奇小井 紬希 と デプレッション②
日が暮れ、外灯から小さな光が現れた住宅街の道。
「きょ、今日もハクサイかわいかった……ね?」
俺はどうにか話題を引き出した。
「そうだね。今日もハクサイが深雪の上に乗るとは思わなかったよ。もしかしてだけど、深雪に懐いてんじゃないの」
ひさなの顔に光がかかった。
「いや、そうでもないんじゃないと思うんだけど。俺がハクサイに撫でようとしたらあいつ、俺の髪とか鼻とか噛んでくるんだぜ? どちらかといえば嫌われてるんじゃないかって思ってるよ」
「意外と照れ隠しだったりして」
「だとしても鼻を噛まないでほしい」
「奇小井くん、奇小井くん。私も鼻を噛んであげよっか?」
俺とひさなの後ろを歩いていた燕奏が俺の横へと現れた。
「なんでそうなるんだよ! 燕奏にまで噛まれてたまるか!」
「ねえクソ陰キャ。急にアピらないでくれるー? 正直キモいよ」
ひさなが喧嘩腰で燕奏に口を開いた。
「紫暮さん。あなたも陰キャですよね? それにあなたもアピールをたくさんしてて、完全にブーメランなのをわかってますか?」
「はあ~? 私、最近陰キャじゃなくなったんですけどー! 少なくともあんたよりは友達多いしー」
「友達が多い少ないの話は関係ないですよね? 急に脱線しないでください」
「とにかく私と深雪の邪魔をしないでくれる?」
「何言ってるんですか。あなたが急に邪魔してきたじゃないですか」
「そんなの関係ないし」
「関係あります!」
「ない!」
「あります!」
「ないって言ってるんだからないのー!」
「あるって言ってるのですからありますー!」
こんな具合に燕奏とひさなが言い争っている。俺がちょっと話題を振ると2人はすぐ喧嘩するのだ。
事の発端は、放課後になって俺がいつも通り裏門の先の森へ向かおうとしたとき、燕奏が「毎日どこに行ってるの? 私も行ってもいい?」というように言ってきてハクサイのいる場所に連れてきたのだ。そして待っていたひさなと燕奏が出くわすと急に喧嘩を始めて、帰る時間になっても状況が変わらず今に至る。
俺は2人の争いを止めるべく別の話題を振ることにした。
「そ、そういえばさ……、ハクサイを保護してくれる人は見つかった?」
ひさなと燕奏は言い争いをやめ、ひさなが口を開いた。
「全然。中学の友達は今どこで何をしてるのか全然知らないし、高校には友達いないしでそもそも知り合いが少なくて」
「紫暮さん。友達多いってやっぱり嘘じゃないですか。そのような状況だったら私のほうが友達いますよ」
燕奏はひさなを思い切り煽った。
「こいつ、シバいていい?」
「ちょっとでも私に攻撃してきたら次に会うときは法廷ですから」
「ちょっとお前ら、また喧嘩するな! ……それで燕奏はどうなんだ?」
「友達や親戚にお願いしたんだけど、ペット禁止だったり犬や猫をもういっぱい飼いすぎて飼えなかったりで」
「なんだー。役立たずじゃん」
「あなたのほうが役立たずですよね」
「なんだとー!」
どうして燕奏とひさなは水と油のような関係なのだろうか。
それにしても燕奏がここまで誰かと喧嘩したのは初めて見た。
燕奏は、いつもは誰にでも優しく接しているイメージがある。その日係の仕事があったクラスメイトが休んだとき、率先して代わりに仕事をするし、勉強を教えるのが上手でテスト前になると放課後は列ができるくらいだしきちんとその人たちを教えるという偉大な人だ。それに春休みのときだって…………。
だから燕奏の意外な一面を見れてうれしい。
「なあ、燕奏もひさなもいい加減に仲良くできないのか?」
「こんなクソ陰キャと仲良くなるなんて絶対に無理! そんなことするくらいなら、深雪と結婚するほうが断然マシ」
「なんか俺、ディスられてないか?」
「そうだよ奇小井くん。この暴言ビッチと仲良くするくらいなら、奇小井くんの鼻に中華麺を突っ込むほうがマシだよ」
「それはどうツッコめばいいかわからねえよ」
「クソ陰キャ。私のことを暴言ビッチって言ったよね? 訂正してくれない? どちらかといえばあんたのほうがそうでしょ」
「あなたの目は節穴か何かですか? あなた以上に暴言ビッチという名がふさわしい人はいないでしょう。というかクソ陰キャのほうを訂正してください」
「はぁ? それは喧嘩売ってんの?」
「そちらが売ってたので買っただけです!」
「まあまあ、2人とも争わないでくれ」
「「誰のせいで争ってると思ってるの!」」
「すみません……」
「ねえ陰キャ。深雪に対してその言い方はないんじゃないの?」
「それはあなたもそうでしょ! というかなんで奇小井くんのことを下の名前で呼んでるんですか? 奇小井くんが汚れるから下の名前で呼ばないでください。そして奇小井くんと未来栄光関わらないでください」
「はあ?」
「2人ともとにかく一旦落ち着けよ!」
さすがにやかましいな。
喧嘩するほど仲がいいという言葉があるが、果たしてこの2人を仲がいいと言えるのだろうか。
ただ仲が悪いというほどでもないのだろう。少なくとも2人から『心の音』が聞こえてこないのだから。
俺は左胸に手を当てた。
紫暮 ひさなの『チカラ』に関する出来事があってから少し心臓が変化した気がする。ただその変化が何なのかがよくわかっていない。と言っても、予想はできる。ひさなの『代償』を俺が代わりに背負うことになったのだから何かしら俺の心臓に影響したのだろう。
『チカラ』というのは心の闇から生まれ、心が存在する心臓に『チカラ』がある……らしい。
今のところ心臓の大きな変化は感じられないが、気を配っておくべきだろうな。
「ん?」
俺は異変に気がついた。
心臓ではない。ブレザーの左の内ポケットだ。
俺は内ポケットにスマホや生徒手帳、財布、お札など大事なものを入れる。……もちろん家の鍵もだ。
家の鍵がない。どこで落とした?
確かあの森でハクサイのかわいい写真を撮るために、ブレザーの左のポケットからスマホを取り出して――。
「2人とも。悪い。ちょっと忘れ物したみたいで先に帰っててくれ」
燕奏とひさなはギャーギャー喚いていたが、俺は2人を気にせず背を向けた。
ひさなからシュンッと『心の音』が小さく聞こえた。
もちろん燕奏からも『心の音』がギュインと一瞬だけ聞こえたが、『何か』に吸収され音が聞こえなくなった。
外灯がちょっと眩しい。
学校の裏門の先にある森に戻るのはちょっと気が引ける。
あそこは春休みのときの嫌な思い出の場所で、ハクサイがいる場所でもある。
パパッと鍵を見つけて帰りたい。
「『解放』」
俺は、腕が刃になるほうではなく、もう1つの『チカラ』を発動させた。
体型の変化はないようだが、体がものすごく軽く感じる。
タッタッタッと走った。
いつもよりも景色の移り変わりが激しく、自分の周りから緑色の稲妻のようなものが発生している。
春休みのときは気にしたことはなかったが、……この『チカラ』って結構酔うんだな。気持ち悪くなってきた。
日が暮れて暗く人通りがないようだし、少し派手な動きをしてもいいか。
走った勢いを使って思い切り跳んだ。
周囲にあった家の屋根を超え、高いマンションを超えた。
一瞬だけ鳥になったような感覚がしたくらいに高く跳んだ。
俺は少々興奮して手をバタバタ振っていると、少しずつ空から離れていくことに気がついた。地面に近づいていると言ってもいい。つまり、落下しているということだ。
「うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
小学生の頃、木登りをしたことがあるがそのときに落下したしたことがトラウマになってしまった。
あのときよりも高さがあり、ものすごく怖い。いや怖いという次元をはるかに超えている。たぶん、パラシュートなしスカイダイビングをしたときの気持ちと一緒なのだろうな。
着地地点は目的地であるあの森。おそらく、いつもハクサイと会っている開けた場所に近いのだろう。
そんなことは今はどうでもいい。今大事なことはどんどん落ちていることだああああぁぁぁぁぁぁっ!
着地するのはちょっと高い木。『チカラ』のおかげである程度軽減してくれるだろうけど、それでも痛みはありそうだ。
グシャギシュグシャというような音とともに、俺は木のあちこちの太い枝や細い枝にぶつかりまくって、地面に落下したのだった。
「いてててて……」
奇跡的に頭を打っていなかったようでよかった。
それでも体のあちこちが痛い。
もう絶対に『チカラ』を使って跳ばないようにしよう……。
もう完全に太陽が見えなくなって、燕奏とひさなといた時間と比べると今はものすごく薄暗くて怖い印象がある。
とっとと鍵を見つけて退散しなくては。
ハクサイとよく会っている広場のような場所へ向かうと、人影が見えた。
人影……?
犬の影ではなく……?
本当に人かどうか確認するべく近づいた。
確かに人だった。
それも女。……素っ裸の。




