加護を得た暴力
よろしくお願いします
私が倒れていたのは、扉が一つ、窓も無い薄暗い小部屋に、切れかけの電灯が目に悪い点灯を繰り返す、コンクリートを剥き出しにした廃墟さながらの場所であった。壁には虫が這い、蔦が這い、罅が這っていた。何故このような場所で倒れているのか皆目見当がつかないし、この状態に至るまでの記憶もない。五体満足ではあるようでなによりだが、気味が悪いことこの上ない。
私は立ち上がり、体の埃をはたき落としてドアを開け、外に出る。まるで巨大な建物の中に迷い込んだかのように、そこからは幾本もの路が格子のように連なる様が見えた。まるで迷路。ただ歩き出さねば何も始まらないと、足を進める。その都度コンクリートから巻き上がる風が首筋をなでる。気持ち悪い。幸運なことに、歩き始めてからすぐに、階段を見つけた。きっとこれが出口への道だ、と私は思った。階段を上っていくと、そこには再び迷路が広がるのみだった。
私は再び迷路をさ迷う。十字を右へ左へとあれこれ考えもなしに、ただひたすら歩いた。
幾度の角を曲がった頃だろうか。私は曲がろうとしていたその角の先に、何やらいるような気配を感じたのだ。そこに生物が息づいているような、今まで感知しえなかった気配を、ただ灰色の景色を眺めるだけだった脳が感じ取ったのだ。
私は、他にも私のような人間がいるのかと興奮し、その気配へと近づいて行った。すると、角を曲がりその背中を捉えんとしたその時、感極まって声を掛けようとさえしたその時、目に見えたそれはおおよそ人間とはとても言い難い見た目をしていた。
全身獣の皮で覆われていて、その頭からは醜く捻じ曲がった角が生えていた。振り返ったその瞳は、まるで「悪魔」の自己紹介であるかのような潰れた瞳であった。
彼は、私を上から下まで舐めるようにじっとりと見つめ、そして、舌なめずりをした。
私はその場から逃げ出すべく、踵を返して駆け出した。
どこへ逃げるとかは決めていないが、とにかく離れなければいけないと本能が感じ取ったのだ。後ろから「悪魔」が付いてきている足音がする。今、足を止めればきっと命はないだろう。
随分長く走っているのではないか、息も絶え絶えになるほどである。未だ後ろからずっと彼が付いてきているような気配がする。後ろなどは振り返ってさえいないが、そう確信できる程だ。
それから更に走り続けること数分、やがて気配は薄れていって、いつしか消えた。後ろを振り返り、誰もいないことに安堵する。私は暫くその場に座り込んでしまった。
溜まった疲労が多少治まったところで、再び歩き出す。すると、それから五度ほどの角にて、壁に寄り掛かり座り込んだ「人間」を見つけた。私は警戒しつつ近寄ると、すでに息絶えていただけだった。先ほどの悪魔に殺されたのだろうか。よく見るとその手にはどこで拾ったかも定かではないような歪な棍棒が握られていた。私は、握りしめられたまま冷たくなったその拳をほどいて、棍棒を拾い上げた。
それから私は、出口を目指してひたすら歩き続けた。角を幾度曲がり、階段を下り、上り、時には疲れ果て倒れこんで、棍棒を杖にして歩き、出口を求めてさ迷い続けた。
ただこの意味の分からない迷路から出たかった。なぜこんなところにいるのか、あんな彼のような化物がいるのか、死にそうな目に合わなければいけないのか、まったくわからないが、とにかく生きて出たかった。私はそのまま数日さ迷い続けた。偶然ポケットに入っていた携帯食料のおかげで一日はやり過ごせたが、それきり腹が空いて堪らなかったから、あの日見つけた棍棒の彼の死体を食った。生温いこの空間で、すでに腐っているものかと思われたが、腐ってなどいなかった。私は人生で初めて人間を食ったが、不思議と嫌悪感は生まれなかった。ただ腹が満たされた。それだけだった。
迷路をさ迷う内に分かったことは、悪魔の彼は一人じゃないということだ。
ある日悪魔の彼を殴り殺して食べた次の日だった。彼は何食わぬ顔で迷路を歩き回っていた。私を目にするとあの日と同じように追いかけてきたものだから、逃げて隠れて隙を見て殺した。悪魔の彼はそこまで頑丈ではなかった。見た目からして首を断ち落とさない限り動き続けそうだが、実際は後ろから頭を殴りつけるだけで容易く気絶してくれた。そうすれば後は頭蓋をたたき割って息の根を止めるだけだった。血抜きなどができる環境ではない為、適当に毛を毟ったところから肉を噛み千切る。血生臭いが、生きるために贅沢は言ってられない。生き血を啜ってでも生きるしかない、と自分に言い聞かせ、悪魔を食べ始めた当初は途中吐きそうになりながらも食べていたが、次第にそれも気にならなくなった。
それから、この迷路では食料が腐らないこと、あの「悪魔」は限りなく無限に存在することが明らかになった。迷路のあちこちで悪魔の彼を食い散らかしてきたが、彼らは彼らの前を平然と横切り、気にも留めないようであった。そして、何度そのような光景をいたるところで目にしようとも、横たわる彼らは死んだその時の、脳髄をさらけ出した姿のままであった。体感では、この時すでに一か月ほどが過ぎていたのではないだろうか。
彼らを殺し、食い散らかし、探索し、そして二か月、三か月…半年が経った。
年月と共に疲弊していった棍棒が砕けるころには、私は彼らを素手で縊り殺せるようになるまで成長していた。化物を食ったから、化物に匹敵するような力が手に入ったのかはわからないが、ここ半年で確実に私は強くなっていた。幾度の階段を上り、回廊に血の跡をこびりつかせ、沢山の命の残骸を量産し、やがて私は、この迷路には相応しくない石と鉄でできた大きな扉に行き着いた。
扉に軽く手を触れると、扉はそれに反応したかのように自ずと開き始めた。
そして、扉の向こうには眩しい青空と、辺り一面広がる草原、遠くには山が見えた。よく見ると草原には一軒の家が建っていた。そして、そこには人がいた。
(一応)続きます。続きもよろしくお願いします。