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序

 カラン……


 がらんどうとした朽ちた社《やしろ》に、乾いた音が響いた。床下に野鼠でもいれば驚き身を固めるか、尾を翻《ひるがえ》し巣穴に駆け戻ったであろうが、天井の角《すみ》に張られた蜘蛛の巣にも宿主はおらず、羽虫の死骸だけが取り残されており、その音に反応するものは何もなかった。


 ぱちり……闇に光点が瞬《またた》く。

 社の隅《すみ》。数は二つ、動きは異なる。何かを探しているのか彷徨う様に上下左右へ、忙《せわ》しなく、ぐるりと泳いだ。 

 すると、不意に差し込んだ月光が、板間の木目をなぞる様に走り、音の発生点を照らし出す。


 ――骨だ。


 白い骨。大きくは無い。それだけでは何の骨なのか判別するのは困難であろう。当然に、先ほど蠢《うごめ》いていた光点も月光の助けを得てそれを捉えたのか、再度確かめる様に瞬いた。だが、すぐに興味を無くしたのか目の前に視点を戻す。

 それもそうだ。先の乾いた音、小さな骨片を吐き出したのは己(・)自(・)身(・)であったのだから。


 舐《ねぶ》る。大腿骨に僅かに残った肉片を舌先でそぎ落とすように。

 啜《すす》る。中に溜まった髄液を一滴も零《こぼ》さぬ様に喉奥へと促して。


 一心不乱に目の前に横たわる獲物に腕を伸ばし、犬歯を突き立てた。身体が熱い。全身が熱を持ち、肉が打ち震える。

 

 コロン——また、音が鳴る。


 はッとして、辺りを見回すが、やはり誰もいない。再び月光が差し込んだ。足元の血溜まりに己の姿が映し出される。

 髪は抜け、血の気も失せて青白い。剥き出しの犬歯は濡れひかり、爪は固く鋭くて……それを見据える両の眼《まなこ》は異様にも縦に開閉してみせた。


「嗚呼《あぁ》……」

久しぶりに発したであろう、いや発しようとした人語は言葉にならず……嗚咽だけが漏れ出ていた。そこで、はたと腕がとまり、目の前の獲物を改めて見直した。


「何故《どうしテ》――」

人だ。若い女子の腹を割り、四肢を捥《も》いで貪っている。悔恨と悲嘆の感情が胸に湧き出るが、すぐさま圧倒的な飢餓の波にさらわれて霧散する。そして——


 喰《は》む。

 骨を喰む。

 甘露な味わい。

 愛おしい香り。

 これだけは、何者にも奪わせない。

 それだけが、果たすべき唯一の約束。

 

 そうだ、彼女が望んだ事なのだ。

 あの囁き、ぽつりと放たれた一言が、今でも頭に響いてる。

 見回せば、社の中にはそれまで喰らってきた人骨が無数に転がっていた。それを、双子月が放つ月光が怪しく浮かび上がらせる。

 四肢に力が籠る。これで良いのだと、己に言い聞かせた。奴等はまた奪いに来る。俺から彼女を奪いに——


 カラン……コロン――


 また、音が鳴る。

 どこかで聞いた下駄が鳴らす、乾いた音が。


〝うふふ……あはは——〟


 声が聞こえる。

 いつか出会った女子《おなご》の囁《ささや》き、あの優しい声が。


〝……って——〟


 社に音が木霊《こだま》して、誘《いざな》われる様な微睡《まどろ》みの中で、かつての記憶が走馬灯の様に駆けて行った。

 

 

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