兄の嘆き
誰もが事情を理解していたが、理解と納得は違う。
一番ショックを受けているのは、アーレンゼルのようだ。
メリーアンジュにいたっては、公爵令嬢なのだから政略結婚も視野にいれてました、とばかりに冷静である。
好きかもと認識した王太子との結婚は、生け贄にされそうになった拉致事件に比べれば、ショックを受ける程ではない。
メリーアンジュは王宮の一室で待機することになった。休養を取る必要があり、謁見室と近くの客間に警備兵が配置された。
アーレンゼルとマドラス公爵と一緒に帰った方が安全であると判断したらしい。
厳重な警備体制の客室に、メリーアンジュを送ってきたアーレンゼルは、謁見室で行われている会議に戻っていった。
「お兄様、大丈夫かしら?」
嫁にいくのは、お兄様ではないのに、とため息がでる。
王宮の侍女にお茶を淹れてもらい、メリーアンジュはソファーに腰かけた。
馬車の長旅で、お尻が痛く、ソファーのスプリングにほっとする。
それは、社交の場でみせる厳しい表情ではなく、顔がほころび愛らしい姿であった。
「マドラス公爵令嬢様は、そのような表情もされるのですね」
お茶を淹れた侍女が驚いたように言う。
「いつも、そのように笑っていらっしゃるといいのにと思います」
ああ、とメリーアンジュも思い当たる。
「誰かに見られていると緊張してしまって、笑顔のつもりなのだけど」
美しすぎる笑顔は、作り物の笑顔のように見えるらしい。
たわいない会話、温かいお茶。
王の謁見で緊張していた気持ちが落ち着いてくると、メリーアンジュはソファーにもたれて眠りに落ちた。
会議は、謁見室から王の執務室に移っていた。
たくさんの資料が広げられ、記録玉の映像が再度投影され、王太子が説明を付けていた。そこには、ムクレヘルム王や犯人の情報もあった。
一時の休憩が入ったが、それぞれが部下に指示を出したり、情報確認をしたりで休憩にはなっていない。
ベルンストは、ロイの姿を探すと、部屋の隅でアーレンゼルと休憩しているようだった。
「ロイ」
ベルンストが声をかけるが、ロイは視線を向けただけだった。
「王命でメリーアンジュを得たことを謝りなどしない」
返事をしたのは、ロイではなくアーレンゼルだ。
「お前が謝っても、どうにもならない。
私の大事な妹を守るには、最善の策だとはわかっている。
だが、諦められないんだ。嫁にいくなんて」
「アーレンゼル、このシスコンが!
人がナイーブに落ち込んでいるのを、横で騒ぐな」
ロイがアーレンゼルを睨み付ける。
ずっと想ってきたのだ。
この事件で、メリーアンジュを取り巻く状況が変わった。
外務大臣として外遊が多いボーデン公爵家では、警備に問題がある。それはわかっているが、気持ちが抑えられない。
それなのに、横でシスコンのアーレンゼルが、メリーアンジュが居なくなるのは寂しいと愚痴っていて、騒々しい。
ロイはアーレンゼルが煩くて仕方ない、少しは失恋した自分を落ち込ませてほしい。
「わかってはいるんだ」
ロイがベルンストに答えるのを、アーレンゼルが横から口をはさむ。
「わかりたくなどない。おはようお兄様、と朝の挨拶もなくなるんだぞ」
少しは黙ってくれ、とロイは頭をかかえた。
ベルンストは、呆れた目でアーレンゼルを見ている。
「今さらだな」
「そうだ、今さらだ。アーレンゼル、無駄だ」
ベルンストとロイが目を合わせて、アーレンゼルを冷たく突き放す。
「そろそろ休憩が終わる。行くか?」
ベルンストが机に向かう後ろをロイとアーレンゼルが追いかける。