紫暮 ひさな と メランコリー②
放課後、クラスメイトたちは部活動で体育館や部室へ行ったり、家に帰ったりで2-7の教室には俺と燕奏 栞音の2人だけ。
俺たちは黒板に書かれた文字を消す作業をこなしていた。
「悩み事を相談してくれるくらいに女子と仲良くなれる方法って何?」
俺は適当に黒板に書かれた文字を消しながら燕奏に話しかけた。
「仲良くなれる方法って言われても。そういうのって人によるんじゃないかな」
燕奏は丁寧に文字を消しながら答えた。
「例えば燕奏だったらどうなんだ」
俺が質問すると燕奏のラーフルを握っていた手が止まった。
「わ、私! 信頼とかじゃないかな……?」
「ちなみに俺は信頼されてるのか?」
燕奏はそっぽを向いた。
「……そうだね」
「え、もしかして俺信頼されてない!」
俺がそう言うと燕奏は俺のほうに近づいた。
「そそそそんなことないからね!」
「それならよかった」
安心して黒板に書かれた文字をまた消し始めた。
「……ねえ。なんで急に仲良くなる方法を聞いてきたの?」
燕奏は作業をせずに聞いてきた。
彼女から少しだがキィーと『心の音』が聞こえて、すぐに音が『何か』に吸収されて聞こえなくなった。
なんて答えるべきなのだろうか。
正直に、紫暮 ひさなから『心の音』が聞こえるからそれを止めるためって言ったほうがいいのだろうか。
しかし燕奏にはあまり心配をかけたくないし、そもそも『心の音』のことを話していない。『心の音』のことは一生誰にも話さないと決めたのだから。
彼女のことはこの世で最も信頼している人物なのだけれど、このことを話して心配してほしくないからどうにか誤魔化すことに決めた。
「ちょっと気になる人ができてさ。その人と仲良くなりたいなって」
「そうなんだね」
燕奏から聞こえる『心の音』の音量が大きくなった。そしてまた音が吸収された。
「……ちょっとごめん。トイレ行ってくる。大だから長くなる」
「大とか言わなくていいから」
俺は教室を出た。
近くにあった階段を上って屋上への扉の前までやってきた。
この学校は屋上へ行くことが禁止されている。したがって今俺がいる場所には誰も来ない。誰もいない。『心の音』が聞こえない。
「ふぅ」
階段に座った。
俺は『心の音』が苦手だ。黒板を爪で引っ掻く音よりも。
この音を聞くと、鳥肌が立つし、吐き気がして体調を崩すしで最悪だ。それに加えて、燕奏の『心の音』は普通の人と違って、音が『何か』に吸収されて聞こえなくなる。これがとても不気味でさらに吐き気がしてくるのだ。
別に燕奏のことが嫌いというわけではない。どちらかと言えば好きなほうだ。燕奏は、大嫌いだった人間を嫌いだと思わなくしてくれた恩人なのだから。
恩人の『何か』で吐き気がしたとしても、燕奏を嫌いになるわけがない。
さて、燕奏からアドバイスをもらえなかったため、自分でどうしたら紫暮の『心の音』の音量を下げる、もしくは止めることができるのか考えるしかない。
人の悩みを聞くためにはその人と仲良くなる必要がある。仲良くなることで信頼を得て悩みが聞けるというわけだ。
その方法が紫暮にはとても難しそうなのだ。
なぜなら紫暮は人と話そうとしないから。
紫暮に最も話しかけた女子。この人は誰とでも仲良くできる『チカラ』を持っているのではと思ってしまうほど友達が多い。多すぎる。彼女の座右の銘は『友達100億人できるかな』だ。彼女なら間違いなくできるだろう。紫暮 ひさなのようなひねくれた人が他にもいなければの話だが。
その彼女でさえ紫暮と仲良くなることができなかった。
つまり誰も紫暮と仲良くなれないというわけだ。
俺はそんな化け物と仲良くならなければならない。
だから考える。
どうしたら仲良くなれるのか。
紫暮に話しかけた女子を仮にA子さんとするとして、A子さんが仲良くなるために取った手段。例えば趣味特技が何か質問をする。例えば流行ってるドラマの話をする。例えばタケノコニョッキを友達とやるからということで誘うなど。
A子さんはいろんなことをしたけど、何もうまくいかず紫暮と仲良くなることを断念するほかなかった。
A子さんが友達になれないのなら俺も友達になるのは不可能だろう。
彼女が取った手段以外で仲良くなれないのなら、友達とかそういった段階を無視して悩みを聞くしかない。
友達にならずに悩みを聞く方法。
俺にはそんなことが思いつかない。こういうときは燕奏に頼るしかないだろう。
だいぶ吐き気が収まったので階段を下りて教室へ戻った。
「お待たせ」
「ちょっと遅かったね。君がいない間に黒板はもうきれいになったよ」
燕奏はえっへんと自慢げに言った。
「なあ、どうやったら人の悩みが聞けると思う?」
「急に何? さっきの続き?」
「まあそんなところだ」
俺がそう言うと、燕奏からギギィーと『心の音』が聞こえて、そして吸収された。
「やっぱり信頼されてないと聞けないんじゃないかな」
やはり友達という段階は必要なのだろうか。
もうちょっと燕奏に話したほうが良さそうだ。
「じゃあ紫暮ならどうなんだ?」
燕奏からゴォーンと『心の音』が聞こえた。そして『何か』に吸収された。
「紫暮さんは……、不可能だと思うよ。彼女は誰の声にも返事をしないんだもの。だからどうやったって本人に悩みを聞くのはできないんじゃないかな」
俺は腕を組んだ。
「ふむ……」
「悩みを聞くのはできないけど、悩みを予想するのはできるんじゃない」
「予想できるのか?」
「あくまで噂話だけでだけどね。だから確定じゃない」
「紫暮の噂に何か悩みみたいなのはあったか?」
「まあある程度は。例えば誰かと話したいけど超コミュニケーション障害で話せないだとか、話してるつもりだけど声がすごく小さいだとかそういうのがあるね」
放課後になるまでの紫暮からは『心の音』が聞こえない。したがってその噂は噂でしかない。
「学校生活じゃなくて、例えば家庭とかそういうのは?」
「そういうのは聞かないね。……そういえば、毎日裏門のほうへ紫暮さんが歩いてたってのは聞いたかな。これは悩みとは関係ないかもしれないけどね」
俺たちが通う大海高校には正門と裏門の2つがある。正門は生徒や先生、その他の学校関係者たちが利用する。では裏門は誰が利用するのか。誰も利用しないのだ。なぜなら裏門の先には自然しかなく、生物の授業くらいでしか裏門へ向かわない。なぜ裏門が存在するのか誰も知らない。大海高校の七不思議の1つとなっているくらいだ。でも一応裏門は門だから明るいうちは開いている。だから誰でも裏門の先へと行ける。
紫暮はそんな裏門へ毎日向かっているのなら何かきっとあるはずだ。放課後になった瞬間から『心の音』が聞こえるのだから。
「今日も紫暮が裏門のほうへ行ったのか?」
「そこまではわからないけど、毎日行ってるらしいしそうかもしれないね」
俺は自分の席に置いていたリュックを背負った。
「それじゃあ早速、紫暮に会ってくる」
燕奏からガァーンと今までで1番頭に響く『心の音』が聞こえて、また吸収された。
俺はまた吐き気がしてきた。
「なんでそんなに紫暮さんを気にするの?」
「悩んでる奴を放っておけるわけないだろ」
俺が毎日吐き気に悩まされるのをなんとかしたい。
そんな思いから俺は燕奏に言った。
燕奏からドォーンと『心の音』が聞こえて『何か』に吸収された。
燕奏は切ない笑みをした。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
燕奏から何かつらそうな雰囲気があった。
それがなんなのかわからなかった。
俺は教室を出た。
レールの上を進むために。