表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アルコールランプ

作者: ナオユキ

2014年7月に書いた過去の作品です。

 学生として過ごした時間を懐古することは毛ほどもないのだけれど、小学校での理科の授業は唯一楽しかったと記憶してしている。


 もちろん座学が楽しかったのではなく、実験室に移動して普段は触れられない不思議な薬品を試験管やらビーカーやらで熱したり、混ぜたりするのが妙に心はずんだからだ。


 とりわけ、わたしは薬品を沸騰させるのにアルコールランプを使うのをことのほか心待ちにしていた。なぜかといえば、アルコールランプはわたしの実生活と密接に関わる、家具家電などと同等のいわばもっとも身近な品物だからである。


 だれであっても家で見慣れた物が学校の教材として使用されていたら、そしてそれを同級生たちのだれよりも扱いに慣れていたら、得意げになるのは当然だろう。まあ、とはいえアルコールランプの使用法自体、それほど難しいものでもないので、わたしが怯えることなく火を扱ったとしてもそれでだれかがわたしを評価してくれたわけでもなかった。


 それでも、長かった六年の暗黒時代で理科の実験だけが記憶に残っているということは、やはり自分にとっては良い思い出だったと認めているのだろう。


 いきなり、わたしがこんな学校に通っていた時代を思い出したのは、きっとこのまえゴミ捨て場から拾ってきた壊れかけのラジオのせいだ。ニュースが学校にまつわるなにがしの情報を放送していたからだ。


 我が家の家計はいまとてつもなく急迫しているために、水道料金や電気料金まで支払いをしていない始末だ。稼ぎ手である父親が床に臥してしまったからである。わたしが面倒を見ているが、歳幼きわたしがどうやってお金を得ていけば良いのか。


 そこで、夜になったらこっそりと街に出て、ゴミ捨て場や店舗裏のゴミ箱などをあさっては食べる物やその他の必要雑貨を仕入れているのである。


 たいがい二重のかた結びになったポリ袋を慎重にほどいて中身をいただく。ゴミだからとビリビリ破り散らしたりしたら付近の住民に見つかって大変なことになる。警戒されて収集にいけなくなったゴミ捨て場が何件かある。ひどいところでは衛生局に連絡されてあやうく連行されそうになり、からくも逃れた時もあった。


 そうやって、住民の寝静まった夜のとある住宅街で、外灯の照りつける道端のゴミ捨て場をゴソゴソ探っていたとき、捨てられたラジオを見つけた。持ち主は何が原因でそれを捨てたのかはわからないが、スピーカー部分からは狂った機械の鳴き声とまじって、意味の通る人の話し声を聞き分けられた。

 テレビやパソコン、カメラなど、うちにないけどまわりのだれもの家にあるそういった高価な電子機器に憧れていたので、わたしは少し嬉しくなってラジオを持ち帰った。


 さすがに捨てられた物らしく、つまみを何度ねじっても不吉に泣くだけで音声が明瞭になることはなかった。やっとある数値にあわせて、ノイズは多いが少しはましに聞けるくらいにはなった。


 わたしは電池のつづく限りラジオを聴いていたが、電池の残量はあっという間になくなった。音のしなくなったラジオを未練がましくいじり回していると、ある部分に表面のなめらかな黒いプレートがはりつけてあるのを発見した。そこでわたしはピンときた。これはいつか耳にしたソーラーパネルというものではないのか。


 いちるの望みをかけて、昼間、太陽のあたるところにプレートを上にして置いてみた。試みは的を射て、その夜、ラジオは復活した。それのみならず、この発見により、せっかく手に入れた貴重な娯楽を手放すことにもならず、半永久的に使用することが可能になったのである。


 ラジオからはさまざまな情報を得ることができたが、それとともに面白かったのはニュースやバラエティの間にはさまれて流れる音楽番組である。世情にうといわたしが知っている曲はわずかなのだが、その中のひとつがわたしの耳をとらえた。


 それは昔放送されていた特撮アニメの主題歌だった。街を破壊する巨大怪獣を謎の光の巨人が打ち倒すという内容だった。昔も今とおなじくテレビなどなかったのでその番組を見ることは出来なかったが、ある放送回だけはどうしても見たかった。そこで、同組の親しくもない生徒に無理を言って承諾させ、その子の家で見せてもらった。


 その話だけは父が出ていたからである。わたしの父は劇団に所属していて、たまにテレビ番組の役の仕事をしてお金を稼いでいた。


 父に回ってくる役とは俳優とか脇役とかいうのでなく、いわゆるスタントマン的な仕事が多く、主演の俳優に傷を負わせないために危険な演出を代行するのである。


 その特撮で父がうけおったのは怪獣の着ぐるみを着て正義の巨人のスーツを着た相手と取っ組み合いをする事であった。スタントマンをするよりは見入りの良い仕事だったと後に言っていた。


 同級生のうちで見せてもらったテレビの中では父の扮する怪獣ガスコンラがまがまがしく筋肉のねじくれた紫色の体躯を暴れさせ、林立するビル群に口吻から火炎攻撃を行なっていた。


 その姿にわたしは喝采をささげた。


 いけっ! お父さん、やっちゃえ!


 声にこそ出さなかったものの、父が変身して本当に街をその物凄い力で破壊しているように見えたのである。


 やがて正義の巨人が現われてガスコンラは得意の火炎攻撃で応戦する。針金で吊り上げているようなぎこちない怪獣の口吻の動きに反して、発せられる火炎は本物らしく見えた。というか、あの火は実は本物ではなかっただろうかと、今でもわたしは思っている。父なら出来ることなのだ。


 最後には、父は打ち倒され、爆発して消える。街に平和が訪れ、人々は茜色の空に飛び立つ巨人に感謝の言葉を投げかけ見送るのである。


 同級生にお礼を言って外に出ると、ちょうど五時のサイレンが鳴る夕暮れ時であり、空はさっき巨人が去った夕空と同じくらい赤く染まっていた。家々の向こうから地響きを立ててガスコンラが火を吹きつつ現われるのではないかと期待したが、そんなことはなかった。


 父がスタントをする現場には、いつも火の気が絶えなかった。父は、あるときは登場人物が火だるまになる場面を代行したし、あるときは火事の被害者の役をしたし、焼死体を演じたこともある。


 どうしてか演出家や監督は父を火とともにイメージしているようだった。いや、もしかしたら父自らが進んでやっていたのかもしれない。たしかに父以上に火の扱いに長けた人物はいない。少なくとも、わたしはそう確信している。


 我が家は貧しく、みすぼらしい小さな小屋である。親子ふたりで暮らすのがやっとで、小学校に通っていたときは父によく当たられたものだ。父はわたしを入学させるのに反対だったそうだ。読み書きを覚えたら退学して社会に出ろとまで言ってきた。余計なことには金を使っていられない、とうことらしい。それでも、六年間がまんしてわたしを学校に行かせていたのは役所との衝突をさけたいという意図からだった。かわりに酒がはいると憎しみもあらわに教育と納税の義務をののしっていた。


 お金がないので、電気やガスが止められることは頻繁だった。そういうとき、父は画期的な解決方法を創案したのである。


 我がみじめな小屋は入り口以外の三方を他人の土地に囲まれた場所に位置している。周囲からはお隣さん同士ではなく、同土地内の納屋か何かだと思われているが、れっきとした隣人である。だが、そうとられるのも無理はない。


 わたしのうちの周りを囲んでいるのはわりと大きめの化学工場なのだ。緑色に塗装された塔のようなタンクやそれから生え伸びた鉄パイプがにょきにょきしていて、昼日中は始終、機械のうなる音が流れている。


 右をみても左をみても、後ろをむいても工場の鉄の機構がせまっていて、こちらの日照権など完全に無視されている。もともとは工場が出来るとき、我が家の土地まで買いたいと申し出されたらしいが、父は頑として受け付けず自分の所有地を専守したということだが、こんな環境になるくらいなら土地を売って他の日当たりの良い住処を探してくれた方が何倍もましであった。


 いったい何を生産する工場なのか幼いわたしには分らなかったが、父は知っていたようだ。


 電気やガスがとめられたとき、父はわたしについてくるように言い、外のせまい庭に出た。工場の裏にあたるそこには父の背丈程度のタンクがいくつか立ち並んでいた。父はそのうちのひとつについているパイプに工具を用いて小さな穴を開け、中身の透明な液体を噴出させた。液体は無色であったが、つんと鼻をさす独特の臭気があった。


 父は液体に触れないようにと注意し、わたしに手伝わせてパイプにさまざまな器具をとりつけて、開いた穴にホースをつなげた。すると、ホースのもう一方の口から液体が流れ出してきた。


 父はホースを家の中まで持ってきて、口に蛇口をとりつけ、水道付近に固定して、いつでも好きなときに液体を供給できるようにした。しかし、そのときわたしには液体の用途を予想することはできなかった。だが、すぐに知ることになる。


 父はどこやらから手ごろがガラス瓶をもってきて中に液体を満々にならないくらいに入れた。そして、折りたたんだガーゼの半分を液体に浸し、もう半分を外に出して、ガラスの蓋で閉じた。ガーゼは蓋に噛まれる形で外側に垂れていた。わたしは、外に出ているガーゼが液体に浸ってもいないのにどんどん濡れていくのをおかしな気持ちで見守っていた。


 父は、百円ライターでガーゼに火をともした。それは変な火だった。外縁が透き通る青色で、中心にいくにつれて緑色、黄色へと色を変えていくのである。わたしたちの目の前で火は弱々しくゆらゆらとゆれていた。


 その夜は青い火の光に助けられて過ごした。これもわたしが驚いたことだが、どんなに長い時間火が燃えていてもガーゼが燃え尽きることがなく、かわりに中の液体が減っているのである。


 わたしたちはいつのまにかうとうと眠りについていた。朝になると火は消えていて、液体もすべてなくなっていた。


 あとでわたしは、この灯りの作り方がアルコールランプという物であることを知り、となりの工場で生産しているのがランプの燃料となるメタノールやエタノールであることを知った。


 ランプ第二号では、父もちゃんと正規の容器を購入してきて、学校でも見掛けるあの形態になった。こういう物作りでは父は実に器用で、どうして仕事にしないのか疑問に思う。父は火の扱いに長けているというイメージはここからきている。


 父はもう普通の電気やガスを使うよりも、アルコールランプを使うほうが安上がりだと考えたようで、支払いのできない月はランプで代用した。


 こうして、わたしのうちではアルコールランプといっしょの生活が始まった。なにせ燃料はほぼ限りなく供給可能なので特に要のない時でさえも火をともした。元来、娯楽のない生活であったために、ランプはわたしの遊び道具となった。遊ぶといっても危険なまねをするのではなく、青色の火をただじっと見つめているだけである。そうしているといろいろ頭を悩ますもやを忘れていられるのである。


 調子をよくした父は三号、四号と次々ランプを製作していった。そして、悪ふざけから家の中ところかまわずランプを設置し、せまい屋内を火の光でいっぱいにしたこともあった。そのときは、父とわたしは屈託なく笑ったものだった。それ一度きりが親子で充実した日であったと思う。


 そのうち、父は燃料のちがう用途を試すことにした。工場から無断供給しているのはランプの燃料とはいえ、まがりなりにもアルコールであった。劇物なので本来飲料にすることは違法であるのだが、金欠のためにしばらく酒を断っていた父に、蛇口からあふれるアルコールは逆らいようのない魅力であったらしい。


 それでも、最初に口にしたときには、父もこわごわとちょっとずつすすった。すぐに飲用にそぐわない化学物質であることを直に感じ取ったらしく、顔をしかめてペッ、ペッ! と吐き出し、やはり止めようかなどと言っていたが、何日かしてまた試していた。それを何度か繰り返すうちに、舌が刺激になれたのか、コップに注いだ液体を長い時間をかけてちびちび飲むようになった。


 何がおいしくて飲んでいたのか皆目見当もつかないが、溺れるもの藁をもつかむという。よほど酒に飢えていたのだと思う。


 しだいに、屋内にはあの液体のツンと来る臭気が充満しだした。それはわたしたちにも容赦なく染みこみ、いくら洗っても衣服からは薬品臭さが抜けなかった。


 それのせいだろうが、学校では同級生たちがわたしから距離を置きだした。わたしに近づくと臭いというのだ。


 悲しくはあったが、これも仕方のないことであった。父には何も言えないし、言ったらひどいめにあわされる。それに、生活のこともある。わたしはずいぶんと物分りの良い子供だった。


 教室では孤立してしまったが、自分の方に責任があるのだから諦めるしかなかった。もとより学校も勉強も苦手だったからあんまり身がはいらなくなり、成績は落ち目になったが、気にしなかった。父も何も言わなかったので、とりあえず卒業できればいいとだけ考えた。


 わたしは家に帰ると宿題などせず、ランプのともし火をずっと眺めていた。たくさん火をつけて高い所に置き、幾重にも増加する影の舞踊を鑑賞することが慰めとなった。


 ぽお、と明らむ青い光と濃い夜の闇がまるで海底にいるみたいに仄暗い空間をつくり出し、世間の手が届かない遠い隔絶した場所に来ているみたいな気がした。呼吸は穏やかとなり、体から力が抜けていった。わたしを動かす見えない糸が断ち切られて、床に投げ出された自由なマリオネットのようにわたしはひとつひとつのつなぎ目がはずれて解放されていくのだった。


 そうして、いつのまにか虚脱した眠りについているのである。


 現在もわたしはそのように生活していた。ただひとつちがうのは、父が寝たきりになったということだ。


 原因は明白である。劇薬であるアルコール燃料の過度な摂取である。まえまで男らしく筋骨の整った体つきをしていたのに、布団のなかの父は骨がらなみにやせ細り、肌も不気味なほど青白く、全体的にしっとりと湿っているのである。また、薬品の中毒症状により盲目となったため、目を見開くことはほとんどない。たまに開いても眼球は濁り、そこには何も映していないことが察せられる物憂い感じがあった。


 あとひとつ、これも燃料摂取により作用なのか、父の様子を注意深く観察していると、一時間に一回ほど、不思議な光景を見られる。父は睡眠中、口を半開きにして呼吸をするのが癖なのだが、その口元をかすかにであるが青く光らせるものがある。ありていに言えば、口元に炎がともることがあるのである。

 それは呼気とともに現われ、吸気になると消える。火がつくのは鼻孔呼吸のときもある。ふたつの鼻穴から薄く小さい炎がちょろっと出るのである。


 それらの発火現象は約三分ほどつづくと止まる。そして、それからまた一時間すると再び行なわれる。

 やはり、父は液体を飲みすぎたのだと思った。体の中に蓄積された可燃性の液体がこうして燃えているのだ。もしかしたら、このまま摂取した液体を燃やし尽くしたら父の容態は快方に向かうのかもしれない。


 わたしはその希望を胸に、父の世話をつづけた。そうでなければ困るのだ。我が家にはもう一円たりともお金はない。このままではわたしたちは路頭に迷うことになる。ここ最近、食べ物も飲み物もろくに口にしていない。父にさえ与えられる栄養物を手に入れられないのだ。この状態が変らなければふたりとも栄養失調で共倒れだろう。


 外に働きに出る? しかし、小学校を卒業して、中学校に入学しなかった子供にいったいだれが働き口を紹介してくれるのか。それに、わたしには外の世界のことは何もわからないのだ。


 今日も青い火はわたしを慰めてくれる。親しげにゆらふらと揺れてわたしを元気付けようとしてくれる。何十も集まってまわりを囲み、聞こえない声をもってわたしに語りかけてくれるのだ。


 空腹など感じなかった。さびしさも、わびしさも、どこかに捨ててきた。わたしにはこの場所しかなかったのだ。


 しかし、突然、そんなのんきなことを言っていられない状況が訪れた。ついに、父が息を引き取ったのである。あまりにあっけなかった。朝起きて、様子を見に行ったらもう呼吸が停止していた。左胸に耳を当てて、そこがひっそり静まり返っていることを確認した。


 ああ、もう何もかも終わってしまった。


 わたしはがっくりと肩を落とした。これまでの苦労はすべて水泡に帰し、天涯孤独の身の上となってしまったのだ。


 だけれど、わたしはこれ以上、何にも煩わされることなど御免だった。父が死亡した、これでわたしには生きる目的はなくなったのだ。それならば、無理に生きようなどとせず、わたしも父の後を追えば良いのだ。


 なに、自らなんらかの行動を起こさずとも、このまま時間が経てば自然と望みは叶う。もう何もしたくはない。家を出ず、父のそばを離れず、ランプをともし続けてお迎えを待とう。


 わたしはそう考えた。


 ただ、ひとつだけ気がかりなことがあった。


 そういえば、わたしたちはとなりの工場からずっと黙って液体をもらっていたのだった。どうせなら、そのことを謝ってからでも悪くはない。むしろ、最後くらいは善事のひとつでもやっておいた方がしまりもつくのではないか。わたしは父の世話をしていたのだから、最後の世話もやり遂げてしまおう。


 外に出るのはひさびさだった。夜の外気が心地良く、湿った服のなかに吹き込んできて体を冷やす。狭い庭には丈の高い雑草が生い茂り、液体を家の中にひきこむホースや供給源であるタンクを隠してくれていた。


 わたしは入り組んだ工場の建物の間にもぐりこんでいった。縦横無関係にパイプ管がはりめぐらされ、太いのや細いのが錯綜してとてもゴタゴタしていた。


 わたしはホースをつなげたタンクから工場内部へとむかって伸びるパイプをたどっていくことにした。最初は地面すれすれの底面部につくりつけられていたのだが、いきなりそれは壁の表面を上に走っていって自分よりはるか上部を今度はちがう方向に伸びているようだった。


 わたしはパイプにつかまり、金具の部分を足台にして登ることにした。上まで登ったら、パイプは壁からはなれて空中を伸びていき、工場内部の闇の中に消えていた。


 わたしはパイプの上に手をついて四つん這いの姿勢をとり、落下しないようにすりあしでそろそろと進んでいった。暗闇のために一寸先どころか手元さえかすかにしか見えないので、手先で前方をなでまわして確認をしgなくては安心して進むことなど出来なかった。


 やがてパイプは工場から外に出た。なおも進んでいくとこの先は塔のように高い巨大なタンクにつながっていることがわかった。どうやら塔をとりまくようになっているらしい。


 すると眼下に民家の影をみとめた。それはわたしの家ではないようだった。二階建ての大きな家であった。ここから見る街の光景も初めてのものだ。どうやら我が家のある工場裏から表の方に出てきたようだった。とすると、あの下に見える家が工場の持ち主の住むところだろうか。


 わたしは下に降りるために巨大タンクまで這い進んでいき、ころあいのところで梯子に乗り移り、降下していった。


 薄闇にわずかな光を反射する金属のダクトやパイプ管はまるでジャングルジムのように入り組んだ足場となって、工場の外枠にまとわりついていたので、全身を使ってあっちへこっちへと移り進み、民家に近づいていった。


 民家一階の大きな部屋を見透かせる大窓には強力な白色蛍光灯の目を痛くする輝きが漏れ出ていた。わたしは陰にかくれてだれにも悟られるぬよう慎重をきして中をのぞきこんだ。


 強い明かりの下には三人の人物がテーブルをかこみ食事をとっているようだった。はじめにわたしの目を強く引いたのは食卓に出されている彩りも鮮やかなすばらしい品揃えの料理の数々であった。これが一度の食事に供された量なのだろうか。三人で食べきるのは不可能ではないのか。そこに出された料理の三分の一だけを摂取したとしても、わたしならば一日は満腹状態で過ごせるだろう。


 たとえ窓越しであろうと、外から遠目に眺めたものであろうと、そこに満ちるであろうかぐわしい油と調味料の香りが鼻をくすぐるのがわかる。なんと新鮮味に富んだ青々とした野菜サラダなのだろう! あの茶色く煮込まれたぶ厚い肉の熱気と脂身が舌を撫でる快感はいかほどか! ジャガイモが、プチトマトが、スープが、とりわけ白く湯気のたつご飯が! どれひとつとして腐りけのしていない最適な頃合に出され最高の調理のされた食べ物たち!


 瞬間、腹部に千匹のミミズが通過したような痛痒が走りぬけ、ギュルルと胃袋が意地汚く鳴いた。空腹の自覚とともに、わたしは全身に溜まりこんだ大きな疲労と精気の枯渇を思い出さざるをえなかった。遅ればせながら多量の発汗をおぼえ、上下の金属管に接している両手両足にふるえが起こり体を支えるのが辛くなってきた。


 わたしは気持ちをひきしめ手足に力をこめた。ここで落ちたりしたら負傷をするどころか、二度と起き上がることは叶わないことが直感された。


 食卓の次に、そこに座を占める三人の人物に視線を移した。見るからに金持ちの親子であることがわかった。かっぷくのよい中年の男性、家の中でも美しく着飾った若々しい女性、すらりと背が高く知性を漂わす面持ちもりりしい少年。この住居は思ったとおり、工場主の家庭が住む家であったのだ。わたしの短い冒険は報われ、目的地に達したのだ。あとは液体盗用の件の侘びをいれにゆけばすべての義務は果され、わたしは解放される。さて、そのためにはどうしたらよいだろう。


 わたしがじっと動きをとめて考えに沈んでいるあいだにも、家の中の三人は楽しそうにおしゃべりしながら次々と食べ物を口にいれていく。あっというまにたくさんの皿に盛られた宝石たちは姿を消してしまった。貪らんなる三匹のうわばみたちが飲み尽くしてしまったのだ。わたしの口の中に泉をつくった唾液はむなしく喉のおくに流れ去っていった。


 一家団らんの食事は終わり、まっさきに席をたったのは少年だった。ふらりとした動作でなぜか憂愁な感じが彼からは感じられた。奥にあるドアの向こうに消え、すぐ後に二階のひとつの窓に明かりがついた。わたしはそちらの方に興味を引かれた。


 本来なら、謝りに行くのなら大人たちがいる一階にむかうべきであったろうが、そのことがわたしには恐ろしく思えた。どんな剣幕でなじられるのか、もしかしたら暴力さえふるわれはしないだろうかと考えると、歳の近い少年のほうにかけあったほうがまだしも無難な気がしたのである。


 しかし問題は、わたしに二階までのぼっていく余力があるかどうかである。自らの疲労を自覚してからは一刻一刻が体の中から体力をけずりとる仮借なき研磨機と化しているのに、可能なことだろうか。


 そのとき、わたしの思考に自明の目的とはべつにもう一つのはなはだ魅力的な案がうかんだ。あの少年に頼んで食べ物を分けてもらってはどうか。あれくらいの金持ちの家ならば余所の子に少しくらい分け与えるだけのたくわえがあって当然だろう。


 その考えに背中をおされてわたしは少年がいると思しき部屋の窓にたどり着くべく今一度の登はんを開始した。だが、今回は容易なことではなかった。足を滑らせたり、手をつきそこねたりして、落ちることだけはしたくなった。あの食事にありつくまでは絶対に死にたくはなかった。高所を移動しているという恐怖がここにきて誕生してしまった。一個一個を丁寧にのぼっていかねば強固になった望みを叶えることは出来ないのだ。


 そして汗だくになりながらも、ついに窓枠にとりつくところまで行った。とても長かったように感じたが、登った距離はそう長くはなかったかもしれない。とにかく、ここまできたら、あとはどうやってこの閉めきられた窓を中から開けさせるかである。


 声をかけてみることも考えたが、それでは相手に不審がられてむしろ逆に開けてくれないかもしれないので、ひとつ、手で窓を叩いてみることにした。


 コン。しばらく待ったが反応はなかった。コン、二回目。結果は同じ。コン、三回目。床板を歩く音が近づいてくる。コン、ダメ押しの四回目。


 金具がカチャッとなり、窓がガラガラと開いた。


 わたしは間髪いれずに開いた隙間にとびこみ、立っていた少年の体を押し倒した。ぐにゃりとした弾力が腕の中でのたうち、驚きの悲鳴が短く響いた。めまぐるしく移り変わる視界と強い緊張のために耳がキーンとなって、意識がはっきりとしなくなった。視野がせまくて、大部分は白いもやに覆われてどういう状況になっているのか判然としない。わたしは体の下にいる人間の様子を知るために手でベタベタと触った。


 すると、下になった少年は猛然と体を暴れさせ、足でもってわたしを蹴り上げ、横合いにぶっ飛ばした。体力も気力も使い果たしていたわたしはまるで紙人形のようにいとも簡単に床を転がり、壁に背中を激突させてしまった。衝撃が脳天をつきぬけて待ってましたとばかりに意識が遠のいていった。


 眠りから覚めたとき、わたしが見ていたのは我が家にはない白い電燈であった。視界は泡だったようにかすれてそれ以外は識別できなかった。頭の中は泥でもつまったみたいにぼおっとして継続した思考ができない。全身に力がはいらずがちがちに凍りついていて、首を回して周囲を確認することさえ叶わない。


 かすむ視界の中に突如として少年の顔が割り込んできた。りりしく引き締まった顔面にはわたしという異分子がいることへの狼狽の影は一片たりとも見受けられない。


 少年がいつまでも見つめているので、わたしもぼんやりと相手を見つめ返した。


 近くで見ると少年は思っていたよりも幼いようであった。わたしと歳はそれほど遠くはなさそうで、もしや同い年かもしれない。


 だが、再び強い眠気がおそってきて、それ以上考える前に意識は底のない沼に溶けていった。


 口内にみずみずしい何かが入り込んできた感触に起こされて、わたしは目を開いた。そこにもまた少年がいた。手に皿とスプーンをもち、わたしに食べ物を食べさせてくれていた。シャリシャリとした食感とさわやかな味わいからそれがすりおろしたリンゴであることを察した。甘い果汁が乾いた口内に潤いを取り戻させ、喉を伝い下りる過程で食道管がどんどんいきづいてきた。ひさかたぶりの食料に胃袋は喜びのけいれんを発して踊っていた。


 小皿にある分をすべてたいらげ、満足のゲップがあがってきた。わたしは「ありがとう」と言おうとして唇を動かした。少年に伝わったかどうか自信がないほどか細い声だった。それでも、気持ちは伝わったのだろう。少年は微笑んだ。それはやさしい笑顔で、怯えたわたしの心をあたたかくほぐしてくれた。


 ひとごこちつくとわたしはまた眠りについた。安心と安楽にひたった、まったく快い睡眠であった。


 次に目を覚ましたとき、前ほどには意識の混濁はなかった。体がいやされ回復傾向にあることは確かであった。夜の時刻で、いつもはついている電燈がこのときは暗みの中にあった。それでも部屋の中が薄明るいのは窓の外からさし込んでいる月の光のせいだろう。わたしはもう十分に筋肉を動かせるまでになっていた。首を曲げて窓を見ると、夜空にくっきりと皓々とした満月が笑い掛けていた。


 横には少年がかがまり、何かをしていたが、手元は確められなかった。わたしが身を横たえているのはどうやらベッドの上で、少年が貸してくれたのかもしれない。チャプン、チャプンと水が波うつ音がして、次にはザーッと濡れた雑巾をしぼる音がした。少年はこちらを向き、手に持った濡れタオルを近づけた。


 それで、わたしの腕を拭いた。なんとなく空気の流れを感じ、首を曲げて見ると、わたし全裸にされて横たわっていた。しかし、奇異な気持ちにはならなかった。少年が何をしてくれているのかを考えれば、何も驚くことはないはずだ。


 少年は丁寧にわたしの体を拭いてくれた。肩、胸、腹、腰、脚と拭きあげたあとはわたしに寝返りをうたせて、背後の部分をこちらもまた丹念にきれいにしてくれた。


 その間に視線を走らせて部屋の中を観察していた。机、本棚、CDプレイヤー、タンス、金属バットとグローブ、学生かばん、小ぶりのテーブルとカーペット、などがあった。実に学生らしい見かけだった。壁にかけてある制服から彼はきっと中学生なのだろう。やはり彼とわたしは同年代なのだ。なんとなく安心感が増したようだった。


 やさしく全身をきれいしてくれたために、わたしはとても気持ちがよかった。


 衣服を着せてくれるのかと思ったが、少年はわたしを裸にしたままタオルケットをかけた。そういえば、わたしが着ていた服は汚れるだけ汚れていたから、きっと洗濯してくれているのかもしれない。至れり尽くせりにわたしは涙ぐむ思いだった。


 それから少し眠った後ことだった。


 わたしは体におぼえた異様な感触のために目を覚ました。人間の手の平が胸やふとももをまさぐっているのだ。さすがに驚いてわが身を見渡すと、少年がその、やさしく世話してくれた手で体をなでまわしているのだ。それだけでなく、顔はわたしの股間に埋めて、何かをしているようだった。


 今度は、少年はわたしの体表に鼻をつけて、全身をクンクンと嗅ぎだした。その様子は主人になつく犬のようで妙にかわいらしい。荒い鼻息が肌をこちょがしてむずがゆくなった。


 変な感覚であった。けっして気持ち悪くはなかったが、背中にゾッと寒気が走った。上腕に鳥肌がたち、脚が細かく震えてきた。それなのに、不快ではないという一種矛盾にみちた反応がわきおこった。


 足の指先をぎゅっとにぎりこむ。早く過ぎ去れ、と思う一方、体の下腹部にともる微妙な温熱がじりじりと溶けていくロウソクのように心地良く、もう少しこのままでいたいとまで思ってしまうのだ。


 そうしていると、少年の行為はしだいに激しさをましていき、体がどんどん熱くなっていった。少年はそれまで自分が着ていた衣服をぬぎ捨て、彼もわたし同じ裸となって身をすり合わせてきた。たがいの肌と肌が触れ合うことにより、芯にともった火がより大きく燃えていくのが感じられた。ちろちろとした火で肌の裏側からなぶられているようなどうしようもないやるせなさが込み上げ、無意味に手足をじたばたさせたかった。


 わたしは一個のアルコールランプになったような気がした。


 そして、わたしはやむにやまれぬ衝動にかれれて少年の体をぎゅっとだきしめた。この未知の感情に身を任すのが不安で仕方なかった。幸いにも少年もわたしをだきしめてくれたので、心の安定を保つことは出来た。


 こんなふうに誰かをだきしめ、だきかえされる経験は初めてであった。父とさえこんなことしなかった。なんて安心できて、幸せな気分となりえることだろう。いつまでもこうしていたいとさえ思った。


 だが、その甘やかな幕をやぶって別の異常な音響が聞こえてきた。わたしも彼も動きをとめた。それは今熱中している行為においても中止を余儀なくさせるくらい異様な音であったのだ。


 外から響いてくるものだとわたしには思えたが、少年も同じように感じたようだった。面倒くさそうにノロノロとベッドから起き上がり、裸のまま窓にむかって歩いていった。窓を開けると音はよりいっそう大きく明瞭になった。


 そして、わたしは直感した。父が呼んでいると・・・


 なぜそう思ったのかはうまく説明できない。それはどう聞いても人間に出せる声ではなかった。どちらかというと獣の咆哮に似ていて、それもよほど意地悪く獰猛な危険生物に相違ない。にも関わらずわたしが父の呼び声であると思ったのは、その咆哮に聞き覚えがあったからだ。


 まちがいなく、小さい頃にひとの家で見た怪獣ガスコンラの声であった。あの口から火を吹いて町を焼いたガスコンラ。父が演じたガスコンラ。心の中で来てほしいと願ったガスコンラ。そいつがわたしを呼んでいる、というよりも糾弾している。


 わたしが父を見捨てたからだ。父の亡がらを放置して外に行き、こんなところで自分だけ勝手に幸せな気分にひたっているから、父はそれを良く思わず、わたしを憎悪しているのだ。


 一刻もはやく戻らねばならない。我が家に、父のそばに。


 わたしはベッドのシーツをはぎとり、それで裸の体をかくした。少年はふりむき、急に動き出したわたしにおどろいて、制止しようとした。わたしはつかまらないよう素早く部屋から走り出て、出口を探した。廊下にある階段を駆け下りると、運よくすぐに玄関であった。片側開きのドアには鍵がかかっていたが、わたしの後を追ってくる足音にせかされて急いで鍵をあけ、外に出た。


 出入り口の先はすぐに工場の敷地から出られる道になっていた。塀の外に転がり出て、アスファルトの道路に立った。


 ここから我が家へ行くには塀に沿ってぐるりと反対側へ回ればよいだけだ。わたしは逡巡するひまもなく駆け出した。


 我が家のたたずまいは何も変っていなかった。工場の大きな影に隠れてみすぼらしい小屋がそこにあった。中に入り、急いで父を寝かせている床の間に行った。


 父はそこに横たわっていた。ただし、青く輝きながら。


 息絶えたはずの父の体には青く火がついて燃え上がっているのだった。アルコールランプのどれかから引火したのだろうか。いや、それにしては父の体のほかに燃え移っていないのは奇異だ。それよりも、父自らが発火したのだというほうが正しそうだ。なにせ、あの体には溜め込んだアルコール燃料がたっぷりつまっている。血液がアルコールと置き換わっていたとして不思議ではない。


 火気がそうさせているのか、父の口元からは空気の流入が生まれており、それがまるで獣の吼え声に近しい音を発しているのだった。だが、それは外にまで響くほど高くはない。どうして工場を隔てた少年の部屋にまで届いたのかは謎である。


 パチパチと火は燃えている。うす青く、静かに、ランプの火のように、父自身がランプとなったように燃え上がっていた。だが、父の肌は焦げ付いていない。それもランプと同じだ。あくまで燃焼するのはアルコールの成分で、媒介する物質は燃やさないのだ。


 わたしがその光景をなおも眺めていると次なる変化が起こった。息絶え、燃え上がっている父の肉体に一連の動作が走った。わたしは目を疑ったが、それは事実であった。水のごとくゆらめく青色をまとったやせほそった肉体は敷き布団の上に生前の頃のように起き上がったのである。


 わたしはすっかり腰を抜かしてしまい、床にへなへなと座り込んでいった。対照的にいまやしっかりを足をつき、火に包まれた父は堂々と立ち上がっているのである。


 昔、父が演じた役の中には火だるまになる男がいた。それは映画の中での仮装であったが、今の父は現実にその火だるまの男となって動いているのである。


 父はゆっくりと歩を進め、わたしを無視して通り過ぎていった。足裏まで燃えているはずなのに、床板には焦げ跡は少しもついていない。


 呆然としたまま父の後姿を見送っていた。どこにいくつもりなのか確めることにした。


 父が向かっているのは台所だった。水道の水で自分の火を消そうとしているのだろうか。無駄だ。水道はずいぶん前から止められている。


 いや、まて。もしかしたら目標は水ではなく、そのとなりの蛇口、液体の出るほなのではないだろうか。


 わたしは納得した。もしも、現在の状態の父が蛇口からしたたる液体に触れようものなら、液体に引火した炎はホースを伝い工場のタンクに至り、そこからさらに先へと進み、巨大な爆発を誘発するだろう。工場は吹き飛び、ここら一帯は火炎の海にしずむ。まさしく、ガスコンラが出現したかのごとく惨状にみまわられるのである。


 なぜ、父がそんな無意味な破壊を望んでいるのか他人に言い表すことはできない。ただそれが、父が望み、わたしも望んでいることは事実なのであった。


 何一つとして良いことのなかった人生の、その中でいたずらに蓄積された鬱憤が、このたった一つの手段と後にはやって来ない機会のためにはけ口を求めているのだ。プログラムを遂行する自動機械と同じである。無意識に組み立てられた邪心の願望がこうして花開こうとしているのだ。


 わたしはなすすべもなく父を見守っていた。爆発はきっと工場だけでなくそこにいる人々、工場主の親子とわたしまでも吹き飛ばしてしまうだろう。命が惜しかったら父を止めるべきだが、わたしはいっこうに惜しいという気持ちをもてなかった。父といっしょにいることがわたしの生きる目的であるのなら、やろうとしていることに従い、行こうとしているところに同行するのが務めであろう。


 やれっ! お父さん、やっちゃえ!


 あのときと同じように、声に出さず心の中で言った。


 闇に浮かぶ火の玉となった父は、ゆらゆらと頼りなげな足取りで台所にはいっていった。液体の蛇口はあと少しだ。そこに手が伸びればもうだれにも防ぎようもない。ガスコンラがやってくるのだ。


 わたしたちが、この家と工場とそこの住民たちが、ひとつのアルコールランプへと変るのだ。


 だが、昔テレビで見たのがそうだったように、今度も途中で邪魔がはいった。大破壊の直前に正義の味方がまにあったのだ。


 何者かの影がすごいはやさで通り過ぎ、父におどりかかっていったのだ。少年だった。わたしを追って走ってきたのだろう。


 それはテレビで見た光景だった。正義の巨人は怪獣に飛び蹴りを食らわしたのだ。少年が父にしたのもそれだった。


 後ろからおもいきり蹴り飛ばされた父は前に倒れ、床に激突した。


 その瞬間、青い火の玉だった父の体はバラバラに砕けた。焼けた木炭を叩きたようにもろかった。パッ、と光って無数の青い火の粉へと四散し、空中に舞い上がった。


 あとにはもう父はいなくなり、青みのある粉々の炭の山が残された。


 わたしは父が完全に消滅したことがわかった。


 少年はわたしに近づき、身をかがめて視線を合わせてきた。


 そして、そっと、冷たくなったわたしの体をだきしめてくれた。


 父とともに奥底から燃え上がっていた炎は、静まっていった。


 わたしは少年の胸の中で目を閉じる。


 アルコールランプはふたをすると火が消えるのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 父の野望は一人の勇気ある少年の活躍によって潰えたのだ…………という、定型的なものでは終わりませんでしたね。 父とその息子に宿った世の中に対しての炎は少年という蓋によって消…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ