秘匿された欲望
今日をもって平成が終わりを告げますね。平成に生まれた人間としては元号が変わるなんてちょっと考えも及ばない初体験ですが、きっと元号が変わろうと、人々がどんなに囃し立てようと、明日は変わらずやってきて、今までと同じ日常が繰り返されるのでしょうね。
それでは第三話「秘匿された欲望」短いながらよろしくお願いします。
彼女は、泣いていた。確かに泣いていた。
落ち行く世界から、彼女の涙を拭おうと手を伸ばしてみるが、届かない。もっと手を伸ばせば届くはず、伸びろ、伸びろと言い聞かせてみても、彼女はどんどん遠くなる。やがて彼女は飴玉ほどの大きさになり、米粒、砂粒となって、最後には消えた。
暗闇に閉ざされた落ち行く世界は「孤独」だった。
その世界は風を切ることもなく、落ちているはずの私は昇っていて、あるはずのない地面を感じるようになって、あの温かい食事を思い出してはたまらなく腹を空かせ、だけど腹は空かなくて。時折両手足を思いっきり動きまわしてみてはいたが、最初はまだいいものの、すぐに感覚が死んでいって、次第に動かしているのか、動いているのかの区別すらもつかなくなった。息切れもしない。自らの体すらも見えないため、すぐにそれは意味のないものになった。
それからというものの、五感が徐々に薄れ、消えていき、自らの輪郭が分からなくなっていった。見えない。聞こえない。触れない。何の匂いもない。ただ、自分の存在がほどけていく感覚がやけに鮮明に感じられた。そして、体が軽くなったのだ。まるで要らないものを脱ぎ捨てたかのように。体に羽が生えたかのように。
私は何もない暗闇の世界で、何かを目指して羽を羽ばたかせた。その先には、今まで無かったはずの光の輪が現れていた。私はその光へと飛び込んだ。
白くて冷たいコンクリートの上に、私は横たわっていた。あの迷宮を彷彿とさせるような白いコンクリート。ただ違うのは、ここは冷たいということ。今にも凍り付いて崩れてしまいそうな雰囲気、そして曇天の景色が広がっていた。白いコンクリートで作られていたのだろう四角張った建物たちは、その角を砕かれ、割られ、粉塵が漂うだけだった。道には残骸が転がり、そこかしこにその住民だったものたちも転がっていた。
私は歩き出す。彼女の言葉を反芻しながら。
『あんたの使命は、ここより繋がるすべての世界、そしてこの空間の破壊さ。』
世界の破壊。私は、何故そんな使命を背負わなければならないのだろうか。彼女が言っていた「神様」とやらの遊びだから?そうだったらふざけるなとその神とやらを殴りつけてやりたい。
心の奥底で沸々と怒りがわいてくる。拳を握りしめ、心なしか歩幅も大きくなっていく。
「ふざけるなよ」
一度口にすると、感情が堰を切ったようにあふれ出した。
「あんな意味の分からない『試練』だかをけしかけて、やっとの思いで出られたと思ったら今度は『使命』だと。何が世界を壊せだ、何が『丁寧に潰してこい』だ。私を、私たちを遊びで作ったって言うのならば放っておけばいいだけだろうに!」
握りしめた拳を崩れかかった建物に叩きつけた。建物の壁はいとも容易く崩れ落ち、地面に叩きつけられてはまるで砂のように散った。雨が、ぽつりぽつりと降り出す。白い地面に雨がしみ込む。白はまるで灰色のように色を変え、誰もいない街により一層の悲壮感を漂わせた。
私は雨に濡れながら、一歩、また一歩と足を繰り出し、走り出す。「誰か」を求めて。この世界の住民を見つけ出して、この世界の真実を知って、そしてこの世界を救う為に。
私は雨に濡れながら三日ほど走り続けた。腹は空いたがそこまでというほどでもなかった。水は雨水を飲んだ。それでも、渇きは癒えなかったが。走り続けた結果、私は人が住んでいそうな集落にたどりついた。今にも滅びそうではあったが、死体が表にごろごろ転がってはいない、まだ生きていると思われる集落に。
私は集落の中に入って行って、四つしかない、しかも砕けた端材をなんとか形に仕上げましたといったような体裁をしている家々を一つずつ回っていった。すると、一つ目の家は無人で、二つ目の家も無人であった。三つ目の家にはまだ幼かったであろう赤子の死体が転がっていた。既に全身が乾いていて、いつ死んだのかすらも定かではなかった。最後の四つ目の家に入ってみると、そこには死体のように横たわる少女がいた。酷い匂いだった。急いで近寄って見てみると、微かだが息はある。だがもう数分もすれば息を引き取るような状態だった。私が少女の細く骨ばった体を起こすように抱き寄せると、少女は薄っすらと瞳を動かし、私を見つめた。少女はそのまま、私の腕の中で死んだ。私を見つめたまま、死んだ。私は少女を再び地面に横たえ、せめてもの供養として目を閉じ、手を合わせた。何もできない無力感と、一つの言い表しがたい感情だけ、腕の中に残った。
「なんで…なんで…」
私は思わず涙を流した。
その時、突如として地震が起こり、今私がいる建物はもちろん、他の継ぎ接ぎの家も、そうじゃない建物も崩れ去っていった。それから地面に亀裂が入って行って、地面が割れる。降っていた雨は次第に強くなり、風が吹き荒れる。
死んだはずの彼女の体が、何らかの力が働いているのか、空中にふわりと浮き上がった。私が涙を流すその前、空中にふわりと浮き上がったのだ。それから全身から光があふれ出し、その眩いほどの光は私を飲み込んだ。世界を飲み込んだ。
私は、見知らぬベッドの上に横たわっていて、見知らぬ天井を眺めていた。
私が体を起こすと、それに呼応するかのように部屋の扉が開いた。姿を現したのは、金の短い髪に、青みがかった瞳を持った少年だった。彼は私を見るなり目をまんまるとさせてすぐに部屋から出て行った。そのすぐあと、その少年と、なかなかに恰幅のいい女性が部屋に入ってきた。
「あんた、起きたのかい!」
初めて聞いたその女性の最初の声は、鼓膜が破れそうになるほどの大声、いや怒号だった。
ありがとうございました。