第7章:敵の影
俺はクロノスアカデミアの生徒寮、その割り当てられたばかりの個室で、ベッドに大の字になっていた。
窓の外には、地球じゃお目にかかれない、二つの月が妖しい光を放つ異世界の夜空が広がっている。
……なんか、こうして見ると、本当に俺、とんでもない場所に来ちまったんだな、と改めて実感する。
「はぁ……もう何が何だか、さっぱりだぜ……」
今日一日だけでも、情報量が多すぎて俺の脳みそは完全にオーバーヒート寸前だ。
偶然としか思えないラッキーパンチでSランクスキル持ちのブレイズ君に勝っちまうし、そのせいで『運命の調整者』なんていう大層なあだ名まで頂戴するし、ココアには「物語の主人公!」とか煽られるし、アリシアには「原子レベルまで解析してやるわ!」とか物騒なこと宣言されるし。
挙げ句の果てには、校長先生にまで「君の能力は特別だ(キリッ)」とか言われちまう始末。
ベッドの上でゴロゴロと寝返りを打ちながら、俺は自分の手のひらをじっと見つめる。
選ばれし者、ねぇ……。
あの氷みたいにクールなイケメン、シルバーとかいう奴は、俺のどこを見てそんなことを言ったんだろうか。
明日からクラスメイトになるって言ってたけど、どう考えてもヤバい奴のオーラしか感じなかったぞ。
みんなが言うような『最強』なんてものじゃ、俺は断じてない。
それは確かだ。
でも……。
日本にいた頃の、あの「何となく上手くいく」っていう、都合のいい偶然の連続。
あれも、もしかしたら……この「運命のタスキリ」とかいうふざけた名前のスキルの仕業だったんだろうか?
だとしたら、俺は今まで、気づかないうちに、自分のスキルで人生のピンチを切り抜けてきたってことになるのか?
いやいや、それこそ考えすぎか。
グルグル、グルグル。
思考の迷路にハマり込んでいるうちに、激闘(逃げ回ってただけだけど)の疲れと、慣れない異世界生活のストレスが、ドッと俺の体にのしかかってきた。瞼が重い。
……まあ、いいか。
考えても答えなんか出やしない。
とりあえず、今は寝よう。そうしよう。
俺の意識は、ゆっくりと深い闇の中へと沈んでいった。
◇
「――桜庭陽介」
誰だ? 俺の名前を呼ぶ、低くて重い声。
ハッと目を開けると、そこはもう俺の知っている寮の部屋ではなかった。
見渡す限り、どこまでも続く無限の星空。
キラキラと瞬く無数の星々が、まるで手の届きそうな距離で輝いている。
足元には、地面があるのかないのか、固体でも液体でも気体でもない、なんとも不思議な感触の床(?)が広がっていた。
立っているはずなのに、まるで宇宙空間に漂っているみたいな、奇妙な浮遊感。
「……ここ、は……?」
俺の呟きに応えるように、あの重々しい声が再び響く。
「時間と空間の狭間……とでも言っておこうか。我々が邪魔されることなく、ゆっくりと会話をするには、なかなか相応しい場所だろう?」
声のした方向に目を向けると、いつの間にか、一人の人物が俺の目の前に立っていた。
全身をすっぽりと覆う、フードの付いた漆黒のローブ。
顔は深い影に隠れていて窺い知れないが、その圧倒的な存在感と、底知れないプレッシャーは、肌がピリピリするほどに感じ取れた。
こいつ、ただ者じゃない。
「……あなたは、誰です?」
俺の問いに、黒ローブの人物は、わずかに首を傾けたように見えた。
「私はクロノス。『運命改変機関』を主宰する者だ」
「運命改変……機関?」
なんだそりゃ。
怪しげな秘密結社かなんかか?
クロノスの声には、奇妙な説得力があった。
「我々は、この世界の歪んだ運命を正しき流れへと導くために存在する組織。あらゆる偶然性を排除し、不確定要素を根絶やしにし、完全に予測可能で、調和の取れた秩序ある世界を創造する。それが、我々の掲げる至高にして唯一の使命だ」
クロノスが一歩、音もなく俺に近づく。
その度に、周囲の星々が不気味に揺らめいたように見えた。
「そして、桜庭陽介。お前のその力は、我々が目指す世界の、最大の歪みであり、異物なのだ」
「……俺の、力?」
またそれか。
俺の力って、だからコップ動かすだけだってば。
「『運命のタスキリ』……観測者本人すら意図せぬ形で、ごく僅かな事象に介入し、結果として予測不能なまでに大きな結果の変動を生み出す力。いわゆる、バタフライエフェクトの具現化、とでも言おうか。それは、我々が理想とする完全なる『確定性の世界』にとって、許容し難い最大の脅威となり得るのだよ」
クロノスの言葉は、まるで重い鉄球のように、俺の胸の奥にズシリと響く。
「あれは……ただの、偶然で……」
「偶然の存在などではない」
クロノスは、俺の言葉を冷ややかに遮った。
「お前のその力は、明らかに特別だ。異質と言ってもいい。だからこそ、我々はこうして、お前に注目しているのだからな」
クロノスが、ふと、影に覆われた顔を星空へと向けた。
そして、まるでオーケストラの指揮者みたいに、ゆっくりと片手を天空に伸ばす。
すると、彼の指先に呼応するように、夜空に散らばっていた無数の星々から、細く、しかし力強い光の糸が何本も何本も伸びてきて、それらが複雑に絡み合いながら、巨大な一枚のタペストリーのようなものを織り上げていく。
美しい……けど、どこか恐ろしい光景だ。
「これこそが、万物を支配する『運命の糸』だ。この世に存在する全ての事象、全ての生命は、この無数の糸によって複雑に結びつき、影響を与え合っている。我々『運命改変機関』は、この絡み合い、もつれ合った運命の糸を、あるべき『正しき形』へと、丁寧に、そして確実に編み直そうとしているのだ」
クロノスはそう言うと、織り上げられた運命のタペストリーの中から、ひときわ異彩を放つ一本の光る糸を、まるで不良品でもつまみ出すかのように引きずり出した。
その糸は、他の糸とは明らかに異なり、不規則にチカチカと瞬きを繰り返し、時には周囲の糸を激しく揺さぶっていた。
「そして、これこそが、お前の魂に繋がる運命の糸だ、桜庭陽介。他の何物にも縛られず、何者にも予測できず、周囲の運命に予期せぬ影響を与え続ける……極めて不安定で、危険な存在だよ」
「き、危険……?」
俺の糸だけ、なんか問題児扱いされてませんかね?
「しかしだ」
クロノスの声のトーンが、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「その力の使い方、その方向性次第では、我々にとって、これ以上ないほど強力な味方にもなり得る。お前の選択一つが、全てを決定付けることになるだろう」
その言葉と共に、俺たちの周囲の星空が、まるで水面のようにグニャリと歪み始め、景色が急速に揺らぎだした。
夢から覚める直前の、あの気持ち悪い感覚に似ている。
「我々は、すでに動き始めている。あのシルバーも、その計画の一翼を担う我々の同志の一人だ。彼は、お前という存在を間近で監視し、その危険性と利用価値を正確に評価するために、アカデミアに送り込まれた、いわば先行調査員だ」
「シルバーが……『運命改変機関』の……!?」
じゃあ、あいつが言ってた「選ばれし者」とかいうのも、全部そういう……。
「目を覚ます時だ、桜庭陽介。お前自身のその忌まわしき力と真正面から向き合い、そして、選択をするのだ。その手で運命の糸を切り裂き、さらなる混沌を生み出すのか。それとも、我々と共に、新たなる秩序ある運命を紡ぎ出すのか……」
クロノスの姿が、まるで陽炎のように、徐々に薄れ、溶け始めていく。
「我々は、そう遠くない未来に、必ずや再会することになるだろう。その時こそ、お前の明確な答えを聞かせてもらうとしよう……」
その言葉を最後に、クロノスの姿も、無限の星空も、全てが闇の中へと消えていった。
◇
「はっ!!」
俺は、全身にびっしょりと冷や汗をかきながら、勢いよくベッドから跳ね起きた。
窓からは、すでに朝の眩しい光が差し込んでいる。
小鳥のさえずりまで聞こえてくる。
新しい一日が、もう始まろうとしていた。
夢……だったのか……?
いや、違う。
あれは、ただの夢なんかじゃない。
あまりにも鮮明すぎる記憶。
クロノスのあの重々しい声、眼前に広がった運命の糸の光景、そして、シルバーの正体……。
「シルバー……」
思わず、その名前を呟く。
あいつが、『運命改変機関』とかいう怪しい組織のスパイだとしたら……俺は、これからどうすればいいんだ?
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「おっはよー、陽介くーん!」
ドアの向こうから、ココアの明るい声が聞こえてくる。
「いつまで寝てるのよー? 授業に遅刻しちゃうわよ!」
俺は、大きく深呼吸を一つ。
乱れた呼吸を整え、混乱した頭を無理やり整理する。
夢で見たこと、聞いたこと……それを今すぐココアに話すべきか?
いや、まだだ。まだ情報が少なすぎる。
それに、迂闊なことをして、ココアまで危険なことに巻き込むわけにはいかない。
「おー、今行くって!」
俺は、できるだけ普段通りの声を装ってドアに向かって叫ぶと、勢いよくベッドから立ち上がった。
心は、決まった。
シルバーの正体が何であれ、『運命改改機関』が何を企んでいようと、そして、俺のこの「運命のタスキリ」という能力の真相がどうであろうと、必ず、俺自身の手で全てを明らかにしてやる。
もう、「勘違いの英雄」なんていう、他人任せで不安定な立場はごめんだ。
俺は、俺自身の力で、このワケの分からない状況に立ち向かってやるんだ。
ガチャリ、とドアを開けると、そこには、いつもの太陽みたいな明るい笑顔を浮かべたココアが立っていた。
俺は、少しだけ無理をして、笑顔を作って見せる。
「おはよ、ココア」
「ん? どうかしたの、陽介くん? なんか、顔色悪いわよ?」
ココアが、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「あー、いや、大丈夫。ちょっと変な夢を見ただけだよ」
「へえ、夢?」
ココアの目が、途端にキラキラと輝きだす。
「それって、もしかして予知夢なんじゃない? 物語の主人公って、よくそういう意味深な夢を見るものなのよ!」
「ははっ、物語の主人公、ねぇ……」
俺は、思わず苦笑する。
「だとしたら、これから一体どんな無茶な展開が俺を待ってるんだろうな」
「それはね」
ココアは、まるで全てを見透かしたような、神秘的な微笑みを浮かべて言った。
「あなた次第、よ」
俺たちは、並んで寮の廊下を歩き出す。窓から差し込む朝の光が、クロノスアカデミアの巨大な塔を黄金色に染め上げていた。
そして、その日は、俺の異世界での物語が、本当の意味で本格的に動き出す、記念すべき一日になるのだった。