小さな種
「レーダン侯爵領にすぐに行くことはできませんが、ここから祈りを捧げます。」
神父は、そう言って1枚の札を差し出した。
護符のようである。
正教会の守り札、どこもおかしなところはなく、ユークレナ結社との接点は見当たらない。
慣れてくると、ベルンストとは似ているが非なる人物であるとわかる。
今まで、これ程に似ているのに噂にもでないことを不思議に思うが、王太子の顔を知っているのは貴族に限られると思い付く。
だが、ローラ嬢なら、メリーアンジュを通して何度か王太子と会っているはずだ。
ローラを重要な情報を持っていない普通の令嬢と侮っていたが、それが間違いかもしれない、ロイの表情が引き締まる。
神父とロイの視線が一瞬重なるが、ロイがすぐに顔を伏せる。
騎士達は、神父に挨拶をすると急いで駆け出した。
王都に向かい馬を駈りながら、気はあせる。
すでに魔鳥で王宮には連絡を入れてあるが、神父の姿を撮った記録玉を提出したらどうなるだろうか。
メリーアンジュは王宮の庭で魔術の訓練をしていた。
王宮では緊迫した状態が続いているが、父をはじめ皆がメリーアンジュを安全に過ごすことを望んでいるために情報は入ってこない。
「私が当事者だというのに、ひどいと思いませんこと?」
ツンと顔をあげてメリーアンジュがセリナとブリニアに文句を言っている。
手のひらに乗せた種に魔力をこめるメリーアンジュだが、成果はでない。
「私は大きな魔力があるのに、自分で使えないなんて大問題ですの」
怒っているわけではないが、すねているようだ。
兄に比べて、魔力が少ないと言われ続けてきた。
子供の頃は落ち込み嘆きもしたが、周りからあまりある愛情を注がれ、仕方ないと受け入れた。
手のひらが、ほんのり温かくなった。
「ご覧になって!
芽がでたわ、私にも出来たわ」
メリーアンジュの手のひらの種に小さな芽が出ている。
「お兄様、ベルンスト、ロイ」
芽を見せようと走り出したメリーアンジュを護衛が止める。
「メリーアンジュ様、王太子殿下は会議中であり、誰も近寄れません」
「そうでしたわ」
そう言うと種を庭の片隅に植え始めた。
両手で土を抑えている。
「姫様、大きな木になった姿を想像してください」
横からブリニアが声をかけると、メリーアンジュが顔をあげた。
「セリナ、私がこの種を大きな木にしたら、お兄様達きっと驚くわ」
メリーアンジュが口元をあげる表情は、悪役のようだ。
美しすぎる顔は、時に冷たく見える。
「ええ、喜ばれるでしょう。
姫様、お疲れでしょう。お茶を淹れますから休憩されたらどうですか?」
セリナが庭のテラスのテーブルでお茶の用意をしている。
男達が情報を求めて走り回っている間、メリーアンジュは王宮の奥で穏やかに過ごしている。
また狙われる怖さがないと言えば嘘になるが、兄達を信用している。
お兄様、負けませんから。
私を狙ったこと後悔させてやりますわ。
台座の足元で息絶えていた娘達。まだまだ未来があったはず。
あの人達を絶対に許したりしない。
メリーアンジュは何度も種を植えた土を抑えてから、テーブルに向かう。
「ブリニア、貴女もご一緒にお茶にしましょう。
セリナ、お願いね」
とても怖い経験をしたから、負けてはいけないと思う。
普通に暮らすことが、私を助けてくれた人達の願い。
怖い、怖いと部屋に引きこもる令嬢になんてならないわ。
ねぇ、お兄様。
あたたかな日差しの奥庭とは反対に、王の執務室では嵐のような気配が漂っていた。
魔鳥の連絡を受けて集まった国の中枢を担う幹部達に伝えられたのは、
『王太子ベルンスト・シュレジ・キルフェ、によく似た神父がいる』
アイサイム伯爵、ユークレナ結社、たくさんの問題が浮上してくる。




