伝えるべき方法
三枝はスクリプトを出た。木佐との連絡ができたことで高橋製薬の裏の顔を見ることができると思う。あとは、小関絵里との対談の話だ。これがなくなってしまったら澄川書店にとっても痛手になるに違いない。橋倉とは新しい小説の考案を考えておくべきなのだが全くといっていいほど思いつかない。人工の明かりに照らされて歩いているのは暗闇を歩くにはうってつけだ。だが、個人を示す小道具が人工の明かりしかないのならそれが不安になってしまうのだ。人を照らすことがあったのだろうかと思ってしまう。芸能界という世界でも人が進む道というのが作り上げた道しかなかったりするのだろうか。ビルを見る度に人が作ったんだと思わされる。思っても最初は感謝をしても時間が経ってしまえば崩れるだの邪魔だの言われてしまうのだろうかと。そのような結末を終えていったい何処がいいのだろうか。それなら新たに作り直して再活用するほうが作った人にも恩義がつながるのではないかと。ふらふらと歩いているようでも足取りはしっかりしていることもあってか周りの通る人達は素知らぬ顔を通す。冷たい世の中になって敏感になって生きていては生きている感じがしない。型にはめるのが成功とは限らないのだ。開発者は失敗と思っていたものが役に立つものがあったりするのだ。あからさまに型を作っても無駄になるのだと思ってしまう。彼はコンビニに立ち寄った。
「いらっしゃいませ。」
声が大きくなっている。店員のはきはきとした態度を久しぶりに見た気がした。彼は雑誌売り場へと足を運んだ。橋倉が言うには小関絵里について改めて調べているのだとも言っていた。草間には小関絵里のことを伝えているので、きっと調べているのだろうと。週刊誌もデマがあったりするので出版社にとって大切なものがどんなものかと思ってしまう。雑誌売り場には仕事帰りなのかスーツを着た男性が週刊誌を読んでいた。かなり熱心に読んでいると思ったら少年漫画を扱っているところに映った。その人ばかりを見ていると不審がられるのも嫌なので週刊誌を取った。その週刊誌は澄川書店がしているところなのだろうか。隠し撮りをした写真が貼られていたり、誰が言ったかまでは書かれていないが憶測でもかけてしまうとも思ってしまうのだ。明らかな証拠というのを提示しないのか。むしろ、できないこともあると思ってしまう。読んでいるとそれなりの信憑性を感じるだけだ。本人が語っていないのだから。




