裁判
もー、江ってば〜。
出会ったばかりの女の子とは、随分仲良く話すじゃない?
お前、こういうLサイズでAラインのナチュラルカラーなファッションの子が好きなのか?
こういう…背の低い…ちょっと…おとなしそうな感じの。悪くないけど。
俺が話しかけてもスルーのくせに〜。
なんだよ〜。ぶーぶー!
みたいなブーイングを本人に伝えられないのは、自分の体が意識不明の重体だから。
体は江の腕の中にあり、意識だけ浮遊している状態。
視界はかなり高い位置にあり、そこからストライオス・ナブリディアル・ザ・ゲートと江の様子を眺めていた。
ん〜。絶景。
人の恋路を横から覗くほど面白くて野暮な事はないよねー。
で、その江とストナちゃんが城の前の長い階段を上る間に、こっちは先回りして城の扉の前に着いた。
扉を開こうにも、どうやらスルッと通り抜けてしまうようで、物には触れないようだ。
まぁ通り抜けられるのであれば、扉をわざわざ開かなくても用は足りるんだけどね。
一足先に城の内部へ向かう。
江、頑張れ。
ちょ〜応援してるぞ!
この階段、長い。
太腿がガチガチになって来て、志半ばで座り込んだ。抱えていた彼をちょっと横に置く。
なんか体調も優れない。
一体、何段あるのかわからない階段。 こちらも石を積んだものだが、傾いていたり、高さが統一されていなかったりと、手作り感が見て取れる。
「延々続く長い苦難の道のり。人生の最初の難関を表しているの。」
と、説明しながら上がってくるゲートさんは、涼しい顔。
僕は彼女にようやく顔を見せられた。彼女の背景には青い空があり、足下に白い街が見える。
僕達がいるのは随分高い場所のようだ。
ゲートさんの丸っこい瞳。色は深いブルー。潮の香りがここまで追いかけてくる。
「人生の最初の難関…。」
「ノヴァリス・ゲートは人を選ばない。そのゲートをくぐる権利は誰にでもある。だけど、その当たり前のことをする為に、人は苦難の道を通ることもあるの。」
「なるほど…。」
ノヴァリス・ゲートは生へと導くもの。そのノヴァリス・ゲートが現れるというこの城もまた、人が生きることと深い関わりを持つようだ。
僕は彼を抱き上げ、再び階段に足を踏み出した。
階段を全て上り、城の中へ入ると、ホールへと下りるかなり長い階段があった。
「上ったのに下りるんだ…。」
思わず口にしてしまった僕に、
「ノヴァリス・ゲートの代わりに説明するけど、生きていく上で避けられない理不尽という名の障害を表しているの。」
と説明があった。
「なるほど…。」
階段をまたぜいぜい言いながら下りると、広大な空間。天井がかなり高い。
その天井に届くかという、大きなステンドグラスの窓があり、十字架を背負う人が描かれている。
「広い…。」
唖然と口を開く僕の隣で、
「ノヴァリス・ゲートの代わりに説明すると、一つの命に秘められた無限の可能性を表しているの。」
とゲートさんが言った。
「なるほど…。」
広いフロアの隅には、電話ボックスサイズの個室の扉が並んでいる。古めかしい木の扉。
正体はすぐにわかったが、城の中にある理由は謎だ。
「懺悔室?」
似たようなものを、テレビで見たことがある。
格子窓の向こうは暗闇で、どちらかと言えば拷問室のような陰鬱な空気が放たれている。
「二つのゲート曰く、先ず懺悔から。心を開き正直になることが大切だと表しているの。」
「なるほど…。」
上へ上がる階段はというと、隣の塔にある螺旋階段を使うらしい。
短い渡り廊下を通じて移動し、石階段をまたコツコツ上がる。しっかりとした石の手すり。明かり取りの小窓。
二階には回廊があり、ここにも荘厳なステンドグラスが並んでいた。丁度、外から光が射し込んでいて、廊下の床に綺麗な光を落としている。
「こ、これは何を表しているんですか…?」
先回りして尋ねた僕に、
「これはただの回廊。こういうデザインなの。」
と、悪戯っぽいゲートさんの笑みが向けられる。
え、可愛い。
こんな風にも笑えるのか。
普通の女の子なんだな。
広い廊下、首を伸ばして周囲を見回す。聖母なのか女神なのか、はたまた天使か。白衣を頭から被った女性の像が並んでいる。
廊下の先はどこかの広間に繋がるようだが、遠くてよく見えない。
まるで行き先を導くように、ステンドグラスの光が、廊下の床に整然と並んでいる。
懺悔室といい、女神像といい、どことなく宗教的なものを思わせるインテリアだ。壁や窓の輪郭も、カーブを多用した曲線美が多い。
装飾は華美な色使いをしていない。礼拝堂のような厳かな空気だ。
「生へと導くノヴァリス・ゲート。死へと誘うゲヘナ・ゲート。ゲートを求めて進む者。その者をゲートへと案内する管理者。この城には、それらの登場人物が存在する。まるで閉鎖空間に成り立つ、一つの物語のように。」
ゲートさんが淡々とした口調で解説をくれる通り、ここは少し変わった装いの城のようだ。
具体的に建物の造りや置かれている物で、人生の苦楽を表現している。
生きる為のゲートを探す前に、生きる事の苦しみを予習している気分だ。黙示録の城。
「すごく変わった場所ですね…。」
つまり、自分を生かすのは自分ということだ。ノヴァリス・ゲートはあくまで手段であり、そこに辿り着くかどうかはゲートを探す者次第。その先を生き抜けるかどうかも、本人次第。
そんなことを悟らされる。
「一つの経典の中に入りこんだと思えばどうかな? 箱庭のような小さな狭い世界で、私と浅野くんは物語を紡ぐの。」
コツン、という靴音と共に、少し前を歩いていた彼女が足を止めた。
僕も足を止める。立ち尽くす彼女との間には、一メートルほどの距離。
大理石の床に彼女の影が落ちている。
僕はある可能性に気がついた。
「ノヴァリス・ゲートに辿り着けなかった人もいるんですね。」
「たくさんいるよ。」
ゲートさんの瞳はどこか遠くを見ている。火の入っていない蝋燭と燭台。死神が描かれたステンドグラス。
綺麗だ。
「浅野くんは、辿り着いてね。」
「ゲートさん」
「この先の『誓いの広間』を抜けて、反対側の塔の階段を上がる。そこにまた長い廊下と、たくさんの部屋があって、…そこに塔の一番上にある部屋へと通じる扉がある。その扉を抜ければ、ノヴァリス・ゲートは目の前だよ。」
「そこまで丁寧なゲートさんの案内があれば、」
余裕ですよ。
と、言いかけた。
がしゃん。
という重い音。「ガシャン」と「がしゃん」は違います。平仮名の方が、音がとっ散らかったようなイメージ。字面は大事だ。
で、何が散らかったのかと言うと、鉄の鎖だった。長い鎖が床に落とされた音。
鎖の先を見ていくと、その先には鎌がついている。人の頭くらいの刃渡りのある鎌だ。それを握った人物が、僕とゲートさんの少し後ろに立っている。
「誰、」
と僕が問うのと、
「来た…。」
とゲートさんが言葉を溢すのが同時だった。
いつの間にか僕達の後ろに立っていたのは、和装の喪服を着た若い女性。長い赤髪を、高い位置に後ろで束ねている。俯いていて顔は見えない。
にも関わらず、どこか見覚えのあるような人だ。古い写真を切り取ったような、昔の記憶から抽出されたような。
仄暗いものを背負う人。
「走って!」
そんな事をゲートさんが口にして、僕は二秒遅れて反応する。
「え?」
「あれは『死』よ。」
服の裾を掴まれた。
両手で、服を引っ張られる。ゲートさんの顔がグッと近くに寄って、僕の心臓もグッと縮んだ。
それからドッと血液をポンプする。
「ゲヘナ・ゲートが迎えに来たの。私にはわかるから。でも、」
止められないの。
という声がか細く、弾くと切れそうな音色だった。死へと導くゲヘナ・ゲートと直結している彼女は、死が彼を迎えに来たことを、いち早く察する事が出来る。
だから悲しい顔をしたんだ。これまでもそうだったから。
「逃げましょう!」
僕は走りだした。それより一歩早く動きだしたのはゲートさんの方で、素早く僕の後ろに回ると、背中を押しながら追走する。
僕は死体を抱えている身なので、手を引いたり出来ないからだ。まるで強風の日に風下に向かって走るように、凄い勢いで背中を押されている。
押される背に足がついて来ないので、胸を突き出すような変な格好での全力疾走だ。
これが、生と死の狭間。
この世界の理。
それは今、動き出したのだ。
これは彼の生か死かを判決する、『裁判』だ。
「とにかく、逃げて! 走って!」
と言われるので素直に広い廊下を駆け抜ける。学校の廊下の二倍くらいの幅がある回廊は、二人で疾走しても十分に追い越し車線がある。
回りこまれないか不安で振り返ろうとすると、ゲートさんの刺すような鋭い視線と目が合った。
「振り返ってる場合じゃないよ!」
「すみません…でも…!」
僕が履いている学校指定の白シューズと、ゲートさんの赤い革靴が、騒がしい音をたてる。
白い柱とアーチ状の飾りを三つ分過ぎたところに、誰ぞの肖像画に挟まれた両開き扉。
「あそこに入って!」
指示を飛ばされ、そこまでダッシュ。
扉の前で足を緩める。振り返ると、喪服姿の女性は一番近い柱の傍に立っていた。
「え…?」
走って追ってきた感じじゃない。まるで空間の概念がないかのように、知らぬ間にそこに佇んでいる。
「浅野くん、何してるの!」
「もう、こんなに近くに…。」
「浅野くん、来て! 早く!」
両手が塞がっている僕に代わって、ゲートさんが扉を開けてくれている。
得体の知れない何かは、こんな扉を一枚隔てたところで、足止め出来るものではなさそうだ。
物理的な障害物ではどうにもならない。まるで、パニックものの映画でも見ているかのように、心臓や肺が冷たくなっている。
嫌な予感がずっとしている。夢を見ている時の僕も、最近はずっとこんな感じだ。
「ゲートさん、あの女性は誰ですか? 知ってる人のような気がする。」
抱えている彼の足をぶつけないように、注意しながら扉をくぐる。
部屋は学校の講義室くらいの広さ。奥に深い。壁にも天井にも宗教画のようなものが描かれている。
部屋の中には十体以上の女神像が向き合って並び、向き合う列の中央にも一体。手にナイフを持っている。
その手前には教壇のような机が置かれていた。
大樹を象った凝った形の燭台に、火のない蝋燭。
部屋の中央の空間はポッカリ広く空いている。
「誰でもないよ。あれは、『死』という概念を具現化した存在。彼女に殺されるのは、ゲヘナ・ゲートへ入るのと同じ。」
大人数が集まって、集会でもやっていそうな部屋だ。説法や講義にでも使われていたような。
「それじゃあ、あの女の人は…。」
「死神。とか、呼べばいいんだろうね。きっと。」
ゲートさんが口にした言葉が、重く重く僕の頭に響く。
彼をノヴァリス・ゲートに連れて行きたいと願う僕からすれば、最も会いたくない敵というわけだ。
死神と僕。
追いかけっこが始まる。