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3、緑の縁

 少女は瑠璃葉と名乗った。彼女の里にある植物の中で一番土地の人たちに愛されている低木の常緑樹が瑠璃色の葉をつけるらしい。

 花は咲かないが、枝の先端で一輪の花のように葉輪を作るその樹は全体から芳香がするのだという。その芳香を集めた香水をつけていると彼女は言った。

――たしかに、とても良い香りだった。

――それは深い森の香り。



「どうぞ」

 相変わらず名前と匂い以外彼女が誰なのかはわからない。けれど、そのことを聞くのは躊躇われた。

 俺に付いていきたいと言った彼女、普通に考えれば世間体とか犯罪とか色々な事に巻き込まれる可能性があるので断るべき場面で、けれど、俺はその提案を断れなかった。

 何故と問われても論理的に答えられる自信はない、それこそ直感の様な物だ、損得とは別の面でその提案に応じたとしか言いようがない。出会った場所にあった雑貨屋で駄菓子を少し歩いたコンビニでお菓子を買って、彼女は歩きながらそれを食べていた。駄菓子は懐かしそうに、お菓子は物珍しそうに。

 そして、その道は今住んでいるアパートに向かう道でもある。結局、ずるずると部屋まで押し切られた。ともあれ、来客なので飲み物ぐらいはだそうかと、牛乳を温めたのだ、電子レンジで一分半。

「ありがとう」

 彼女は言ってコップを両手で抱えるように持ち。薄いピンクの唇で触れて飲み――。

「! あつぅ」

 手を離す彼女。きつく目を閉じて小さく舌を出す。

――猫舌らしい。

「あー、ごめん」

 そんなに熱くないと思うのだけど。

 もう一度立ち上がって、さっきより一回り大きな――いつも使っている自分用の――マグカップに牛乳を注ぐ。ふと思いついて、そこに砂糖を散らし電子レンジで三十秒。

 完了の音を聞いて、コタツで待つ彼女に新しいカップを渡す。

「こっちなら、ほら、熱くないから」

 おそるおそると言った様子で彼女は口をつけて、口に含み。――飲む。

「甘い」

 それだけ聞けば甘すぎるという文句を言っているようにも聞こえるが、その表情を見ればどう感じているのかくらいはわかる。ご満足いただけたらしい。そして、温度のせいで残されてしまったホットミルク。

 自分で飲もうと口をつけた時。

「――あ」

 と、彼女が驚いた声を上げた。ん? と、眉の動きで尋ねると彼女の頬が少し赤い。

「か、かんせつ……」

 ごにょごにょと語尾を濁したが、言わんとするところはすぐに解る。

 けど、――。

「気にするな」

 決して気にしていない風を装って、頬の赤さが伝染する前に飲み干した。



「さて」

 彼女はぬるい牛乳を飲み干し声を上げた。

 さらに、コタツの上に手を伸ばす。屈伸をしながらこちらに視線を向けて。

「質問があれば答えてあげるよ?」

 その言葉――質問と解答。なにか、心に引っかかるものがあったが、敢えて気にしない。『どうせ』と表現できる程度の記憶力しか持ち合わせていない。

「瑠璃葉、だったよね?」

「そうよ、これで三回目になるけど、私の名前は瑠璃葉」

 三回目……二回目は先ほどのだろう。一回目に関する記憶は――やはり無い。

「えっと、前ってどれくらい前だっけ?」

「んー、結構前だね」

 結構前、とは言っても、目の前の彼女、年を多めに見積もっても十八くらいだろう。

 彼女に出会ったという記憶があるなら、最高で十二年くらい前だろう、それ以上は遡らないと思う。でも……記憶にない。小学生の時の記憶が一番あやふやだ。

「んー、ところでスーツ着替えないの?」

「いや、人前で着替えるのはちょっと」

 気にしないのになぁ、と彼女は言う。

 気にしないのもどうかと思うが。

「どうして、付いてきたの?」

「?」

「いや、仮にも男の部屋に上がるっていうのに、危険だとは思わなかったのかな、と」

「あ、あぁ、なるほど。――大丈夫、貴方は無理矢理、なんてことは出来ないもの」

 信頼している言葉だ。そこには諧謔もなにもない。ふにゃりと形の良い眉を曲げる。


――その笑顔。

――信頼し委ねて、迷って、再開を誓って。

――あ。


 心に血が溢れる、薄い痕をなぞって、固い瘡蓋に触れて。

 爪に掛かって剥がれた様な、治りきっていない傷口はピンクで。直ぐに赤い玉が浮く。

 痛みはもう無いのに、血だけが零れる。

――瑠璃葉。

――その少女は、かつて一人称が『僕』だった頃の俺が一番大切な物をあげた相手。


「――十二年ぶり……かな、瑠璃葉」

「あは、思い出してくれたんだ」


 瑠璃葉は悪戯っぽく笑う。


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