私は自分の中で満ち足りている。
森の中のアトリエを、人生の最期の場所に選んだ。
自分の罪の重さに、耐えられないから。
「まだ着かないのかよ〜。どこまで行く気なの〜。」
後ろからの気だるい声が追いかけて来る。真冬の森の中。
季節柄、目の前には裸の高木が立ち並び、その足下に雪が積もっている。
街外れの森の中を進んでいた。
勿論、そのうち何処かの道に出るだろうと迷い込んだ上に、宛もなく歩いているわけではない。
目的があって、ここまでやって来た。
シャツにブレザー。学生服に手提げ鞄。学校帰りのそのままの格好だ。特に何も必要ないので、鞄の中には授業のノートと教科書、財布、スマホ、少しのお菓子しか入っていない。
「江〜。ちょっと休憩しないかー。」
文句を言いながら追いかけて来るのは、同じクラスの同級生。どうして付いて来るのか、よくわからない。
理由を知りたいという興味も沸かない。今は、自分が死んでもいい場所に辿り着くまで、生きているので精一杯だ。
なんなら、この冷たい雪の上に寝そべって、このまま生き倒れたいくらいだ。
しかし、それだとすぐに遺体が見つかりそうなので、何処か人の目につかないところまでは、生きて辿り着かなければならない。
そんなにすぐには見つかりたくない。
死ぬ時も、死んだ後も、出来れば一人で静かな場所にいたい。
「結構な森の奥まで来るじゃん。もうここら辺で妥協しないかー?」
彼はいつでも何処でも、こちらの都合のお構い無しに付いて来る。一度、足を止めてジッと視線で返すと、
「ん? どうした、急に見つめちゃって…。そんな迷惑そうな顔で見なくても、自殺を止めたりしないぜ?」
飄々とした態度で、そんな言葉が投げられた。
「江の考えてることくらいわかるよ!友達だもんな!」
諦めてまた歩き出せば、同じ距離を保ちながら、数歩後ろを付いて来る。
あちらは濃紺のダッフルコートに着替えた上、幅広のマフラーにブーツまで用意した気合の入りようなので、この冬の大地でも気軽なものだ。
ほぼ私服だろ、とツッコミたくなる。
「出来れば他の事で力になりたかったけど、仲間に頼っても、先生に相談しても、お前の抱えてることは解決しないみたいだし。家に行ってご家族と話してみようかと思えば門前払いだもんなー。」
ザクザク音を立てて霜を踏み、目的の廃屋を目指す。
資産家の息子が画家を目指して、森の奥に建てたアトリエの廃墟だ。その画家志望の男には金と慢心はあるが才能がなく、志半ばにして、ピカソの失敗作みたいな絵の前で、手首を切ってしまった。
そんな曰くのある場所だから、お誂えというものだ。
死という名の贖罪を目前にした人間にとっては。
「江が苦しそうに生きているの、見てるだけで俺も辛いからさ…。死ぬことしか救いがないなら、俺もこれ以上は邪魔しないよ。」
ようやく目的の廃墟の屋根が、木々の隙間に顔を出した。
あと少しで、苦しい事は全て終わる。代わりに全てを失うとしても、失くすものすら、この手の中には何も無い。
「だけど、俺はお前のことを、一人にしないからな!」
死者を入れる棺。
という形容をして然るべき、横長の箱のような建物だ。所謂、コンクリート打ちっぱなしという外観。
曇天の下に建つ灰色が、白と黒の混ざり合った、混沌としたこの世界を物語っている。
こちらも建物の上には雪が乗り、足下は霜という凍てつく仕様になっている。なんなら天然の冷蔵庫だ。
今から死体になる身としては、すぐには腐りそうになくて安心。腐臭で発見される可能性は低い。
「こーゆー建物って、バブル期あたりに流行ったらしいぜ。築三十年経ってたりしてな。」
聞いていない知識が披露される。
タイルも貼らずに風雨に晒されていた所を見ると、建物は劣化が激しいと予想される。
立入禁止の看板が立っていてもおかしくないくらいだ。しかし、この建物が施錠もされずに放置されていることは、下調べがついている。
「しかし、こんな場所よく見つけたよなー。ネットでそんなこと調べている時間あったら、新しくできたケーキ屋とかリサーチしてくれよ。いつでも誘ってくれていいし。」
という彼の言葉を無視して、建物の右寄りに位置する入り口へと向かう。
長方形の穴のように見えた入り口は、入ってみると凹む形でそこにドアがある。ノブを捻ってみると予想通り扉は開いた。
ステンレス製の扉の先は、薄暗い空間が広がっている。
「うへ〜。なんかでそう。」
率直な彼の感想は正しい。
ここは、心霊スポットだ。
ネット先生曰く、自殺したという先人、もといMr.画家志望の自縛霊が出るらしい。
建物の中からうめき声がするだの、建物を撤去する工事を始めようとすると、必ず不幸が起こるだの、という類の症状だそうだ。
これだけ劣化した建物なら隙間風も通るだろうし、今時は取壊しにも費用がかかるそうなので、現実的な問題ではないかと思う部分も多々あるわけだが。
いずれにしろ、施錠がロクになされていないのはそういう理由で、要するに管理する人間すら近寄らない場所らしい。
「マジでこんなトコが人生の墓場になるわけ? 」
という酷評を受けて然るべきだが、今はどうでもいい。
人生最初で最後の住まいが、郊外にある閑静な森の中の一戸建て物件なら上等な方だろう。
これでも物件の価値観には覚えがある。どうにか一人で生きていけないかと、物件情報サイトを漁った経験があるからだ。
「それじゃ、仲良く内覧といきますか。」
彼にポンと肩を叩かれた。
建物の中へ足を踏み入れる。空気は肌を刺すように冷たく、張り詰めていた。
心臓の方はというと、落ち着きを払い普段通りの拍数を維持している。贖罪の時を間近に控え、役目を終えつつある安堵からだろう。
この苦難の旅路は、もうすぐ終わる。
はずだった。