭ったが、次々と玉のような汗が湧いてくる。車が大きく揺れた拍子に髪がひと束垂れてきた。髪をつたって、ひと雫サングラスの下を通っていった。バーディーの苛つきが限界に達し、アクセルから足を離して、ブレーキをかけた。
「...休憩だ。」
バーディーは砂の上に降り立つと、バックドアを開けた。工具、寝袋、燃料と水のタンク、衣類、本などが積まれている。
水のタンクにホースを付けて、頭から水をかけた。ほぼ体温と同じくらいのぬるい水だった。口にぬるま湯を注ぎ込んだ後、顔を洗ってタンクを閉じた。1/4ほど減った。
服が濡れたまま運転席に戻ると、サディが隣でピザを広げていた。
ペパロニとチーズだけのシンプルなピザは、ボスのお気に入りの店で買ってきたものだ。
サディがLサイズの一切れにかぶりつくと、チーズが糸を引くように伸びた。ペパロニが唇からこぼれ落ちそうになると、舌で舐めとるようにして口に仕舞い込んだ。しょっぱさと脂肪分の中にうま味が混ざり込んで、中毒性のあるジャンクな味がした。バーディーが一切れを2口で食べ始めると、すぐに赤と青のストライプの箱は空になった。
サディが膝立ちになって、後部座席にあるもう一箱を取ってきた。蓋を開ける前から、チーズの濃厚で癖のあるにおいがした。2枚目のピザは大量のチーズに胡椒をかけたものだった。蓋に張り付いたチーズをサディが指に絡めてしゃぶった。ゴムのような食感だが、噛むほどにうま味が溶け出してくるようだ。バーディーは切れ目の浅い部分を引っ張って、耳ばかりが千切れてしまった。
「ああもう、横着なさるから。」
サディは4つに分けると、そのひとつを半分に折って口に突っ込んだ。くどいほどにチーズの味がする。チーズ臭さが鼻に伝わってきた後、申し訳程度に黒胡椒の風味がした。
バーディーは先刻食べられなかったチーズの部分だけをちぎった。ピザの先端を口に放り込んだ後、指に着いた油分を舐めとった。
こちらもかなりの大きさであったが、すぐに2人の腹に収まってしまった。空になった箱を後ろに放り、ティッシュで手と口を拭うと再びバンのエンジンが音を立てて動き始めた。
その日は日が暮れても、地平線に人工物が見えることはなかった。星が出てきた頃、バーディーの疲労が限界に達して、休むことにした。
翌朝、先に目覚めたサディは横開きのバックドアを開け、足をぶらぶらさせながら携帯食料を食べていた。ぼそぼその小麦粉の塊は、口の中の水分を奪っていく。小さなクーラーボックスから飲みかけのコーラのボトルを取り出した。もうあまり冷えていないが、ぐいぐい飲むにはちょうどいい冷たさだった。ぷはぁ、と声を上げると、後ろで寝ていたバーディーが目を覚ましたようだ。普段、サングラスで隠されている青い瞳が晒された。日の光はボトルの中で屈折して、茶色の光が泡に揺れながら輝いていた。
「ん。」
サディが残りのコーラを差し出した。バーディーは起き上がって、受け取ったボトルに口をつけた。空になったペットボトルをビニール袋に入れると、バーディーはのそのそと支度を始めた。その間、サディは長い金髪に漆塗りの木の櫛をかけていた。爪の手入れを済ませた頃には、バーディーも寝癖だらけの髪をオールバックに整えていた。
「今日も働きましょうか。」
そう言ってサディはトランク部分から降りた。
灰色のバンは今日も荒野を走り出した。ずっと先の方に砂煙が立っている。
「嫌な天気ですこと。」
雑誌に飽きたサディは、何百回も聴いたカーステレオのCDに合わせてブーツの踵を鳴らしている。バーディーは連日の運転で疲れ果て、げっそりとしている。
「クソ暑いよりはマシだな。」
雲に近づくと、風に乗った砂が車体にぶつかって、チリチリと音を立てた。
バーディーはこの程度の砂嵐であれば乗り切れると踏み、砂が轟々と舞う中に突っ込んで行った。
「おい、シートベルトしとけよ。」
バーディーは姿勢を正して、ハンドルを両手で握った。ほんの2,3ヤード先までしか見えない中を速度を落として走っていく。風に煽られて左右に大きく揺れる度、サディが悲鳴にも嬌声にもとれるような声をあげて、くつくつと笑った。
20ヤードほど進んだ時、砂煙の中に目線と同じ高さの物影が見えた。反射的にブレーキを全開に踏み込んだ。
身体が前方に押し出され、シートベルトが胸元に食い込んだ。ボンネットが何かにぶつかった衝撃が伝わってきた。
「くそっ」
悪態を吐いて、バーディーは車外に出た。ヒューヒューと音を立てて風が吹いていた。巻き上げられた砂が肌を擦っていく。
幸い、車体に目立った凹みはないようだ。
不可解なことに、車の前に女が倒れていた。ぶつかったのは、この女のようだ。
しかし、こんな砂嵐のど真ん中を人が歩いているはずがない。かといって、人が飛ばされるほどの嵐でもない。
このままにしておく訳にもいかず、バーディーは女を担ぎ上げた。体は暖かく、呼吸のたびに腹が上下しているのが感じられた。体躯が小さく、軽い。まだ15、6ぐらいだろうか。
紺のシャツ、紺のスカートに赤いリボンを首から下げている。上等な店のウェイトレスのようにも見えるが、襟は水兵服のようだ。
後部座席のドアを開け、少女を放り込むと、急いで運転席へ戻った。
「何、あの女の子。」
サディは膝立ちで後ろの少女を眺めた。
バーディーはジャケットに付いた砂を叩き落としている。
「車の前でぶっ倒れてた。」
「飛ばされてきたのかしら。」
「知らん。さっさと出すぞ。」
再びバンは砂嵐を進み始めた。
体が大きく揺さぶられ、少女は目を覚ました。どうやら車に乗せられているようだ。上体を起こすと、左肩が激しく痛んだ。外は黄土色の砂が地平線まで続いている。陽が沈んだばかりの空は、柔らかなオレンジ色を片隅に残して、青が濃くなっていく。
「気がついた?」
前の座席から、若い女の声が聞こえた。
ルームミラーに映った明るい茶色の瞳と目があった。
「あ、はい。」
そう返すと、彼女は助手席から身を乗り出した。少女が右手で肩を押さえていることに気づくと、彼女はごちゃごちゃした荷物を跨いで少女の隣に座った。
少女の手の上からそっと肩に触れると、何やらぶつぶつと呪文のようなものを唱えた。
静かな水面に水滴が一つ落ちて波紋が広がっていくように、彼女が触れているあたりから体全体に向かって空間そのものが波打っていくように感じた。
彼女の呪文が終わり、手を離すと痛みは消えていた。
「はい、もう大丈夫。」
彼女は手品師のように両手を広げて満足げに微笑んだ。
「…すごい」
少女は初めて魔法を見たかのように、驚いた表情をしていた。
「おい、お前。」
運転席の男はルームミラー越しに少女を睨んだ。
「バド!そういう言い方はないじゃない、ねえ。」
彼女は男を窘めると、少女に向き直った。
「あなた、道の真ん中で倒れてたのよ。」
彼女がそう言うと、少女ははっと顔をあげた。
「何があったか、聞かせてくれるわね?」
彼女の微笑んだ表情の中に、少女は有無を言わさぬような冷徹さを感じとった。
少女は消え入りそうな声で、ぽつぽつと経緯を話し始めた。