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第十二章 ユリイカ(あるいは『さて』)

 1

 2021年 2月 21日 日曜日 18時 27分


「その、どうしましょう。夕飯、三人分用意しますか」

 診療所から帰宅した新橋しんばしは、朴訥ぼくとつとした表情で今のこたつに入る籐藤とうどうに訊ねた。だが籐藤はうなり声をあげるばかりで明確な返事をしてくれない。

 新橋が帰宅すると、家にいたのは籐藤だけだった。法律はいない。昨夜に引き続いて失踪したままだ。成人男性とはいえ、丸一日もその行方が知れないとなると、ただごとではなくなってくる。本格的に捜索した方がいいのではと新橋は進言する。籐藤は無精ひげを撫でながら苦々しく口を開いた。

「東京の上司にお伺いを立てたのですがね」

 上司とは警視庁副総監桂十鳩(かつらじゅうばと)警視監そのひとに他ならない。『恒河沙探偵事務所』に関する案件を総括する、警視庁が誇るトリックスターだ。

「『すこしはあいつを信用しろ』と。暗に大事にしないよう釘を刺されましたよ」

「その方は、ずいぶん恒河沙さんを信用されているのですね」

「まさか。青森県警に貸しを作るのが嫌なだけですよ。というより、頭を下げるのが嫌といったところかな。ですが、わたしにも我慢の限界があります。今夜中に帰ってこないなら……おい、なんだ。誰だ」

 玄関の引き戸が慌ただしく開けられる音がした。何か男が文句を垂れ流している声も聞こえる。

 籐藤と新橋が玄関に向かう。そこには、憤然とした様子で腕を組む盛田もりたと、三和土たたきに尻を着いて靴を脱ぐ苺刃いちごばの姿があった。

「おまえたち、どうしてここに……」

「先輩。自分はこれ以上あんたらと関わりたくない。詳しい話は苺刃巡査から聞いてください。では、失礼します」

「お、おい待て。そんな勝手な話があるか。盛田、何があった。どうしてお前が苺刃といっしょにいるんだ」

「車に乗せてもらったんですよ」

 苺刃は靴を逆さにして、中の雪を払い落す。

「おやしろ通りに出たところで、盛田巡査部長の車に会いまして。籐藤巡査部長の居場所を教えて欲しいとお願いしたら、親切なことに車に乗せてくださったわけです」

「そっちが勝手に乗ってきたんだ! それに、くそ。耳にしたくない厄介なことを言いやがって。先輩、なんでも苺刃巡査と例の探偵の妹さん、ついさっきまで特秘委員会に監禁されていたそうですよ」

「監禁だと。どういうことだ。詳しく話せ。盛田。お前は帰るな。ここに残れ。だめだ。青森県警代表としてお前はここに残る義務がある。逃げるな。こら。来いと言っているんだ。ナイスだ。苺刃巡査、ナイス。そのまま取り押さえろ。ほら、早く来い。新橋先生、恐縮ですが温かいお茶を。なんだ苺刃。腹が減っている? おまえ、本当に……」

 四人が居間に着くと、苺刃はしょうゆ煎餅を砕きながら、祈年祭からの経緯を説明した。強化の儀式が失敗・・に終わったこと。聖ブリグダ教団に追いかけられ、特秘委員会が助けてくれたこと。特秘委員会青森支部で睡眠薬を飲まされ、監禁されたこと。梶谷葵から渡されたメモ紙。凶器と化したドラえもん。テーザーガン。暗闇に横たわる自分を縛が助けてくれたこと。そして――

「縛さんは法律さんを助けるために教会に向かい、籐藤巡査部長のところに向かったわたしは、盛田巡査部長の車に乗せていただいたというわけです」

 四枚目のしょうゆ煎餅に手を伸ばしながら苺刃は説明を終えた。同じこたつに着いた三人は、そろって困惑に顔を歪めていた。

「おめぇら……ほんに、おめぇら……いっとまがの内に、勝手なことばっかしぐさって……」

 盛田はひたいに青筋を立てて全身を震わせている。

「教団も特秘委員会も、そんな暴力的な手段に出るとは」

 親指の爪を噛む新橋は、視線をこたつのテーブル上に迷わせた。

「聖ブリグダ教団も、特秘委員会も『御人形様』を所有している村に嫌われないよう、紳士的にふるまっていました。それなのに、監禁なんて、信じられない」

「おれたちはの人間じゃないからな。非合法な対応をしても問題ないと判断したのだろう」

 深く組んでいた両手を解くと、籐藤は立ち上がった。

「教会に行く」

「だめです。先輩。令状なしに踏み込むわけには行きません。そんなことをしたら、わもあんたも首が吹き飛ぶぞ!」

 盛田は飛び上がり、籐藤を止めようと組みかかる。そんな盛田を引きはがそうと籐藤は抵抗した。

「おまえ、それでもおれの後輩か。目の前で仲間が殺されるかもしれないっていうのに、こたつで温まりながら待っているってのか。ふざけるな、おれは行く。おれひとりでも行くぞ」

「大丈夫ですよ」

 五枚目の煎餅に手を伸ばした苺刃が言った。

「縛さんはわたしを助けてくれました。つぎは法律さんの番。縛さんなら、きっと法律さんを助けてくれるはずです。それに、縛さんはわたしに待っているよう言いました。自分が帰るのを待っていてって。それなら信用しましょうよ。仲間だというなら、信じて待つことにしましょうよ」

 泰然とした苺刃のふるまいに場がしらける。籐藤と盛田は無言のまま互いに離れた。

「あと三十分だ」

 籐藤はテレビの横に置かれた時計を見ながら言った。

「あと三十分。十九時までは待つ。十九時になったら、おれは教会に行く」

「……勝手にしてください。わはもう疲れた。責任は先輩と警視庁のお偉いさんで取ってください」

 煎餅を咀嚼する音だけがしばらく室内に響きわたった。

 盛田のスマートフォンから着信音が流れる。盛田は特に許可を取らず電話に出た。

「…………そうか。わかった。おめぇもこっちにこい。走ってこい。急いでこい。わかったな」

 通話を終えると、盛田は大きな舌打ちを放った。

「部下からです。苺刃巡査の言葉を確認するために、特秘委員会に向かわせたのですが……ひっきりなしにひとが出入りして、てんてこ舞いらしいですよ」

「わっはっは。ざまあみろですよ」

 苺刃は大きく口を開け、熱い緑茶をひと口で飲みほす。

「苺刃巡査。特秘委員会は村中に散らばって、あんたと恒河沙縛を探しているそうだ」

「へぁあ⁉」

 すっとんきょうな叫び声と共に、苺刃は緑茶を吐き出した。

「当たり前だ。お前と恒河沙縛は特秘委員会を敵に回したんだ。どうするつもりだ。やつらが警察や村人にバレなきゃどんな暴力も辞さない異常者集団であることは、あんたが一番よくわかっているだろ」

「たしかに、この時間にしては外が騒がしいですね」

 新橋がそっと掃き出し窓を開く。陽が落ちた夕食時。普段なら村は静まり返っているのだが、ぼそぼそとした話し声や、ぱたぱたと駆けずり回る足音が聞こえてくる。

「とにかく、おとなしくしていましょう。苺刃さんは、玄関から靴をもってきてください。いざとなったら、どこからでも逃げ出せるように」

「なんだか、夜逃げみたい。悪いことをしている気分です」

 苺刃は肩をすくめながら玄関に向かった。

「……法律たちがもどりしだい、おれたちは車に乗って村を出る」

 籐藤は時計をにらみながら言った。

「あとは全部おまえたち県警に任せる。めんどうごとを押しつける。すまんな」

「構いませんよ」

 賞味期限が切れたまんじゅうのようにむすりとした表情で盛田は応える。

「先輩たちに残られたら、さらにめんどうごとが増えそうだ。とっとと東京にお帰りください」

「縛さぁぁん!」

 夜空を切り裂きかねない歓喜の絶叫が家中に響きわたった。

 その声は玄関に向かった苺刃が発したものだった。籐藤たちは大慌てで玄関に向かう。そこには息もえといった様子で三和土に座り込む三人――恒河沙法律、恒河沙縛、そして、宮野美穂みやのみほの三人の姿があった。

 苺刃は縛に抱き着き、頭を縛の胸元にぐりぐりと押しつけている。縛は安堵した表情で、苺刃の背中をやさしく叩いた。

「おう」

 籐藤はポケットに手を入れたまま法律に言った。巡査(苺刃)の態度と比較すると、巡査部長(籐藤)のそれはあまりにもドライで、ともすると冷淡と取られうるものだった。

「無茶ばっかしやがって」

「権力の犬にはできない対応です」

「野良犬を野放しにできない理由がよくわかったよ」

「首輪でもつけますか?」

「しつけで勘弁してやる」

 籐藤は法律の肩を強く叩いた。

「それで、こちらは?」

 籐藤は法律と縛に連れられてきた女性に目をやった。

「宮野さんですよ。さくらちゃんのお母さんの、宮野美穂さんです」

 新橋が驚嘆の声をあげる。美穂は聖ブリグダ教団に入信してから、村に降りることは許されなかったという。美穂が教団に入信したのは約二か月前。新橋が美穂と会うのは少なくとも二か月ぶりだったわけだ。

「どうして宮野さんが一緒なんです。恒河沙さん。説明してください」

「説明している暇はありません。端的に申します。まずいです。ぼくたちは完璧に聖ブリグダ教団を敵に回しました。ぼくと宮野さんを助けるために、縛が大立ち回りを……」

「大立ち回りって、何をしたんだ」

「あのひとたちが飼っているペットを殺しました」

「そりゃひどい。器物損壊罪きぶつそんかいざいだ」

「ジョークを言っている場合じゃありません」

「ジョークじゃない。他人のペットを殺したて訴えられたら、罪名は器物損壊だ」

「縛のおかげで何とか教会から逃げ出したのですが、村に入ってすぐに追手がやってきました。ぼくたちを探して、教団員たちが村中に散らばっています。見つからないようなんとか三人でここまで来たのですが……ああ疲れた」

「言われてみれば、さっきより外が騒がしい気がします」

 新橋は玄関を少しだけ開けて外の様子をうかがった。新橋の言う通り、外のひと気が増している。夏祭りのようにざわざわとひとびとの声が村中に響き渡っている。何台もの車で村を巡回しているものもいるらしく、車のエンジンの音も聞こえてきた。

「あの、さくらは。娘は無事なのでしょうか」

 美穂は怯えきった様子で声をしぼりだした。

「教団はわたしが娘のところに戻るのではないかと考えるはずです。娘は家にひとりでいます。業を煮やした教団員が娘に何かするのではと心配で……」

「その通りですね。よし、わたしの部下に娘さんを保護させます」

 盛田がスマートフォンを取り出して言った。

「あなたたち親子は、この三人といっしょに村の外に逃げてください。今後のことは、落ちついてから考えることにしましょう」

「え、なに。留守部村から出るの?」

 縛がぽかんと呆けた表情で言った。そんな縛に『当たり前だ』と籐藤が怒声を発する。

「おれと法律はお前を迎えにこの村まで来たんだ。こうしてお前と合流した時点で、これ以上この村に残る意味はないんだよ」

「あるよ。だって、まだ事件は解決してない。そうでしょう? ねぇ、刑事さん。そうでしょう?」

 縛は籐藤と盛田に代わる代わる視線を向けた。壊れたサーチライトのように首が左右に振られる。

「おれたちは事件を解決しに来たんじゃない」

 籐藤は人さし指を縛の頭に突きつけた。サーチライトがぴたりと止まる。

「お前さんを迎えに来たんだ。二度も言わせるな。事件のことは県警に任せろ。おれたちが口出しする必要はない」

「ある。だってわたしたち、聖ブリグダ教団と特秘委員会の内側・・にいたんだよ。ねぇ、今回のふたつの事件。このふたつの組織が()()()()()()()()()と思う? あんな変な組織がのさばるこの村で、あんな変な殺人事件が起きて、それでも関係ないって言うの」

 籐藤と盛田が顔を見合わせた。ふたりは口もとをモゴモゴと動かすばかりだ。

「あの人たちは事件と関りがあるはず。だけど、警察はあの人たちのことをよく知らない。建物の中の様子も、どんなひとがどんな価値観の下で生活しているのかも知らない。だけどわたしたちは知っている。わたしたちが得た情報の中に、何か事件の解決につながる糸口があるかもしれない。刑事さん。わたしたちを村から出していいの?」

「縛。失礼なことを言うんじゃないよ」

 法律は妹の肩を軽く叩いた。

「それと、本当・・のことを言いなさい。自分を偽ることがどれだけ醜い結果を生み出すのか、縛()()()()に学んだはずだよ」

 縛の瞳が大きく開かれた。固く閉ざされくちびるが小刻みに震え出す。汗ににじんだ両手がズボンのすそつかむ。引き裂かんばかりに握りしめる。その下にある肉をむしるために。過去にあらがいたいが、記憶の中に潜む過去は形而上的な存在であり、この手で引き裂くことはできない。だから代替を求める。忌まわしき過去の代わりに引き裂く相手を求める。目の前に肉がある。実体をもつ肉がある。引き裂け。爆ぜろ。この忌まわしき記憶の代わりに――

「ごめんなさい」

 縛は深く頭を垂れた。誰のために。きっと、自分のために。

「本当は、ただのわがままなの。わたし、この村のために事件を解決したい。さくらちゃんのためにこの事件を解決したい。さくらちゃんが住む留守部村に平穏を取り戻したい。だって、さくらちゃんはわたしを救ってくれたから、わたしはまだ何も恩返しができていないから」

「籐藤さん。盛田刑事。妹のわがままを聞いてください。数時間だけで構いません。ぼくたちに、事件を検討する時間をください」

「もう勝手にしてくれ」

 籐藤は髪をかきむしりながらそっぽを向いた。

「長々と居座られては困ります。少なくとも今夜中。日付が変わるまでには、この村から出て行ってください」

 盛田は腕を組み、法律をにらみつける。

「ありがとうございます。新橋先生。恐縮ですが、もうしばらくこちらで厄介になってもいいですか。事件について考える場所が必要なので」

「もちろんです。ただ、いつ教団や特秘委員会の人間がここに来るか――」

 新橋の声が固まる。玄関の向こう、家の正面にある門扉が『ギィ』と音を立てたのだ。

「先生。新橋先生。いらっしゃいますか。特秘委員会の者ですが!」

 複数人の足音が玄関に向かってくる。新橋は無言のまま、全員に家の奥へ向かうように促す。

 全員が部屋の奥に消えると、新橋は玄関に散らばった皆の靴を靴箱の中に放り込んだ。

「先生。いらっしゃらないのですか!」

「な、なんですかいったい」

 新橋は玄関の戸を開き、顔だけを出して応対した。

 玄関の先には特秘委員会の構成員が四人いた。水筒のように太い懐中電灯を手に持ち、新橋の家を照らしている。先頭に立つリーダー格の男が、玄関の戸をつかみ、音を立てて開けた。

「先生。先生は、東京から来た警察のかたをお泊めになっていると聞いています」

「う、うん。今夜はむつ市の方に行っているみたいだけどね」

「では他には? 具体的に申します。聖ブリグダ教団が『巫女様』と敬っていたあの女をかくまっていたりはしていませんよね」

「か、匿うとは物騒な言葉を使うね。まるで、あのひとが何か悪いことをしたかのような……」

「質問にお答えください」

「まさか、家にいるのはぼくひとりだ。他に誰もいないよ」

 特秘委員会の男は玄関の中を舐めるように見回すと、満足したのか帰っていった。

「あ、危なかったですね」

 廊下の曲がり角から法律がひょいと顔を出す。それに続いて、縛、苺刃、美穂、籐藤に盛田もひょいと顔を出す。

「いつ教団や特秘委員会の人間がここに来るかわかりません。皆さん、二階の奥の部屋へ行ってください」



 2

 2021年 2月 21日 日曜日 18時 58分


 新橋に促され、全員が階段を上った。最奥にあるその部屋は、普段から使われていない空き部屋らしく、桐たんすと折りたたみ式の座卓があるだけの和室だった。常時雨戸が閉まっているらしく、室内はえらくかび臭い。

 どこか湿った感じのする座布団で円を作り、全員が座った。法律が口火を切る。彼は『強化の儀式』に参加していた縛と苺刃のために、祈年祭で起きた殺人事件についての詳しい説明から始め、その後、佐田本老人宅の前で聖ブリグダ教団に拉致され、監禁されたことを細かく話した。乗馬用のムチで全身を叩かれたくだりに入ると、新橋は職業的責務を感じたのか、法律の服を脱がしてせるよう言った。全身に残る青あざを見て、法律を除く全員が嫌悪感に表情を歪ませた。

 新橋は軟膏のチューブを大量に持ってくると、半裸の法律を座布団の円の中心に寝転がし、その場の全員に治療を手伝わせた。まな板の鯉のように横たわる法律の全身に、全員で軟膏を塗りたくる。全身を六人の指に撫でまわされながら法律は話を続けた。時おり、青あざを押され、『ひゅぇ』と浮き輪から抜ける空気のような悲鳴を漏らしながら。

「モントゴメリーという男は危険ですね」

 新橋は丁寧な口調の中に怒りの感情を含ませていた。彼は聖ブリグダ教団にも特秘委員会にも親しみの感情を抱いてはいなかったが、強く拒絶の感情を抱くこともなかった。主張や立ち居振る舞いこそ異常ではあったが、村人に対し暴力的な態度をとることはなかったからだ。黒のローブと銀色タキシードが村で出くわした時も(梶谷姉弟のような例外を除き)暴力的な応酬はほとんどなかった。少なくとも、互いにナイフや警棒、テーザーガンといった凶器を持ちながらそれを用いることは一度もなかったのだ。

「それに、あの人たちは村のおじいちゃんやおばあちゃんたちに積極的に声をかけてくれました。若者が少ないこの村の住人にとって、彼らと言葉を交わすことがどれだけ刺激になったことか。それなのに、モントゴメリーとかいう男は……」

 新橋の声が絶望に擦れていく。そんな声をケラケラと嘲笑する声が部屋に響いた。その笑いの主は――他でもない、法律自身だった。

「間違っていませんよ」

 法律はパンツ一枚に四つん這いという、なんとも威厳のない姿勢のまま堂々と言った。身体の前面に塗った軟膏が床に触れるのを防ぐため、背中側を塗られる間はこの姿勢をとるよう新橋から指示されていた。

「ぼくはこの『この村の人間』ではないですからね。どれだけ痛めつけても問題はない。まったくない。ありません」

「いえ、あります。恒河沙さんがおっしゃっているのは暴力の指向です。わたしが批判しているのは暴力という存在そのものなのです」

 新橋の反論には説得力があった。法律は口を半開きにして、籐藤の方を見た。籐藤は肩をすくめて法律に白旗をふるよう勧めた。

「その後、ぼくは宮野さんに縛へ助けを求めるようお願いしました。それから後、救出されるまでは同じ様に拷問と食事を与えられるだけでしたから、特に語ることはありません。救出の話は、あとで縛にしてもらうことにしましょう。次に宮野さん。もしよろしければ、ぼくと別れた後なにがあったのか話してもらえますか」

 美穂は真夜中に教会から抜け出したこと。そして法律の救援依頼を娘のさくらに託して教会に戻ったが、教団員たちに脱走がバレて、法律とは別の部屋で監禁されていたことを説明した。

「『調和の儀式』の時間が近づくと、わたしは化身様の部屋へ連れていかれました」

「やっぱり。今日、ぼくの元へ食事を届けに来たのが美穂さんでなかったのは、そういう事情があったのですね。無茶をさせてしまい、本当に申し訳なかったです」

「かまいません。あなたのおかげでわたしは目覚めました。聖ブリグダ教団は狂っています。あそこは、わたしの居場所ではありません」

「それはどうも。次に、しぃちゃん。あ、失礼。縛、頼むよ。何があったのか、説明して」

 治療が終わり、軟膏が乾くまでと法律は座布団の上に立っていた。他の六人が座布団に着く中で、なんとも異質な存在感を放っている。

 縛は祈年祭の裏で催されていた『強化の儀式』から話を始めた。特秘委員会に救出というていで拉致されたこと。睡眠薬を飲まされ目覚めてからは、『柚乃ちゃんが来てくれるまでボケっとしていた』とのことだったので、話のバトンが苺刃に移った。苺刃は梶谷葵からメモ紙を受けとり、何とかして縛に届けなければと奮起したことを語った。

「娘さんは最高の仕事をしてくれましたね」

 法律は美穂に向かってにこりと笑った。

「縛が特秘委員会にいると判断したのもベストですし、メモ紙を渡す相手に葵さんを選んだのもベストでした。普通の人間なら、特秘委員会の構成員に託そうなどと思いません。だけど、さくらさんは葵さんを信じていた。幼少から自分をかわいがってくれた葵さんの愛情を信じていた。すばらしい。本当に、最高の仕事をしてくれました」

「賢い子なんです。親と違って……」

「その賢い子はまだ来ないのか。あいつ、何をやってるんだ」

 盛田はぼそりとつぶやく。腕を組みながら苛立たしそうに指を動かしていた。彼の部下はさくらに事情を説明するのに手こずっているのかもしれない。たしかに、法律たちを取り巻く現状はなかなか複雑で不可解だ。

「それでわたしは、縛さんにメモ紙を渡したところで気を失って、どこか鍵のかかった部屋に連れていかれました。はい、バトンタッチ。パスパスパス」

 苺刃は隣に座る縛に握り拳を向けた。その拳は、何かを握るようにすき間が空いている。縛は空っぽのバトンを受けとると、部屋の家具や衣服を放火して脱出を図ったことを語った。うら若き乙女が素肌を晒したとのことで、その場の全員が、縛が銀色のズボンとワイシャツを着ている事情を理解した。

「どうかしている」

 籐藤は頭を左右に振りながら言った。法律に手招きを向けると、近づいてきた法律の耳元に小声で話しかける。

「法律。お前さんの妹はいかれてるな。もしかして、残りの妹もこんな感じなのか」

「むむ。失礼ですね。しぃちゃんは賢いですよ。他の子もしぃちゃんと同じくらい賢いに決まっているじゃないですか」

「つまり、同じくらい狂っているというわけか」

 縛が話を続ける。苺刃を村に返し、自身は教会に向かい法律の救出を図った。正面の入り口から中に入り、邪魔をする教団員は全員返り討ちにした。そして、法律と美穂が捕らえられている部屋に入ると、法律に代わり化身様・・・と対峙した。

「んで、そのでっかいワンちゃんを殺して、三人で村まで戻ってきたというわけ。はい、おしまい」

 劇を終えた演者が観客の拍手喝采の前でするかのように、縛は大げさに頭を下げてみせた。それに応じたのは苺刃と法律だけだった。ふたりはパチパチと乾いた拍手をくり返してみせた。

「ひとつ質問をさせてくれ」

 籐藤が身を乗り出して、縛をにらみつけた。縛は『はい』と居住まいを正した。

「悪いが俺は……信じられない。お前さんがこの探偵の妹で、同じく変わりものだってことは理解できる。それでも、お前さんのような若い女が闘犬を殺すなど、とても信じられない」

「誰でも殺せますよ。小学校高学年程度の体力があれば、人間は犬程度なら殺せます」

「できん!」

「できるよ。普通のひとは、()()()()()。ホモ・サピエンスの肉体は()()()()()が思う以上に屈強なの。それに加えて知恵がある。ただ、この知恵が厄介でね。刑事さんのようなひとは、()()()()()()()()、犬程度でも殺せないと思いこんじゃうの。つまり……説明が難しいな。刑事さんみたいなひとは、頭がいいから馬鹿なわけで――」

「何だって」

「はい、バトンタッチ。縛。ぼくにバトンを、パスパスパス」

 法律は両手を振って場の視線を集めた。縛は法律に向かいバトンを放り投げる()()をする。法律はその空っぽのバトンを両手で受け止めた。

「籐藤さん。話が脱線しています。縛が何者かは、この村で起きた殺人事件とは関係がありません。ぼくたちに必要なのは事実です。事実として縛は闘犬を殺した。それだけ。それ以上でも以下でもない。はい、パスパスパス」

 法律が空っぽのバトンを籐藤に投げつける。籐藤は思わず手を上げてそのバトンを受けとってしまった。

「次は籐藤さんが話す番ですよ」

「おれがぁ!?」

「なにを驚いているんですか。ぼくと別れてから、ただ留守部村をほっつき回っていたわけじゃないでしょう。ぼくや縛が知らない情報を籐藤さんだって収集しているはずです」

「しかしなぁ、おれたちが怪しいと睨んでいるのは聖ブリグダ教団と特秘委員会だろ。おれはただ村にいただけで」

「それでもいいから話してください。籐藤さんが気づいていないだけで、事件の解決につながる手がかりがあるかもしれませんよ」

「……念のため聞くが、法律。今のところお前は、この事件の犯人が誰か見当がついているのか」

「いえ。皆目かいもく見当がつきません」

「偉そうに言いやがって。まぁいい。おれは、そうだな。お前さんが佐田本老人を家まで送りにいった後に……」

 籐藤は空っぽのバトンを太鼓のバチのように握り、太ももを叩いた。叩き続けながら語り続けた。籐藤の話がある時点にたどり着いた時、軟膏が乾き、新橋が貸してくれたトレーナーに頭を突っこんでいた法律は、服のなかで『ユリイカ』とつぶやいた。

 トレーナーからすっぽりと頭を出した法律は乱れた黒髪を直しながら何かを言おうとしたが、それに先んじて盛田が『失礼』とふところからスマートフォンを取り出した。

「部下からだ。悪いが出させてもらいますよ。……おい、いったいいつまで……なんだ。おめぇはだれだ」

 盛田の表情は怒りの様相を増していく。その視線が法律の方に向いた。

「なんでそれを……おいこら。勝手な。わは警察だぞ。わに話すんのが……たく、わかったよ」

 盛田がスマートフォンを法律に差し出した。法律は両眼を細めて『なんです』と言った。

「……お前と話がしたいとさ」

「誰です」

「口にもしたくない」

 法律はスマートフォンを受けとると、ジッと画面を見つめてから大きくため息をついた。

「この場にいる全員に聞く権利があります」

 そう言って法律はスマートフォンをスピーカーモードに変えた。盛田が何か言葉を発しかけたが、籐藤がそれを制する。

 法律は座布団の円の中心にスマートフォンを置いた。

「もしもし。恒河沙法律です」

『グッドイブニング。ミスター恒河沙!』

 電話の向こうから聞こえてきたのはモントゴメリーの声だった。その声は高揚としている。しかしそれは、ストレスが閾値に達し、感情が大破した結果として生じているような、何か危険性を孕んだ上機嫌であった。

『よくもやってくれましたね。我が教団の同胞たちを痛めつけるだけでは飽き足らず、こともあろうに化身様を殺めるとは。信じられない。この世の規律に逆らうなんて、あなたは怖くないのですか』

「怖くないです」

 法律はしらけ切った口調で返す。

「妹を失うことに比べたら、なんだって怖くない」

 モントゴメリーの息を呑む音が聞こえた。法律は頬を上げて当の妹にニヤリと笑いかける。縛は照れくさそうに笑い、苺刃はからかうように縛の両肩を揺らしていた。

「というか、あの。おたくの教団さんに危害を加えたのは縛ですし、器物損壊で訴えられるのは妹です。ぼくじゃありません」

「ちょっと、ほぅ兄。かばってよ!」

 縛は一転して兄に喰ってかかった。口を大きく開き、信じられないといった様子で法律をにらみつける。

「かばわないよ。しぃちゃんだってもう二十歳を超えてるんだ。自分のおしりは自分で拭きなさい。だいじょうぶ。ぼくもいっしょに謝りに行ってあげるから」

「だってあれは、ほぅ兄を助けるためにやったことなんだよ。ほぅ兄にだって、責任はある!」

「う……そう言われるとたしかに。でもねぇ、いくらなんでもひとさまのワンちゃんを――」

『化身様を殺した!』

 電話の向こうから鼓膜を裂かんばかりの絶叫が飛び出してきた。それはモントゴメリーの声ではなく、女性のものだった。

『声が聞こえたぞ。涜神とくしん者め。お前が化身様を殺した。わたしの化身様を。わたしが、このわたしが見つけだしたのに。この世の安寧のために、大金をはたいて……それなのにお前が殺した!』

「千来田様だ……」

 美穂が怯えた様子で言った。この中では、もっとも千来田の声を聞く機会が多かった美穂は、豹変した千来田の声も聞き取ることができたようだった。

『おい、れ者。そこにおるのか』

 千来田に代わり、今度は若い女性の声が聞こえた。場の空気が凍りつく。『なんでこいつが?』と盛田はつぶやいた。電話から聞こえてきた声は、ラニア・アッバースのものだった。

『勘違いするでないぞ。余は聖ブリグダ教団なる危険思想家の集まりと手を組んだわけではない。一時的に利害が一致したまでのことである』

「あの、ラニアさん。恒河沙縛だけど」

 縛は正座の姿勢のままアザラシのようにペチペチと手を動かし、スマートフォンに近づいた。

『ほぅ。やはりそこにおったか。余が留守の間に、ずいぶんと粗相をしてくれたな』

「粗相はそっちでしょ。睡眠薬を飲ませて監禁して。それがラニアさんの国のおもてなしなの」

『では、ひと様の建物に放火するのがお主の国のもてなしか?』

「ちがうけど、あれ意外に方法は思いつかなかったから。それより、あんたの部下のひげもじゃの男が、柚乃ちゃんにテーザーガンを撃ったんだよ。謝って。謝って。謝りなさい」

『お主はその男の手首を粉砕し、衣服を強奪したと聞いておるが』

「それとこれと何の関係が?」

『大ありであろう』

「ないです。乙女の柔肌に傷をつけたら死刑です。知らないの?」

『ラニア様。わたしにもひとつ言わせてください』

 男の声が電話の向こうから聞こえた。それは蓮下はすもとの声だった。

『恒河沙縛。数多あまた狼藉ろうぜき、許してはおけん。間もなくお前のデータが本国の解析班のもとに届くであろう。貴様のような危険な特秘物は、いつか人類全体に災禍さいかをもたらす。おとなしく我々の管理下におかれろ。少しでも正義の心を有するなら、われわれに従え。それが、この世界の平和のためなのだから』

「よくわかんない。電話切っていい?」

 室内の全員が『待て待て待て待て待て』と慌てる。いや、苺刃だけはそんな様を見てくすくすと笑っていた。

『本題だ』

 電話の声がモントゴメリーのものに代わった。

『我が教団の優秀なる仲間たちと、愚鈍なる特秘委員会のやつらにきみたちを探させているがなかなか見つからない。そこで、探すのはやめることにして、代わりにきみたちに自ら出てきてもらうことにした』

「どういうこと?」

『こういうことだ。ほら、きみのお友達だよ』『し、縛さん?』

 か細い声がスマートフォンから漏れ出した。恐怖に浸され、涙を滲ませた、小さな声だ。

 美穂がひとり短い悲鳴をあげた。スマートフォンから聞こえた声は、彼女の娘、さくらのものだった。

『縛さん……わたし、家に警察のひとが来て……今すぐここを出る必要があるって……そしたらすぐに、教団と特秘委員会のひとも来て……警察のひとは殴られて……あ!』

『わかったか。恒河沙縛よ』

 電話の声がラニア・アッバースに代わる。彼女も気分が高揚してきたのか、その口調に覇気が現れ始めた。

『お主の盟友はわれわれが預かった。それと、警察官のスマートフォンもな。お主らがそのまま身を隠すか、尻尾をまいてこの村から逃げ出すというならば……この者は、我が特秘委員会のスタッフとして本国に迎えいれさせてもらうとしよう』

『ミス・アッバース! それでは話が違う。そのものは我が教団が来月におこなうプロビド祭儀の贄にするのだ。プロビド祭儀には、若き処女の小指の第二関節から先が不可欠! 毎年教団員の中から指を差し出すものを募集していたが、今年はその必要はなさそうだ』

 電話の向こうから聞こえるさくらの悲鳴と、この場にいる美穂の悲鳴が重なった。

『わかったな』

 ラニアは言った。

『われわれは白山神社におる。十分以内に来られよ。さもなくば、この娘の身は、我らで好きにさせてもらう』

「おめぇら。ここに警察官がいるってことを忘れてんじゃねぇか?」

 盛田が声を荒げた。額に青筋が浮かび、その目は朱色に染まっていた。

「そんな横暴、わの目が黒いうちは――」

『ならば。お主の目を白くするだけのこと』

 殺気を帯びた声でラニアは言った。場の空気が外気と同じか、それ以上に冷たく凍りつく。

『われわれにはそれができる。聖ブリグダ教団にも可能だろうな。お主……名はなんと申すか知らんが、われわれを甘く見積もりすぎではないか。特秘委員会も聖ブリグダ教団も世界中の名士を味方にもつ組織なのだぞ。こんなアジアの僻地でひーこらと働く官憲ひとりの命など、庭先の雑草を引き抜くのとなんら変わりない』

「な……」

『とはいえ、余は慈悲深い。その雑草が日陰ひかげにひっそりと生え、日向ひなたを歩む余の視界に入らないというのなら、わざわざ手を汚してまで引き抜こうとは思わん。余の手をわずらわすな。警察本部に連絡などしたら……もう一度言う。余の手を煩わすな。おい、恒河沙の兄妹。十分と言ったであろう。既に三十秒が経ったぞ。もう外に出たのか。間に合うのか。ははは。待っておるぞ』

 電話は一方的に切られた。

 縛は立ち上がり、何も言わず部屋を出ようとした。

「待て。少しおちつけ」

 籐藤は座ったまま縛の手を取った。だが縛は籐藤の手を握り返すと、すっくと立たせてぐいぐいと部屋を出て行った。

「お、おい。ちょっと……離せ……」

「だって刑事さんも行くでしょ」

「おちつけと言っているんだ。おちついて、話し合って……」

「話し合っている時間なんかないよ。もうあと九分しかない。急がないと」

「法律!」

 籐藤が叫ぶ。だがそんな籐藤の横を、法律はさっさと歩いていった。

「籐藤さん。ぼくらは行きますよ。何があろうと行かなければならない。宮野さん」

 法律はくるりとふり返り、室内の美穂を見た。

「娘さんの件はぼくらに責任があります。だから、何としてでも娘さんは助けてみせます。無事にお返しすると、ここに誓います」

「わたしも……わたしも行きます!」

 美穂は身体を震わせながら立ち上がった。

「あの子が怯えているのに、じっとしてなんかいられません」

「危険ですよ。聖ブリグダ教団は裏切者であるあなたを目の敵にしている」

「それが何か? 娘を助けに行かない理由にはなりません」

「……いいお母さんだ」

 結局、この場の全員で白山神社に向かうことになった。だが籐藤の提案で、暴行を受けたという盛田の部下の様子を見に行くため、新橋と盛田を宮野家へ向かわせた。部下の安全が確保できたら、彼らも神社に向かうとのことだった。

「どうするつもりだ」

 玄関で靴に足を滑り込ませながら、籐藤が訊ねた。

「決まっているじゃないですか」

 法律は答える。

「決着をつける。それだけです」



 3

 2021年 2月 21日 日曜日 19時 19分


 家を出ると、盛田と新橋は小走りで宮野家へ向かい、法律たちは新橋の軽自動車に乗り込んで白山神社へ向かった。神社までは歩いて数分の距離に過ぎないが、一分一秒でも時間が欲しい今、のんきに歩いていくわけにはいかなかった。

 おやしろ通りを白山神社に向かって南下していく。その途中で目にしたものに、美穂が『ひ』と悲鳴をあげた。

 道の脇のいたるところに、黒のローブと銀色タキシードの姿があった。懐中電灯を手にした彼らは、こちらに襲いかかってくるわけではないが、ジッと軽自動車の方を見つめ、前を通過すると、その後を追いかけて来た。

「トップから指示が出ているのでしょう」

 助手席に座る法律が言った。

「手出しはするな。ただし、すこしは脅かしてやれと。気にする必要はありません」

 おやしろ通りから白山神社に繋がるゆるやかな坂道を登っていく。正面に見える神社の境内から、白い光が轟々と湧き出ていた。どうやら、うす暗い夜の神社では光量が足りないと考えたらしく、どちらかの団体(もしくは両方)が照明を持ちこんだらしい。

 五人が軽自動車から降りると、すぐにその周りを黒のローブと銀色タキシードに囲われた。だが彼らは何をするでもなく、石像のように固まってこちらを凝視するばかりだ。

 法律たちは四脚門の入り口から境内に入った。境内のいたるところに、夜間の工事現場で用いられるようなバルーン型の照明器具が置かれていた。バルーンの下部にあるガソリンエンジンで電力を供給しており、いたるところでブスブスとやかましい音を立てている。

 四脚門から広場をはさんで反対側、拝殿の入り口に伸びる階段にひとかげがあった。黒のローブに身を包んだモントゴメリーと千来田。銀色タキシードに身を包んだラニアと蓮下。そして階段の後ろ、木板が敷かれた浜縁に座り込み、泣きじゃくるさくらの姿があった。

「さくら!」

 美穂が宵闇を裂かんばかりの絶叫をあげる。その声に気づきさくらが立ち上がりかけるが、即座に千来田と蓮下が動いた。千来田の手には儀礼用のナイフが、蓮下の手にはテーザーガンが握られ、その両方がさくらに向けられる。さくらはびくりと身体を震わせて、再びその場にうずくまった。

「妙なまねはするなよ!」

 モントゴメリーが境内全体によく通る声をあげた。

「少しでもおかしな動きをすれば、わが兄弟たちが貴様らを抑えにかかる」

 境内にさくさくと足音が集まり始める。見ると、四脚門の入り口から次々と漆黒ローブ姿の教団員たちが入ってくる。いや、教団員だけではない。銀色タキシードの特秘委員会構成員たちも境内に集まり始めた。あっという間に、法律たちから数メートルの距離をおいて、境内はふたつの団体の構成員たちの姿で埋め尽くされた。その中には梶谷姉弟もいた。漆黒ローブ姿の弟の桐人は、縛と目が合うと、視線を逸らし、他の教団員の後ろに、隠れるように下がった。銀色タキシードの姉の葵は、警棒を握りしめ、複雑な感情を押し殺した表情で苺刃をにらみつけていた。

「恒河沙縛。お主は近接戦闘に長けているようじゃな」

 ラニアが小馬鹿にしたような笑いとともに語りだす。

「腕自慢のファルークをのしてしまうとは恐ろしいやつよ。だがどうだ。どれだけ優れた戦士であろうと、この物量の前にはその活力も意味をなすまい。ふふふ。青森支部の全構成員をこの場に集めたぞ」

「おっと。それは聖ブリグダ教団も同じこと」

 ラニアに続き、モントゴメリーが得意げに言った。

「教会に暮らす全教団員がこの境内に集まっています。いかにお強い巫女様・・・といえど、これほどの数を一度に負かすことはできないでしょう」

 ふたりの言う通り境内に集まった顔の中には見覚えがある者がいた。右腕に包帯を巻いたファルークもいれば、グラグラとあごを動かす金砕棒の男の姿もある。苦々しい表情で苺刃をにらみつけるハリネズミ髪の男。ゴロゴロと目玉を転がす丸眼鏡の教団員。山の上の教会と、山の下の青森支部。ふたつの建物を空にしてでも、恒河沙の兄妹と決着をつけたい。そんなラニアとモントゴメリーの強い意志が現れていた。

「大人しく投降し、悪しきジンに満ち溢れたその肉体をわれらに委ねよ。さすればこの少女を無事に返してやろう」

「さくら……」

 美穂はうなだれて座り込む我が子を見つめた。その潤んだ視線が法律と縛に移る。法律はまばたきひとつせず、何か思考を巡らせているかのように自身のこめかみを叩き続けている。そして縛は、両手の拳を丸く握り、くちびるの端を強く嚙みしめていた。

「おら。どけどけ!」

 境内に新たな声が響いた。声の主は教団員と構成員の波を割って進む盛田だった。盛田の後ろには新橋が続く。さらにその後ろには、村長の梶谷源造かじたにげんぞうとその息子の泰造たいぞう、そしてふたりと同じく管理組合の江竜えだつ大久保おおくぼが続いていた。

「これはなにごとですか!」

 村長の梶谷が声をあげる。年老いてはいるが、村を治めるものとしての自負心が感じられる、力強い声だった。

「こんな夜中に神所に集まるなんて、神様に失礼だとは思わないのですか」

「うむ。村長殿。お主の申す通りである」

 ラニアは両腕を深く組んで大仰にうなずいた。

「だがこちらにも、やむにやまれぬ事情があるのだ。村長殿と言えど、邪魔立ては許さぬ。ご安心を。至極平和的、かつ非暴力的にすべては終始する。そのものふたり、恒河沙の兄妹が投降すればすべてが終わるのだ」

 梶谷村長はラニアの言葉の意味が理解できなかったらしく、困惑した様子で法律を見た。

 だが法律は、先ほどと変わらず、ずっとこめかみを叩き続けていた。

「ほう兄」

 縛が視線をさくらに向けたまま口を開く。

「もし、手段がないなら。わたしはかまわないよ。さくらちゃんを助けるためなら、わたしはこの身を――」

「だいじょうぶ」

 こめかみを叩く法律の手が止まった。

「あとはお兄ちゃんに任せて」

 法律は強く両手を叩き、場の視線を自身に集めた。

「殺人事件の真相を知りたくはありませんか」

 法律の質問にその場が静まり返る。拝殿の浜縁に立つラニアとモントゴメリーは、揃って眉を潜めてみせた。

「この一週間の間、留守部村では不可解な事件がふたつ起きました。菅原久すがわらひさしさんは隣の本殿前で何者かに刺殺され、岩城秀二(いわきしゅうじ)さんは祈年祭の最中にトリカブト粥を口にし、毒殺されました」

「菅原何某を殺害したのは悪しきジンであろう」

 ラニアは鼻で笑いながらモントゴメリーの方を見つめた。彼女が言う『悪しきジン』とは、当然、聖ブリグダ教団が敬う『御人形様』のことに他ならない。

「ちがいます。人間です。菅原さんを殺したのは人間です」

「人間……それはすわなち、聖ブリグダ教団の者だな!」

 そう叫んだのはテーザーガンをさくらに向ける蓮下であった。蓮下の表情は緊張感に歪み、白髪が混ざったあごひげは汗に濡れて細くとがっていた。

「菅原さんはわれわれ特秘委員会に親切にしてくださった。それを過度な忖度そんたくと解釈し、腹を立てた聖ブリグダ教団が氏を殺害したのだ」

「では、岩城さんを殺したのはそちらということになるのでは!」

 儀礼用ナイフを手にした千来田が叫ぶ。

「岩城さんは聖ブリグダ神の教義に理解を示す、篤信に溢れる方でした。特秘委員会は、そんな岩城さんが気に入らず、よりにもよって神聖なる祈年祭の場で彼を殺害したのです」

「なにを!」

「なんですか!」

「待って。待ってください。おふたりとも、落ちついて」

 両腕を大きく振りながら法律は大声を発した。

「組織の幹部たるおふたりが熱くなられては部下の方々も困りますよ。どうか落ちついて、ひとまず発言権をぼくにください」

「だが、真相よりも大切なのは、きみたちを捕らえることだと言ったら?」

 モントゴメリーは挑発的な笑みを浮かべながら言った。

「誰が犯人なのかは知らないが、警察はまだ捜査を続けているのだろう。きみがいまここで口を割らなくとも、いつかは警察が犯人を見つけだす」

「たぶん、無理です」

 しれっとした口調で法律は言った。盛田はぎろりと法律をにらみつける。

「ぼくは論理的な推理によってこの事件の犯人の正体にたどり着きました。犯人の狡猾さには驚くべきものがあります。犯人の大胆さは、殺人という悪しき行為とは別の場で発揮されれば、称賛にあたいすることでしょう。だが何よりも恐れるべきは、その動機です。ぼくにはこの殺人によって、得られる犯人の利益が思いつかない。いえ、『もしかしたら』と思い浮かぶものがありますが、それが真相であってはいけない。あっていいはずがないのです。犯人は狂人です。狂気の論理で組み上げられた殺人事件を、すみません、盛田さんのような、()()()な方に解決できるとは思えません。それはぼく()()の専門です。恒河沙の兄妹。ぼくたちなら、この狂人を捕らえることができます。ただし、聖ブリグダ教団さんでも、特秘委員会さんでも構いません、ぼくと妹を拘束したら最後、以後ぼくは真相を口にすることは絶対にしません。拷問でもしますか? その時は、舌を噛んで死にます」

 モントゴメリーとラニアの顔に焦りの色が灯った。境内はざわつきと焦燥に満ち溢れる。

「殺人事件の真相をお伝えします。もしぼくの話に納得していただけたら、さくらさんを解放してください」

「おい、法律!」

 籐藤が駆け寄り、法律の腕を掴んだ。その後ろから苺刃も駆け寄る。彼女は縛の手を握る。不安そうに見つめる苺刃に、縛はどこか余裕のある笑みで一度うなずいた。

「法律。おまえ、本気で言っているのか。この事件の犯人が……」

「よかろう!」

 ラニアの声が刃のように冷たい夜空を駆け抜けた。

「語れや探偵、その真相を。そして納得させてみよ。この場の万夫ばんぷのその首を、するどく縦に降らせてみよ」

「おもしろくなってきたじゃないか」

 モントゴメリーが蛇のようにチラチラと舌を揺らした。

「許可しよう。探偵さん。この事件の真相とやらを聞かせてもらおうか」

「言質はいただきました。もう取り消しは聞きませんよ」

 法律はにこりと笑ってみせた。

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