Track.2 ASMR
「敵襲だああぁあ!!!人間共が攻めて来たぞ!!!」
ユーベン・リルスが住まう支部の要塞内に、哨戒班による警告が響き渡る。
その直後、統率だった動きで兵達は要塞内一階の広大なフロアへと集結し、各々の能力を考慮した完璧な布陣を……警告からものの数分で形成した。
そしてその隊列の中央前方には、リルスの看病のため一時的に異動となっている総帥の側近グルアが、武装し屹立していた。
「グルア様……あの、リルス様はどちらに?」
「あぁ……少し、深刻な状態でな。今回の出撃に至っては退いて頂いた」
出撃を待つ間、後ろの一般兵に問われたグルアが酷く落ち込んだ様な表情と声色で答える。
「えぇっ!!!?だ、大丈夫なのですか!?ただでさえ、先の戦闘で傷ついておられるのに……!!」
「案ずるな。動揺は戦いに於いて急所となるぞ」
「………し、深刻とは、どのような状態なのですか……?」
「……………もはや言葉では言い表せまい。強いて言うならば……まるで悪霊に取り憑かれ、自我を失ってしまわれているかの様だった………」
「そんな……!!一刻も早く治療を……あ!!私の知り合いのカウンセラー兼エクソシストに除霊とカウンセリングを……」
「案ずるなと言っただろう!!……あのお方は悪霊などには屈しない。私も再三カウンセリングを提案したが全て断られた。きっとリルス様は今、姿の見えぬ敵を自らの精神力で打ち倒さんと奮闘しておられるのだ……」
「な………なんと勇ましいお方だ……!!!」
グルアの言葉に、兵達は皆固唾を飲む。
「三傑が一人、誇らしき我らがユーベン・リルス様に勝利を捧げる為!!!!この戦……退かず!!恐れず!!!一人として死ぬ事無く敵を打倒するぞ!!!」
「「「「「「ウオオオオォォオオオ!!!」」」」」
感極まった一人の兵士の啖呵に呼応して……数千人の同志たちは、地響きを起こすほどの叫びを上げるのだった。
◇◆◇
「死にてぇ…………」
自室で一人、うつ伏せのまま滝の様な涙を流し続ける俺。
謎の女性の声に絆され、一人ブリッジを白目でキメている所を……グルアに完全に目撃されたのだ。その羞恥はもう計り知れない。
”あ………あの………失礼しました…………。今からカウンセラー呼んできますね……”と、本気で心配した声色で言った彼の顔が忘れられない。無論その提案は断ったが、醜態を見られたという事実は変わらないのだ。
「………いや、恥に悶えてる暇ねぇだろ!!敵襲なのに!!!」
さきほど悶えながらも警告を聞き、即座に準備しようとしたが……グルアが憐れむような顔しながら全力でそれを止めて来た。あまりにしつこいのでその時は根負けしてしまったが、冷静になった今考えれば……彼らを束ねている俺が出撃しないなどあり得る筈がない。いや冷静でなくとも至るべき結論だろ。恐るべきスマホの魔力。
「早く行かねぇと……!!」
………あの時、戦場でルルワ・エリーフェンが放った言葉が脳裏をよぎる。
『次に見える時、軍の指揮は私ではない。言っておくが、私ほど甘い騎士はそう居ないぞ。』
恐らく次に襲撃してくるのはアイツらの様な騎士団ではなく……王国が最終手段として用いる”殲滅隊”。あんな残虐非道な奴らと戦えば兵達は……!
「これ以上恥晒してたまるかよ!!……待ってろ殲滅隊!!!」
出撃準備を早々に済ませ………部屋のドアへと手を掛ける。
「……………」
振り返る。
視線の先には………スマホとイヤホン。
「いやいやいや何考えてんだ俺。死地に向かうんだぞ今から」
思い出すのは………聖母すら霞む、あの女性の声。
「早く行かねぇと……あいつらが………」
溢れ出る未練。
だが俺は仮にも軍中枢を担う三傑……。己の欲望一つ制御出来ず戦いに出るなど許されない。数千の部下の命を預かっているのだ、こんな得体の知れない女の声に絆されている場合ではない!!!
「…………っし………行くぞ!!!!」
俺はそう言って勇ましくイヤホンを耳へと差し込み、勇ましくスマホから彼女の声を流しつつ………勇ましく、皆の待つ戦場へと向かうのだった。
◇◆◇
「ハハハハハハ!!!魔族ってのは見掛け倒しで、身体はこうも脆いんだなぁ!!?」
……支部より北西に1キロ離れた、草木も疾うに嗄れ果てた砂漠。
衝突するは2つの勢力。魔族と人間。数は両軍とも千を超える。
人間を率いるのは、”殲滅隊”総隊長レルグス・イーヴィ。元は国家転覆を図り帝国全土を危機に陥れた伝説的なテロリストだったが……10年前、無数の犠牲者の上に捕獲され、今では帝国が処理しきれなかった、若しくは煩わしさ故に即消滅させてしまいたい敵対勢力に向ける最終兵器として、その戦闘能力のみを利用されている。
だが実際は、こうして暴れる理由を与えなければ……いつ脱走し、残忍な殺戮を再び繰り返すか分からないからである。
「こいつ………!!本当に人間かよ!?」
「魔術も使わず身一つで我々を圧倒するなど、もはや化物だ………」
「奴以外の兵もレベルが違う!!こんな兵力を隠し持っていたなんて……!!」
まるで遊ばれているかのように。戦闘が始まって数分後、魔族側の勢力は指数関数的に削がれていき……もはや今砂の地に立っているのは中央の精鋭部隊と、総帥側近のグルアのみであった。
自らの命をも考慮しない捨て身の戦法、拳一つでさえも銃弾と化す筋力。これまで無数の敵対勢力を彼らの手で屠って来たことが容易に窺えてしまう。
「安心しろよ、まだ殺してねぇ。全員連れて帰って……労働の褒美としてお前等を俺の玩具にする。なにせ久々の出動だ………待ってる間に全部、壊れちまってよぉ」
「……外道が………!!」
「ギャハハハハハハハ!!!魔族がなんて言った今!!?帝国の永遠の敵であるお前等悪者がなんだって!!?………なぁグルア・エイルザード。例えば、総帥様の側近のお前が俺に何されようと……それを知った国民は大喜びすると思うぜ?」
「歴史の齟齬に異論は無い。悪者で結構。だが………貴様の様な下衆に、兵を殺させはしない」
「………言ってろ、化物」
その瞬間、レルグスの姿が消える。………否、瞬きの合間に距離を詰め、グルアの背後に回っていた。
察知し、腰に差した刀身を抜き薙ぎ払うグルア。だがそれすらも見切った彼は難なく回避し、そのまま右足を軸に旋回……そして左足の先を宛ら槍の様に、グルアの腹部へと正面から突き刺した。
「ぐっ…………!!が………ァ…………」
「あーあー………やっぱり脆い。それに、さっきから変だぞ?……お前一人なら俺とも張り合えるだろうに……。魔族風情が家族ごっこか?駒なんて好きに死なせて、テメェの戦いに集中しろよ」
成す術無く、地に伏す。
流れ出る血は砂に染みていき……より黒く彼の身体を囲い始める。
「グルア様!!!」
「安心しろって、まだギリ殺してねぇ。こんな大物そう易々と死なせねぇよ」
戦き、嘆く兵を一瞥し……一歩ずつ彼らへと歩いていくレルグス。その相貌は、子供の様に破顔していた。
「でもまぁ……これ以上は持って帰れねぇしなぁ……。うーん…………よし、お前らは殺しとくわ」
「う…………うわああぁぁああああ!!!」
眼前の、一人の兵を睨む。恐怖に慄き腰を抜かした憐れな彼を……レルグスは慈悲なく蹴り殺し……
「……………姿が見えねぇと思ったが……来てたのか」
「あぁ。遅れてすまない」
レルグスの足に貫かれたのは兵ではない。
何処からともなく現れた、ユーベン・リルスの腹部であった。
グルアと同じく血を流しながらも彼は一切動じず屹立し……その足を掴みレルグスの身体ごと放り投げた。
「ハッ、部下が受けた傷は自分も……ってか?なんとも自己満足な節介だな」
「こんなものでは済まないさ。………お前達を滅した後、責任取って腹を切る。……本来なら二度死ぬ筈なんだがな」
「じゃあ今、ここで殺してやるよ!!!」
受け身を取った体勢から、リルス目掛けて先程の様な瞬間移動を行う。
狙うはたった今付けた腹部への創傷。死角からそこを攻撃し……更には引き裂いて殺害するつもりであった。
「死ね!!!ユーベン・リルス!!!」
「………」
………そこで、レルグスの動きが止まる。いや正確には止められていた。
彼の頭頂部にはたった一本、レルグスの差し出した指が触れている。それだけで、レルグスの身体は止まり、あろうことか砂の地へと押し込まれていたのだ。
「なっ………なんだ………!?これ………こんな力………!!」
「驕るなよレルグス・イーヴィ。本来俺らとお前らとじゃ戦いにもならねぇんだ。………そっちの姫様が異常なのと、俺の仲間が心配性過ぎて……俺がいないと力出し切れなくなるだけでな」
「ふ………ざけるなぁ!!!!」
苦し紛れに放つ蹴りをいなし、再び背後に回ると今度は彼の首を鷲掴んで地へと叩きつける。
骨が軋む音と共に、レルグスの呻きが砂に溶けていく。
「それに………今日の俺は更に強い」
「な………何を言って……!!」
「体の奥底から闘志が湧き上がり………全ての力が底上げされた気分だ」
その時、レルグスは渾身の力を以て首を回し……陽光に照らされたリルスの姿を改めて目に写した。
「なんだ………!?それ……は……!!」
「貴様には分かるまい。この…………”ASMR”という力が!!!!」
それは……スマホをポケットに突っ込みながら、有線イヤホンで耳かき音声を聞いている三傑の一人、魔族が誇る”破壊者ユーベン・リルス”の、勇猛なる姿であった。