8:逆襲~Nothing on My Back~
街の警備隊員であるエドとデイビスはその日、夜の見張りをしていた。
彼らの担当は東方向だ。
「飲むか?」
「おう。……って、これ酒じゃねぇか」
デイビスは渡された瓶から漂う香りに顔をしかめた。
「かてぇこと言うなって。どうせ何も来ねぇさ」
大きな水場付近から離れようとはしないウォータードラゴンの襲撃からまだ十日ほどしか経っていない。
いや……。
もう十日も経ったと言うべきか。
十年に一度の危機というのは十年に一度しか起こらないこそそう呼ばれるのであり、百年に一度の危機というのも百年に一度しか訪れないからこそ、そう呼ばれる。
ウォータードラゴンの襲撃という滅多に来ないであろう危機が過ぎ去ったことを理解した人々は、これで当分は安心だと思っていた。
勇者だってまだこの街に留まっているのだ。
結局は誘惑に負けて、デイビスはついに酒瓶に口をつけた。
上を向いた視線に月明かりが降り注ぐ。
「……ん? 向こうで何か光らなかったか?」
地平線の近くで、何かが不自然に月明かりを反射した。
どうやらエドはそれを見つけたらしい。
傾いた顔と瓶を戻し、デイビスも一緒に同じ方向を見る。
「……何もないぞ?」
「そうか? 確かに光ったと思ったんだけどな……」
既に酔いが回っていたエド。
二人は彼が見間違えたのだろうという案に対して、即座に同意した。
夜明けまではまだ遠い。
そんな調子で、二人やることもなく地平線を見ていた。
「お、おい……。なんだありゃ……?」
しかし、二人は同時に顔色を変えた。
ゆっくりと銀色の大きな塊がこちらに向かってくるではないか。
そのサイズは先日のウォータードラゴンよりも大きい。
「魔物だ! 鐘を鳴らせ!」
非常時を知らせる鐘。
その音はエドとデイビスの二人によって、十日振りに夜の街に響き渡った。
★
月明かりの同情を銀色の体で跳ね返し、スライムは再び人間の巣へと侵攻した。
そうだ。
今度はウォータードラゴンではない、スライムだ。
地下水と鉱物を補充して肥大化した体は大きく、そして重い。
もはや飛び跳ねることは出来ず、ズルズルと地面に跡を残しながら、彼は再びこの場所へとやってきた。
先日に比べて、敵の反応が鈍いのは気のせいだろうか?
事実、前回迎撃された距離よりも巣に近づいているというのに、敵からの反応はまだない。
……ドラゴンではないから馬鹿にされているのだろうか?
スライムは人間ほど賢くはないから、彼にはそれ以外の理由が思いつかなかった。
だが、もうそんなことはどうでもいい。
増加した重量の影響で飛び跳ねることも出来なくなった体のまま、彼は敵陣へと突き進んだ。
カンカンカンカン!
甲高い鐘の音が夜の空に響く。
どうやら人間達も戦う気になったらしい。
「弓矢構え! 目標、謎の魔物! ……撃て!」
巣を灯す灯りの数が増え、人間達の敵意が同じ方向へと向けられた。
ヒュンヒュンと風を切り、いくつもの矢がスライムへと飛んでくる。
チュイン、チュイン!
掠めた鉄の矢とスライムの取り込んだ金属とが、火花を散らした。
「なんだ?!」
暗闇に咲いて散った橙色の光を見て、人間達はいよいよ相手が未知の敵であるという確信を深めた。
硬質で有名な竜の鱗とて、このような現象は起こらない。
「火矢を打ち掛けろ! 大砲も準備だ! 急げ!」
東の指揮官は勇者を呼ぶという選択を躊躇っていた。
先日のウォータードラゴンとの戦いで、彼には良い所を全て持っていかれている。
ここで勇者を頼れば、自分達の立場が危うい。
そしてそれ以上に、彼ら自身のプライドが許さなかった。
少なくとも、この正体不明の魔物は竜ではない。
相手がウォータードラゴンを捕食して力を得たスライムだと知らない指揮官は、そこで判断を誤った。
指示通りに放たれた火矢が闇夜に緩やかな放物線を描き、スライムの銀色の体に纏わりつく。
……しかしそれだけだ。
金属を取り込んだことによる大幅な比熱の向上、そして高い熱伝導率。
竜の力を宿したことで実現した新たな肉体は、スライムにとっての弱点である火炎への耐性を獲得していた。
「大砲の準備出来ました!」
「よし! 撃て!」
ドンッ! ドドンッ!
火でマーキングされた銀色の塊に向け、容赦なく砲弾が放たれた。
その一発がスライムに直撃!
「やったか?!」
爆炎で敵の姿が見えなくなったことで、彼らは勝利の可能性を垣間見た。
だが――。
「……駄目だ」
途切れ始めた爆煙の中から、スライムはゆっくりと姿を表した。
月明かりを反射するその体には、傷一つついていない。
重量という点においては、おそらくは人間側で最も強力な攻撃。
それをたった今、彼は耐えきったのだ。
やれる。
戦える。
確信が最後のスライムの中に満ちていく。
ボフッ!
残った爆炎を吹き飛ばし、スライムは鈍重な体で突進を開始した。
以前のように軽快に跳ね回ることこそ出来ないとはいえ、竜の力のおかげで力強く進むことが出来る。
「来るぞ!」
「迎撃っ! 迎撃ぃっ!」
人間の何十倍もの質量が扉に向かって突っ込んでいく。
先日の戦いで破られた扉はまだ修復されておらず、阻む物は何もない。
乾坤一擲。
スライムは敵陣の中へと飛び込んだ。
勝ってここを出るのか、あるいはこの地を自分の墓標とするのか。
結果はそのどちらしかありえない。
「俺がやってやる!」
街の中へと侵入したスライムに対し、血気盛んな若い兵が剣で斬りかかった。
肥大化した体には確かに威圧感があるが、しかしそれは竜ほどではなく、従って人間達を心理的に怯ませることは出来なかったらしい。
ギィンッ!
「――!」
剣を振り下ろした直後、青年は剣を握った手に未知の感触を味わった。
その音は明らかに金属、しかしまるで軟体のように柔らかい。
グニュ――、ドシュ!
剣を受けとめたスライムの体は形を変え、厚い刃となって兵士の胴体を上下に斬り裂いた。
「なんだ?!」
「形を変えたぞ!」
この世界の人類は、まだ水銀という物質に出会っていない。
故に彼らは、常温で固体以外の形態を取る金属という物を始めて見た。
針に、槍に、牙に、爪に、そして刃に。
その感情を発露するかのように、スライムは体の形状を変え、周囲の人間に襲いかかった。
ドシュシュシュシュッ!
瞬く間に人間達が切り刻まれていく。
そこに敵意と怒り以外の感情はない。
殺るか殺られるか。
スライムと人間の関係はただそれだけだ。
「何をしている! 矢を撃て!」
指揮官の檄で我に返ったように、外壁の上にいた弓兵隊の兵達は次々と矢を放った。
本来であれば弓兵隊長の合図を待ってからだというのに、もはやそんなことを考えている余裕はない。
ヒュヒュヒュッ、ヒュン!
無数の矢が、今度は先程よりも近い距離から襲いかかる。
スライムは突き出した体を引っ込めてそれを受け止めると、竜巻でも起きそうな勢いで体を回転させていなした。
ズババババババッ!
遠心力のままに尖鋭化させた体をさらに加速させて振り回し、周囲を無差別に切り刻む。
盾の上から鎧の上から、人間もそれ以外も、とにかく片っ端からだ。
ここは人間の巣。
スライムにとって壊さない方が良いものなど、一つもない。
彼の心の奥を覗こうとする者など一人もいない中、スライムは街の中心部に向けて進撃した。
「うわああああああああ!」
「なんだなんだっ!」
「腕がッ! 腕がぁぁぁぁぁっ!」
「逃げろぉぉぉぉぉぉっ!」
街に住んでいるのはもちろん兵隊だけではない。
むしろそうでない者達が殆どだ。
彼らは突如として襲来した銀色の暴風を見て、慌てて逃げ出した。
家が潰され、馬が切り刻まれ、全てが飲み込まれていく。
「スライム……、なのか?」
街を東から西へと駆けていく怒りを見て、西側を担当していた部隊の指揮官は事態の深刻さを理解した。
正体不明の魔物。
しかし被害の規模を見れば、それが竜にも匹敵しうる驚異であることに議論の必要はない。
必要があるのは、あれは本当にスライムなのかということだ。
その形状は確かにそう見える。
だが色や大きさ、そして何よりも力強さが一般的なスライムのそれではない。
西の指揮官はこの圧倒的な暴力の正体がスライムだなどとは、即座に信じることが出来なかった。
例え自分自身の目で見ていても、だ。
「ど、どうしますか?」
副官が選択を迫る。
指揮官は現実的な選択肢を模索した。
(戦うか? ……いや、無理だ。)
どう見ても、人間が正面から挑んで勝てるような相手ではない。
指揮官は自分達の力ではどうにもならないと判断すると、最後の手段へと手をかけた。
「……勇者様を呼べ!」
「もう来ているよ」
「勇者様!」
彼らの背後には、いつの間にか勇者ルークが立っていた。
「下がっていたまえ。……邪魔になる」
ルークは聖剣を抜くと、街の西へと突き抜けようとしていたスライムの正面に立った。
「見ろ! 勇者様だ!」
「勇者様が戦うぞ!」
神から最強の剣と鎧を授かった人間。
神に愛され、神の加護を受けた人間。
その存在を感知した瞬間、スライムの勢いが少し衰えた。
……恐れている。
……怖れている。
そんな自分に気がついた時、スライムは恥という感情を初めて覚えた。
誓ったのではなかったのか?
最後まで戦うと、仲間の仇を取るのだと。
……神が勇者に味方しているからなんだというのだ。
ドドドドドドドッ!
失われかけた勢いが取り戻された。
植え付けられた恐怖に震える体。
それを怒りと決意でさらに大きく震わせて、スライムは勇者に向けて突撃した。