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第4章:科学の女王

 異世界に来て早くも三日目。

 俺、桜庭陽介の学園生活は、まあ、なんというか、予想の斜め上を行く出来事の連続だ。


 C組では相変わらず「コップをこよなく愛する男」だの「ミスター・ニアピン(2センチ的な意味で)」だの、ありがたくもない称号を頂戴してはいるが、へこんでばかりもいられない。


 そんな俺にとって、唯一、異世界標準装備の良心回路ことココアの存在は、まさに暗闇に差し込む一筋の光明、あるいはカピカピに乾いた喉を潤す一滴の清涼飲料水。

 今日の「基礎能力実験」の授業も、「陽介くん、実験室はこっちよー!」と、彼女が甲高い声を弾ませながら先導してくれている。 

 

 うん、今日も一日頑張れそうだ。


「今日の授業、たしか他のクラスと一緒なんだっけか?」

「そうなの!  S組と合同授業なんですって。だから、S組の天才さんもいらっしゃるらしいわよ」

「S組の……天才」


 その単語を聞いただけで、俺の胃がきゅーっと縮こまるのを感じる。

 S組といえば、いかにも「選ばれました」的な奴らの集まりだ。

 そんな奴らと合同授業なんて、俺のメンタルが持つかどうか。


「特にね、アリシア・ブレイブハートっていう生徒には要注意よ!」


 ココアが芝居がかった仕草で声を潜める。


「『完全解析』っていう、とんでもなく強力なスキルの持ち主で、この世のありとあらゆる情報、スキルでも物質でも、何でもかんでも根こそぎ分析して丸裸にしちゃうらしいの」


 なんでも分析、ねぇ。

 プライバシーとか、そういう概念はこの世界にはないのか。


 たどり着いた実験室は、まさにドラマとかでよく見る「最先端!」って感じの空間だった。

 壁一面に並ぶのは、怪しげな光を放つ巨大な操作パネルと、何かの数式が高速でスクロールしているモニター群。


 床から天井まで届きそうな巨大なガラス管の中では、得体の知れない色の液体がブクブクと不気味な泡を立てている。

 うわぁ、絶対体に悪そう。


 そして、その部屋の中央。

 数人の取り巻きらしき生徒たちに指示を飛ばしながら、テキパキと実験準備を進めている一人の女子生徒がいた。


 腰まで流れる艶やかな銀色の髪は、実験室の無機質な照明を反射してキラキラと輝いている。

 雪のように白い肌、人形のように整った顔立ち。

 体にぴったりとフィットした純白の白衣は、彼女の知的な雰囲気をこれでもかと強調していた。

 

 おそらく彼女こそが、噂のS組の天才、アリシア・ブレイブハートだろう。

 その場にいるだけで、周囲の空気がピリッと引き締まるような、圧倒的なオーラを放っている。


「全員揃ったようね」


 アリシアは、集まった生徒たちを一瞥すると、手元の端末で何かを確認した。

 その視線が、不意に俺のところでピタリと止まる。


 え、俺?


「C組、桜庭陽介」

「は、はいっ!」


 いきなり名指しされて、俺は間抜けな声で返事をしてしまう。


 なんだ?  俺、何かやらかしたっけ?


「あなたのスキル、『運命のタスキリ』とか言ったかしら。報告書を読ませてもらったわ。Eランク、効果は『些事を変化させる』……ねぇ」


 アリシアは、心底つまらなそうに、しかしどこか値踏みするような目で俺を見る。

 その口調は丁寧だが、隠しきれない侮蔑の色が滲んでいる。


「報告書には、測定時の波形が特異だったとも追記されていたけれど……まあ、誤差の範囲でしょうね。一応、データだけは取っておくわ。前に来なさい」


 どうやら俺は、「珍しいエラーサンプル」くらいの扱いらしい。

 促されるままに、部屋の中央に設置された物々しい雰囲気の解析装置の前に立つと、アリシアは複数の小型センサーのようなものを手際よく俺の身体の各所にペタペタと貼り付けていく。


「では、始めるわよ」


 アリシアの言葉と共に、彼女の碧眼が鋭い青い光を宿す。

 俺の全身を、まるで高性能スキャナーが舐め上げるように、彼女の視線がゆっくりと往復する。


 ……しかし。


 待てど暮らせど、壁のモニターには何の反応もない。


 アリシアの表情が、ピクリと微かに動いた。

 自信に満ちていたその顔から、スッと微笑みが消える。


 彼女はもう一度、今度はさらに集中力を高めた様子で俺をスキャンし始めた。

 額にはうっすらと汗が滲んでいる。


「……おかしいわね。何のシグナルも検知できない……」


 呟くようなアリシアの声。

 彼女は一度解析を中断すると、操作パネルに向かい、何かを凄まじい速度で打ち込み始めた。

 解析パラメータを強制的に書き換えているのだろうか。

 

 そして再度、俺に向き直る。

 その瞳には、わずかな焦燥が浮かんでいた。


「もう一度よ。スキルを発動できるなら、どんな些細なことでもいいから意識を集中してみなさい」

「え、あ、はい……」


 言われた通り、俺は「コップよ動け、2センチほど!」と心の中で強く念じてみる。

 もちろん、結果はいつも通り、虚しいだけだ。

 俺のスキルは、そんな便利な代物じゃない。


 アリシアの碧眼が、三度、青い光を放つ。

 しかし、結果は同じ。

 モニターは依然としてうんともすんとも言わない。


 アリシアの細められていた目が、カッと見開かれる。

 その表情は、もはや困惑を通り越して、驚愕と……そして、彼女自身の絶対的な能力に対する初めての疑念から来る、激しい苛立ちの色を浮かべていた。


「あなたのスキル構造が……全くのブラックボックスですって!?  この私の『完全解析』をもってしても、一切の情報が読み取れないなんて……あり得ない! 絶対にあり得ないことよ!」


 実験室が、水を打ったように静まり返る。

 他の生徒たちも、何が起こっているのか理解できないといった様子で、固唾を飲んで俺とアリシアのやり取りを見守っている。


 S組の天才アリシア・ブレイブハートの誇る「完全解析」が、機能不全に陥るなどということは、天地がひっくり返ってもあり得ない事態だったらしい。


 アリシアは呆然と呟きながらも、その瞳の奥には先ほどまでの苛立ちとは異なる、まるで未知のウイルスを発見した研究者のような、あるいは難解なパズルに挑戦状を叩きつけられた求道者のような、狂気じみた探究心と爛々とした輝きが宿り始めていた。


 そして、まるで何かに突き動かされるように、俺にズイッと詰め寄ってきた。


「あなた……一体何者なの!?  なぜ、この私の解析をこうまで完璧に拒絶できるのよ! 答えなさい!」

「い、いや、だから俺は何も……! 解析を拒んでるつもりなんて、これっぽっちもないですってば!」


 必死に後ずさりながら弁解する俺と、獲物を追い詰める肉食獣のような表情で詰め寄ってくるアリシア。

 その間に、まるで待ってましたとばかりに、ココアが割って入ってきた。


 ナイスだ、ココア!

 

「ねえ、アリシアさん?  世の中にはね、あなたのその立派な科学でも説明できないことだって、ちゃーんとあるものなのよ?」


 ココアが、挑戦的な笑みを浮かべてそう言うと、アリシアの整った眉が、これ以上ないというほどに険しく吊り上がった。


「戯言はやめなさい、鈴木ココア! この世界の森羅万象、その全てが論理と数式によって記述可能だと、何度言ったら理解できるの!?  あなたのような、非科学的で非論理的な感傷論者が口を挟む余地など、この宇宙のどこにも存在しないわ!」


 この二人、どうやら犬猿の仲らしい。

 俺、どうすりゃいいんだ、これ。


 二人の美少女が、俺そっちのけで激しい舌戦を繰り広げている中、俺の視線は、ふと実験台の端に無造作に置かれていた、何やら年代物の、不安定そうなガラス製の装置に釘付けになった。

 

 ガラス容器の中には、見るからにヤバそうな、どどめ色の液体がなみなみと注がれている。

 しかもなんか、微妙にグラグラ揺れてないか、あれ?


「あのー、ちょっとすみません。そこの台の上の装置、なんか倒れそうっていうか、危ないんじゃ……」


 俺がそう言いかけた、まさにその瞬間だった。


 ガタッ! と大きな音を立てて、その装置が大きく傾いだ。

 そして、中のどどめ色の薬品が、まるでスローモーションみたいに、派手に宙へと舞い上がった!


 うわあああ、言わんこっちゃない!


「「きゃあああっ!!」」


 飛び散ったのは、間違いなく肌に触れたら一発アウトな感じの、超危険そうな酸性の液体。

 それが無慈悲な放物線を描き、まさに口論に夢中だったアリシアとココア、二人の頭上めがけて降り注ごうとしている!


「危ないっ!!」


 俺は、考えるよりも先に叫んでいた。

 二人を助けなきゃ、なんていう高尚な騎士道精神からじゃない。

 ただ単純に、目の前で美少女二人が薬品まみれになるなんていうスプラッタな光景は、いくらなんでもお断りだ。


 次の刹那、信じられないことが起きた。


 バリーン!


 実験室の窓という窓が、まるで示し合わせたかのように、一斉に内側から外側へと弾け飛ぶように開いたのだ。

 そして、タイミング良く、いや、良すぎるくらいに吹き込んできた猛烈な突風が、どどめ色の薬品の軌道をグググイッ!と力ずくで捻じ曲げ、それは誰の頭上にも降りかかることなく、実験室の床の一点に、ビシャアアアッ!と激しく叩きつけられた。

 

 床材がジュウウウと音を立てて溶けているのが見える。こわっ!


「「「…………」」」


 実験室は、本日三度目の静寂に包まれた。

 ただ、床でヤバい液体がジュージュー言ってる音だけがやけに大きく聞こえる。

 

 アリシアは、床で不気味な煙を上げている緑色のシミと、全開になった窓という窓を呆然と交互に見つめ、そして、ハッとしたように俺の顔を射抜くように見た。

 その瞳は、もはや完全に未知との遭遇を果たした科学者のそれだ。

 狂気を帯びた輝きすらある。


「あなた……今、そのスキルを、使ったのね?  そうなんでしょう!?」

「へ?  い、いいえ滅相もございません!  僕はただ、見てただけで……!」


 ぶんぶんと効果音が出そうな勢いで首を横に振る俺。

 だって本当に、ただ見てただけなんだから!


「嘘を言いなさい!  あの窓が同時に開く確率、突風が吹き込む方向と最適な風速、そして薬品が描いた放物線の精密な軌道計算……そのすべてを、あなたはその一瞬で、その解析不能なスキルでやってのけたのよ!  最小限のエネルギー介入で、最大限の結果を導き出す……これこそ、私が長年追い求めてきた、最も効率的かつ美しい物理法則の顕現……!」


 いやいやいや、何一人で結論出しちゃってんのこの人!?


「偶然よ、偶然ったら偶然!」


 ココアが、やれやれといった表情でパタパタと手を振りながら言う。


「でも、運命の糸っていうのは、時々こういう風に、とってもドラマチックに絡み合ったりするものなのよねぇ。まるで出来の良い脚本みたいに!」


 しかし、もはや興奮と知的好奇心のボルテージが最高潮に達したアリシアにとって、ココアの言葉など雑音でしかないらしい。

 彼女はココアの存在など完全に意識の外とばかりに、再び俺にズズズイイィィィッ!!と詰め寄ってくる。

 

 だから近いって!

 パーソナルスペースって言葉を知らんのか!


「桜庭陽介!  あなたのその不可解にして、極めて興味深いサンプル……いいえ、スキルは、このアリシア・ブレイブハートが責任を持って、原子レベルまで徹底的に解析し尽くしてみせるわ!  さあ、今すぐ私のラボに来るのよ!  抵抗は許さないわ!」

「え、えええええ!?」


 戸惑い、本気で逃げ出したい俺の前に、またしてもココアが「そうはさせないわ!」とばかりに立ちはだかる。


 おお、ココア、君は俺の守護天使か何かか。


「だーめよ、アリシア!  陽介くんのこのミステリアスなパワーは、あなたのその頭でっかちなサイエンスなんかじゃ、絶対に解明できるわけないんだから!  これはね、もっとこう……なんていうか、宇宙の法則がうんたらかんたらっていう、そういう凄いものなのよ!」

「黙りなさい、鈴木ココア!  この世に科学のメスを入れられぬ聖域など存在しないの!  あなたの言うその非論理的で非実際的な『凄いもの』とやらも、いずれは私の手で完璧な数式へと還元してみせるわ!」


 あー、もう完全に二人のスイッチが入っちゃってるよ。


 科学と運命、理性と直感。

 あらゆる意味で対極に位置する二人の美少女が、俺という名の「解析不能サンプル(不名誉)」を巡って、火花どころか超新星爆発でも起こしそうな勢いで激しい論戦を繰り広げている。


 何この超展開。

 誰か、誰か俺をここから連れ出してくれ!


 でも、そんなカオスな状況の中心にいながら、俺の頭の中は別の、もっと個人的な疑問でいっぱいになっていた。


 本当に、さっきの、そしてこれまでの出来事は、全部ただの偶然だったのだろうか?

 だとしたら、俺の人生、ちょっと都合のいい偶然が多発しすぎじゃないか?


 それとも……。


 もしかして、本当に、これが。

 俺の「運命のタスキリ」とかいう、ふざけた名前のスキルの、本当の力の一端だというのだろうか……?

 

 だとしたら、俺は一体、これからどうなっちまうんだ……?


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