2、好奇心の殺すモノ
「馬鹿馬鹿しい」
一人、鍵の束を持ち歩いて、独り言。
何の事かと言えば、先ほどの悲鳴だ。
自分たちのやったことに驚いて自分たちで悲鳴を上げていれば世話がない。小学生なら仕方がないかなと、思いながら、
――ぴん、と十円玉を弾く。
五十音の書かれた紙は破いて捨てた。
十円玉は――どうしようか?
あの教室にいた生徒達が何をやっていたのかについて、何となく解るだろう。
狐狗狸さんと言う奴だ。明治辺りの大昔も流行ったらしいし、俺が小学生の頃も流行った気がする、今も流行っているのだとしたらやはり流行は繰り返しているのだろう。
禁止令の出ている学校もあるらしいし、うちの学校もそうだ。うちの学校で禁止令が出た理由については箝口令でも出たのか詳細を知らないけれど、俺が小学生の時に狐狗狸さんをした生徒が事件だか事故だか病気だかで危ないことになったので、禁止令が出たんだそうだ。まぁ、そんなことがあったのに忘却するとは記憶とは不確かなものだ。
流行の合間に形骸化しても、次の流行の時まで決まりだけは残っている。なぜなら、教師には禁止する理由がきちんとあるからだ。
狐狗狸さんというのが本物であるかどうかに関係なく、これは質問者の質問に対して答えを返す『儀式』なのだ。そして、子供というのは自分で見つけた答えに対して意外と従順で素直なものである。
例えば、狐狗狸さんのせいで濡れ衣を着せられただとか、狐狗狸さんのせいでいじめのターゲットにされた、だとか、そんな事が他の学校であったらしい。
言ってしまえば、小集団内での神権政治に近い。狐狗狸さんを行う者達が神官階級となりヒエラルヒーが発生する、その歪みはとても危ないということだ。
――あり得ない、と一笑に付すことは簡単だが、笑ったところで解決はしない。
邪馬台国を例に挙げるまでもなく、古代の人間は神権政治が基本だった。なぜなら、人間は楽を求めるからだ。楽を求めると神権政治になるのは何故か、――正確には今現在の民主主義も楽を求めているのだ。
辛く苦しいのは何かを信じること、そして、信じるべき物が正しいかどうかを確かめ続けることだ。だから、その疑問を持つ必要のない無謬の存在を求める。
――まぁ、この話を延々と続けてもしようがないので話を戻そう。
大事なのは狐狗狸さんが危険で禁止されているということだ。催眠暗示を自分にかけている可能性もあるので、医者に診せた方が良いのかもしれない、それに関しては上に相談しておこう。生徒達はとりあえず大事ない様子だったが、扉を開いた時に儀式が中断したのは悪い影響を及ぼしたかも知れない。
で。生徒達の話によると、この十円玉は二十四時間以内に使わなければいけないらしいのだが。
――さて、どうしようかな。
ぴんと、弾く。
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全ての教室の鍵を閉めて今日の分の仕事を全部終わらせて学校を出た。完全下校時刻の直前に職員室を出たのは、それを過ぎると校庭の生徒に声をかけなければいけないからだ。それは真面目な熱意のある先生や善意のボランティアの方にお任せしてきた。
ボランティアの保護者に挨拶をして裏門を抜ける。そして、少し歩いたところで――、視線を感じた。
何がある、という場所でもない。住宅街の中に、クリーニング屋と雑貨屋がくっついたような店舗がある、そこは多分俺が小学生の頃からある店で何度も駄菓子を買った様な気がする。視線の方向が解るほど鋭くない俺は視線を巡らせて――防犯ミラーの中に人影を見つけた。
振り向き目が合う。にこりと、その視線の主は笑った。中学生か高校生、それぐらいの背格好。藍色、作務衣の様な色合いの厚い麻のワンピースを着ている。いや、一概にワンピースとも言い難い。浴衣とワンピースの間くらいのシルエット。だが、そのすとんと落ちたようなシルエットが寸胴に見えないのは腰にある独特の工夫のせいだろう。
腰紐が四重に巻かれている。光沢を押さえた嫌みのない金色の腰紐が二本あって、それぞれが腰に二回りしている様だ。そして、余らせた分の紐は尻尾のように後ろに垂れている。先端は少し広がっていて本当に尻尾のよう。その尻尾が四本。そして、裾は太股は隠れて膝が出るくらいの長さ。脚は殆ど素足でくるぶしに掛かるくらいの靴下、靴は童話の狩人が履きそうな柔らかそうな起毛素材の革靴。和服に革靴なのに妙に合っている。
「また、会ったね」
――?
初対面だと思うのだが。その少女は旧知の人に出会ったような笑みを浮かべている。
――誰だか、わからない、のに。この子を知らないと思う事に淡い痛みを感じる。それは幻肢痛にも似た、無いことの痛み。周りに夢を語られて初めて自分に夢がないと気付いた時にも似ている。
胸の浅い場所、自分でも忘れていた瘡蓋を薄く掻くようなちりりとした痛みだった。
――だがそれは、痒みを止めて心地よい。
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