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俺は乱れた息を整えて頬から流れる汗をぬぐう。
かれこれ1時間はモンスター討伐をしている。時計が動かないので正確な時間はわからない。
「これで町内は一周したな」
慣れ親しんだ町内を、普段あまり通らない小道まで余すところなく通ったはずだ。
自室で確認しておいた光エフェクトのある場所は、他所の家の中などの入るのが憚られる場所以外は全部回収した。時々、NPC化している住民に話しかけてみたりしたが特にクエストが開始されることもなかった。
さて、次はどうするか。
町内の出現モンスターは、犬の他に小型な猫を思わせる黒い影が出現したくらいで、現段階では人型や大型獣などの強そうな敵はいない。猫型は、犬型に比べてスピードと回避があきらかに上で初見の時は少々手間取った。魔法を当てるには早く動きすぎて的が定まらなかったためだ。短剣を振り回しながら、最終的には蹴り上げるという、人に見られていたら何ともみっともない戦い方をしてしまったが、勝てたのだから全て良しということにしておく。
隣の町へ足を伸ばすか、一旦家に戻ってステータスを確認するか。
少しばかり思案する。
恐らく範囲を広げればモンスターの難易度はあがるだろう。勝てればレベルの上昇も早い。しかし、同時にゲームオーバーの危険もついてくる。安全マージンは充分にとりつつ、最速で攻略するためにはどうすればいいのだろうか?今までにプレイしてきたゲームのことを思い出して試行錯誤してみる。
できれば、範囲殲滅型の魔法が欲しい。
あと、回復手段。
幾つか手に入れたアイテムの中には、『携帯食料』などHP小回復はあったけれど、MPを回復するものが今の所、発見には至っていない。しかし、存在しないゲームは珍しい部類なのであると思いたい。
戦闘中に、何度かMP切れを起こしたが、しばらく短剣で戦った後に、ダメ元で詠唱(といっても魔法名をいうだけ)してみたら発動したので、時間回復型か、レベルアップ毎に全回復型かのどちらかのような気もしている。
よし、とりあえず一旦自宅でステータス確認だ。
そう決めて歩きだすと空を見上げた。
よく晴れている正にデート日和だ。ゲーム終了の決意を再び固めながら見た視界の先に煙が上がっているのが見えた。隣の町の方角だ。
派手な爆発音や炎は上がっていないけれど、確かに細長い煙が真っ直ぐに立ち上っている。
まさか。
俺は、その煙に向かって走り出した。
まさか、まさか。
違っていてくれ、という希望も虚しく煙の発生源は恋人、翔子の自宅だった。
中学から学区が一緒になって親しくなってから頻繁に遊びに訪れていた望月家だ。躊躇うことなく門扉を開けて煙の発生源と思われる裏庭へと向かう。
「なんだよ、脅かすなよ」
俺は、安堵のため息を漏らす。
縁側のある少し広い裏庭で、翔子の祖父である望月 清史郎が焚き火をしていた。
「土曜の朝からそんなことしたら、また近所から苦情言われるぞ」
望月 清史郎の過去に起こしたご近所トラブルを思い出して頭を掻く。しかし、憎めない人柄で俺はこの爺さんが好きだ。爺さんの肩をポンと軽く叩いてから、望月家を見る。
この時間なら、おばさんはもう仕事に出かけた後かな?
翔子の母親である洋子さんを思い出す。専業主婦のウチの母親と違って洋子さんは働いている。確か、一駅向こうにあるコンビニだったと記憶している。流石に恋人の母親の職場に買い物に行くのは気恥ずかしくて行ったことはない。
翔子は、もう起きているだろうか?
会いたい気持ちが湧き上がってくる。しかし、理性で押し留める。
今会っても、それはこちらが一方的に姿を見るだけになってしまう。翔子にとって見られたくない姿を見てしまうことになるかもしれない。たとえ恋人といえど、踏み込んではいけない領域はある。
それに、NPCになっている姿なんて見たくないしな。
翔子の家の無事が確かめられただけで良しとしよう。
さて、つい勢いで隣の町まで来てしまったが、帰り道はどうするべきかを思案する。
同じように脇目も振らずに突っ走って自宅まで戻るか、慎重に警戒しながら戻るべきか。少し考えてから、探索することにした。ただし、翔子の家から自宅までの最短ルートを。
強敵が出た場合は、討伐に固執せず自宅に逃げ帰ろう。命大事に、だ。
そう決めてしまえば、迷うことはない。目を瞑っていてもというのは大げさだけれど、ここから自宅までの道で迷う余地はない。望月家を出て数メートルのところにジャージ姿の男が立っていた。
NPCか。朝からジョギングでもしていたのか?
さて、来るときは必死だったのでよく覚えていないが、あんな男がいただろうか?と疑問に思っていると、男と視線があった。
意識がある!?プレイヤーか!?
初めて遭遇する意識のある人間に声をかけるべきか思案していると、男はゆっくりとこちらに向かってきた。
ピコーン!ピコーン!
モンスター遭遇の警戒音が鳴り響く。
『邪魔なんだよぉぉぉ!』
突然、叫び声を上げて男が殴りかかってきた。ふいを着かれたが間一髪で避ける。
まさか、人間型のモンスターか!?
驚きを隠せない。今までのモンスターは全て黒い影のような曖昧な存在だった。だからこそ、ゲーム感覚で戦ってこれた。最初から普通の犬や猫の姿だったら俺は躊躇してしまっただろう。
おいおいおい、人間型なんて冗談じゃないぞ!
ホラーゲームや戦争シュミレーションでは人間を殺したことがある、だがそれは、あくまで遊戯だ。現実に目の前にいる人間を殺せるわけがない。
『死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇ!』
狂気に満ちた表情で男は再び殴りかかってこようとしてくる。俺は、一目散に逃げた。全速力で走り角を曲がり手近な家の門の中に滑り込む。しゃがみ込んで息を殺す。
『どこだぁぁ。タナカァァァァ』
男の叫びが聞こえる。プレイヤーネームを呼んでいる。ゲームの仕様なのかわからないが、相手が明らかに俺を狙っていることだけは間違いがなかった。
どうする?
相手はシステムが作り上げたモンスターなのか。
それとも、実在する人間をモンスターとしてゲームが利用しているのか。その場合、倒した時、ゲーム終了時に彼は生きていられるのか。
様々な疑問と、見つかるかもしれないという緊張で心臓の鼓動がうるさいくらいに大きく聞こえてくる。
『タナカァァァァ』
『許さないぞ』
『どこいった!?』
男の声が近くなったり遠くなったりを繰り返す。俺はひたすらジッとしている。
どうする。この家の裏手に回らせてもらって別ルートで家に帰るか?
しかし、他の人間型に遭遇するかも知れない。見つからないようなルートはあっただろうか?やはり、倒すしかないのか?しかし、倒しても大丈夫なのか?どこかにヒントはないだろうか?
そうだ。図鑑だ。確か、モンスターも図鑑があったはず。
初めてのステータス確認の時、倒した犬型のモンスターが図鑑に記録されていたのを思い出す。確か、『捨てられた犬の怨念』という解説が記されていたと思う。もしかしたら、遭遇しただけでも図鑑に載っている可能性があるのではないか。そう思い至って静かにそっとスマートフォンを取り出す。図鑑のページを探していると少し離れたのだろうか、声量は小さかったが、しかし俺はハッキリと聞いた。
『翔子』